名門の光と影 Ⅲ

文字数 2,288文字

 闇が空を覆う。夜がセリアの街並みを包み込み、人々も眠りにつこうとしていた。
 ヴァレリア邸も、明日の準備をする使用人や、警固の兵を除き、ほとんどの者が部屋で休んでいた。
 二階にある部屋のひとつが、ベルリネッタの寝室だった。煌びやかなシャンデリアと燭台が置かれ、紅い絨毯が敷かれている。暖炉は二つあり、寒い季節でも暖かく過ごせるように配慮されていた。部屋の中央には長椅子と長方形の卓が置かれ、窓の近くには天蓋付きの大きな寝台があった。
 ベルリネッタは長椅子に座り、眼を閉じていた。祈るように両手を握り、身動きしない。それは、ただただ無事に夜が明けて、朝陽を浴びることができることを望む姿であった。
 部屋の扉を叩く音が鳴る。その音は、ベルリネッタを絶望に誘うものであった。哀しみと諦めを浮かべたような顔をしたベルリネッタは、大きく息を吐くと、ゆっくりと長椅子から立ち上がり、扉へ足を向けた。
 扉を開けると、そこに立っていたのはサルマートだった。ゆったりとしたチュニックを着用していて、外出、というよりは、部屋で過ごすための普段着である。
 部屋の中に入ったサルマートは、長椅子に深く腰を下ろした。扉を閉めたベルリネッタは、棚から葡萄酒を取り出した。サルマートが好んでいるもので、特別に取り寄せたものだ。いつしかその趣味嗜好を把握していることに、ベルリネッタはやりきれない思いを抱いていた。
 グラスを用意したベルリネッタは、葡萄酒を注いだ。好みの酒がすぐに用意されたことで、サルマートは気を良くしている。
「私の父も兄も息災であった。パスカル家との関係も落ち着き、今は領内も平穏になっている。ベルリネッタによろしくと言っていたよ」
 サルマートが上機嫌で喋り出す。ベルリネッタは、葡萄酒のボトルを卓に置いて、サルマートの隣に腰掛けた。
「それは何よりでございます。私の贈物は喜んでくださいましたか?」
 予め下調べをしておき、サルマートの父が好きな調度品を用意したのだ。サルマートが思い出したように頷き、ベルリネッタに笑みを見せた。
「あれか。父がとても喜んでいたよ。お前には出来過ぎた奥方だと言って、大変気分をよくしていた」
「それはよかった。喜んでいただけなければ、贈物の意味がなくなってしまいますから」
 ベルリネッタも和やかに応じているつもりだが、次第に胸が苦しくなる感覚に襲われる。
 不意にサルマートの手が伸びてきて、ベルリネッタの頬に触れる。思わずベルリネッタは身を硬くした。サルマートの顔が近づいてきて、ベルリネッタの唇を奪う。
 サルマートがベルリネッタの唇をこじ開け、舌を絡ませる。肩に触れたサルマートの手は、そのまま滑り落ちるようにベルリネッタの胸元まで動く。チュニックの隙間から、ベルリネッタの胸をまさぐる。体に触れられる抵抗感は、やっと抑えられるようになった。
 ひとしきり口づけを交わすと、サルマートは唇を離した。ベルリネッタを見つめ、口もとを吊り上げる。それが、ベルリネッタには酷く下卑たものに映った。
「さあ、始めようか」
 わずかな躊躇いを振り切るように、ベルリネッタは立ち上がった。サルマートはグラスを手に取り、葡萄酒を口にしている。
 ベルリネッタは自分で衣服を剥ぎ取っていく。チュニックを脱ぎ、下着に手を掛ける。透き通るような美しい白い肌には、いくつもの痣ができていた。
 サルマートが葡萄酒を飲みながら、ベルリネッタの裸体を舐めるように見ている。その眼は人に向けられるものではなかった。全裸になったベルリネッタは、胸と恥部を腕で隠した。見世物のように扱われることを望んでいる訳ではない。それは、ベルリネッタにとってのささやかな抵抗であったが、サルマートは気分を害したように眉を釣り上げた。
 長椅子から立ち上がったサルマートが、ベルリネッタの前に立つ。思わず顔を歪めるほどの強い力で、ベルリネッタの腕を掴む。体から腕を引き剝がされたことで、ベルリネッタの豊満な乳房と恥部が露わになった。
「今日は随分と反抗的な眼をしているな、ベルリネッタ」
 ベルリネッタ頬に痛みが走る。一度だけではない。二度に渡って、サルマートの平手打ちがベルリネッタを襲った。俯いたベルリネッタは、解放された腕を後ろ手に組んだ。
 愛してもいない男に体を捧げている女など、この世界には数多くいるだろう。むしろ人としての生活が保証されている分、自分はまだいいほうだと、ベルリネッタは思っていた。
 だがサルマートとの交合は、ただの交合ではなかった。最初の交合では、目隠しをされ、腕や脚を拘束された上で、猿轡をされた。そういう趣味嗜好の持ち主だと割り切ることもできた。だが、次第に交合は激しさを増していき、やがてそれは暴力を伴うものになった。
 愛撫は常に荒っぽいもので、加減というものを知らない。体にいくつもある痣はサルマートによってつけられたものだ。夫婦の情事などというものとは程遠い。捕らえた敵国の女を組み敷くのと同じだと、ベルリネッタは思っていた。
 初めは拒もうとした。だが、腹部に拳を打ち込まれ、息が出来なくなった。そのままサルマートの一物を挿入され、行為の最中に首を絞められた。意識が朦朧したあの夜の出来事は、忘れもしない。
 サルマートの手が、ベルリネッタの背中を押す。小さく頷いたベルリネッタは、弱々しい足取りで寝台に向かう。
「それでいい。お前は私の妻だ。ただ従順であればいい」
 わずかな灯りに照らされた寝台が、ベルリネッタを待つ。それがベルリネッタにとっては、罪人を迎え入れる断頭台のように見えた。
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