華の一族 Ⅴ

文字数 2,123文字

 それは奇妙な時間だった。
 見つめ合うランスロットとベルリネッタは、どちらも眼を外すことなく静止していた。特に気まずい空気になる訳でもなく、ただ視線を交わしている。
 ベルリネッタが立ち上がると、ようやくランスロットは自分を取り戻した。ベルリネッタが警戒していることがわかる。場所がヴァレリア家の屋敷である以上、このままではランスロットが侵入者として疑われる可能性があった。
「ランスロット・リンクスと申します。戦禍で所領を失い、遠戚である奥方様を頼りにこちらに参りました」
「リンクス…。そう、貴方が」
 ランスロットの素性を知ったベルリネッタが、少し警戒心を緩めた。
「私はヴァレリア家の当主マヌエル・フォン・ヴァレリアの娘、ベルリネッタ・アイシス・ヴァレリアです。自分の家を追われるというのは、辛い経験だったでしょう。今はゆっくりお休みなさい」
 ベルリネッタの気遣いに対して、ランスロットは頭を下げた。
 それ以上何も訊くつもりがないのか、ベルリネッタがまた池の魚に餌をやりはじめた。赤や金色の魚が、口を開けてベルリネッタのもとに群がっている。ランスロットはこのような魚を見るのは初めてだった。
「これはなんという魚なのですか?」
 ランスロットはゆっくりとベルリネッタとの距離を詰めた。ベルリネッタは特に気にする訳でもなく、魚に餌を与え続けている。
「これはコイ、という魚です。色とりどりの模様を宿す魚で、東の大陸から伝わった魚とされています。父がこの魚をとても可愛がっているのですよ」
 ベルリネッタがまた池に餌を投げ込む。しかし、動作はどこか作業的で、ベルリネッタの瞳は虚ろに見えた。池を泳ぐコイの姿は美しいが、それに心を捉われている訳でもない。
「いつも、ご自身で餌をあげているのですか?」
 少し間を置いて、ベルリネッタが小さく笑った。自嘲的な笑みに感じたランスロットは、ベルリネッタの横顔に釘付けになった。
「気晴らしに過ぎません。いつもは侍女たちがやっています。この庭を歩いているだけでは退屈してしまうので」
 ランスロットとの会話を苦にしている訳ではないが、興味もないベルリネッタの態度からはそういう意思が見え隠れする。
 コイとの戯れは、ベルリネッタにとって現状逃避ともとれる行いなのかもしれない。ランスロットはそう感じた。
「近くご成婚なさるそうですね」
 ベルリネッタが抱える鬱屈はなんなのか。それを探るために、ランスロットは質問をぶつけてみた。成婚という言葉に、ベルリネッタがそれとわかるほどの反応を見せた。白い肌からは血の気が引き、眼の奥の哀しみは深くなっている。
「ええ、メリアガンス家のサルマート殿を、ヴァレリア家に迎え入れます。ヴァレリアの血を残すために、私とサルマート殿の婚姻が決まっています」
 まるで他人事のような口ぶりに、ランスロットは激しい違和感を覚えた。ベルリネッタにとって、婚姻は歓迎すべきことではないのではないか。
「メリアガンス家とは、あまり聞かない名ですね」
 さらに深く探りを入れるために、ランスロットはベルリネッタの婚約者であるサルマートについて追求をしてみた。露骨に好悪を示すほどではなかったが、ランスロットは表情の翳りが気に掛かった。
「メリアガンス家はアークス州のサフォーク郡の豪族です。一介の豪族ということでしたが、今はサフォーク郡一帯に影響力を及ぼす家柄です」
「なるほど。成り上がり、という訳ですか。イングリッドランド王国史に名を刻む名門ヴァレリア家の名声と比べると、どうも見劣りがしてしまいますね」
 不快感を表したベルリネッタが、ランスロットをきっと睨んだ。こんな顔もできるのか、とランスロットは意外に思った。
「一体、何が言いたいのですか?」
 やはりベルリネッタはメリアガンス家との婚姻をよく思っていない。ランスロットはそう判断した。だが、何故ベルリネッタがそこまでの憂いを感じているのか、それがまだ判然としない。
「私は思ったことを口にしたまでです。本来ならば、正当な嫡子がヴァレリア家を継ぐはず。叶わぬとあれば婿を迎えるのは当然ですが、それならば家柄に見合った貴族と婚姻を結ぶべきでしょう。例えば、東の名門ローエンドルフ家などです。成り上がりの豪族が相手では、ヴァレリア家の家格も落ちるというものです」
 乾いた音が響いた。思わずランスロットは自分の左頬に手を当てた。女性に平手打ちを食らった経験は、これで二度目であった。
 我に返ったベルリネッタの右手が、所在なさげにしている。横を向いたベルリネッタは、地面に視線を落とした。
「貴方のような余所者に、何がわかると言うの」
 さすがにこのままではまずい。そう思ったランスロットは、その場で一礼をした。
「ご不快に思われたのならば申し訳ございません。失礼を致しました」
「いえ、よいのです。私も行き過ぎたことをしてしまいました。このことは忘れてください」
 ベルリネッタがランスロットに背を向ける。まるで何事もなかったかのように、ベルリネッタは魚に与えていた餌を片づけ、館の中へ消えていった。
 最初の印象は、最悪になった。ベルリネッタの背を見ながら、ランスロットはそう思った。



 
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