華の一族 Ⅵ

文字数 3,809文字

 鈍色の空から雨がしとしとと降り続けている。
 窓から庭園を眺めているランスロットは、深いため息をついた。戦場で生きてきたランスロットからすれば、ヴァレリア邸での生活は退屈そのであった。晴れていれば庭に出て、剣の修練に励むのだが、この雨でが外に出ることすら叶わなかった。
 ランスロットはベルリネッタと言葉を交わして以来、何度か庭園の池に足を運んでみたが、ベルリネッタと会うことはなかった。
(避けられているのか。最初があれだから仕方がないとも言えるな)
 ベルリネッタがメリアガンス家との婚姻に拒否感を示しているのははっきりとした。だがその理由が何なのか、ランスロットにはわからないままであった。
 ランスロットがぼんやりとしていると、部屋の扉が叩かれた。その音ではっとしたランスロットは、自分を取り戻したように部屋の扉を開けた。
「おや、まだ普段着のままでございましたか」
 部屋を訪ってきたのはマシューであった。マシューの顔を見るや、ようやくランスロットは今日が何の日か思い出した。
「すまない。今日はマヌエル様に面会にする日だったな」
 マシューが慇懃な仕草で一礼をする。ランスロット自身も、昨日夕刻にマヌエルが帰還したことを知っている。夜になってマシューから翌日の昼に面会することを伝えられていたのだ。雨に降り込められたことで、すっかり失念していた。
 マシューに手伝ってもらいながら、礼装に袖を通す。このかしこまった格好が、ランスロットは苦手だった。甲冑を着ていたほうが落ち着く。それがランスロットの心理だった。
「お館様の前では礼を失しないようお願い申し上げます。くれぐれも、以前のベルリネッタ様のようなことになりませぬように」
 マシューが一礼する。思わずランスロットは吹き出してしまった。この間のベルリネッタとのことは、マシューには周知の事実のようだった。
「あれはまずかっただろうか」
 心の中では不安もあったランスロットは、ついマシューに聞いてしまっていた。
「いえ、ベルリネッタ様は寛大なお方でございます。気にはしていないと思いますが、今はランスロット様にお会いしたくないと思っているでしょう」
 自分が思っていた通りの返答で、ランスロットは苦笑いした。やはりベルリネッタに避けられているようだ。
 支度を終えたランスロットは、マシューと共にマヌエルのもとへ向かった。
「お館様は現在、執務室におられます。留守中の政務で滞っていることもありますので。面会の許可はいただいておりますので、問題はありません」
 ランスロットはマシューの後について、館の三階に足を踏み入れた。普段、ランスロットが足を踏み入れることのない、ヴァレリア家当主の居室である。
 廊下を歩いていると、角でばったりベルリネッタに出くわした。侍女を二人連れたベルリネッタは、ランスロットを見て少し戸惑っているようだ。
「これはベルリネッタお嬢様」
 マシューがうやうやしく挨拶をすると、ベルリネッタは、笑顔で応じた。
「お父様がお戻りになられたので、ご機嫌伺いに参りました。それから、お母様の容体の報告を」
 ベルリネッタとマシューがひと言、ふた言交わし、互いに挨拶をして別れた。去り際、ランスロットはベルリネッタに視線を向けたが、ベルリネッタ自身はランスロットには眼もくれず、自分の部屋へ戻っていった。
「参りましょうか」
 わかっているのか、いないのか、マシューがいつもの笑みを浮かべて先導をはじめた。
 執務室は三階の突き当りを曲がった奥にあった。部屋の前にも花瓶が置いてある。ここでもマヌエルの趣味が表れていた。
 マシューが扉を叩くと、しばらくして使用人が顔を出した。取り次ぎを願うと、すぐに室内に通された。
 室内に入ってすぐに目につくのは、天井から吊るされた煌びやかなシャンデリアである。部屋の絨毯は美しい花柄で、中央に丸い卓と二つの椅子が置いてある。応接セットの隣には台の上に置かれた女神像がある。一番奥にマヌエルが執務を行う机と椅子があった。机は黒塗りで、椅子は王侯貴族に相応しい装飾がなされていた。
 その椅子に腰を据え、机の上の書類に筆を走らせているのが、ヴァレリア家の当主マヌエル・フォン・ヴァレリアであった。
 部屋に招き入れたものの、マヌエルは書類に向かったまま反応がない。これがよく用いる手のひとつで、ここで焦れずに待てるかを見極めるものだった。
 対してランスロットは、そのような小手先の小細工など通用しないと言わんばかりに、平然とその場で待機していた。戦場での極限状態と比べれば、この程度はなんともなかった。
「リンクス家から来たというのは、そちらの者か」
 ようやく顔をあげたマヌエルだが、ランスロットのほうを見ようとはせず、マシューと会話をはじめた。
「はい。すでにヒルダ様には面会済みであります故、お館様にお目通りをと思いお連れ致しました」
 頷いたマヌエルが、やっとランスロットに眼を向けた。まずその容貌を眺めると、上から下まで、値踏みをするように確認する。ひとしきり観察すると、二、三度小さく頷いた。
「名は?」
 一礼をしたランスロットは、一歩前へ出た。
「はい。ランスロット・リンクスと申します」
「ふむ。なかなか見目麗しい少年よな。これなら我が屋敷に置いておいてもよかろう。ただし、見てくれだけは、ということだがな。よいな、ランスロットとやら。我がヴァレリア家はイングリッドランド王国でも有数の名門である。常に己を律し、他者から羨望の眼差しで見られるよう行動せねばならん。そのために、ヴァレリアの名に泥を塗るようなことは固く禁ずる」
「はい。心得ております。ヒルダ様やマシュー殿からも伺っておりますれば。私もお屋敷に身を置かせていただいている以上は、恥ずべき行為を慎み、清く正しい行動を心がけます」
 ランスロットの回答に満足したのか、マシューが何度も頷いた。
「それでよい。おかしなことをしなければ、ここでは自由にしてよいぞ。いずれそなたの身の振りも考えよう」
「恐れながら、身の振りというお話をいただいたことで、お願いがございます」
「なに」
 マヌエルがわずかに眉を吊り上げた。マシューの体にも、緊張が走っている。ランスロットの要望次第では、マヌエルの勘気に触れることにもなりかねない。そうなれば、ヒルダの願いも水泡に帰することになるのだ。
「はい。私はリンクス家で武術を積み、兵法も学びました。一隊を率い、ビフレスト州の争乱に加わったこともあります。もしお許しいただけるのであれば、ヴァレリア家で抱える兵の一隊を、私に指揮させていただけないでしょうか?」
 自分の思っていたことと違う要望を願い出され、マヌエルは少し面食らっていた。しばらくすると低く笑い、静かに手を叩いた。
「よかろう。私も領内の政務や、他家との外交に忙しいのでな。ちょうど戦闘を任せられる指揮官を探していたところだ。我が軍の部隊に、虎豹隊という一隊がある。虎のように強く、豹のように躍動する部隊ということだな。その部隊を任せよう」
「ありがとうございます」
 ランスロットは一礼し、一歩退がって直立した。礼だけは失してはならない。マシューの言葉を忠実に守っていた。
「それではこれで終わりとしよう。私も忙しいのだ。あまり時間が取れなくてすまぬな」
「とんでもございません。貴重なお時間をいただき、感謝申し上げます」
 ランスロットはマシューと共に扉の前で一礼した後、静かに部屋を出た。
 気難しく、利己的な男だ。ランスロットはそう思った。ヴァレリアの名に対する執着が強い、というのも、よく理解できた。
 ランスロットはマシューと共に部屋に戻った。マシューは面会が終わったらすぐいなくなるかと思ったが、部屋に付いてきたことがランスロットとしては意外であった。
「ランスロット様、お話があります」
「どうしたのだ、マシュー殿」
 マシューは不安げな表情をしている。何か面会で失敗をしただろうかと、ランスロットは先ほどのことを振り返った。
「いえ、お館様がランスロット様に任せると言われた虎豹隊ですが、あれは大変な荒くれ者が集まる部隊と聞いております。お館様はこの戦乱に乗じ、領地の拡大を図っているとのことです。それでアークス州と近隣から、腕の立つ者を集めて部隊を編成しました。それが虎豹隊です。しかしながらこの部隊を指揮できる者がおらず、前任とその前の指揮官も逃げ出しています。此度のお館様のログレス行きにも従ったそうですが、金をたんまり積んだとのことです。お館様が厄介者を押し付けたとしか思えないのですが…」
 マシューからすれば、マヌエルが体よくランスロットを潰そうとしているとしか考えられないようだった。ランスロットがいなくなれば、ヒルダの願いを叶えることもできなくなるのだ。
「マシュー殿」
 心配するマシューをよそに、ランスロットは部屋の窓を開けた。いつの間にか雨が止み、わずかに陽が射していた。
「面白そうではないか。荒くれ揃いの部隊を意のままに操れるようになれば、私の家中での立場も上がろうというものだ。なに、問題ない。こうみえて、私も腕には自信があるのだ」
 まだマシューは気を揉んでいるようだったが、ランスロットは意に介していない。それよりも、明日から兵の教練に出られるという事実が、ランスロットの心を躍らせていた。
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