名門の光と影 Ⅶ

文字数 1,724文字

 午前の学びの時間を終えたベルリネッタは、マヌエルとサルマートを見送ってから、教会に行く支度をはじめた。
 シエンナが部屋まで来て、着付けを手伝う。レースのドレスよりも、ベルリネッタは飾り気のないドレスを好んだ。外見の煌びやかで自分を繕おうという気はない。それでも、母がくれた髪飾りと指輪だけは必ず身に付けるようにしていた。
「そういえばお嬢様。ランスロット様のことを聞いて参りましたよ」
 鏡の前で着付けを確認するベルリネッタの動きが止まった。ランスロットという言葉を耳にして、思考が停止してしまう。それがわかっているのかいないのか、シエンナがかまわず話を続けた。
「お館様が募った兵士たちの中で、特に腕のいい兵士を集めた部隊を虎豹隊と呼んでいたそうなのです。ところがこの虎豹隊というのが荒くれ者揃いの部隊で、最初の隊長と次の隊長が逃亡してしまうほど問題のある兵士たちばかりだったそうです」
 薄布のストールを身に付けたベルリネッタは、用意された靴を履いて鏡で全身を確認する。その間も、シエンナの話に耳を傾けていた。
 虎豹隊の噂はベルリネッタも知っていた。商人やギルドの夫人たちからも、粗野な兵が街を闊歩するようになったと陳情を訴えられた。マヌエルにも言上したものの、仕方がないこと、として突っぱねられてしまったのだ。
「お館様のログレス巡行にも同道したそうですが、かなり報酬を弾んだとのことです。その虎豹隊の指揮を任されたのが、ランスロット様なのです」
「それで、どうなったのですか?」
「買い出しに出かけている人から聞いたのですが、ランスロット様は腕自慢の兵士たちを次々と叩き伏せて、虎豹隊を従わせたそうです。それ以来、虎豹隊は毎日休むことなく、早朝から陽が沈むまで教練に励んでいるそうです。時には、夜に訓練することもあるとか。それだけではなくて、以前は兵が城郭(まち)で問題を起こすこともあったそうですが、今はすっかり姿を現さないようですね」
 会話を続けながら、ベルリネッタとシエンナは館の外へ出た。門の近くにカブリオレが一台止まっている。
「まさかあの方が、それほど武芸に長けているとは思いませんでした。虎豹隊の噂は私も存じていましたが、お父様も手を焼いていましたね」
「兵士との決闘を見ていた町民もいるのですが、ランスロット様はかなりの剣の使い手のようです」
 ベルリネッタがカブリオレに乗り込むと、シエンナが御者台に座る。ベルリネッタが出掛ける際は、いつもシエンナが御者を務めるのだ。後は数人の警護兵が付き、教会まで赴くことになる。
 ヒルダのもとを訪れてから、ランスロット・リンクスという存在がベルリネッタの頭を離れなくなっていた。午前の学びの時間にも、時おり頭に浮かぶことがあった。
 きっかけはやはり、ヒルダの笑顔だろう。病に伏せてからのヒルダには、以前ほどの明るさがなかった。当然といえば当然だが、そんな母を元気づけようと、ベルリネッタは毎日ヒルダのもとを見舞いに訪れ、自分が見聞きしたことを聞かせた。
 母がしていたことを代わりにする。そうすることで、ヒルダも少しは活気を取り戻してくれると信じていたのだ。
 しかし、ヒルダの笑顔を取り戻したのは、自分ではなく、館に来て日の浅いランスロットであった。ヒルダの遠戚というから、親しみを感じるのは当然だが、あそこまで嬉しそうな様相の母を目の当たりにするのは久しぶりだった。まだ兄たちが生きていた頃以来ではないだろうかと、ベルリネッタは感じていた。
「お嬢様」
 シエンナに声掛けられて、ベルリネッタは我に返った。気づけばカブリオレが停車し、教会に到着していた。
 物思いに耽って周りが見えなくなっていた我が身を振り返り、ベルリネッタはわずかに苦笑した。いつもは街の様子を把握しようと、周囲に眼を配っているのである。
 シエンナが差し出した手を取って、カブリオレから降りる。石造りの教会には、他の民衆も集まっている。挨拶をしてくる民に向かって、ベルリネッタは会釈を返した。
(ひとりの男の人のことをずっと考えていたなんて、久しぶりかもしれない)
 自由に生きていたかつての自分を思い出しながら、ベルリネッタは教会に足を踏み入れた。
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