華の一族 Ⅹ

文字数 2,888文字

 原野が揺れる。風による草の靡きと、大地の鳴動が響く。
 地の揺れは自然現象ではない。力強く土を蹴る兵たちの足音がする。徒歩(かち)で往く兵の後方から、騎兵が追い立てるように駆けている。
 虎豹隊の行軍訓練であった。だがこれはただの行軍訓練ではない。早朝から始まり、セリアを出発。徒歩(かち)で二十三セイブ(一セイブ=一キロと三百メートル)の距離を休み無しで駆け、帰城の際も同じ行程を同じように駆けるのである。
 喘鳴が聴こえてくる。兵のひとりが、集団から遅れている。後方に控える騎兵が、槍の穂先で兵を突く。尻を叩かれた馬のように反応した兵が、遅れじと加速する。
 集団から遅れる兵は後ろの騎兵に槍で突かれる。体力の限界に達し、離脱するようなら、騎兵に踏み潰され、槍で貫かれるのである。
 他に類を見ない教練をはじめて二日目。死んだ兵もいるが、もう離脱する者はいない。遅れる兵はいるが、それもわずかになっている。
 命を賭けた教練は、兵たちの目の色を変えた。これまでは部隊としての訓練をほとんど受けていなかったために、個々が自由に動くことが多かった。今はそれは許されない。こうして駆けてる間も、隊列を維持しなければならないのだ。
 ランスロットは騎兵の後方を駆けていた。両脇にラムサスとラモラック。その後方にはヴォルフガングがぴたりとついている。
 ラムサスら三人は、兵が命を失う行軍訓練に反対した。当然といえば当然である。しかし、自分はこの訓練で兵として強くなったというランスロットの意見を前にして、何も言えなくなったのだ。
 陽が落ちる頃合いになって、虎豹隊はセリアに帰還した。すでに兵たちは疲れ切っており、城外で倒れ込む者もいた。兵同士で肩を貸したり、支え合ったりしながら、兵舎に戻る。
 過酷な教練をくぐり抜けることで、兵は一体感を覚える。現に虎豹隊の兵たちは、以前よりも結束が強くなっている。
 ここ二日、ランスロットは兵舎にいることのほうが多かった。兵舎内の間仕切りで区切られた仕切り席。湯浴びを終えたランスロットは、そこでラムサス、ラモラック、ヴォルフガングの三人を集めた。この三人に三百ずつを与え、小隊長とした。残りの六百はランスロット自身が率いる。
「初日に死んだ兵は、戦いでは最初に死ぬ兵だった。それも、味方の足を引っ張りながら死んでいくのだ。行軍訓練にはそうした弱い兵を選別する意味合いもあった。無論だが弱い兵にも命がある。だが、戦いは非情だ。そうした私情を排さなければならないことはわかっているだろう」
 三人が同時に頷いた。三人とも戦場を経験している指揮官である。教練で兵が死ぬことには否定的であったが、甘いことは言わなかった。
 三者とも根は真面目な軍人気質であった。しかし、性格は異なる。冷静沈着で穏やかなラムサスは、全体をよく見ている。ラモラックは闊達で荒々しいものの、下の面倒見が良い。明るい気性だが、質実剛健なヴォルフガングは、さり気ない配慮や気遣いを見せる。
 三人の特性を把握して生かすこと。それこそが自分の仕事だとランスロットは思った。
 ランスロットは兵舎を後にし、ヴァレリア邸に戻った。昨夜は兵舎内に設けた自分の部屋で寝たが、今夜は帰らなければならない。ヴァレリア家に身を寄せている豪族という身分である以上、あまりマヌエルが眉をひそめるようなことをしてはならないのだ。
 ランスロットは馬で大通りを抜けた。セリアは歴史ある街並みで人も多い。行商団も訪れるが、繁栄しているとは言い難かった。マヌエルは政治手腕も凡庸であり、セリアの歴史的価値やアスランティア郡の特産物、そして各地の商人の力をどう生かすか、ということは考えられないのだ。税を取り立てることしか考えていないため、結果的に城郭(まち)も領地も発展しない。
 ヴァレリア邸に続く通りに、マシューの姿があった。帰りが遅くなったランスロットを迎えに来たようだった。
「これは教練の帰りでございますか」
 マシューがランスロットに馬を寄せる。ランスロットが満足そうな表情で首を縦に振ると、教練の成果を察したマシューが笑み見せた。
「寄せ集めかと思ったが、なかなか良い部隊だ。特に、小隊長に任命した三人は能力もある。兵を任せるに申し分ないと思う」
「ラムサス・ハイン・レヴェイオール。ヴォルフガング・ゼーベック。ラモラック・ローデンクロイツの三名でございますな。私から見ても、指揮官としての力があると思います。小隊とは言わず、三万、五万の兵を統率することもできるでしょう。まあ、ラモラック殿はまだ年若いですが」
「そうだな。ただ、三人ともまだ私を完全に認めてはいないはずだ。やはり実戦での用兵を見るまで、信じられないということなのだろうな」
「それは、騎士でありますからな。戦いの手腕がない指揮官に付こうとは思わないでしょう。しかし、ランスロット様ならば問題ありますまい」
 ランスロットにとって、特にラムサスが気がかりだった。ヴォルフガングやラモラックのように、力がすべてだと思っていない節がある。
「ところでマシュー殿、わざわざ迎えに来てくれるとは、何かありましたか?」
 マシューが頷いた。穏やかだった顔つきが急に鋭くなり、ランスロットも眼を瞠った。
「明日、メリアガンス卿がこちらに戻られます。メリアガンス家の私兵と共に、です。まあそれはいつものことでございますが。おそらくマヌエル様がお会いになるようにと言ってくるでありましょう」
「そうか。明日か。サルマート・ピティ・メリアガンス、と言ったな」
「ええ。力でのし上がった豪族の子息らしく、したたかで貪欲な男です。面会する際には用心なさいますように」
「大丈夫だ。下手(したて)に出ることに抵抗などないさ。だが、どのような人物なのか、しっかり見極めようと思う」
 それ以上、マシューは何も言わなかった。ランスロットの言う対応で間違っていない、ということなのだろう。
 ヴァレリア邸に戻ったランスロットとマシューは、厩舎に馬を繋いで館に戻る。その館の前で、またしてもばったりベルリネッタと顔を合わせた。
 ランスロットとベルリネッタ。お互いの視線が重なる。まるで眼を外したほうが負けとでも言うように、どちらも視線を外さなかった。
「これはベルリネッタお嬢様」
 終わりのない睨み合いに終止符を打つがごとく、マシューがベルリネッタに挨拶をした。軽く会釈をしたベルリネッタが、館の中へ入ろうとする。
「明日、婚約者のメリアガンス卿が戻られるそうですね」
 ベルリネッタの肩がぴくりと震えた。それをランスロットは見逃さなかった。
「楽しみですね。お会いできるのが」
 ランスロットはベルリネッタの背に向けて言い放った。だが、その言葉には何の感情もこもっていない。
 ベルリネッタが肩越しにランスロットを見やる。暗く冷たい眼差しは、ランスロットに静かな怒りを向けているようだった。しかしベルリネッタは何も答えることなく、館の中へ姿を消した。
 ランスロットは小さく息を吐き、肩をすくめる。マシューはただただ、ベルリネッタの身を案じているようだった。


 
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