第11話

文字数 1,310文字

二月一一日
 昨晩は、眠りに就いてからは深く眠ることができた。とはいえ、睡眠時間としては短いものだったから、シャキッと起きたわけではない。眠い身体を目覚めさせるべく、多少でも強引に背筋を伸ばし、一日を過ごしてみた。

 今日は風呂の日だった。男子は午前中に入浴だから、朝食食べて少し休んだら、すぐに風呂場に行く。一番乗りで脱衣所に行き、服をすぐさま脱いで、洗い場のいい席を陣取る。気分がいい。そう思ってから、しばらくしないうちに誰かが入ってきた。岡安だった。

 彼は僕の隣に座り、掛け湯をしだした。僕も頭を洗い始めた。すると、
「おう、兄ちゃん。シャンプー切らしちゃったから、貸してくんねぇか?」
と岡安が頼んできた。断る理由は特にない。
「どうぞ」
と言い、シャンプーのボトルを渡した。その瞬間、僕は戦慄を覚えた。背中に龍の入れ墨が彫られていたのである。
「ありがとうな」
と言われたことにも気付かず、頭を夢中になって洗った。それからも
「この尻が空いた椅子、うちに欲しいな。風俗に置いてある遊具みたいだな」
と言い、シャワーを股間に向け、湯を流していた。聞いていない振りをして、僕は湯船に浸かった。

 今日の湯加減はちょうど良く、何も足す必要がない。このまま体が温まるまで入っていたかった。岡安は体を丁寧に洗い、髭も丹念に剃っている。ゆっくりできそうだ。案の定、五分以上は湯船に浸かることができた。程よく温まったところで風呂から上がって、脱衣所へと向かうことができた。心の中でガッツポーズをしながら体を拭いて、服を着た。そして、逃げるように脱衣所を後にしたのである。

 こうして風呂は乗り切ったが、その後が問題だった。昼食でのことだった。いつもの定位置について食事を摂ろうと、椅子に座りかけた。すると、今まで見た事のない調味料入れが置かれていた。ソース、七味などとボトルに書かれている。置いた人物はすぐに特定された。食事が来て、その調味料入れの近くに自分の食事を置いたのは、岡安だった。しかも、僕の席の真向かいときている。

「今までの席が狭くてな、こっちなら空いてると思って、こっちに来たんだよ。よろしくな」

ご丁寧に挨拶までした岡安。自分も食事を取りに行き、気を取直して食べようとすると、岡安がおかずの鯵の開きにスプレー状の液体をかけた。

「これは何ですか?」
「何ですかって醤油ってここに書いてあるじゃん。百均で買った化粧品用のスプレーボトルに入れただけ。わし、糖尿だから塩分は控えないといけないもんでな」

 思わず彼に声をかけた自分に驚いた。自分から誰か入院患者に話しかける姿など、想像すらできなかったからである。それと同時にわずかながら、岡安に対してある種の羨ましさが芽生え始めていた。どうして、コミュニケーションがスムーズに取れるのかを知りたくなってきたのだ。そうとは言いつつも、食事中は人見知りが先行し、ただ黙って昼食を食べるのみだった。醬油をかけられた鯵の開きはとても美味しそうに見えた。

 結局、その後は喋る機会がなかったのだが、いつか岡安と対等に渡り合えるようになりたい。そう思いながら、就寝時間となった。僕も変わってしまったものである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み