第14話

文字数 1,973文字

二月一五日
 妻と娘に逢う前に、心構えとして何が必要かを考えてみた。これまで彼女に接したときに大きなショックを受け、立ち直るのに時間をかけてしまった。そうならないようにするには、妻と真正面から向き合ってこなかった僕が変わらなければならない。それは即ち、今まで避けてきた、オーバードラッグまでの出来事と向き合わなければならないということだ。昼食後から一人、ベッドの上で回想してみた。以下、備忘録として記録しておく。



 半日の仕事さえ、僕はこなせなくなっていた。早退はしないものの体が思うように動かない。仕事上の指示をその通りにできなくなり、申し訳ない気持ちを抱えたまま、日々の仕事に臨んでいた。

 そんな折に会社の総務に呼び出された。何事かと恐怖を覚えながら、総務の元に向かうと応接室に連れていかれた。いよいよ物々しい雰囲気に包まれ、僕は吐きそうになった。応接室に入ると、総務に
「最近、眠れてる?」
 と尋ねられた。
「眠れてないです。専門医にも診てもらっているのですが、なかなか改善しません」
 と答えた。
「そうだな、不眠はとても辛い。私にも経験があるよ。それと…」

 どういうことをこれから言われるか分からなかった。総務は手にしている資料を渡した。
「まあ、ここに拘らず、広い視野を持ってほしい」
 と言いながら渡した資料というのは、ハローワークの案内だった。すなわち、この会社にはいらないってことか。

 その後、総務が言ったことは記憶にない。さらに言うと、その後の仕事の記憶さえも残っていない。気がついたら、帰宅の途についていた。早退したのか、定時で上がったのかさえも覚えていない。自分のショック度合いに今更ながら笑える始末だ。

 僕は妻にこのことをどのように話そうかと考えた。しかし、如何様にしたって否定的なリアクションしか返さないだろうというのは分かっている。でも、正直に話して全て受け止めようと決心した。
 家の目の前に来て、僕は入るのを躊躇った。話したら、人生が終わるのではないかと考えた。だが、一息つくと吹っ切れた。もう人生終わってもいいかと。

 家には妻がいた。
「ただいま」
 というと、
「おかえり」
 と返してくれた。すぐに、
「これを渡されたよ」
 と切り出した。
「何これ」
「ハローワークの案内だ」
 自分でそう言うことが情けなく感じられた。
「これって、どういうこと?」
「会社の人に渡された、俺は会社にとっていらない人材ってことだ」
 言えば言うほど惨めになる。妻は僕に詰め寄った。
「あんたのことだから、馬鹿正直にはいって言ったんじゃないよね?何でですかって言わなかったの?」
 無言になる僕。さらに畳み掛ける妻。
「何て情けないの。こんなの不当じゃない。文句の一つでも言ってきなさいよ」
 怒り口調の妻に追い出されるように家を出た僕は当ても無く歩いた。

 家に帰ってきたのは夕暮れ時だった。子どもは幼稚園から帰ってきていて、
「パパ、おかえり」
 と言ってくれた。涙が溢れ落ちそうだった。夕食を作り、家族で食べた。でも僕と妻は何も話さない。お互いに子どもを通じて話をしている。夕食の片付けも僕の担当だ。気持ちとしては辛かったが、何とか洗うことができた。

 子どもを風呂に入れ、着替えを行う。その後、歯を磨くのだが、いつも子どもに嫌がられる。
「パパいやだ〜。パパ嫌い」
 いつもなら慣れっこなのだが、今日はズシンと響いた。そして、子どもを寝かしつける。子どもが寝静まった後もベッドで悶々とした思いを抱えていた。当然ながら、寝付くことができなかった。
「何が悪いのだろうか?自分の日頃からの行いが悪いから、皆に迷惑をかけてしまうのだろう。こんな迷惑をかけるような分子は居なくなってしまった方がいいのかもしれない。でも、どうしたらいいか?そうだ、睡眠薬がある。まだかなりの量残っているはず」

 時計を見ると、午前一時を指していた。僕はそっと起き上がり、リビングに向かった。すぐに台所へ行き、コップに水を注いだ。今から睡眠薬を飲むのかと思うと、緊張感が高まる。手も震えた。実際、薬をヒートから取り出すのに苦戦したくらいだ。五〇錠くらいあるだろうか、薬を全てヒートから出し、まずは半分、口にした。水を飲み、それらの半分くらいを胃の中に入れる。そして、残り半分を一気に口に放り込み、水を飲み干した。口に何も残っていないことを確認して、再びベッドに入った。


 
 思い出しているうちに、涙が出てきた。家族に対して済まないという思いと、辛い思いをしたくない思いの両方でだ。この涙は誰にもバレてない。看護師にも患者にも。岡安が
「目が赤いんじゃねぇか」
 と尋ねてきたが、
「花粉症で目を掻いたからです」
 と言って、ごまかしておいた。花粉症というには少し涙が出過ぎたからごまかしきれなかったかもしれないが。
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