第12話
文字数 1,700文字
二月一二日
何日待っただろうか、ようやく中尾先生の診察を受けることになった。中尾先生の風貌は相変わらず、医者離れしている。髪には寝癖がついたままで、目は血走っている。毛玉の多いセーターに、皺くちゃのスラックスを身につけている。そして、行動も怪しいところがある。
それは朝、売店に行く途中での話である。看護師と共に会話しながら歩いていると、急に目の前に白衣を着た男が走って現れたのだ。
「すみません、なかなか診察できなくて。今日必ず診察行いますんで、お時間大丈夫ですか?」
誰だろうと考える間もなく話しかけられたので、
「あぁ、今日はいつでも空いてますよ」
とろくに考えもせずに答えた。
「そうですか、それなら安心しました。多分、夕方くらいになると思います。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
息を切らしながら、速射砲のように話す白衣の男の迫力に気圧されて、よく考えもせずに答えてしまった。男を中尾先生と認識したのは、僕が返答してすぐに、走り去っていった後のことだった。あの血走った目がやはり特徴的だった。
用事があると確定している時は、時間の流れがゆっくりとなるものだ。昼寝してみたり、メモを少し書いてみたりしたが、なかなか時間は過ぎてくれない。岡安が暇なのか、話しかけてくれたが全て上の空で、適当に流してしまった。
「今日は診察あるのか?」
と聞いてもくれた。しかし、そういったことは僕の中でスルーされていった。
夕方の四時になり、いよいよかと食堂で待っていると看護師に呼び出された。診察の順番が回ってきたようである。順番と言っても中尾先生が受け持っているのが、この病棟では自分一人しかいないらしいから、いつも一番なのだが。
診察室のドアをノックする。中から
「どうぞ、お入りください」
と声がしたので、
「失礼します」
と言って、中に入っていった。
「おかけください」
僕は部屋にある丸椅子に座り、先生の顔をじっと見つめてみた。やはり、眼が充血している。しかも、朝会った時より酷くなっていて、まるで試合に負けた後のボクサーのようであった。
「すみませんねぇ、長くお待たせして。それで体調はどうですか?」
その質問に対しての答えは既に用意してある。
「はい、よく眠れてますし、体調面では特に問題はないと思っています。強いて言うなら、身体が鈍って仕方がないくらいですかね」
実際は寝不足気味なのだが。
「そうですか、それなら良かった。では、一人で外出できるようにしましょうか」
僕にとって願ってもない言葉だった。
「はい、それでお願いします」
ほぼ反射的にそのようなことをワントーン高い声で言った。
僕は喜びに満ちた。しかし、その後の先生が話したことに喜びは一気に吹き飛ぶ。
「ところで、退院時期はどう考えてますか?体調がいいんだったら、そろそろ退院も考えるべきだと思うけど」
全く考えてもなかったことなので、固まってしまった。でも、今を逃すと伝える場がないと思い、
「来週の頭らへんで考えてます」
と言い切ってしまった。中尾先生は
「それなら、退院日を調整しないといけないから、家族さんに連絡してもらっていいですか」
とすかさず言ってきた。
「分かりました。連絡して、看護師さんに伝えたらいいですか」
そう僕が返すと、先生は無言で頷いた。そして、
「退院日を決めるのはあなたですからね、決して無理はしないでくださいね」
と言い、お辞儀をした。これは診察が終わったのだなと思った。
「ありがとうございました」
そう言い残して、診察室を後にした。
後に残されたのは家族と連絡を取るという宿題だった。この前の面会以来、家族、特に妻とはあまり関わりたくないという思いがさらに強くなっていた。しかし、そうは言っていられない。大袈裟だとは思うが、このままではずっと入院する羽目になってしまう。
夕食後に電話することにした。ところが、妻の携帯に電話を入れるが、出てくれない。きっと何か用事があるのだろうと思い、メールを送ることにした。きっと彼女から返信が来る。その内容に戦々恐々としながら、このメモを書いている。では失礼します。
何日待っただろうか、ようやく中尾先生の診察を受けることになった。中尾先生の風貌は相変わらず、医者離れしている。髪には寝癖がついたままで、目は血走っている。毛玉の多いセーターに、皺くちゃのスラックスを身につけている。そして、行動も怪しいところがある。
それは朝、売店に行く途中での話である。看護師と共に会話しながら歩いていると、急に目の前に白衣を着た男が走って現れたのだ。
「すみません、なかなか診察できなくて。今日必ず診察行いますんで、お時間大丈夫ですか?」
誰だろうと考える間もなく話しかけられたので、
「あぁ、今日はいつでも空いてますよ」
とろくに考えもせずに答えた。
「そうですか、それなら安心しました。多分、夕方くらいになると思います。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
息を切らしながら、速射砲のように話す白衣の男の迫力に気圧されて、よく考えもせずに答えてしまった。男を中尾先生と認識したのは、僕が返答してすぐに、走り去っていった後のことだった。あの血走った目がやはり特徴的だった。
用事があると確定している時は、時間の流れがゆっくりとなるものだ。昼寝してみたり、メモを少し書いてみたりしたが、なかなか時間は過ぎてくれない。岡安が暇なのか、話しかけてくれたが全て上の空で、適当に流してしまった。
「今日は診察あるのか?」
と聞いてもくれた。しかし、そういったことは僕の中でスルーされていった。
夕方の四時になり、いよいよかと食堂で待っていると看護師に呼び出された。診察の順番が回ってきたようである。順番と言っても中尾先生が受け持っているのが、この病棟では自分一人しかいないらしいから、いつも一番なのだが。
診察室のドアをノックする。中から
「どうぞ、お入りください」
と声がしたので、
「失礼します」
と言って、中に入っていった。
「おかけください」
僕は部屋にある丸椅子に座り、先生の顔をじっと見つめてみた。やはり、眼が充血している。しかも、朝会った時より酷くなっていて、まるで試合に負けた後のボクサーのようであった。
「すみませんねぇ、長くお待たせして。それで体調はどうですか?」
その質問に対しての答えは既に用意してある。
「はい、よく眠れてますし、体調面では特に問題はないと思っています。強いて言うなら、身体が鈍って仕方がないくらいですかね」
実際は寝不足気味なのだが。
「そうですか、それなら良かった。では、一人で外出できるようにしましょうか」
僕にとって願ってもない言葉だった。
「はい、それでお願いします」
ほぼ反射的にそのようなことをワントーン高い声で言った。
僕は喜びに満ちた。しかし、その後の先生が話したことに喜びは一気に吹き飛ぶ。
「ところで、退院時期はどう考えてますか?体調がいいんだったら、そろそろ退院も考えるべきだと思うけど」
全く考えてもなかったことなので、固まってしまった。でも、今を逃すと伝える場がないと思い、
「来週の頭らへんで考えてます」
と言い切ってしまった。中尾先生は
「それなら、退院日を調整しないといけないから、家族さんに連絡してもらっていいですか」
とすかさず言ってきた。
「分かりました。連絡して、看護師さんに伝えたらいいですか」
そう僕が返すと、先生は無言で頷いた。そして、
「退院日を決めるのはあなたですからね、決して無理はしないでくださいね」
と言い、お辞儀をした。これは診察が終わったのだなと思った。
「ありがとうございました」
そう言い残して、診察室を後にした。
後に残されたのは家族と連絡を取るという宿題だった。この前の面会以来、家族、特に妻とはあまり関わりたくないという思いがさらに強くなっていた。しかし、そうは言っていられない。大袈裟だとは思うが、このままではずっと入院する羽目になってしまう。
夕食後に電話することにした。ところが、妻の携帯に電話を入れるが、出てくれない。きっと何か用事があるのだろうと思い、メールを送ることにした。きっと彼女から返信が来る。その内容に戦々恐々としながら、このメモを書いている。では失礼します。