第2話

文字数 1,436文字

一月二九日
 今日も晴れた。昨日も晴れていたので、空気が乾燥して、皮膚がヒリヒリしそうである。それでも、雨が降るよりかはまだマシだ。雨の日はどうも気が滅入ってしまい、何もする気が起きないのである。

 入院してから初めて風呂に入った。この病棟での入浴は月曜日、水曜日、金曜日に行われる。午前は女性の入浴時間で、男性は午後からの入浴になる。浴槽が大きく、脚が伸ばせるあたりが家の風呂との違いだ。だが、風呂に入ることが一服の清涼剤になるかと言われるとそうとは思えない。他の入院患者と一緒に入浴するのだが、やはり気疲れしてしまう。銭湯や温泉でさえ、周りの目を気にして、緊張してしまう自分にとっては、苦痛以外の何物でもない。

 僕が風呂場に入る前に、二人の男が洗い場に座っていた。一人は僕と大体同じ年恰好で僕と同じ四人部屋にベッドがある。しかし、名前は覚えていない。必要性を感じていないからだ。

 もう一人は背の低い五十代くらいの男だ。二人とも会話したことがなく、このシチュエーションで僕の中の緊張感は増していた。そして、その男の背中には龍の入れ墨が彫られていた。ファッションタトゥーではなさそうであった。ちょっとでも機嫌を損ねたら何をするか分からない。そんな想像に囚われてしまい、のんびりと身体を洗うことすらもままならなかった。

 そのうち、二人とも浴槽に浸かっていったのだが、一緒の風呂に入るのも躊躇われた。身体や頭をいつもより丁寧に洗い、髭も念入りに剃った。それでも、時間が余ってしまった。

 風呂の中では背の低い男と同じ年恰好の男が
「今日の昼飯に出た肉じゃが不味かったな」
「ああ、俺も大抵は食べるけど、あれは無理だったな」
だとか、
「最近、眠りが浅くてな」
「寒いからなんじゃないのか」
などといった世間話を低い声で話すくらいで、沈黙が長く続いた。

 僕にとってはその会話の感じが苦痛に感じられた。沈黙の続く状況に苛立ちと、一刻も早くその場から立ち去っていきたい気持ちが膨らんでいく。早く出て行ってくれないかと念じていると一人が風呂から上がっていった。どうやら、同室の男が出たようだ。僕は寒さに耐えかねて湯船に浸かることにした。

「失礼します」
と小声で言って、湯の中に入る。そうすると、上の方は熱いが下の方はぬるくなっている。どうやら、背の低い男が蛇口から熱々の湯を出していたようだ。かき混ぜてくれたら、丁度良い湯になるのにと思いながら、身体を温めることにした。

 湯に入ってしまえば、とても気持ちよく感じられた。ただ長湯はできないので、相手が先に湯から上がってくれるように願った。そうでなければ、脚を伸ばすこともできない。だが向こうもなかなかの長湯なのか、上がる気配すらない。僕は根比べを試みた。しかし5分くらい経って、湯当たりしそうになり、早々と浴室を出た。そして、早々と身体を拭き、服を着た。周りから見たら、ひどく慌てているようには見えないだろうが、それでも不審な感じを受けないかが心配だった。


 この通り、人に怯えながら生きている。きっと何もされないに違いないのだけど、何かされるのではないかという思いをどこかに抱えているのだ。何て被害妄想なのだろうかと我ながら思ってしまう。それを治すために入院しているんだと自分に言い聞かせて、今を生きることにしている。

 もっと書きたいことがあったが、消灯時間が迫っているので、今日はここでペンを止めることにする。また明日、自分が思っていることを書きたい。
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