バルザック:ラブイユーズ

文字数 3,300文字

 この小説のタイトルの「ラブイユーズ」"La Rabouilleuse"というフランス語はベリー地方の方言だと説明されていますが、「川揉み女」という意味です。小枝で川の流れを掻き回し、ザリガニを驚かせて、罠を仕掛けている叔父の方へ追い込む少女、フロール・ブラジエのことです。

 こんなのを生業にしているのですから、
「少女はほとんど裸同然で、暗褐色と白の縞模様の粗悪なウール地の、穴だらけでぼろぼろのみすぼらしい短いスカートを身につけていた」という貧しさです。

 ところが(と言うか小説の世界では当然と言うか)、
「娘はまるで川の妖精さながら、およそ画家が夢見ることのできたなかでもっとも美しい処女の顔だちの一つを、突然、医師に示したのだった」ということで、この12歳の少女は叔父によって葡萄畑3ha分の銀貨で、70歳の財産家の医師ルージェに売られてしまいます。

 ところが、この老医師はその年齢のせいで手を出すことができず、5年後に死んでしまいます。彼女には何の財産も遺贈されません。その理由は、
「放蕩のたくらみが自然によってまんまと裏をかかれた一人の男の鬱屈した憎悪の叫び、不能な愛が無垢な思い人に対してする復讐」であったと説明されています。

「あいつは美人だというだけで、充分な財産をもっておるよ!」

 その相続人、息子のジャン・ジャックは臆病で醜い37歳の独身男です。父の死後、フロールの寝室を覗き見するために、ドアに穴を開けて犬のように寝ころがったりしていますが、自分からは、なかなか彼女への気持ちを言い出せません。17歳の少女から「汚れなき乙女」だと男冥利につきる告白をされても戸惑うばかりで、あきれられてしまいます。

 しかし、何とか結ばれた二人の関係は、フロールが取り引きを推し進め、家の切り盛りをし、ジャン・ジャックに母親の保護を必要とする子どものような感情を持つといった倒錯した状態だったのです。やがて28歳になり、美貌があますところなく花開くに至った彼女は、
「丸々としてまばゆいばかりに美しい腕をもち、体つきは豊満で艶やかな果肉を思わせ、体の線も悩ましい」、地方都市とは言え社交界の花になりました。

 そんな彼女の前に現れたのがナポレオン軍の士官だった同じ年頃のジレです。王政復古したため、軍には戻れず、町の不良を集めてたちの良くない悪戯をしているジレに一目で虜になったフロールは、ジャン・ジャックを説き伏せて邸宅に引き入れてしまいます。経済的な支えと愛情の対象の両方と同居するという理想的な(?)生活を送るラブイユーズ。……しかし、そんな生活はジレと同じナポレオン軍の士官のフィリップの登場で一変します。

 ジレよりも一枚上手の悪党のフィリップは、フロールのものになっていたルージェ家の遺産が目当てで、ジャン・ジャックに取り入ります。次にジレを決闘に追い込み、からくも亡き者にしてその後釜に居座ります。金のためなら手段を選ばないフィリップは、パリの遊蕩にまずジャン・ジャックを、次にフロールを溺れさせ、破滅させていきます。

「若くて美形の下士官を使って、リキュールの味を覚えさせたんだ。……ある人間を厄介払いしようと思ったら、悪癖に染まらせさえすればいい。……悪癖とは何か知っているか? それは『死』という女のポン引きだ!」

 パリの屋根裏部屋の毛くずを詰めただけのベッドに横たわるまだ40歳そこそこの女。

「その顔は溺れてから2日経った溺死者のように緑色になり、死の2時間前の全身衰弱患者のようにやせ細っていた。悪臭ふんぷんたるこの屍は、毛の抜け落ちた顔に、みすぼらしいルーアン織りの格子模様の布きれを巻いていた。落ちくぼんだ目のまわりは赤くなり、瞼は卵の皮膜のようだった。かつてあれほど悩ましかった身体は、もはやぞっとするほど醜い骨組みを残すのみだった」

 変わり果てた瀕死のフロールは言います。

「たしかに悪いのはわたしよ、でもこんなにひどく神に罰せられた人間はほかにはいない!」

 しかし、この哀れな病人を前にバルザックは登場人物の一人にこう言わせます。

「まだ涙を流せるんだ! これはちょっと面白い見物だぞ。ドミノ遊びのセットから流れる涙! (砂漠に水を湧かせた)モーゼの奇蹟がこれで説明できる」

 間もなく彼女は息を引き取ります。原因は貧窮ゆえに患者がおちいっていた衰弱状態にあったと素っ気なく報告されます。

 さて、かなり長く紹介してきましたが、実はこれはこの小説のうちフロールに関するところだけをかいつまんだもので、彼女はタイトル・ロールではあっても主人公ではなく、12歳の少女として初めて登場するのも作品の半ばくらいです。

 実際の「ラブイユーズ」はそれほど長い小説ではないにもかかわらず、もっと錯綜した内容をもっていて、まあ、テーマがはっきりしていて、登場人物が整理されていて、ストーリーもわかりやすい(あー、もうそんなのは飽き飽きです)といった模範的な小説とはおよそ異なっています。

 でも、今の日本でよく読まれている小説の骨格である、ふつうの人たちを主人公にしたストーリーを情景描写と心理描写を組み合わせながら語っていくというやり方は、極論すればバルザックが作ったものなのですけどね(こうしたものを否定し又は超えようとした20世紀の「現代小説」は、「現代音楽」と同様、ほとんど内輪の人にしか享受されていないので失敗です。しかし、この問題はまた別に論じたいと思います)。

 合唱やハーモニーというものがない単旋律で、簡潔・簡素を旨とした日本のような文化と、12声部のアカペラ曲や4夜の音楽劇を作ってしまうヨーロッパの文化との表現形態の違いを明確に認識しないとバルザックはおもしろくないでしょう(この表現形態の違いについてもお話しすることがあるでしょう)。

 と言いますのも、この「ラブイユーズ」は『人間喜劇 La Comedie humaine』の第1部風俗研究の2.地方生活情景の「独身者たち」の第3話だからです。いきなりこんなことを言っても面食らっちゃうでしょうけど、この『人間喜劇』は、バルザック自身の言葉を借りれば「一つの社会を表すのに必要な3、4千人の人間の登場するドラマ」であり、「社会の歴史と批判、その諸悪の分析、その諸原理についてのすべて包含しようというこの壮大な企て」であり、未完成に終わったと言え、89篇の作品、原書で1万1千ページのまさに一つのuniverseなのです。

 しかし、長い小説や多くの小説を書いた人なら日本にも例があります。しかし、バルザックの場合、それが整然とした構成の下に統合されたcosmosを成していて、例えば有名な「従妹ベット」は同じ風俗研究の3.パリ生活情景の「貧しき縁者」の第1話、「谷間の百合」は6.田園生活情景の第4話であり、「知られざる傑作」は第3部哲学的研究の第4話といった具合になっていることが決定的に違うのです。

 人物再登場法と呼ばれる形で、『人間喜劇』全体の主要登場人物はあちこちに顔を出します。例えば死の床のフロールに先ほどのような無慈悲な言葉を投げかけるビジウがそうです。手塚治虫のヒゲおやじやランプのようなものですが、それが単なるキャラクターの使い回しではなく、広大な『人間喜劇』の世界で生きているのです。そう、19世紀のフランスの誰よりもいきいきと今も。……

 しかもその描き方は綿密かつ複雑を極め、上にいくつか本文を引用したところからもわかるように、細部においても人間の有り様を徹底的に抉り出します。私はどんなに美しい場面も醜い場面も、楽しい感情も悲しい感情も、グルメ&グルマンであったバルザックは舌なめずりしながら、こうした文章を書いたのだろうなぁと想像しています。

 そうそう、「ラブイユーズ」というタイトルは、地方色を出すためでしょうけど、金や異性を追い求めながら結局はそれを他人に渡すことになってしまうというこの小説のテーマを暗示していて、タイトルに無頓着だったバルザックにしては出色のものだと思います。
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