バルトーク:青ひげ公の城、中国の不思議な役人

文字数 2,825文字



 バルトーク唯一のオペラ「青ひげ公の城」(1911年)は、ペローの童話をルカーチの僚友で作家のバラージュが台本化したもので、元々はコダーイ向けに書かれたものだそうです。ペローの原作は次のような内容です。 

 見るからに醜く恐ろしい、青いひげを生やした大金持ちの男。男には何回か結婚暦があったが、妻たちがどうなったのかは誰も知らない。その男に、若くて美しい娘が、新しい妻としてやってくる。旅に出ることになった青ひげは、妻に一束の鍵を渡す。

「この鍵は金貨の入った部屋、この鍵は銀の食器の部屋……そしてこの鍵は小さな部屋。どの部屋に入っても構わないが、小さな部屋だけは決して開けてはいけない。もし開けたら、恐ろしい目にあわせるからな!」

 しかし、新妻は好奇心に負けて小部屋の扉を開けてしまう。真っ暗な部屋の床には一面の血の海。そして壁には女たちの死体がぶら下がっていた。彼女は、鍵に付いた血を懸命に拭き取ろうとする。しかし鍵からはあとからあとから血が噴き出してしまう。

 帰ってきた青ひげは、血の付いた鍵を見て、約束が守られなかったことを知る。
「奥様、あなたの場所はあの女たちのとなりに用意してありますよ。」……
 塔に登った娘は懸命に兄たちに助けを求めた。駆けつけた兄たちは危機一髪で青ひげを殺す。

 このお話は日本の民話でいう「見るなの座敷」と同じ構造のお話で、開けるな、見るなという禁忌を破った場合には命や富といった大事なものを失うという、世界中に類話がある、人間の集団的無意識の現われと言えるものです。その辺のことはユング派心理学者として出発した河合隼雄の「昔話の構造」を読めばよくわかるでしょう。

 この話の場合は、禁忌の対象が夫の正体だけにホラー的になっていますが、「鶴の恩返し」のような妻の正体の場合は哀しいお話になります。って、ホントかなぁ。――いずれにしても、ペローの原作どおりのお話をもとにフランス語の台本を用意し、作曲した方がずっと上演機会が多く、評価も高かっただろうと思います。しかし、コダーイとともにハンガリーの民謡、民族音楽を熱心に採集していた彼にはそういう可能性はなかったのでしょう。

 この原作の構造をバラージュは大きく変更しています(ウィキに詳しく紹介されています)。まず、妻ユーデットは初めから先妻たちが殺されたという噂を知っていますし、それまでの家族との関係や世間的な道徳を断ち切って、嫁いできています。その上で城自体を明るいものに変えようとしています。

 7つの扉を青ひげから渡された鍵で妻が開けていくのが基本的な枠組みで、その過程での二人のやり取りがこのオペラのすべてです。扉の中が青ひげの心の中そのものであることは誰でもわかることで、最初の扉の中が拷問部屋というところなんかは、フロイト的に過ぎるでしょう。まあ、ユング的な物語が現代の夫婦関係に基づいて、サディズムに悩む夫を治療するお話のようになっていると言ったら言い過ぎでしょうか。

 ストーリーを続けると、第1が拷問部屋、第2が武器庫と恐ろしいものがきた後は、第3が宝物庫、第4が花園、第5が青ひげの領地と美しいものがあり、しかしそれらは彼の血塗られた秘密を露骨なほど示唆しています。第6の扉は涙の湖で、ユーデットは殺された妻たちの涙と思っているように描かれていますが、観客はそうは思わないでしょう。

 この辺から、私には正直よくわからなくなります。第7の扉の中には、なんと3人の昔の妻が生きたままいて、それぞれ朝、昼、夕暮れを支配しているのです。そして、ユーディットは第4の真夜中を支配する妻として第7の扉に自ら入っていき、扉が閉まります。それで最後が青ひげの「もういつまでも夜だ……夜だ……夜だ……」という言葉で終わります。

 青ひげって、猟奇的噂を餌に若い女の子を集めてハーレム作ってた、せこいオヤジだったの?って、悪態をつきたくなります。これでは青ひげの英雄性も悲劇性もありませんし、ユーディットも大層な名前(クラナッハの記事を参照)のわりに最後は主体性ないじゃん。……1911年にこの台本は書かれていますが、バラ―ジュは第1次大戦直前の世相を背景にした現代的な心理劇にしようとして失敗したのかしら。

 バルトークの音楽も同様にあまり感心しません。彼の取り柄って、野蛮さ(バーバリズム)と引き締まったリズムによるスピード感だと私は思うんですが、どうもこのオペラではキレがありません。今いち乗れなかったのかなって想像してしまいます。

 「中国の不思議な役人」は、やはりハンガリーの劇作家レンジェルが台本を書いたパントマイムのための音楽ですが、そのあらすじをバルトーク自身がインタヴューで語っていますので、それを紹介しましょう(もっと詳しい筋立てはウィキを見てください)。

 3人のならず者が、一人の少女(フランス語のウィキではprostituée 娼婦としています)を使って男たちをおびき寄せ、彼らの金品を奪い取ろうと計画します。美人局の対象は第1と第2の男は貧乏な男、第3の男が金持ちの中国の役人でした。娘が中国人を踊りでもてなすと、その男に愛への欲望がめざめるのですが、娘は恐れて退きます。

 ならず者たちが役人に襲いかかり、首を絞めたり、剣で刺し殺そうとするのですが、すべて失敗します。愛に燃えて少女を欲する役人を抑えつけることができません。そこで彼女が役人の欲望を満たしてやると、役人は息絶えて倒れてしまうのです。

 この作品は先ほど述べたバルトークの長所をすべて兼ね備えていますし、当時としてはあまりにエロティックかつ反道徳的のために上演もうまくいかず、楽譜の版もいろいろできてしまいます。

 冒頭の画像は1926年11月26日のUraufführung 初演ポスターですが、1918年の作曲開始からずいぶん時間が経っています。これからは併演された「青ひげ公の城」はドイツ語での上演だったとか、いろんなことがわかっておもしろいです。

 あれ? Wundarbareって英語のWondafulですよね。ハンガリー語のCsodálatosもグーグル翻訳だと「素晴らしい」って出てきますが、意味合いとしては褒めてなくて「びっくりするような」性癖の持ち主かな。日本語の「不思議な」って訳はいいなって思います。

 音楽的にはストラヴィンスキー、特に「ペトルーシュカ」(1911年)の影響が強いように思いますが、いかがわしさや中国の役人(Mandarin バルトークは宦官をイメージしていたという解釈もあります)のねっとりとした欲望がよく表現されています。死ぬに死ねない役人が青く光るところはとてもいいですね。

 さて、こんなふうに2つの作品を並べるとバルトークの趣味がはっきりしてきます。なぜ「中国の不思議な役人」の出来がよくて、「青ひげ公の城」があまりよくないのかも見えてくる気がします。
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