建礼門院右京大夫集(下)

文字数 2,243文字

「恐ろしきもののふども、いくらも下る」義経たちが入京し、西国に逃げた資盛を始めとして彼女が親しんだ平家の公達を追討します。

「いかなることをいつ聞かむと、かなしく心憂く、泣く泣く寝たる夢に、つねに見しままの直衣姿にて、風のおびただしく吹く所に、いと物思はしげにうちながめてあると見て、さわぐ心に覚めたる心ち、いふべきかたなし」凶報の訪れがいつかはと不安に思う彼女に、資盛が夢枕に立ったのです。実際にもそうなのだろうと思い、

  波風の荒きさわぎにただよひて
  さこそはやすき空なかるらめ
  (戦乱の空、安らげるところなどないのでしょうね)

 彼女の不吉な予感は的中し、資盛は壇ノ浦で入水して果てます。その直前に二人は最後の歌をやり取りします。彼女の歌は、資盛の兄弟達の死を思いやる体裁を取りながら、自らの思い乱れる心をそのまま映した異様なものです。

  思ふことを思ひやるにぞ思ひくだく
  思ひにそへていとどかなしき

 資盛の返歌もこれに応じて、恋人への断ちがたい思いを訴えます。

  思とぢめ思ひきりてもたちかへり
  さすがに思ふことぞおほかる

 恋人の死に茫然としている彼女の耳に「あさましくおそろしく聞えしことどもに、近く見し人々むなしくなりたる、数多くて、あらぬ姿にて渡さるる」平家の人々の首が都に送られてきたのです。

「東洞院の大路を北へわたして獄門の木にかけられるべきよし、蒲冠者範頼・九郎冠者義経奏聞す」(「平家物語」巻十)残酷ですね。まあこの時代はこれが普通ですが。

 生け捕りにされた重衡(清盛の五男、資盛の叔父)は「朝夕馴れて、をかしきことをいひ、またはかなきことにも、人のためは便宜に心しらひありなどして」という、気さくで親切な人だったのですが、都を引き回しにされた後、東国で斬首されてしまいます。

 また、資盛の兄の維盛は屋島の戦いのさなかに抜け出し、熊野で入水したのですが、かつては後白河法皇の50歳の賀に「青海波舞ひてのをりなどは、『光源氏のためしも思ひ出でらるる』などこそ、人々いひしか。『花のにほひもげに気おされぬべく』など、聞えぞかし」王朝文化を体現したような貴公子が惨めな死を遂げたわけです。

 さて、こうして時代に心を打ち砕かれた右京大夫の心を慰めてくれたのが星でした。日本の文芸では星は月に比べて、あまり取り上げられることがなく、あったとしても七夕のお話や白楽天の詩をそのまま歌にしたようなものが多く、彼女のように星そのものの美しさを歌った人は明治に至るまでほとんどいません。私がこの作品が好きな理由もここにあります。

「十二月ついたち頃なりしやらむ、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、むら雲さわがしく、ひとへに曇りはてぬものから、むらむら星うち消えしたり」言うまでもなく、旧暦の一日に月はなく、まばらな星が見え隠れしていたというのです。

「引き被きふしたる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほどに引き退けて、空を見上げたれば、ことに晴れて浅葱色なるに、光ことごとしき星の大きなる、むらなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に箔をうち散らしたるによう似たり。今宵はじめて見そめたる心ちす」午前二時過ぎに、悲しみに引きこもっていた彼女の目に薄い藍色の空を背景に金銀箔を散らしたような星が映ります。

「さきざきも星月夜見馴れたることなれど、これはをりからにや、ことなる心ちするにつけても、ただ、物のみおぼゆ」恋人の死を始めとした多くのつらい体験が星だけの夜空の美しさを彼女に発見させたのです。

  月をこそながめなれしか星の夜の
  深きあはれをこよひ知りぬる

 彼女は、この家集に51首の七夕の歌を載せています。もちろん異例の多さで、上述したような先行作品と同様の趣向のものも多いのですが、彼女の個性が比較的出ていると思われるものを挙げてみましょう(ちなみに現在の7月7日は梅雨の真っ最中、到底星空は望めません。国立天文台では旧暦に基づく伝統的七夕を推奨し、ライトダウンなどを呼びかけていて、2021年の伝統的七夕は8月14日だそうです。月齢は5.5の弓張月ですから、さっさと沈んでくれます)。

  さまざまに思ひやりつつよそながら
  ながめかねぬる星合の空
  (あの人とのことを思い出すと、織姫、彦星のあれこれが想像されてしまう)

  きかばやなふたつの星の物語り
  たらひの水にうつらましかば
  (盥の水に七夕の星を映す風習にちなんで。星の語らいまで水面のさざめきに)

  天の河けふの逢ふ瀬はよそなれど
  暮れゆく空をなほも待つかな
  (恋人と死別した自分には七夕のデートは関係ないのに)

  ながむれば心もつきて星合の
  空にみちぬる我が思ひかな
  (思い悩む心も尽きて、星が出会う今日の空に広がっていく)

 そして、この連作は次のような恋人への切ない想いを彦星に仮託して終わります。

    このたびばかりやとのみ思ひても、また数つもれば、
   いつまでか七のうたを書きつけむ
   知らばやつげよ天の彦星

 彼女はあの建礼門院に仕えた宮廷時代が終生忘れられなかったようです。後年、彼女は後鳥羽院時代にも女房として出仕し、別の召名を持っていたのですが、この家集を編む時にどちらの名を使うかと問われ、歌で返答しています。

  言の葉のもし世に散らばしのばしき
  昔の名こそとめまほしけれ

 不幸なかつての主人に寄り添って、名を残したいという彼女の願いはかなえられたのです。


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