建礼門院右京大夫集(上)

文字数 2,201文字

 平清盛の娘、安徳天皇の母の建礼門院徳子は壇ノ浦で幼帝とともに入水しながら独り義経軍に引き上げられ、出家して洛北の大原寂光院で余生を送りました。そういう悲劇的な生涯を送った女性のお話があるせいか、京都の学生の間には大原にデートすると別れるという言い伝えがありました。私の場合には……それ以前って感じでしたけど。

 建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)は中宮徳子に仕えた女性で、もちろん清少納言が少納言という官位にあったわけではないのと同様、右京大夫というのは通称、いわゆる召名です。この頃の通常の女性と同様、本名は伝わっていません。彼女も主人の徳子(これは本名です)同様、前半生の華やかな宮廷サロンでの活躍と後半生の寂しい隠遁生活が対照的です。

 この家集は単に和歌を収めただけでなく、長い詞書が自叙伝風になっていて、和泉式部日記や蜻蛉日記、更には源氏物語の世界を憧憬したものと考えられます。前半では清盛の孫の平資盛との身分違いの恋愛に苦しむ一方、有名な伝源頼朝像や後白河法皇像を描いた15歳ほど年上の藤原隆信に言い寄られるといった具合です。

 彼女がメイクが上手とか、かわいい服で決めて、青年貴族や芸術家にモテていたわけではなく、和歌を詠むのが上手で、笛などの音楽にも造詣が深いといったことが理由のようです。清少納言のように才気が十二単衣を着ているようなタイプでもなく、和泉式部のような情念が身体からにじみ出ているようなタイプでもないようです。これらのタイプだと陰にこもったメガネっ子みたいな紫式部みたいな人から嫉妬の炎でけちょんけちょんに言われるのですが。

 紫式部たちは1000年頃に活躍し、建礼門院らは1200年頃の人ですから、200年の隔たりがあります。時代の移り変わりの早さは全然違いますが、今から200年前というと伊能忠敬が日本地図を完成させたり、小林一茶が活躍していた時期です。

 さて、右京大夫は思慮があって、冷静なタイプだったようで、他の人の名前は出しても、資盛や隆信の名前は一切出していません。付き合う相手としては立派ですが、その冷静さが歌人としての限界なのかも知れません。

「なべての人のやうにはあらじと思ひしを、あさゆふ、女どちのやうにまじりゐて、みかはす人あまたありし中に、とりわきてとかくいひしを、あるまじきことやと、人のことを見聞きても思ひしかど、契りとかやはのがれがたくて、思ひのほかに物思はしきことそひて」

 資盛との出会いを目立たない筆致で描いた個所です。ちょっと現代語訳しておきますと、「ふつうの女の子みたいに恋になんか浮かれるつもりなんかなかったのに、御曹司たちと毎日付き合ってたら、資盛様が言い寄ってきて。宮廷での恋愛って、なんかロクでもないことって多いのに。でも、これって運命の赤い糸ってやつ? 悩ましいなぁ」ってところでしょうか。彼女が宮廷生活を送ったのは、17歳から5年間ほどのことと推定されています。

 関係が深まり、彼氏が父の内大臣重盛に随伴して住吉大社に参詣した折には、海岸の様子を象った州浜に貝をいろいろ入れて、恋や憂いを忘れると言われる忘れ草を添えた贈り物が次のような歌とともに送られてきます。

   浦みてもかひしなければ住の江に
   おふてふ草をたずねてぞみる
   (つれないあなたをうらんでもカイがないから、忘れ草を探したんだよ)  
 
    かへし、あきのことなりしかば、紅葉の薄様に、
   住の江の草をば人の心にて
   われぞかひなき身をうらみぬる
   (忘れ草はあなたの心では? わたしのほうこそ……)

 こうした資盛との恋は後年になっても、

   とし月のつもりはててもそのをりの
   雪のあしたはなほぞ恋しき
   (一緒にベッドから見た雪の朝がなつかしい)

と思い出されるようなものだったのです。
 そんな折、思いもかけず、世間からも色好みと評判される藤原隆信に懸想されます。

   思ひわくかたもなぎさによる波の
   いとかく袖をぬらすべしやは
   (分別もなく、あなたへの思いが干潟のない渚に寄せる波のように、突然に)

といきなりサザンみたいに迫られて、

   思ひわかでなにとなぎさの波ならば
   ぬるらむ袖のゆゑもあらじを
   (誰かれなしに言い寄るんですね、わたしのせいだなんて)

 存じませんねとかわしたのですが、中年男の手練手管、攻勢はやむところを知らず、とうとう術中に陥ってしまいます。

    かやうにて、何事もさてあらで、かへすがへすくやしきことを思ひし頃、
   越えぬればくやしかりける逢坂を
   なにゆゑにかは踏みはじめけむ
   (一線を越えてしまえばくやしい思いをするって、わかっていたのに)

 そうは言っても身を任せた弱さ、隆信が他から正妻を迎えると聞けば、

    なれぬる枕に、硯の見えしをひきよせて、書きつくる。
   たれが香に思ひうつると忘るなよ
   夜な夜ななれし枕ばかりは
   (あなたの想いが移ろうとも、夜毎の匂いの沁みついた枕はしかと覚えています)

 なんて、枕紙にすごい歌を書いて送ります。その返歌は、

   心にも袖にもとまるうつり香を
   枕にのみや契りおくべき
   (俺はおまえの匂いでいっぱいだよ。契りは枕だけじゃないだろ?)

 となだめられてしまいます。

 しかし、そんな恋愛模様をよそに時代は急速に平家の滅亡に向かって回り始めるのです。

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