大林宣彦:転校生

文字数 1,717文字



 1982年の映画ですから、もう30年近く前になるんですね。それまでCMとかで斬新な映像を見せていた大林監督が本当に撮りたかった尾道3部作の第1作です。原作は山中恒の「おれがあいつで あいつがおれで」で、いわゆるジュニア小説(ラノベ以前のラノベかな)だと思いますが、読んでいません。

 ストーリーは原作のタイトルどおりなんですが、中学生の斉藤一夫(尾美としのり)と一夫のクラスに転校して来た斉藤一美(小林聡美)のお互いの心が、ひょんなことで入れ替わってしまうことによる、二人の戸惑いとドタバタといったものです。

「とりかえばや物語」のような際物的なテーマを純な中学生を主人公に据えることで、性へのためらいがちな興味という形にうまく昇華しています。それを更にあたたかい物語に仕上げているのは、大林自らの想い出が生かされているせいでしょう。

 一夫は常に8ミリ撮影機(もちろんフィルムです)を持っています。私小説と同じような意味での私映画だとも言えるのかもしれませんが、村上春樹が「ぼく」で語り始めたのと同じようなもの、「ぼく」映画だと思います。<どこが違うのだろうか? それがそう簡単に説明できれば苦労はない。煙草入れを探ろうと懐に手を入れかけ、そのまま腕組みをした。庭に目を遣る。>っていうのと、<どこが違うんだ? んー、むずかしいんだよね。ぼくは自分で言っておきながら、よくわかってなかったのかなってことがあるみたいだ。やれやれ。>っていうのとの違いですよ。

 こうした映像における語り口(8ミリ映像を使ったりしていることを含めて)のintimateなところが数えきれない程の模倣作の追随を許さないところでしょう。もちろんこれは大林の気質に起因するところも大きく、タイトルの前に出てくる”a movie”という文字は、ブラームスが「ドイツ・レクイエム」に不定冠詞"Ein"をつけたのと同じような、よく言えば謙虚、悪く言えば優柔不断な性格の現われで、その風貌も含めて、おセンチなところなど共通するものを感じます。……わたしはこういう人の作品に妙に惹かれてしまいます。

 この監督の下で、最高の演技を見せているのが若き日の小林聡美です。男の子の心を持ってしまった女の子をすごく自然に(と言うのも変ですが)演じていて、例えば着替えをするところなどは唖然とするほどのうまさです。尾美としのりの方はオカマっぽいだけで、まあそれで友だちからいじめられるのを小林が助けるといったエピソードがあるんですが、どうしても彼女の引き立て役になってしまいます。

 彼女はわざわざ言うこともないでしょうけど、別に美人でもなく、ごくふつうの容貌ですが、この映画ではとても魅力的です。心が入れ替わっているときだけ。

 彼女はテレビ・ドラマ「それでも猫が好き」なんかだと素でやっているように見えるかも知れませんが、実は計算しつくした演技者です……って、感じでもないか。たぶん運動神経がいいっていうのと同じように、演技神経がいいんですよ。あんまり考えなくても高いレヴェルの演技が計算したもの以上にできる、そういうふうに見えます。もちろん努力はしてるんでしょうが、才能と努力は最終的には同じことです。
 
 尾道三部作は、原田知世「時をかける少女」、富田靖子「さびしんぼう」と続くのですが、美少女二人が束になっても小林の強烈さには勝てないですね(個人的には富田靖子の雨の中のワンショットは忘れがたいものがありますが)。

 この映画は、どうにか二人が元通りの心と体になった後、一夫が引っ越していくトラックの窓から8ミリで一美を撮るところがラスト・シーンになっています。

「さよなら、あたし」「さよなら、おれ」このとても自然な台詞によって、この映画の意味が全く変わりました。これは荒唐無稽なおとぎ話ではないのだ、初恋に普遍的な、相手の中に切ないほど入り込んでしまう気持ちを描いたものなのだと。そんなふうに相手を「おれ」と呼べるようなことは、10代のある時期だけで、もう二度とないのだと。……

 でも、一夫は8ミリを撮り続け、一美はスキップして行ってしまう。残酷なほど軽やかに。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み