ティツィアーノ:ダナエ

文字数 1,796文字

 ゼウスはギリシア神話の最高神で、雨雲や雷を自由に扱うことができる、つまり自然の猛威の象徴です。気まぐれで豊饒をもたらす自然らしく、大変な浮気者で、嫉妬深い妻のヘラの目を逃れるため、様々なものにメタモルフォーゼして美女を訪れ、片っ端から子どもを作っちゃいます。中でもレダのときの白鳥とこのダナエの場合が絵画の題材としてよく使われます。白鳥の方は音楽もあったかも。

 ダナエの父はどこだかの王様だったのですが、娘の産んだ子に殺されるという神託を下されて、娘を青銅の塔に閉じ込めてしまいます。娘可愛さじゃなくて死ぬのが嫌で箱入り娘にしちゃうんですから、ちょっと情けないですが、ギリシア神話では運命に逆らうようなことをすればするほど実現してしまいます。オイディプス王の話が典型です。

 案の定、ダナエの美しさを聞きつけたゼウスは、ヘドー、ヘド、ヘダーって言ったかどうかは知りませんが、雲を呼び、雷のように素早く、彼女の元へ黄金の雨に変身して降りそそいだのです。それで生まれたのがあのメデューサを倒した英雄ペルセウスというわけです。

 クラナッハのときに絵画に取り上げられる聖書のエピソードは大した数じゃないということを言いましたが、それはギリシア神話でも同様です。ちょっと知っていれば欧米の美術館巡りも楽しいでしょうし、構図がどうとか、色彩がどうとかいう(学校で教えるような)無味乾燥な鑑賞方法からおさらばできるでしょう。

 音楽で言うとソナタ形式とか和声法とかいうことですが、そういうのは一応知っていればいいので、あんまり分析的な批評ばっかりするのは、貴族が料理人の食材や調理法を気にして厨房に入るようなみっともなさを感じます。



 さて、前置きが長くなってしまいましたが、このティツィアーノ(1488-1567)では光輝く黄金の雨、白い肌のダナエ、雨を防ごうと慌てるばあやが三角形の構図で描かれています。そう思ってみると、彼女の腕、2本の脚、老婆の腕が小さな三角形を形作りリズミカルな画面構成になっています(やっぱりつまんないなぁ)。それらはすべてダナエのポーズと肌の美しさ、エロスを際だたせるためであり、プラド美術館でも指折りの名作です。

 彼女の表情はどうです? 少なくとも夜這いをかけられて怖れているようには見えないでしょう。やや陰になった目の辺り(これが天才の業です)からは、求めていたものがやって来た満足と恍惚がほのかに漂っているように感じます。……隅っこの犬は守るべき主人を守れず、丸まっていますが、神の登場でなす術もない父親を象徴しているようにも思えます。娘なんて自ら望んで奪われていくものですが、これを世の父親は受け入れられないでくだらないことをしてしまうのです。

 このモチーフをティチアーノ(とその工房)は都合4回描いていて、ウィーンの美術史美術館所蔵のものでは犬がバラに代わっていたりして、より性的な意味合いが強くなっています。ウィキの「ダナエ (ティツィアーノの絵画)」で4作とも見れるので比較するといろんな想像をかき立てられます。



 この題材についてもクリムトの有名な絵があります。極端に切り詰められた空間にまるで胎児のようなポーズのダナエを押し込んで、眼のような、プランクトンのようなフロイト的な模様の薄いカーテンを配して閉ざされた寝室の雰囲気を醸し出しています。いやそんなことよりも大きなお尻、エクスタシーの表情と指……。

 これほどエロスがあふれた絵も少ないでしょう。黄金の雨は股の間にたっぷり降りそそいでいるし。モチーフも描き方も現代で言えば間違いなくセクハラだし、ナチス的価値観からは退廃芸術だと思うんですが、そうはならないみたいです。……なぜそうなのか自体が興味深いような気がします。(退廃芸術については https://www.artpedia.asia/degenerate-art/ 退廃芸術「ナチスに弾圧された近代芸術」をご覧ください)

 ティツィアーノはヴェネチィア派の代表選手で、フィレンツェ派のミケランジェロ(1475-1564)やラファエロ(1483-1520)と同時代人です。ベッリーニに始まるヴェネチア派は、他にジョルジョーネ、ティレントレット、ヴェロネーゼと多くの才能を生みました。ヨーロッパの美術館ではよく見かけますので、知っておいて損はないと思います。
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