泉鏡花:化銀杏

文字数 2,695文字

 泉鏡花は全く近代的ではありません。自我もなければ心理もない。作者の作った論理の下に、作者好みの場面を展開していくだけです。その論理は世間の常識とは全く違っていて、その場面は嗜虐的で官能的なもので、結末は大抵破滅的です。こうした内容は、江戸末期以来の戯作者と大して変わらないのかもしれませんが、それでおもしろいのですから十分です。おもしろさの原因をもう一つ付け加えれば度胸のよさとでも言うべきものでしょうか。

 その一例を挙げてみましょう。「化銀杏」ではお貞という21歳の人妻と芳之助という16歳の少年の会話で話が進みます。当時の女性は20歳になるともう年増と言われたわけですが、お貞は「二つばかり若やぎたる」と描写されています。

 それで二人の会話ですが、芳之助はお貞の髪型が銀杏返しなら姉さんだけれど、丸髷なら奥さんだと言うのです。もちろんお貞は姉さんと呼んでほしいので銀杏返しにしたいが、旦那が承知しない。その辺から夫とうまくいっていないことや少年も彼を嫌っていることが明らかになってきます。

 芳之助は、銀杏返しに結っていた実の姉がその亭主に虐められ、入水してしまったことを語ります。その上で、お貞も旦那に虐められているのだろうと訊きますが、そうではないと言い、結婚に至る経緯を話します。

 両親と死に別れ、生き別れして、病気の祖父と二人暮しとなって、それでは不安だろうということで14歳のときに29歳の時彦とくっつけられたことや時彦が単身上京したものの病気になって妻のもとに帰ってきたこと、どうしても夫になつかず幼くして死んだ娘のことなどが語られます。

 要は相性が悪いというか、夫は彼女に非常な愛情を抱いているにもかかわらず、お貞には旦那の悪い面、滑稽な面ばかり見えてしまうことがわかってきます。そういった気持ちのすれ違いの中で、芳之助と姉弟分になった、だから銀杏返しに結うなどと言うものですから、夫の時彦には他人で姉弟というものがあるかと言われてしまいます。

 夫の言い分の方が「世間の常識」にかなっていると思いますが、お貞は「芳さん、たとい芳さんを抱いて寝たからたッて、二人さえ潔白なら、それで可いじゃあないか、旦那が何と言ったって、私ゃちっとも構やしないわ」などとさえ言います。

 そういったお貞の真情の吐露に対し、芳之助は陰弁慶(内弁慶)だと笑います。旦那の前ではおどおどして、おびえきっているではないか、嫁に来たばかりのように旦那様を大事にする貞女の鑑だと周りから言われているではないかというわけです。二人の間で、姉弟分という微妙な関係が揺れ動いていると思うでしょう?

 それに対する彼女の答えからが鏡花らしくなってきます。自分がおびえているのは、いつも夫が死ねばいいと思っていて、それを人に見つかりやしまいかと思うから怖いのだと言うのです。

「一人でものを考えてる時は、頭の中で、ぐるぐるぐるぐる、(死ねば可い)という、鬼か、蛇か、何ともいわれないこわいものが、私の眼にも見えるように、眼前に駈け回っている」のだと。

 そして、そのせいなのかどうか夫の病状が日に日に悪くなってきて、「次第に弱って行く様子、こりゃ思いが届くのかと考えると、私ゃもう居ても起っても堪らない」

 そこに当の時彦が帰ってきます。
 その日から、寝込んでしまった夫を献身的に看病するお貞。ある夜、夫は妻に茶断ち、塩断ちをしている理由を尋ねます。しかし、やつれ果てながら彼女はそれを告げることができません。夫の平癒を願っていると言うことは良心が許さないのです。

 ところが夫は「茶断、塩断までしてくれるのに、吾はなぜ早く死なんのかな」と言います。自分の内心が知られていたことに驚くお貞に、夫はやわらかに言います。

「何、そう驚くにゃ及ばない。昨日今日にはじまったことではないが、お貞、お前は思ったより遙に恐ろしい女だな」と言います。

 殺したいというなら自分の生命を捨ててのことで同情の余地もあるが、死んでくれればいいというのは後の楽しみを追うもので人殺しよりひどいという論理を時彦は展開します。続けて長口舌を時彦は繰り広げますが、要はお貞が幸福になることは決して許さない、離縁して薄情な嫁であることを世間に明らかにするか、自分を殺すかのどちらかを選べということです。

 これが理屈としても、常識から言っても通るものではなく、強引な論法であることは明らかですが、「お前の念(おも)いで死なないうちに、……吾を殺せ」という言葉にはお貞の日頃からの秘めた願いに呼応するものがあるのです。

 まもなく死んでいく者の世迷言に付き合わず、放っておいて夫の死を待って、自由の身となり、芳之助と一緒になるのが賢明なのですが、そんな計算ずくの女は美しくも、艶っぽくもなく、鏡花のヒロインにはなれません。

 したがって、お貞は夫を殺してしまうのですが、私がこの作品を紹介しようと思った最大の理由はその話の運び方です。少し長くなりますが、引用しましょう。わかりやすいように少し漢字などを置き換えています。

「殺します、旦那、私はもう……」
 とわッとばかりに泣出しざま、擲たれたらんかのごとく、障子とともに倒れ出でて、衝(つ)と行き、勝手許の闇を探りて、彼[お貞のこと]は得物を手にしたり。
 時彦ははじめのごとく顔の半ばに夜具を被(かつ)ぎ、仰向けに寝て天井を眺めたるまま、此方を見向かんともなさずして、いとも静に、冷かに、着物の袖も動かさざりき。
 諸君、他日もし北陸に旅行して、ついでありて金沢を過(よぎ)りたまわん時、好事の方々心あらば通りがかりの市人に就きて、化銀杏の旅店? と問われよ。老となく、少となく、皆直ちに首肯して、その道筋を教え申さむ。すなわち行きて一泊して、就褥の後に御注意あれ。

 どうですか? クライマックスの殺害現場が描かれるかと思った瞬間、何の断りもなく場面も時間も語り口も一変して、後日談になってしまうのです。その中で、お貞が犯行後発狂して、旅館の一室に銀杏返しを結った姿で幽閉されていることが怪談調に語られますが、その哀れさや無念さはこの場面転換の鮮やかさによって、一層強く印象づけられます。

 一体に鏡花の小説はお芝居を見るような感じがあって、ここも暗転して舞台が変わったという趣きですが、それにしても単に段落を変えただけで、章の切れ目も1行の空白も「……」すらないのには、鏡花の自らの筆力に対する自信が漲っていると感じさせます。この度胸のよさが古臭いと言われないようびくびくしている近代的な小説には見られないものなのです。

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