四日目

文字数 4,251文字

四日目

 低く厳かな歌声が響くなか。街の通りに、人々が列を成しながら歩いていく。

 白き無垢たる神の地を
 おかして染めるは赤き獅子
 その咎を生みし罪人に
 永遠なる傷跡を
 その咎を受けし神の子に
 永遠なる安らぎを

 知っていなければ念仏にも聴こえるその歌は、古くから赤し国に伝わるものだった。白と淡い青色の衣装を身にまとい、彼らは互いに話すことなく、歌を歌いながら前へと進む。彼方に見えるのは、この国の象徴たる宍戸家の立派な屋敷である。
 青き空を見上げ、彼らは続けた。

 ああ主よ 許されよ
 意思なき我らを許されよ
 父母であるあなたが望まれるなら
 この身は全て捧げまする
 曇りなき眼で我らを導き
 現世に呪いを与えたまへ

 一方でこの慣習の間、家に取り残された子ども達は好き勝手に外へ出て行き、親の帰りを待ちながら自分達だけの遊びに興じていた。

 かわい子ちゃんかわい子ちゃん
 お顔の綺麗なかわい子ちゃん
 赤い輪の中にさあおいで

 よきよき子 生むために
 御国のために売られてく
 ぶすのお花はお断り

 よござんしょよござんしょ
 洋梨一粒一人きり
 蓋してポイしてまた明日

 そして宍戸家の屋敷では、粛々と亡くなった者達への葬儀が執り行われた。日付だけは兼ねてからの予定通り、赤木道真が死んでから三日後のことである。大山の坊主が読経を行い、いつもよりも上等な袈裟姿でこれに臨んだ。死者のためにお経を読み上げるその姿はまるで仏と一体になったかのようで、そんな男が抱いているであろう真意は、誰にも読み取ることができなかったという。
 同じ敷地からでも葬儀の様子を僅かながらに感じる。この時私とツバキは二人、塔の中で昨日のうちに見つけたものを手分けして調べていた。
「まさか、あんなことになるなんてな」
「……」
 ツバキはしばらく口を開こうともしなかった。話したくないのも当然かと私は思ったが、数秒も経たぬうちに彼から返事が届いた。
「宍戸恵花の事件から考えよう。凶器は二日目の夜にコレクションルームに戻されていたはずの獅子夜叉だった。紛れもない実物が彼女の頭に刺さっていたのだから、疑うべき所も当然ながら存在しない。別の刃物で彼女に致命傷を与えてから獅子夜叉を刺した、という可能性も全く無い状況だ。赤木道真の傷跡の特徴とも一致していたしね」
「ただ凶器が獅子夜叉である点については、道真さんの時と同様の疑問が浮上する。犯人はどうしてわざわざ、唯一ガラスケースの中に飾られたものを使ったのか。……宍戸家の復讐のため、というのが今のところ尤もな筋だけど」
「ああ。それも結局は犯人の特定に至らない。これまで分かってきた赤し国の歴史が背景にあるのならね。この事件で新たに明らかになったのは、彼女が主犯格だった人間を「王子様」と呼び慕い、協力してきたこと」
「王子様……お前に襲いかかった時に確か、そう叫んでいたんだったよな。だとしたら犯人は男なのか?」
「推理を誘導させるために、敢えて「王子様」と呼ぶように指示していたとしてもおかしくはない。彼女は死ぬ間際、裏切られた事に酷く怒っていたようだからね。余程心酔していた裏返し、と見てもいいだろう」
「犯人の性別は特定できないか……。ひとまず一日目に柳さんが見た人影や、道真さん殺害時に獅子夜叉が和室に見当たらなかったことは、彼女が関わっていると見ていいのか?」
「犯人が一人で証拠隠滅を図った線も残ってはいるけれど、可能性は高い。リスクを減らしてこその協力だからね。それにもしも彼女が赤木道真の犯行に無関係なのだとしたら、両目につけていた宮田さんのコンタクトレンズに説明がつかなくなる。彼女が夜にこっそりと屋敷に入ったことは明白だ。宮田さんは次の日から既に眼鏡を掛けていたからね」
「そして二日目……朝にあの塔で俺と紗夜さんが聞いた声は、あの人だったんだな」
「そうだね。今なら彩史さんが慌てて僕達に塔から離れるよう忠告したことも頷ける。塔の中に恵花さんがいることを分かっていたからこそ、彼は塔の中を調べることに乗り気じゃなかった。彼女の存在がばれてしまえば、当主一族としての地位が脅かされる恐れがあったからね。それに前々から彼は姉である芳恵夫人と上手くいっていないようだった。ヘマをして彼女からいろいろと責任を問われるのも嫌だったことだろう。そうして僕達を塔から追い出すことに何とか彼は成功した」
 私はこの時黙り込んだ。元はもう一人の姉であったはずにもかかわらず、彩史は宍戸恵花に対して何も思わなかったのだろうか。だがそれも、今となってはもう分からない。
「彩史さん殺害に関しても、犯人は彼女を利用したことだろう。彼を呼び出すためだけじゃなく、もしかしたら実際の犯行も手伝わせたかもしれない。どちらの殺人事件も短時間で行われていたからね。そして塔を殺害現場とするため、彼女には屋敷の三階に潜んでいてもらうことになった」
「彼女が屋敷から塔へと移動したのは、俺達の殆どが外へ出ていたあの時か?」
「間違いない。仕方のないこととはいえ、絶好の機会を僕達は犯人に提供したわけだ。もっと早くに健康な彼女を僕達の手で見つけられていたら、王子様の正体をすぐに聞き出せたかもしれないのにね。唯一犯人の様相を知っていた宍戸恵花が殺された今、事件解決の道のりがさらに遠くなってしまったわけだ」
 ツバキは当然ではあるが後悔した様子だった。
「街の出入り口は、まだ開通に時間が掛かるみたいだぞ。早くてもあと二日らしい」
「昨日もにわか雨があったし、天候は不安定のままだね。その間は犯人も僕達もこの場所から逃れられない、というわけだ。全く最悪な街だよ。いや、国と呼んであげたほうがいいのかな」
「今更どっちでも構わないだろ」と、私は手に持っていたロープをゆっくりと床に下ろした。
「特にこれといった特徴は見られなかったな……。そっちはどうだった?」
「シャベルの方はかろうじて血の痕があるくらいだ。特別調べられる手段があったとしても、被害者が彩史さんであるぐらいしか分からなかっただろうね。土に埋められていた弊害が出ているな」
 作業がひと段落付いたところで、私は憂鬱な気持ちになった。「面倒な方を調べてくれよ」と半ば強引にロープを押し付けられて時間が掛かったが、ひとたび時間が出来てしまえばあの時の映像が思い起こされてしまう。
 昨日の墓地での場面から一転、急いで当主の部屋へと駆けつけた時だった。
 ベッドから少し離れた洗面台の奥で、女が一人引き出しにもたれ掛かってぐったりとしていた。辺りの床や鏡に水飛沫が激しく飛んでいる以外にも、投げつけられたように小物が散乱し、最期まで抵抗していたことが伺える。首は項垂れ、真っ青どころか紫色に変色し膨れ上がった顔は、判別はできるものの酷い姿であることに変わりはない。
 その遺体は宍戸芳恵。宍戸家の現当主であり、赤し国を統べる女王でもあった。
「奥様が洗面器の中に頭を沈めていらっしゃったので、すぐに引き上げたんですけど……!」
 涙を浮かべてしゃくりあげながら、宮田はそのように説明する。彼女の死に顔に衝撃を受け、あまりの恐怖に体を震わせていた。私達を呼ぶことで使命を果たしたのか、洗面台の近くで彼女は足腰が立たなくなってしまっていた。
「最初に彼女を見つけたのはお二人だけですか。大山さん」
 ツバキは眉を顰めたまま、同じく芳恵の死体を見下ろす住職に声を掛ける。大山の坊主は「はい」と、日々の勤めで鍛えられた低い声と共にゆっくりと頷いた。
「菊乃さんやあの少女から恵花さんの話を聞き付けたあと、あなた方が当主殿と共に応接室に入るまでは一切近付いておりません。何か事態があったのだろうと思い、二人には自分の部屋へ。そして私は宮田殿と共にホールにて待機しておくことにしました。後で何かを言われても、一向に困りますから。そして当主殿らしき足音が自室へ歩いていく足音が聞こえたものですから、すぐさま扉を開けて様子を伺いました。非常に焦っていらっしゃる相貌は、私ですら危険なものを感じたほどです。宮田殿が声を掛けておりましたが、一人にさせろと静かに言われ、それきりです」
「屋敷にいた他の方は見ませんでしたか? 特に秋津兄妹などは」
「おそらくはそれぞれの自室にいたものかと。もしかすれば今この場にいる者しか、当主殿の死に気付いていないのではなかろうか」
「俺が皆に伝えてくるよ」と宮田の両肩をそっと支えながら柳が名乗り出た。「彼女もひとまず今は構わねえだろ?」
「お願いします」とツバキが即座に答えた。そして宮田を先に廊下へ連れ出した後、柳は私達二人にしか聞こえないほどの声で言った。
「なあツバキ君。今まで君達が調べたり見聞きしたりした情報を、俺にも教えてくれないか?」
「聞いてどうするつもりですか」
「俺が一連の犯人じゃないって思っているなら別に構わねえだろ、とまでは言わないさ。さっきはあのように言ってくれた手前、俺の怪しいところ全てを拭えたわけじゃないだろうからな。ただ、今の俺は探偵だ。加えて過去に有耶無耶にされた十年間で調べに調べ尽くした赤し国に関する知識だってある。今日までに起きた出来事の黒幕が気にならない筈がないんだよ」
 柳の主張は充分に納得できた。もしも大山彩史の殺害時に手帳が見つかったことにより、彼が窮地に立たされたことが犯人の目論見だったとしたら? 十年前の探偵の死を利用されたとなれば、当然柳にとっては許されないことだろう。加えて彼には実際に何者かによって部屋を荒らされた被害もある。
「君が犯人を究明するまでは決して誰にも口外しない。勿論二人の邪魔になるようなことも絶対にしないと約束する。……だから頼む」
 そう言って柳は頭を下げた。私個人の心情としては教えてやりたい気持ちが山々であったが、ツバキはしばらく黙って考え込んでいた。
 しかしやがて彼は柳の頼みを了承すると、「後で僕達の部屋に来てください」と言った。
「話はその時に。……今は芳恵夫人の事件の方を考えたい」
「ああ、分かったよ。ありがとう」
 そして柳は宮田に続いて廊下へと出て行った。それを見送ってからツバキが悟られぬように溜息をつき、そして顔を顰める。被害者本人が予告していた自らの死を、ついに食い止めることができなかった。そのことが酷く許せないのだろう。私はそんな彼に何も言葉を掛けることのできなかった自分自身の姿が、今でも強く頭の中に残っていた。
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