二日目、その九

文字数 6,710文字

「うわあ!」と思わず私は声を上げ、一方でツバキはすぐにその正体に気付き、口をつぐんだ。何者かと私も外光の差す納屋の入り口を振り返ってみれば、外からひょっこりと少女が一人顔を覗かせているではないか。
 嬉々として現れたのは、宍戸菊乃の友人、紅葉だった。紺色の着物に彼岸花を散りばめた赤い帯が映えており、そしてそれにあまり似つかわしくない真っ黒なツインテール姿は、昨日とあまり変わらない。
「ねえお二人さん! そこでいったい何をしていらっしゃるの?」
 私達がすぐに答えなかったからか、紅葉は尚も元気いっぱいに尋ねてきた。まるで私達が秘密の宝探しでもしていたかのような無垢な疑いを抱いているのか、うら若き少女の瞳はきらきらと輝いている。今日まで挨拶を交わしたぐらいの交流しかなかった私は、そんな紅葉の様子に戸惑うばかりであった。
 対するツバキは昨日コレクションルームやホールで菊乃と共に会話を交わしていたからか、いきなり現れた彼女にも一切動じなかった。それまで手を動かしていたのを中断し、「事件について調べているのさ」と紅葉に向き合って答えた。
「芳恵夫人によると、犯人はまだこの街の中にいるそうだからね。見つけ出せというご命令に従っているんだよ。今頃犯人は僕達を警戒しているかもしれない。つまりは隙を見て、僕達を危険な目に遭わせようともするかもしれないね。だからよほどの用がない限り、僕達にはあまり近付きすぎないほうがいい」
「あら、そうですの? でもあたし、危険な目に遭ってもいいからツバキさん達とも仲良くなりたいわ。さっきだってね、近くでカエルを見つけて追いかけっこしてましたのよ!」
 彼なりの優しさなのか、ツバキはまるで妹に諭すかのように穏やかに注意を促したが、紅葉はあまり聞く耳を持っていないようだ。事件解決のために彼から聞き込みを行うことはあるが、紅葉の場合は彼女自身から不用意に近付いてくる可能性も考慮に入れて、そのようなことを言ったのだろう。大人しそうな見た目と異なりここまで天真爛漫な子だったのかと、一方の私は内心驚かずにはいられなかった。十七という年齢よりはやや幼く感じるが、明るく純真な印象の女の子である。あの声の少女とは違って……。
 あの声の少女?
 私はいったい何を思ったのだろう。この街に来てから何度も思い出す「あの声」。その正体を、無意識だが自分自身で既に理解しているということなのだろうか。
 そんなことを思う一方で、紅葉はツバキの忠告に「そう……」と伏し目がちになり、しばらく右の人差し指で自らの頬をつつくと「分かりました!」と素直に頷いた。そしてしばらくは、二人の他愛もない会話が続く。
「実はあたし達も今、探し物をしているところでしたのよ」
「つまりは、菊乃さんと一緒にということかい」
「ええ! 昨日よりは元気になりましたの。まだ本調子とはいかないようだけれど……あたしとも遊んでくださるし、先程帰ってきたばかりの紗夜さんも今は一緒ですのよ」
「つまりは女性三人で、さっきまで集まっていたということか。仲が良いようで何よりだ」
 うんうんとツバキが同調するように何度も頷いた。紅葉はそれに気を良くしたのか、喜びのリズムを取るように体を揺らし、さらに明るい笑顔を見せて話を続ける。
「昨日は紗夜さんとあまり話す機会がありませんでしたけど、今朝はちゃんとお話しすることができたの。すぐに打ち解けましたわ」
「菊乃さんとは出会った頃からずっと仲が良いのかい」
「仲が良いというより、初めて出会った時はあたしの一目惚れでしたのよ。菊乃姉さん。歩道をまるでランウェイみたいにつかつかと歩いて、そのお姿がモデルのようにかっこよかったの! 思わず男性の方かしらと見間違えてしまうほどで、声を掛けてみたら、まるで実の姉のように優しくして下さって……あたしは一人っ子で、今はお父様しかいないから」
「そうだったんだね。内面は随分と彼女に負けるだろうけど、そのほかは僕といい勝負だったりするのかな?」
 悪戯な微笑みでツバキが尋ねると、「まあ!」と紅葉は思わず両手を口元に当てた。
「ツバキさんったら、すごく自信満々におっしゃるのね!」
「いけないかい」
「いえ、いいえ。どんな人でもきっと、ツバキさんには負けてしまいますわ。だってツバキさんは本当に、白馬の王子様みたいなんですもの」
 紅葉が首をぶんぶんと左右に振るのを面白がりながら、ツバキは「ふふ、ありがとう」と言った。人の心を手玉に取るのが本当に上手い男である。
「ところでその、探し物っていうのはいったい何を?」
 先程までの憂鬱な気持ちを切り替えて、私も会話に加わった。相手は歳下なので丁寧な口調は崩したが、それでも失礼になっていないだろうかとやや緊張してしまう。
「宮田さんのコンタクトレンズよ。魔女さんが倒れてしまった時につい気が動転して、どこかでポロっと落としてしまったんですって。廊下を掃き掃除しても見当たらなかったそうなの」
 紅葉はわざわざ指で輪っかを作って当のコンタクトレンズの大きさを教えてくれたが、瞳の大きさ以上でないことは私でも分かる。
「宮田さん、芳恵おば様にお昼ご飯の用意を持って行った時に言われてしまったそうよ。「今日はどうしてあなた、眼鏡なの? 全然似合ってないわよ」って、いかにも怪しそうに!」
 わざわざ眉間に皺まで寄せて、少女は使用人から聞いた光景を再現した。
「もしも奥様が見つけたりしてしまったら宮田さん、掃除がなっていないって怒られてしまうそうよ。家事洗濯に加えて、あたし達のお世話までして下さっているのに、そんなの可哀想。だから紗夜さんが二階を探して、菊乃姉さんが一階を探して、あたしが外を見て回っていますの」
 ぴょこぴょこと身振り手振りを加えて話す様は、まるで人形劇の人形のようだ。幾つも変化する彼女の表情に沿って、愉快且つ軽快な音楽が流れているようである。
「優しいんだね」と私が言うと、「楽しいからよ」と紅葉は答えた。
「菊乃姉さんはきっとサクマさんの言う通り、お優しいから宮田さんを助けてくださっているんだわ。でもね、あたしは違うの。この大きなお屋敷で、小さな小さなコンタクトレンズを探すのが楽しいから手伝っていますの」
「元気いっぱいだね。僕達大人も見習いたいものだよ」
 いつも私に対して言うような皮肉は一切なしにツバキが頷いた。
「そういえば君も魔女が倒れた時はショックを受けて、菊乃さんの部屋で休んでいたようだね。今は大丈夫なのかい」
「ええ。初めてあんな光景を見た時はびっくりしましたけど……。でも、もう平気ですわ。嫌なことはすぐに忘れるのが、あたしの取り柄ですから」
 けろりと紅葉はそう言った。これまた意外にも彼女は頑丈らしい。メンタルの弱さが長年の欠点である私には羨ましかった。
「昨日の夜は確か、道真さんを探そうとした芳恵夫人に部屋を追い出されたとか。突然のことで驚いただろうね」
 具体的な時間は覚えているかな、ともツバキは訊いた。
「ごめんなさい。正確な時間は覚えていませんわ。魔女さんが倒れられて、ちょうど一時間眠っていたのは覚えているんですけど……」
 それなら私達が屋敷を飛び出した時刻から推し測ってみるに、八時二十分頃の出来事だろう。ツバキも同様の考えに至ったのか、時刻についてそれ以上の追求はしなかった。
「かんかんに怒った芳恵おば様の近くに、びっくり顔の菊乃姉さんと政景さんがいて。他にも彩史おじ様や紗夜さん、宮田さんと……あと、あたしと同じ着物姿の方もいらっしゃって」
 最後の人物は勿論、柳暁郎のことだろう。
「……そして道真お兄様があんなことになっていらっしゃって。あたし、思わず「きゃあ」と声を上げてしまいましたわ。でもね、そこで一つ気付いたことがありましたの」
 昨夜のことを思い出しながら、それまで暗い表情で話していた紅葉だったが、そこから再び彼女の表情は明るく輝き出した。
 それはあまりに眩しすぎて、かえって不気味だと感じてしまうほどに。
「道真お兄様が亡くなっていたあの和室。実はあそこ、菊乃姉さん達のお父様が亡くなられた場所でもありますのよ」
「⁉︎」
 思いもせず現れた突然の事実に、私は目を見開いた。
「そ、それはつまり……芳恵さんの旦那さん、ということ?」
 ほとんど無意識のうちに発した言葉に、「ええ」と紅葉はにこやかに頷く。
「菊乃姉さんがショックを受けていらしたのはね、実は大切なお兄様を亡くされた以外にもそんな事情がありましたの。ここのお屋敷の一番えらい人が、芳恵おば様であることはご存知でらっしゃって?」
 当然私達は揃って頷いた。
「そこでもしかすればピンと来ていたかもしれませんけれど、菊乃姉さんや亡くなられた道真お兄様にはお父様がおられましたわ。芳恵おば様からすれば「旦那様」。婿入りでいらっしゃった上に、おば様のお人柄を考えると「かかあ天下」な毎日だったでしょうね」
 紅葉は何かを思い出そうと、「うーん」と呟きながら人差し指を顎に当てた。
「芳恵おば様の前の宍戸家当主が旦那様。そしてさらにその前が、おば様や彩史おじ様のお父様にあたる、宍戸浩之介おじい様なんですって。前に菊乃姉さんが教えてくださったの」
 街の人々は宍戸浩之介のことを「先代」と言っていたが、厳密には芳恵の夫が当主だった時期がその間にあったようだ。しかしどうして、これまで芳恵の夫の存在が私達の耳に入らなかったのか。
「もしかすれば夫人の夫が宍戸家当主として生きていたのは、極めて短期間だったのかもしれないね」
「ええ。僅かな期間だったって、菊乃姉さんは言っていたわ。けれども昨日の道真お兄様に至っては、当主になる前に亡くなられて……。もう少ししたら、芳恵おば様から当主の地位を受け継ぐ予定だったのに」
「親子が揃って例の和室で亡くなった。しかも一方は明らかに殺された状況だ。ただの偶然で片付けるには無理があるだろうね。ちなみに君。芳恵夫人の夫は何が原因で亡くなったのか、聞いているかい」
「自殺だったって言っていたわ。首を吊って宙ぶらりん! ですって」
 正気ではないと思い、私は何も言えなかった。「芳恵の夫の死に方が」というより「紅葉の口ぶりが」という意味もそれは含まれた。仮にも相手は友人の父親だというのに、どうしてそのようにあっけらかんとした言い方ができるのだろう。
 けれどもそんな私の不信感や疑念とは裏腹に、少女は首を不思議そうに傾げ、そして私の顔を覗き込んだ。
「サクマさん、もしかして怖がりでいらっしゃるの?」
「え?」
「ツバキさんはずっと涼しげでいらっしゃるのに。サクマさんったら緊張してらっしゃって、可愛い」
「か、かわ……⁉︎」
 あまりに見当違いなことを言われ、思わず私は戸惑った。その反応を見てさらに紅葉がくすくすと笑う。隣にいたツバキも同様、吹き出すのを堪えるように笑っていた。
「よかったじゃないかサクマ。「可愛い」だって」
「おかしなことを言うな! えーっと……紅葉ちゃんも変なことを言わないでくれ。そんな要素なんて一つもないだろ」
「あら、決しておかしなことなど何一つありませんわ。ねえ?」
「ああそうさ、間違ったことなど何一つ言っちゃいない。サクマ君、君は他人からの評価に敏感過ぎるんだよ。特別な意味なんて大概は存在しないし、そもそも人間、そこまで他人に興味関心を抱いていないものさ」
 普段から容姿を持て囃されている男に言われても、全く説得力がない。
 ツバキの言葉は心外だと言いたげな紅葉に対し、当の本人は軽く受け流しつつ笑っていた。宍戸家の敷地内である納屋で、どうして私は二人に翻弄されているのだろう。
「それはともかく、興味深い話を教えてくれてありがとう。けれどもいいのかい。僕らに言ったってことは、結果的に菊乃さんを傷つける形になるかもしれないよ」
「不謹慎だっておっしゃりたいの? 菊乃姉さんのことを思えば、確かにそうですけど……でも、この屋敷にいる限り、いつかは必ずお知りになることですわ。サクマさんに限らず、ツバキさんや秋津さんご兄妹だって。だってこれは宍戸家の方々にとって重大な謎なんですもの。
 けれどもこれ以上のことは教えられませんわ。だってあたし、後は何も知りませんから」
 重大な「謎」。この響きに、私はどこか禁忌のようなものを感じた。触れてはいけないようで、しかし妖しげな魅力のある言葉である。私は普段から「謎」という要素が詰まったものに対して、常々惹き込まれてみたいという好奇心に駆られた。たとえそれが苦手な怪奇小説やホラー映画であったとしても、恐怖心を飛び越えてついつい鑑賞してしまう。「謎」にはそれほどまでに、中身である正体を強く渇望させる魔力が備わっていた。
「ねえツバキさん、サクマさん。見返りと言ってはなんですけど、紅葉と一緒にコンタクトレンズを探してくれませんこと? 屋敷内のいろんな所を歩き回っても全然見つからなくて、あたし、寂しい思いをしておりますのよ」
 甘えるような声で、紅葉はおねだりした。もしかすれば今日にも、詳細の「宍戸家の謎」たるものは本人達の言葉で語られることになるのかもしれない。それまでの時間は有効に使うとして、さて、いったいどうしたものか。
 私は視線を送り、ツバキに判断を任せることにした。すると彼は予想通り「ごめんよ」と紅葉に謝った。
「僕らは僕らで、急いで調べたいものや場所があってね。その用事が済んだら手伝わせてもらうよ」
「ええ! お待ちしておりますわ!」
「それじゃあ今から再び、君の宝探しに専念してくれたまえ。邪魔をしてはいけないから僕達は失礼するよ。何か他にも、言いたいことはなかったかい?」
「え……」
 ツバキの問いかけに少女は何を見抜かれたと思ったのか、一瞬私達を怖がるように見つめた。
 しかしすぐさま元の愉快な少女として、紅葉は明るく振る舞う。
「……ええ! 大丈夫ですわ。こちらこそ紅葉のお話に付き合ってくれて、ありがとうございます!」
 そう言って紅葉はぺこりとお辞儀をした。頭を下げた拍子に黒髪のツインテールが揺れる。
 そしてツバキは納屋から屋敷の入り口へと戻り、私もすぐその後に続いた。
「思わぬ相手がいきなり現れたな。納屋で調べる作業は中断したけど、紫帆が飲まされたとされる薬品みたいなものはあったのか?」
「ああ、それなら殆ど完了したよ。再度見に行く必要はない。ただ……」と珍しく言葉の途中でツバキが黙り込んだ。
「どうかしたのか」
「どんなものにも致死量というものは必ず存在する。僕達が普段から口にしている野菜や水などでもね。要は規定の摂取量を大幅に超えることからくる症状さ。おっと! また話が脱線しそうになったな」
「なんだよ、勿体ぶらずにはっきり話してくれ」
「僕が棚にあるだけの薬品類の成分表示を確認した時、確かに多量に摂取すれば人体に悪影響の出るものはいくらでもあった。けれどもね、それらから予測されるであろう症状と魔女が実際に味わった苦痛について、一つ合致しないところがある」
「それはいったいどんな」
「吐血だよ。彼女、目撃した少女が部屋で休みたくなるほどの有様だっただろ。間近で見た君だって、あの時はかなり動揺したはずさ。どうやら犯人は納屋にある薬品類ではなく、手持ちのものを使用したのかもしれない」
「それならこれで犯行に使われた手段の絞り込みには成功したな。その……一歩前進だ。さっきまでの時間は犯人の正体を掴む上でも、決して無駄じゃなかった」
 私は隣で捜査を見守る者として、拙いなりにツバキを励まそうとした。だが空回りにも彼はすぐに別のことを考え始めたようだ。
「ところであの子の最後の反応。明らかに動揺していたね? 僕はただ念を押すつもりで尋ねたのだけれど」
「お前の言葉は偶に、本心で言っているつもりなのか怪しく見える時があるからな」
「残念だよ。僕の優しい心が君に見えていないだなんて」
「お前の日々のお喋りをどのように聞けば優しさが感じ取れるんだ?」
「どれも愛情表現の裏返しだよ」
 本当かなあと思いつつ、私は紅葉が動揺した理由を考えてみることにした。和室で道真が殺害された光景を見る前にも、どこか気になることが彼女にあったのだろうか?
「けれどもまあ、今の時点で全てを証言してくれなくたって、気に病む必要はない」
 ツバキは明るく私に向かって微笑んだ。
「彼女から話を聞けるのは、決して今回限りというわけじゃないからね。また夜にでも遊戯室へ赴いて、機会を伺ってみようじゃないか」
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