三日目、その三

文字数 6,486文字

ツバキと廊下へ出ようとトレー片手にドアノブに手を伸ばすと、先にノックの音が響いた。
「宮田です。倉庫まで足を運んだついでに、朝食の様子を伺いに参りました」
「ありがとう。ちょうど食べ終えたところだよ」
 すぐさまツバキが扉を開けると、お辞儀をして宮田が室内に入ってきた。昨日と同じ赤いメガネを掛けている。
「ツバキさんもサクマさんも、昨晩はよく眠れましたか?」
「ええ。僕はぐっすり」
「嘘つけ。俺が電話から戻ってきた時、布団に丸まって寒そうにしてたぞ」
「そうだったかな? 記憶にないね」
「空調の温度を上げてやったから覚えてる」
「それはどうも」
 そんなやり取りを繰り広げたせいか、くすりと宮田が笑った。「お元気そうで何よりです」
「宮田さんこそ、その……大丈夫でしたか。昨晩あんなことがあったので」
「ええ。それはとても驚きましたけど……でも、大量の雑事や奥様からの頼まれごとに追われているうち、部屋に戻ったらすぐに寝入ってしまって」
「失礼ですが、芳恵夫人からの頼まれごととは?」
「お葬式の手配です。元々道真さんだけの予定でしたので、一緒に彩史さんも弔うことになりまして……。昨晩、住職様とお決めになったそうです。今日もいろいろと街の人に連絡をしたりするそうですよ」
 これほど気の滅入る予定変更というものはないだろう。複雑な思いはあるものの、度重なる不幸に見舞われる宍戸家に対して私が憐れみを抱いたのは確かだった。
「そうですか」とツバキも静かにこれを受け止めると、次いで他の皆の様子を宮田に尋ねた。
「今日もいろいろと事件について確認したいことがありまして。……静かな雰囲気を察するに、まだ休んでいるのかな」
「殆どの方は既に屋敷を出て行かれましたよ。……先々日から不穏な出来事が度々起こっておりますから、あまりここにいたくないという思いもあるのかもしれません。忙しくしていらっしゃる奥様はともかく、政景様はまだお部屋にいらっしゃるようですけど」
「サクマ君、今何時だい」
 腕時計を見て確かめる。「九時二十分だな。俺達はこれからどうする」
「ひとまず部屋にいる政景さんを訪ねてみようか。どうせ芳恵夫人はしばらく無理だろうしね。真っ先に僕達が確認しなければならないのは、「彩史さんがいつ殺されたのか」。皆のアリバイ調査も含めてね。……それか」
「それか?」
「もしすぐに皆に会えない場合は、まだ入ったことのない部屋を見に行ってもいい。二階の倉庫とかね。何度か話題には上がっていたけれども、昨日はそれどころじゃなかったから」
 ツバキはそのように付け足すと使用人に尋ねた。「宮田さんの部屋の向かいにあるんですよね。今から僕達が調べても差し支えはありませんか」
「え、ええ。構いません」
 突然の申し出に宮田は一瞬戸惑った表情を浮かべたが、すぐに頷いてくれた。
「奥様にも後から報告すれば了承してくださるかと思います。というのも二階の倉庫ですが、おそらくお二人が想像しているものより狭いので。押し入れよりひと回り大きいかどうかぐらいのサイズですし、中身も私が日頃使う物しか入っていないので、期待外れだったとがっかりされるかもしれません」
「ちなみにその中に人は隠れられますか」
「人……ですか?」
 宮田は今度は眼鏡の奥の瞳をぱちくりとさせた。無理もない。これまたあまりにも唐突な質問である。
「そうですね。大人が一人入れるかどうか……ぐらいだと思うのですが」
「それなら是非見せてください。事件に使われた物があるかどうか確認するついでに、お願いします」
 そのようにツバキが頼むと宮田は「かしこまりました」と言い、なんとこれから案内してくれることになった。当初部屋に来てくれた目的からかなり離れた展開に私は申し訳なさを感じたが、彼女はそれを見透かしてか、「後片付けはその後でも問題ありませんので」と優しく微笑んでくれた。
 そうして案内されたのは、応接室近くの廊下である。ここで私は「そういえば」と使用人に尋ねた。
「宮田さんの部屋も倉庫も、具体的な部屋の位置を知りませんでした。二階は見た限り応接室に遊戯室、それから図書室と、道真さんの部屋以外は客人用の部屋しかないように思うのですが……」
「初代宍戸浩之介が結婚し、この屋敷を建てた時に細工を施したようなんです。と言っても大層なものではございません。この突き当たりの廊下の壁が……」
 そう言って彼女は応接室から斜めに向かった壁面を、いとも簡単に横へスライドさせた。
「使用人専用の部屋一帯との境目を担っているんです」
「壁に見せかけた扉だったということですか⁉︎ 全く気付きませんでした」
 驚きの声を上げて私は、再び締められた扉を宮田がしたのと同様に開けようとした。手元に取手代わりとなる窪みがあったのでそこに手を掛けたが、まるでびくともしない。
「……宮田さんって、見た目と違って私よりも力があったんですね」
「違いますよサクマさん! 私が馬鹿力なんじゃなくて、開け方にコツがあるんです! 柳さんと同じような揶揄い方をしないで下さい!」
 宮田は顔を赤くしたので私は慌てた。誤解だ。素直な感想としてそのように思ってしまったのだと訂正すると、宮田はすぐに「失礼しました……」と恥ずかしがって反対に謝ってきた。謝られるほど戸惑ったわけではなかったが、先程の一瞬怒った顔は愛嬌があって可愛かった。
「サクマ、宮田さんの手元を注意深く見てみなよ」
 一方でツバキはその様子を見て微笑みながら、私に促した。
「横にスライドさせる直前に、取手から扉全体へ上方向の力を掛けているんだ。このカモフラージュの扉は他のものとは種類の異なるものなんだよ」
「その通りですツバキさん。さすがです」
 見事に扉を開けるコツを正解したツバキに、宮田は小さく拍手を送った。
「左手にあるのが私の部屋で、その向かいが倉庫です。この仕掛けは客人を屋敷に招くにあたって、使用人達の業務的な動きを見せないために設けられたのではないかと言われています。私が初めて使用人としてここに訪れた時、彩史様からそのように伺いました」
 そして宮田の手で倉庫の扉が開かれた時、すかさずツバキは中の様子を確認した。広さは本当に先程彼女が言っていた言葉通りで、倉庫というよりも大人が足を伸ばして寝られるかどうかの押入れに近い。収納されていたものもゴミ袋や何種類ものモップに懐中電灯、非常用の食料や水にティッシュボックス、トイレットペーパー。それにいつか再利用する目的があるのか、リボンの束まで袋に詰められて仕舞われている。生活に身近なものばかりで、事件に関係するものはあまりないようだった。庭の納屋にあったものと同じ殺虫剤や虫除けスプレーも何本か置かれていたが、中身も全く同じようである。
 一方でツバキは「なるほど」と呟きながら、倉庫の中をしきりにぐるりと見渡していた。
「ふむ……ここにいた形跡はないか」
「何を探しているんだよ?」
「ああ、サクマ君にもまだ言っていなかったか。昨夜のあの祭りの最中にね、僕は不思議な歌を聞いたんだよ」
 そう言って彼が口ずさんだのは、私も聞いたことがある歌詞だった。昨日紅葉が遊戯室で、菊乃のピアノに合わせて楽しそうに歌っていた歌だ。

 かわい子ちゃんかわい子ちゃん
 お顔の綺麗なかわい子ちゃん
 赤い輪の中にさあおいで

 よきよき子 生むために
 御国のために売られてく
 ぶすのお花はお断り

 よござんしょよござんしょ
 洋梨一粒一人きり
 蓋してポイしてまた明日
 
「ぶすの花や洋梨という言葉は、なかなかのセンスだと思うけどね」
 ツバキは口の端を歪ませて笑う。一方で歌詞を一通り聞き終えた私は、自分が奇祭の中で聴いたものは別の歌だったとも指摘した。
「商店街の近くでお前も一緒に聴いただろ。変な服を着た大人の集団が主に歌っていたんだ」
「僕が聴いたのは、子どもの声が多かったね。どうやらこの二つの歌は、街の中でも有名な方なのかな」
「それで? その歌が今お前が探しているものと関係があるのか?」
「大有りだよ。これまでのことを考えるとね、今僕が見つけ出そうとしているのはきっと、人だと思うんだ」
「人?」
 その言葉にぎょっとしつつ、私は幾つかのことを思い出した。一日目の夜に柳暁郎が私達を田上医院へ送った後に人影を見たと言っていたこと。二日目に私達が初めて塔を訪れた時、私と秋津紗夜が入り口の小さな覗き窓越しに耳にした声。
 そしてもう一つは……先代当主宍戸浩之介が生死不明である、ということ。
「まさかお前……宍戸浩之介がまだ何処かで生きているとか言うんじゃないだろうな⁉︎」
「全く有り得ないことじゃないさ。この街の何処かから探偵助手ではなく、初代当主が見つかる可能性は充分にある。他の可能性も勿論、視野に入れてはいるけどね」
「もしも宍戸浩之介が見つかったとして……二十年も家族に見つかることなく、姿を眩ませていたというのか⁉︎」
「自発的に姿を消すのは不可能だろうけど、協力者がいたとするなら簡単なことだよ」
 協力者、先程も聞いた言葉だ。
「もしかしてそれは、芳恵さんや彩史さんのことを指しているのか?」
「さあ? そればかりは本人を問い質してみないことには始まらないよ。芳恵さんは今何を言っても簡単に口を割らないだろうし、彩史さんはもうこの世にはいないから。……宮田さん、ありがとうございました。倉庫はもう結構です」
「そうですか? かしこまりました」
 ずっと後ろで私達が調べる様子を見守ってくれた宮田は、にこりと微笑んでお辞儀を返した。
「ちなみにですが宮田さん。この後のご予定をお伺いしても構いませんか」
「特にはございませんが……奥様から手伝いを頼まれるでしょうし、近くに控えていようと思います。きっと奥様、今朝から機嫌が良くないかと思われますので」
 どんな状況でも使用人として主人に尽くす姿勢は変わらないようだ。ある意味仕事のプロとしての意識をこの時私は感じた。彼女自身もいろいろと、芳恵に対して疑念を抱くところがあるだろうに。
「ではそれまでの間、少しのお時間だけで構いません。あなたの昨日の行動について、僕達に教えてはくれませんか?」
「はい。ただ思い出しながらの説明になるので、所々分かりにくい部分もあるかもしれませんが……」
 そしてそのまま三日目の聞き込みが始まった。宮田が早朝の出来事から話し始めるまでの間、ツバキは小声で私に注意を促した。
「サクマ、ここからは本格的に犯人が誰なのか思考していかなければならない。これまで抱いてきた相手への印象はひとまず脇に置いて、容疑者がこの中にいるのかそうでないのか見定めていくんだ。分かったね?」

「……朝にホールで皆様と集まった以降のことをお話しすればいいんですよね? ツバキさん達とホールで少し話をして、ワイングラスを確認していただいたのは覚えておられるかと思います。あの後は柳さんに足りない分の夕食の材料のお買い物をお願いしてから、早速当主の部屋に向かいました。ご用のある時に傍にいないと、怒られてしまうことが今まで多々ありましたから」
「それからは芳恵さんの手伝いを?」
「いいえサクマさん。それがそうはいかなかったんです」
 倉庫の様子を見たそのままの立ち位置で、宮田は私達の問いかけに滑らかに答えてくれた。屋敷の仕掛け上、他の誰かがこの場所を訪れることは滅多とないから、却って私達には都合が良かった。
 それは当主の部屋の前にて、使用人が待機していた時だったという。
「もしかしたら別の部屋にいらっしゃるのではと思って扉に耳を澄ましてみたら、大きな声が響いたんです。それも怒鳴り声が。真剣に声を判別しようとしたら、中で口論になっていたのは奥様と彩史様でした」
「そのお話の内容を聞き取ることはできましたか?」
「途切れ途切れに「道真が殺された動機」ですとか、「魔女の復讐」といった言葉がはっきり聞こえました。それも彩史様の声で。街の方々に正式な連絡を入れる前でしたので、家としての見解が上手くまとめられていなかったのかもしれません」
「「魔女への復讐」ではなく、「魔女の復讐」か……」
 ツバキはそのように呟いてから言った。
「全てのやり取りを把握してから本来は推測すべきなのだけれど、やはり注目してしまうね。赤木道真が殺されたことに、まるで魔女が関わっていると考えているような言い分だ」
「「魔女への復讐」なら紫帆が倒れたことに対する企みがあったのかとも考えられるけど……」
 元より魔女との関係が険悪だったために、彼女が赤し国にいることを知った時、一族の誰かが悪事を働いたと考えるのは決して不自然ではないだろう。「魔女の復讐」という言葉が彩史の口から出ていたと言うことは、今は亡き彼は魔女が倒れた出来事を「宍戸家の誰かがやったこと」と考えていたことになる。
「それに対して芳恵夫人は反対の意見、もしくは彼の心情に寄り添うことのない言葉を言った。そうでなければわざわざ家族が殺された翌日に、姉弟で口喧嘩になんてならないだろうしね」
「それなら奥様はいったい、どのような考えをお持ちなのでしょう」
「現時点では分からないね。本当に、秘密のヴェールに包まれている」
 そして次に宮田は敷地内の掃除や家事を行なっていたことを説明する際に、例のコンタクトレンズのことも話してくれた。
「正直に言えば、ただコンタクトレンズを落としただけで、あれほどの大事になるとは思ってもいませんでした」
「と言うと、菊乃さん達に探索を手伝ってもらったことですか」
「はい。激しい運動をしたり、走ったりするだけでもごく稀に外れてしまうこともあるじゃないですか。ましてやあの日は色々と非常事態だったのですから仕方ないとも思っていました。「まあいっか」って思っていたんです。どうせそこらへんの塵に紛れて捨てられるだろうって。ところが当主の部屋にて奥様のお手伝いをいる時に眼鏡について言及されてしまって……。正直、生きた心地がしませんでした。どうしてこんな時に限って、私の見た目が気になったんだろうって」
「今となってその理由がお分かりになったことはありますか」
「いいえ全く。神経質になっているんだなと思うことにしました。責められたからってこっちから突っ掛かったら、さらに大目玉を喰らってしまうことになりますから」
 そして私達が和室の前で芳恵と偶然会うまでの間、夕食のためのホールのセッティングをしつつも、やはり主人の顔色を伺っていたと宮田は言う。
「奥様からしてみればやはり、息子である道真様を亡くされたのはかなりショックだったと思うんです。そんな状況ですからやはり私も使用人として、あまり奥様を怒らせるようなことはしたくないなと思いまして……。だから柳さんが遅く買い物から帰ってこられた時は、つい自分まで少し機嫌が悪くなってしまいました。業務上の失態も、できる限り避けたかったので」
 ところがせっかく取り組もうとした努力も、菊乃が屋敷を飛び出した騒動によって無かったことになってしまう。しかし彼女は「でも今となっては、それでよかったです」と納得した様子だった。
「私もどうにも昨日は調子が少し参っていたんだと思います。一旦自分の部屋に休憩に戻った時に思わず仮眠を取ってしまいました。疲れていたんだと思います。結局その後厨房で調理をしようとしたのですが、気分が乗るのにかなりの時間が掛かってしまって……。あ! 今のは奥様には内緒でお願いしますね! というより私! さっきまでかなり奥様方に失礼な発言をしてしまっていたかも……!」
 そう言って慌て出す宮田に、ツバキはすかさず答えた。
「ご安心下さい。僕もサクマも、不必要に他の誰かに話すことはありませんよ」
「普段はうんざりするほどペラペラと喋るくせにな」
「真面目にやれ」と瞬時に彼女に見えない速さで足を蹴られたが、痛みを覚えても私に後悔はない。そして私達は宮田にひとまずの別れを告げてから、次に秋津政景の部屋へと向かった。
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