二日目、その十八

文字数 4,059文字

瞬時に迫り来る吐き気を抑えるのに必死になる。一瞬自殺かと思ったがそうではない。よりによってあの大山彩史が、こんな風に自殺を遂げるなどあるはずがないだろう。
 自殺ではない。殺人だ。それなのに。いや、だからこそなのか?
 自殺という言葉が何故だか頭から離れなかった。突然の光景に頭が混乱しているのか?
 そして再度私の視界に広がる、少女の幻影。
「……!」
 半ばパニックになりながら私は自らの口を覆い、目を逸らしたいはずなのに彩史の遺体を凝視し続けていた。
「……政景さん。紗夜さん達と共に屋敷へ向かってくれませんか」
 背の高い塔の空間で、ツバキのテノールの声がやけに鮮明に響く。感心する程冷静で落ち着いているが、声色には若干の緊張が伴っていた。
「ひとまず宮田さんに連絡を。その間に僕達は現場全体の様子を把握してから、彩史さんを下ろします」
「わ、分かりました……」
 行こう、紗夜。と、政景はツバキの指示に従い、妹に声を掛けた。芳恵以外の女性陣は彩史の死体を目撃してからいっそう寄り添い合い、入り口近くに固まっていた。紅葉が目をぎゅっと閉じたまま小さな体を小刻みに震わせる一方で、菊乃は視線を虚空に漂わせ、呆然としたままだ。
 紗夜は「ええ……」と何度も頷いた。そして政景に付き添われながら、女性陣は何も言わずに塔を出て行った。余程ショックだったのだろう。
「酷い有様だなこれは。道真君の時の比じゃないぜ」
 ため息をつきながらも、柳は数歩進んで逆さ吊りの死体に近付いた。顔面の様子について言っているのだろう。鈍器で殴られたのか、裂傷の他にも擦れたような痕も見受けられる。血塗れではあるが、単純な刃物が凶器ではないことだけは素人目でも判断できた。
 するとツバキがいつの間にか、彩史ではなく私の顔を覗き込むように近くまで迫っていた。それまでどこか他人事のように目の前の状況を眺めていた私は、思わずぎょっとする。
「サクマ」
「え? ああ……。……どうかしたか?」
「……」
 ツバキは訝しみながら私の様子を伺っている。いつになく真剣で険しい表情を浮かべていた。まるで全てを見透かされそうで、何故だかそれを恐れた私は、すぐさま彼の両目から視線を逸らしてしまう。
「な、何だよ。急に俺の顔をじっと見つめて」
「落ち着いたら君も外へ出るんだ。また顔色が悪い」
「あ、ああ。分かったよ……」
 なんだそれだけかと安心しつつも、ツバキは機嫌が悪そうにそっぽを向いた。真相を解き明かす前に新たな事件が起こったことへ怒りを抱いているのか。それかはたまた身動き一つ取ることができず、役に立たない連れの私に苛立っているのかもしれない。いずれにせよ、これ以上彼の邪魔はしないようにしなければ。
 ようやく身動きが取れたところで、私は彩史の遺体から二、三歩後ろへと下がった。塔の内部全体を観察してみようと見渡してから、ふと私は宍戸芳恵の様子に注目した。被害者の実の姉である彼女は、弟の死体を見ても何ら動じてはいなかった。目撃当初は多少驚いた表情を浮かべていたが、私の印象に残ったのはその一瞬だけである。あとはまるで冷徹とも思えるほど事務的に、塔の中を黒の喪服姿で静かに眺めていた。
 とある、たった一つの手記を見つけるまでは。
「ああ! これは……!」
 暗い歴史ある塔の下、芳恵は急に狼狽え始めた。そのあまりに珍しい様子に私だけでなく柳やツバキまでもが目を丸くし、すぐさま彼女の元に近付いていく。
「何か変な物でも……」と柳が声を掛けたが、その彼も芳恵の手から落ちたものを見てすぐに口を閉ざした。すかさずツバキがひょいとそれを拾い上げ、ペラペラと頁をめくった。緑色の表紙のついた、手のひらサイズの手帳だ。
 最後の頁に書かれていたのは、次のとおりだった。
 
 俺はあいつの相棒として、探偵助手として。あいつが殺された理由の全てを追及しなければならない。あれが自殺だとは到底思えなかったし、ましてや事故だなんて以ての外だ。俺は辛うじて生き永らえ、あいつは殺された。旦那が自殺した理由を隠し通すため、宍戸家の奴らによって。……それならば、
 残された命をもって、呪い続けるしかない。あいつらを、この家を、この街を。
 俺は生きる目的を、あいつらに奪われたんだ。
 
「これはいったい……?」
「おそらく十年前のものだよ」
 私の疑問にツバキはすんなりと答えた。
「十年前、芳恵夫人の夫が自殺した出来事があっただろう?「旦那が自殺した」というのは、恐らくそのことさ。住職の話によればその後、屋敷に探偵と助手がやってきたと言っていたね」
「その後ボヤ騒ぎと共に、探偵は亡くなった……」
「確か遊戯室に入る前、俺がサクマ君に教えたんだったな」
 まだ詳細には明らかになっていない、過去の出来事だ。
「僕もだいたいのあらましについては把握している。図書室の書物の中に幾つか記載があったからね。全て鵜呑みにするわけにはいかないかもしれないけれど……これはその探偵助手が記したものだろう。彼は相棒を失った後、宍戸家に復讐を誓いながら赤し国を去って行った」
「待ってくれツバキ! 俺には話が見えてこない。復讐を誓う? そもそもどうしてそんなものが今、この塔の中に残されていたんだ? 十年前の出来事と彩史さんが殺されたこの場所は、関係がないはずだろ?」
「それもひとまずは芳恵夫人に伺うべきだろう。今この場で、かつての彼らのことをよく知っているのは、おそらく彼女だ」
 そして彼は素早く視線を手記から移した。
「芳恵夫人。この手帳は元々、この塔に保管されていたものなのでしょうか。それとも先程彩史さんを死に至らしめた犯人が、何かを意図して置いていったものなのか……。もしも前者であれば芳恵夫人。どうしてかつての探偵助手の手記が、こんな人気のない塔の中にあるのでしょう? あなたや彩史さん、そしてもしかすれば道真さんまでもが協力し、十年前の事実を裏付ける証拠をこの塔に隠したのではありませんか。……僕がこのように尋ねる理由については、既にお分かりですね?」
「私は何も知りません」
「第三者がわざわざ事件とは関係のない事情でこの手帳を置いて行くことなどあり得ない。もしこの手帳を置いたのが犯人であった場合、それでも彼、または彼の関係者は後悔しなかったのでしょう。
 全ては隠された真実を、明るみにするために」
「ツバキ! そんな言い方じゃあまるで……!」
「その十年前の探偵助手が、犯人みたいじゃないか」
 そう言ったのはツバキではなく、私と同様に緊張の表情を浮かべた柳暁郎だった。
「……そう言いたいんだろ? サクマ君」
 私は無言で頷いた。全く意図しないところから不意に登場した「犯人候補」に、私は動揺を隠し切れなかったのだ。
「そうさサクマ。僕は今、その線について考えている。宍戸浩之介が生死不明となってから二年後に起きた事件を巡って、今回の一連の殺人事件は起こったんじゃないかとね。如何ですか芳恵夫人。あなたが驚かれたのも、その可能性に気付かれたからではないのですか」
 再びツバキは当主に答えを求める。芳恵はただひたすらに唇を噛み締め、じっとその場に立っていた。
「十年前、あの宍戸の屋敷で何があったのか。そしてこの探偵助手について教えてくだされば、事件の様相は大きく変わるかもしれません。彼の名前や現在。そして当時のあなた方が果たして何を行ったのか。現時点で一つだけ、この僕でも断言できることがあります。かつてあの屋敷にてあなたの夫や探偵が命を落としたのは、決してただの事故ではない。相棒を失った彼がこのような憎悪を書き留めたほどの何かが、真実としてあるはずです」
 手帳を手にしながら畳み掛けるツバキに対して、しばしの沈黙。だが芳恵はやがて脱力したかのように肩の力を抜くと、ふふっと小さく声を溢し、こちらに微笑みかけた。
「……もういいわ、もう構いません。真相は何もかも分かりました。道真の死も彩史の死も、十年前の彼の「呪い」だとあなたは言うのですね。……いいでしょう」
 それはまるで、これまで溜め込んでいた何かを吐き出すかのような言い方だった。
「ならば客人も魔女の手先であるあなた方にも、もう用はありませんわ。この国から解放して差し上げましょう。土砂崩れのあった出入り口の整備は早急に終わらせますから、後は好きに出て行きなさい。あなた方はもう容疑者ではないのだから」
 けれど、と芳恵は一旦深呼吸を挟んだ。それは同時に長い長い沈黙でもあり、誰もがその静寂の気味の悪さに息を呑む。
「ツバキさん、私は犯人の名前をあなたに告げる気はありません。宍戸と赤し国を心の底から憎んだ彼を、守ってさしあげようと今決めました。十年の時を懸けて、ここまでのことをしてきた努力。あの探偵の代わりに認めましょう。そんなことを言えば彼はきっと、苦虫を噛み潰したような顔をするに違いないわ。そうでしょう?」
 何も言葉を返すことができない崩れた笑み。そして振り返り、弟の無残な姿を視界に入れてから彼女は言い放った。
「この一連の事件は間も無く終わります。……私の死をもって」
 当主の宣言に誰もが絶句した。そしてその最中、煌々と照らされた明かりに導かれ、大山の坊主が一人塔の中へと入ってくる。
「これは……!」
 義弟の憐れな姿に住職は細い目をかっと見開き次いで彼は、異様な様子の芳恵に視線を向けた。
「逆さ吊りの苦しみ……甚だしい苦悩……。これは如何なことか、当主殿」
「如何も何もありません。あなたからしてみれば、儲かる仕事が一つ増えただけでしょう?
 宍戸家はこれから崩壊の一途を辿ります。漁夫の利とはいえ、これであなたの思い通りですわね。大山家としてはさぞ喜ばしい」
 芳恵は親族に対しても容赦なく毒を吐き、そしてすぐに笑い始めた。それは狂った我が身を傷付けるようにも悲しみに暮れるようにも見え、私は鎮痛な思いだけを胸に、立ち尽くすことしかできなかった。
 塔の外は、もはや静寂に包まれている。
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