三日目、その九

文字数 4,508文字

「なあツバキ、追い掛けるのか」
「ああ、もういい加減明らかにしよう。君も今ので分かったんだろう」
「それは……」
 一階に駆け下りてから思わず私は答えに窮した。ツバキの問いかけに対して「分かっている」が半分、「分かっていない」が半分というのが正直なところだ。ただしその「分かっていない」には、「分かりたくない」という思いも少しは含まれている。
 ツバキは一階の廊下を素早く見回してから「外だ」とだけ言って、今度は玄関に向かった。午後を過ぎたばかりの空は暗く、雷鳴が遠くで轟いていた。今度こそは玄関にあった傘を二本分、無断ではあるが借りていく。いち早く目的の場所を目指したかった。
 走っている間、私達は無言だった。何も言葉を交わさなくても、互いに言いたいことが特になかったからでもあったのかもしれない。全ては彼を見つけ出してからだった。
 二人で手分けして捜索することなく、彼は簡単に見つかった。宍戸家の墓地、正しくは十年前に亡くなった探偵の墓の前に、男は一人立っていた。
 懸命に走ってきた私達に目も暮れず、彼は一直線に探偵の墓だけを見つめている。
「やはり此処にいたのですね」
 息を切らしながらツバキが一歩前に出て、真剣な表情で声を掛けた。
「十年前、あなたが知りたかった真実を相方に報告するためにですか。……柳さん」
 柳暁郎は立ち尽くしたまま、ぎょろりと鋭い視線を私達に向けた。二階の廊下の奥の方で、立ち去る彼の着物の裾が辛うじて見えたのだ。男の冷たい様子に私は思わず息を呑む。体が震えそうになったのは、今の彼に恐怖を感じたからだけではない。
「センバ探偵事務所の探偵助手……その正体はあなたですね」
 ツバキは細く真っ直ぐな指で柳を指差した。
「かつて探偵の命を奪われたあなたは、芳恵夫人らを恨みながら赤し国を後にした。しかしそれからは頻繁に街を、そして宍戸家の屋敷を単身訪れるようになった。主な目的は十年前の出来事を現地で調べるため。赤し国の虜になったなどという発言は全て嘘で、真相を探るためにあなたは彼らに関する書物を必死に読み耽った」
「……おいおい、ツバキ君」
 ようやく柳が口を開いた。口調も身のこなしも、いつも通りの彼だ。
「いったい何を言うかと思えば。俺はただ散歩に来ただけだぜ? いつかここに置かれていた花束が濡れてしまうんじゃないかと思って、他人事ながら心配になっただけだ」
「あの花束はあなた自身が一昨日の夜に置いたものです。私達を病院に送り届けた後、あなたはこの場所に立ち寄ってから屋敷に戻った。行きよりも帰りの時間の方が遅かったと言っていた宮田さんの証言はそのためです」
「……案外しつこい男だなあ、君は」
 舌打ちをしてすぐに柳は、「おっと」と狐目を大袈裟に見開いておどけてみせた。
「これは言っちゃいけない発言だったか? 二階の廊下で盗み聞きをしていたことは認めるよ。だが俺は件の探偵助手じゃあない。もしも俺が嘘を付いているって言うなら、証明してみせな。それこそが探偵の流儀ってものだろ?」
「……芳恵夫人からあなたの本当の正体を聞くことはできませんでした。彼女が事実を述べてくれれば、あなたを傷付けてまで僕が推理を述べる必要はなかったんです」
「傷付けるだと? まるで自分が本当に正しいかのような口ぶりだな」
 口を歪ませて柳は不快感を露わにした。こんな彼の姿を見るのは初めてだった。それはむしろ、わざとツバキの発言を挑発として捉えているのではないかと、充分に疑いたくなるほどに。
「事件を防ぐことができず、三人も犠牲者を出しておいて探偵気取りとは笑わせる。本職じゃないって話は昨日に聞いたけどな、せめて君の相棒の目の前で赤っ恥をかかせてやるよ。それこそが唯一、今の俺にできることだ」
 なあサクマ君? と言ってから彼は静かに肩を竦めて、ツバキに説明を始めるよう求めた。それを見てツバキは一つの覚悟を決めたのか、腕を下ろしてからゆっくりと語り始める。
「まずは一日目のあなたの夜の行動から証明しましょう。先程僕が言ったあなたの本来のアリバイには勿論証拠があります。それは駐車場に停められていた、あなたの車の荷物です」
 昨日の今朝方、ツバキと一緒に窓から覗き込んだあの時だと私は悟った。あの後ツバキは柳の一日目のアリバイに対する私の疑いを、きっぱりと否定していた。
「濡れた新聞紙は購入した墓参りようの花を包んでいたため。そしてポリ袋の中に雑草が入っていたのは、探偵の墓の周りに生えていたものを取り除いたからでしょう。後者も昨夜のうちに行ったとまでは言いません。しかしどれも墓参りのために必要なものだ。そうではありませんか? もしも否定をするのであれば教えてください。あの濡れた新聞紙と雑草の入ったポリ袋は、いったい何の目的があって使用したのか」
 これには普段から弁が回る柳も黙り込んだ。他の理由が容易に思い付かないのだろう。「それから?」と彼はツバキに、次の推理を促した。
「これは確実な推測というよりも、ただのあなたに対する疑いの一つに過ぎません。昨日の午後、この場所であなたは、あの時点での僕の推理の状況をかなり気にしていた。あわよくばあなたはあの時、僕から十年前のボヤ騒ぎの真相を探ろうをしていたのではありませんか?」
「それは何とも答えられねえな」と柳は考える素振りを見せた。
「ただあんたの考えが知りたかっただけだ。そんな風に俺が言ってしまえば倒れてしまう主張だろう」
「ええそうですね。僕達が初めて道真さんが殺された和室に入った時、あなたが和室の物音について何処かはぐらかしたような態度をとっていたことも、単なる気分で演じていたと言われてしまえばそれまでだ」
「おいおい、早速もう手詰まりか? もっと持ち前の頭脳を捻って俺を困らせてみろよ。これまで島で起こってきた数々の事件を鮮やかに解いてきたんだ。あんたには簡単なことだろ?」
「そんな風に相方だった探偵に対しても、あなたは励ましの言葉を掛けていたんですか」
「そうだ、なんて言うわけねえだろ。油断も隙もねえな! あんた今、さては俺の失言を誘ったな?」
「まさか。隣の彼にも見習ってほしいと思っただけですよ」
「はっ! どうだか。ツバキ君、君はもっと普段からサクマ君に感謝したほうがいいぜ? 君も素直じゃないだけで。本心では分かっているはずだ」
「さて、何の話をしているのやら」
 ツバキは訳が分からないといった様子で肩を竦めた。互いに交戦状態であることは見るも明らかだ。再び響き渡る雷鳴が、二人の論争にさらに拍車を掛けていく。
「続けましょう、次は図書室です。僕達が大山の住職から話を伺った後、あなたは本を返しに来たと言って中に入ってきましたね?」
「ああ、それは間違いない。まさかそれも俺が盗み聞きをしていたと言いたいのか?」
「いいえ。僕が指摘したいのは、あなたの姿を目にした時の住職の態度です」
 口元に手を当てて、ツバキは続けて言った。
「あの時「何とも哀れなことよ」と彼は言葉を漏らした。ただ本を返しに来ただけで普通、そのように他人から評されることがあるでしょうか?
 ましてや住職は十年前の真相を知っている。何なら探偵の死についても芳恵夫人達に協力し、明らかにすべき事実を敢えて見逃していた。僧侶として、そして本来は神の子の一族として、あなたに多大な罪悪感があったからこそ、彼はあのように言ったのではありませんか」
「そればかりは俺自身のことじゃないから、住職殿本人に聞いてみなきゃどうしようもないな。そういえばあの人の昨日のアリバイは聞けたのか?」
 黙り込んでからすぐに柳は言う。しかし「あなたへの追及の方が先です」と、容赦なくツバキは切り捨てた。
「塔にて彩史さんの死体を見つけ、そして手帳が見つかった時、あなたは真っ先にそれを拾い上げようとはしなかった。探偵助手の仕業ではないかという僕の予想に、最も早く気付いたのもあなたでしたね。あの時は珍しく緊張もされていた。過去の自分の手帳によって、事件の犯人である疑いを掛けられるのを恐れたからではありませんか?」
「その点ははっきりと否定できるな。俺はこれまでずっと芳恵さん達の近くで、この街の歴史について詳細に調べてきたんだ。「まさかこんなところから真相が分かるなんて」と驚いていたんだよ」
「それにしては先程浴場の更衣室で、僕達がずっと持っていた手帳や探偵助手その人について、何も尋ねてきませんでしたね。これまでずっと独自の研究を行っていたのでしょう? どうしてあの時、あなたは事件から一線引いた態度を取っていたのですか」
「それは手記の内容を、本当は誰よりも分かっていたからだ」とツバキは畳み掛ける。「だってあなたそれを記した張本人なのだから。他人から受けた被害というものは、加害者は既に平気で忘れていても、被害者の心には一生の傷となって残っていく」
「くっ……!」
 初めてここで柳が唸り声のようなものを漏らした。古傷を抉られたからか、彼は両手の拳を握りしめ、キッとツバキを正面から睨みつけている。
「……もう、認めてはくれませんか」
 探偵の墓が見守るなか、ツバキは悲痛な表情を浮かべて言った。
「部屋を荒らされた際、あなたが唯一助手による犯行を否定したのも、本人として絶対の確信があったからでしょう?」
「同情が生んだ妄想で説得に掛かるのは感心しないな。あれは俺の気が動転していただけだ。だいたいおかしいと思いなよ。もしも俺が探偵助手だったとして、わざわざ敵の傍で過去のことを調べるなんて有り得ないだろ?」
「だったら最後に、僕だけが知っていることをお話ししなければなりません」
 ツバキは大きく息を吐いた後に続けた。
「一日目の深夜のことを覚えておられますか」
「え?」と声を漏らしたのは私だった。「君も勿論知らないことだよ」とツバキは言う。「初めて今ここで、僕が証言することなんだから」
「風呂場で偶然鉢合わせた時か」と柳が答えた。
「あの時は仰天したぜ。あんた、体を縫った跡があちこちにあったんだから。それもまるで元はバラバラだったみたいに。その時がどうしたんだ」
「あの時驚いたのは、あなただけではなく僕もでしたよ」
 灰色の瞳が、静かに目の前の男の全体を捉える。
「あなたが髪を洗っていた時、僕には一瞬だけ見えました。殴られて切れたような後頭部の傷跡。あれこそ十年前に図書室で被害に遭った傷でしょう? そうでないと言い張るのならば、いつ何処で負った怪我なのか教えて頂きたい」
 それが最後の一撃であるかのように、柳ははっと唾を飲み込んだ。そして彼は言う。
「……こりゃ参ったな。俺はいつもあの時間に利用するようにしていたのに。まさか似たような理由で君が来るとは、思いもしなかったんだ」
 緊張していた彼の肩の力が抜けたのは、私の目から見ても明らかだった。
「柳さん」
「俺の負けだ、二人とも。白状するよ。こういう時は素直に認めたほうがいいんだ。経験上分かってる」
 そして男は、改めて自らの名前を名乗った。
「俺は柳暁郎。元は探偵助手で、相棒亡き今は仕事のない探偵だ」
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