四日目、その三

文字数 3,448文字

赤木道真の部屋は、私が予想していたよりもさらに殺風景なものだった。
 部屋の構造は二階に並ぶ私達のものとも同じ。廊下の一番奥の部屋に入る直前、私達は隣の政景の扉をノックし、「これから道真の部屋を調べるので、煩くしてしまったら申し訳ない」と声を掛けたのだが、「いいですよ」と政景の穏やかな了承も無駄だったほどに、その部屋には最低限の荷物しか置かれていなかった。
「そういえば道真さんも菊乃さんも普段は街の外で一人暮らしをしていて、偶に実家であるこの屋敷に帰るようなことを、彩史さんが話していたっけ……」
「同じ兄妹である菊乃さんの部屋と比較すると、違和感があるね。彼女の部屋は菊乃さんが一人暮らしを始めた後も残されていたというのに、彼の部屋は既になくて僕達と同じ客室を利用していた。単純に兄より妹の方がまだ一人暮らしを始めてから期間が短いから部屋が残っていた、という風に考えてもいいものかどうか」
「キャリーケースの中も、至って最低限の生活必需品しか入っていないようだな。ケース自体はやけに頑丈なのを使っているけど、財布とか時計は高級品ってわけでもなさそうだ。あとは衣服にタオル類と、あとこれは……? ツバキ。道真さんには悪いが、もしかすれば日記かもしれない」
「どれどれ……残念ながら家計簿だなこれは。日々の収入と支出が仔細に記されている……」
 ツバキが不思議そうに呟きながらノートの頁をペラペラと捲るので、隣から私も覗き込んでみた。確かに記録も毎日怠けることなく、どんなに小さなものもレシートや領収証を几帳面に残していたようだ。
「確約された未来があったからこそ、今後の当主生活のための資産運営を練習していたのかねえ。これだけでは彼の意図がよく読めないな」
「だけど真面目にお金の流れを管理していたのは偉いな。ゆくゆくは宍戸家当主として大金を手に入れるはずだったっていうのに。……いや、正しくは赤し国の当主と言ったところか。大山家に資産を奪い取られないように、芳恵さんの決定で苗字が変わったんだもんな」
 そう言ってから私は一人疑問に思うことがあった。初めて遊戯室に入った時に彼は彩史から「身を固めろよ」と言われていたが、果たしてその必要はあったのだろうか、と。母親である芳恵の跡を引き継げば、たとえ定職に就いていなかったとしても、どうとでもなったことだろう。いや、それともあの話は当主になるならない以前の問題で、社会人としての経験を積めという意味だったのだろうか。
 いずれにせよ赤木道真は果たして常々どんな心境を抱いていたのか。
「……もしかしたら芳恵夫人は、道真君へと当主の継承を終えた後に彼の養子縁組を解消させるつもりだったのかもしれないね」
「え?」
「最初にホールで乾杯があっただろ? その時の彼女の言葉を思い出したのさ。「いつかは正真正銘、この宍戸の名こそが、文字通りの「主」として認められる日が来る」。……赤木一族と宍戸家は主従関係から後に協力関係へと変化していったけれど、何より元は血の繋がりもなかった他人同士。芳恵夫人のこの言葉は、もしかすれば宍戸家が赤木一族から独立し、完全な君主として赤し国の頂点に立つことを望んでいたのかもしれない、とね」
 今は亡き当主の姿を振り返ってみる。確かに彼女は街の歴史そのものよりも、先代当主であり父でもあった宍戸浩之介のことを強く思い、赤木一族そのものについて私達に語ることは少なかったように思う。ツバキの考えは決して的外れではなく、むしろ中心を射ているように感じられた。
 そしてここで彼は何故だか深く考え込んだ。突然の変化に「どうした」と私は尋ねる。
「いや、何でもない。と、思うのだけれど……」
 こちらがむず痒くなるほど、珍しく歯切れが悪かった。再度「どうしたんだよ」と私は声を掛けた。
「何か大事なことを僕達は忘れているような気がするんだ。これまで散々、僕達は「神の子」の一族や十年前の探偵助手のことなど、赤木一族や宍戸家を恨む人々について把握してきたつもりだけど……。本当に、これだけなのだろうか」
「え?」
「何かもっと他に、見逃していることがあるんじゃないのか?」
 そんなタイミングで突然、私の携帯電話が着信音を鳴らした。驚き慌ててシャツの胸ポケットから取り出せば、相手は魔女こと堂島紫帆である。もはや分かりきった通話相手に対し、私は「もしもし」と応答した。
「あ、もしもしサクマ? 元気にしてる?」
「たった今心臓が止まりそうになったが、大丈夫だ」
「ええ〜、何だかサクマが言うと冗談に聞こえない。君さあ、もっと冗談を冗談っぽく言えるように努力した方がいいと思うよ。ツバキを見習ってさ」
「こいつはいつも冗談みたいな口調だから、真似すればいつか信用を失うだろ」
 すかさず長く綺麗な足から勢いある蹴りが飛んできたが、今日は回避することに成功した。彼の腐れ縁として成長した証拠だ。
「ところで、何か大事な用があるから俺の携帯に掛けてきたんだよな。ツバキに代わろうか?」
「ううん、別にどっちでもいいよ。隣で聞いていてくれれば大丈夫だから」
 言われて私はツバキに手招きし、近くに来るように促した。何とも言えない表情を浮かべてから、ツバキは渋々と携帯を持った私の耳元に近付いてくる。
「そういえば、お前はもう大丈夫なのか? 前はかなりその、沈んでいたけど……」
「うん、もう大丈夫。何ともないよ。それも含めてまずは一つ。二人とも、この街の出入り口の開通が早くても二日後なのは耳にしてる?」
 ああ、と私が代表して答えた。
「じゃあ話が早いね。私、その日までにはどうにか新しい車を手配できそうだから。合流してこの街を出て行こう」
「いいのか⁉︎ だってお前、体のことがあるし、それに放火のことも……」
 まだ解決していないと言い掛けて私は黙った。ツバキの灰色の瞳が何かを訴えていたからだ。その正体は私には掴めなかったが、紫帆にはそんなこちらの状況を分かる筈もなく「いいんだよ」と温かな声で答えた。
「そもそもは私達、別の事件を解いた帰り道だったでしょう? まずは自分達のことが最優先だよ。体調はもう大丈夫だし、魔女だから車の手配も宍戸家の奴らに知られることなくこっそりとできたし。さすが島を統べる魔女は違うってね。ここの街の支配者とは規模が違うんだから」
「そして最後に一つは君達にサプライズニュース」と紫帆は明るく事務的に言った。
「なんと! この堂島紫帆は二人のために、赤木一族と宍戸家の歴史をわざわざ調べてきました! 少しだけだけど」
「それならもう既に、殆どが明らかになっているけどね」
「あ! 今のツバキの声だ。「今更かよ」って雰囲気だったんだけど」
「いやその! 気のせいだよ紫帆。ちょうどさっきまで俺達もそのことで考えていたところなんだ。……あいつの前だからって、意地張るなよ」
 小声で私はツバキを制止させる。
「意地なんかじゃない。もっと早くに教えてくれればよかったんだ」
「何か新しい情報をくれるかもしれないだろ」
「既に分かりきった情報を自慢げに語るだけかもしれない」
 埒が開かないので、私はそのまま紫帆に尋ねることにした。
「……それじゃあ、お前が頑張って調べてくれたのを教えてくれよ。こっちで分かっているものと、合わせたいからさ」
「分かった。あのね……」
 ……全てを話し終えると通話は切れた。街の開通が予定通りなら、次に彼女と話すのも実際に会うのも二日後ということになる。
「……どう思う? 今の話」
 気まずくなりながら、私はツバキに振り返って慎重に尋ねてみた。彼はまるで苦虫を噛み潰したように、私が予想していたよりもさらに酷い表情を浮かべていた。
 そして端的にこう評する。
「大したことでもない上に、最低だな」
 そして彼は「サクマ、次は駐車場に行こう」と言って、さっさと赤木道真の車の鍵を手に部屋を後にしてしまった。「待ってくれよ!」と、慌てて私はその後を追う。
 ツバキのこの言葉には幾つかの意味が込められていた。一つは紫帆が話してくれた赤し国の歴史の内容が私達がこれまで聞いてきたものと殆ど変わらず、役に立つ手掛かりは皆無だったこと。
 そしてもう一つは……。
「赤木一族と宍戸浩之介は本来赤し国を捨てて、六稜島を出て行く予定だったんだけど、いつの間にか「神の子」の土地に戻ってきて侵略を始めた。その理由はね……。
 いろいろと計画を立てるのが面倒くさくなったから。ただそれだけだったらしいよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み