第11話 ニュージャージー

文字数 7,168文字

●11.ニュージャージー
 藤木たちは空港の係員のノックで起こされた。係員が窓越しに英語で何か言っていた。藤木は翻訳アプリをオンにした。
「あなた方、大丈夫ですか。このセスナをあの駐機場の端に移動させてもらいますか。ここだと他の機の出し入れに邪魔になります」
「あ、わかりました。今パイロットを起こしますから」
藤木は、操縦席で寝ているミラーを揺さぶっていた。ミラーは、むにゃむにゃ言いながら目を開けた。
「早い所、頼みます」
係員は立ち去った。
「さて、ニュージャージーのどこにその金持ちはいるのかしら」
「ミラーさん、それよりもまず、セスナをあそこの駐機場に移動させてください」
「わかったわ」
ミラーは目をこすっていた。

 藤木たちはプリンストン駅から郊外列車に乗ってニューアーク・ペン駅で降りた。駅から少し歩いたミリタリーパーク近くのダンキンドーナツで一息入れていた。
「ニュージャージー州で大きな街はニューアークでしょう。だからここに洪さんに関わる何かが見つかると思うがな」
藤木は普通に日本語でミラーに話しかけることに慣れていた。
「金持ちだからアトランティック・シティってこともあるかもしれないわ」
ミラーも翻訳アプリなど忘れているように自分の英語で話していた。
「あそこのカジノにいるってわけか。その線は薄いと思う」
藤木はあっさり否定していた。
「トレントンっていうのもあるみたいだが」
田中はタブレットPCの画面にあるニュージャージー州の地図を見ていた。
「もう少し、ニューアークの街を歩いてみるか」
藤木は、上着を羽織った。

 藤木はダンキンドーナツを出た瞬間、目の前の通りで老夫婦と目が合った。
「すみません…」
藤木の胸のポケットの翻訳アプリが音声を拾っていた。
「はい。なんですか」
「1ドルショップのワンダラーツリーはどこにあるかわかりますか」
老婦人が聞いてきた。胸のスマホなど全く気にしていなかった。
「私は、地元じゃないので、わからないのですが」
「えぇ、すっかり馴染んでいる雰囲気があるのに、お連れの方はアメリカ人でしょう」
老紳士はミラーの方を見ていた。
「あぁ、ちょっと待ってください。タブレットの地図で調べますから」
藤木はそう言ってからスマホのマイクを指で塞いだ。
「田中見てくれよ」
藤木がいうと、田中は面倒くさそうな顔をしている。
「藤木、わからないなら、わからないでいいだろう。あの人たちだってスマホぐらい持ってるだろう」
「いや、聞いてくるところを見ると、アメリカでも年寄りは持ってないだろう。こういう、人との触れ合いが大切なんだよ。頼む見てくれ」
藤木が懇願すると田中はタブレットを開いた。ミラーはどっちでも良いという顔をしていた。

 藤木は、タブレットの地図を見て、1ドルショップを発見した。
「ハンク・アーロン・フィールド近くにあります。この道を横に進んで大きな道に出たら、道なりに進んで、左手にハンク・アーロン・フィールドか右手にマクドナルドが見えたら、そのすぐ近くです」
藤木は、地図を老夫婦に見せながら言っていた。
「これは、どうもご親切に、ありがとうございます」
老夫婦は、安心した顔で歩き出した。
 「藤木、あんなじいさんたちに親切にしたって、洪さんの手がかりは得られないぞ」
「まぁ、いいじゃないか。良いことをすれば、いつか報われるんだ」
「藤木さん、これから我々はどうしますか」
「そうだな、俺らも1ドルショップに行ってみるか。日本の100円ショップの真似だろう。話のネタになる」
藤木が歩き出すと、田中とミラーも付いてきた。

 広い通りに出て、しばらく歩く。50年代かそれ以前に建てられたビルが所々見られる街区であった。ビルの一階部分は新旧いろいろな店が営業していた。
「景気の良い店もあれば、『FOR RENT』の空き店舗もあるし、雑多な所だな」
藤木は、店を見ながら歩いていた。
「ハンク・アーロン・フィールドらしいものは、見た当たらないな」
田中は、通りの先を望んでいた。
「あの老夫婦をどこかで追い越したかしら」
ミラーは、歩いている人を見ていた。
 藤木は空飛ぶ自動車のイラストが描かれているショーウィンドウに目が留まった。
「ミラーさん、この貼り紙を読んでくれない。文字はアプリじゃ、読み取れないから」
「…近々、エアビークル店オープンとあるけど」
「その下に書いてある小さい字は」
「富裕層向けの空飛ぶ車・エアモビリティ5、中間層向け・エアモビリティ4、続々と。H-REFINE社(ホングループ)とあるわ」
「ホン、洪の中国語読みじゃないか。手がかりがあったな」
「藤木、嬉しそうにしているが、あの洪さんとつながりがあるのか」
「ドローン・バイクを扱っていたんだから、間違いないだろう」
「しかし藤木さん、連絡先はどこにも書いてないわ」
「そうか」
藤木は周りを見回していた。
「あそこにリアルエステートって書いてある。ここを扱っている不動産屋だろう」
藤木は歩き出した。

 古い造りで天井が高いビルの一階にある不動産屋に入った藤木たち。
「それで、あそこに出店予定のH-REFINE社の連絡先はわかりますか」
「あなた方は何者ですか」
「H-REFINE社のCEOの洪さんの親戚なんですが」
「CEOとは言ってなかったが…、あなた方は確かに東洋系ですね」
不動産屋の主は藤木と田中を見ていた。
「西海岸からわざわざ訪ねて来たんですが、住所を聞き忘れてしまって」
「なんで契約者の名前を知っているのですか」
「親戚ですから。身内なら個人情報の流出なんて気にしなくて良いんじゃないですか」
「…わかりました。契約者の住所はこちらになります」
不動産屋の主は、住所控のファイルのページを捲り、藤木たちに見せていた。
「あら、高級住宅地のアルパインじゃないの。金持ちということは間違いなさそうね」
ミラーの英語が日本語にもなっているので、首を傾げる不動産屋の主。
「どうも、ありがとうございます」
藤木は、意気揚々と店を出た。
 「田中、老夫婦に道を教えたことをきっかけに、洪さんの居場所がわかったぞ。親切にするものだな」
「そうだな。俺も親切を心がけるよ」
「そんな気は、さらさらないんだろう」
「少しはある」
「そうと決まったら、レンタカーを借りてアルパインに行きましょうよ」
「ミラーさん、その前に1ドルショップは立ち寄りましょう。もうすぐのはずだから」
藤木が言うとミラーは両手の平を上に向けて、仕方ないといった表情をしていた。

 藤木たちが乗ったレンタカーは、ニュージャージー州北部の高級住宅地アルパインのアリソンロードをゆっくりと走っていた。
「さすがに邸宅ばかりだな」
運転しながら家々を見ている藤木。
「日本みたいな表札は、ないよな」
田中は現在位置をタブレットの地図で見ていた。
「あ、その次の家が洪の邸宅の住所になるぞ」
田中は助手席の窓から身を乗り出していた。後部座席のミラーは、ヘッドホンでラップを聞いていた。

 洪の邸宅の前に車を停めていた。
「藤木さん、私のスマホに自動翻訳アプリを入れてくれたのよね」
ミラーはヘッドホンはずすと開口一番言っていた。
「もちろん。中国語・英語バージョンと日本語・英語バージョンを入れておいた」
「メモリーの大きい最新のスマホだから、アラビア語も入りそうね」
「残念ながらまだアラビア語には対応してないけど」
藤木は声が小さくなっていた。
「藤木、俺のスマホは古過ぎるのか、日本語・英語バージョンも無理だぞ」
「だから、最新のに買い替えろよ」
「とりあえず、沢尻コミュ研のタブレットで代用するよ」
田中は大事そうにタブレットを小脇に抱えていた。
 敷地には何カ所か木立があり、青々として芝生が敷き詰められていた。ヨーロッパの城風の造りの邸宅がアプローチの先に建っていた。特に門などはないが、木立の間から覗く監視カメラが動いていた。
 「このまま、敷地の中に車で入って良いものかな。呼び鈴とかインターホンはないのか」
藤木は監視カメラの前をうろついていた。
木立の影にあった邸宅とは別の建物から警備員らしき人が出てきた。
「ここは観光地ではないので、立ち去ってください」
「あのー、洪成さんを訪ねてきた藤木という者です。お取次ぎ願えませんか」
藤木の胸のポケットから英語が聞えてくるので、警備員は珍しそうに見ていた。
「ちょっと待ってください。在宅かどうか確認を取ります」
警備員は、ヘッドセットのマイクで問い合わせを始めていた。
 ミラーは自分のスマホのアプリをオンにしていた。数十秒後、警備員は緊張していた顔を緩めた。
「OKです。このまま車寄せまで車で行ってください」 

 邸宅の大広間は、大きな陶器の壺や西洋アンティークな家具が立ち並んでいた。洪は藤木たちの姿を見ると、嬉しそうにハグしてきた。一緒にいるミラーにもハグしていた。
「いゃ、よくここにいることがわかったな。中国の官憲でなくて良かった」
洪は平然と中国語で喋っていた。
「サクッと調べたらわかりました。とにかく洪さん、久しぶりです」
藤木は笑みを見せていた。 
「反逆罪だの民主化運動に参加しているだの、いろいろと言われてアメリカに拠点を移したのです。藤木さんのことは、処刑されたか無期懲役になったかと思ってたよ」
「カネで解決したようなものですが、何とか無事に中国から出られました」
「あのー、洪さん。王若渓さんはどうしてますか」
田中が切羽詰まったように言い出した。
「王は、カナダで自由中国運動に専念していて、ドローン会社の方は休職中です」
「カナダですか」
「落ち着いたら連絡すると言ってたが、どうなることやら」
「あの、こちらに居るミラーさんは…」
藤木が言いかけた。
「それで今日ここに来たのは、それなりの理由がありそうだが」 
洪はミラーの方をじっくりとみていた。
 ミラーは、祖父のことや月の資源のことを英語で説明し始めた彼女の言葉は、スマホが中国語に同時通訳していた。かなり長く、月資源の掘削や所有権があいまいな段階にあることを説明していた。
 「それで、宇宙船や掘削機、現場生成用の機器が必要なので、投資してくれる企業や大富豪を探しています」
ミラーは一息入れた。
「なるほど。私は英語のままでも良いが、せっかくだからこのままアプリを使ってください」
「洪さん、アプリの訳で、しっくりいかない所があったら教えてください。バージョンアップの時に役立ちますから」
藤木が言うと、その場が少し和んだ。
 「ミラーさんの壮大な計画には賛同しますが、それを実現するには、ざっと3兆円はかかるし5年ぐらいは必要です。1社じゃ無理だから1兆円が投資できる企業3つぐらいでやってみないと」
「1社でもできないことはないと思います」
「我々洪グループとして1兆2000円億円がマックスですな」
「しかしお宅のH-REFINE社では、富裕層向けのエアモビリティ5を売るので…」
「爆発的に売り上げが伸びれば別ですがね」
「沢尻コミュ研の自動翻訳アプリも爆発的に売れれば、1兆円ぐらい投資もできますよ。ミラーさん」
藤木はドーン胸を叩こうかと思ったが、途中で止めていた。ミラーは日本語版に切り替えていなかったので、藤木の日本語はわからなかった。
「それにしても、もう1社が必要です。我々と行動を共にしてくれる企業が」
洪は腕組をしていた。
「IT巨人企業という手もあります」
ミラーは少し声のトーンを落としていた。
「既存のIT巨人企業に頼み込めば、金銭面ではなんとかなっても、うま味は全部持っていかれるでしょう」
洪は田中のタブレッPCを見つめていた。
「イノベーションを起こすのなら、我々で何とかしなければならないのですか」
藤木が言うと洪もミラーもうなずいていた。
「それじゃ、この私がもう1社見つけてきます。ドーンと任せてください。見つけ出した頃には、エアモビリティも自動翻訳アプリもバカ売れしているはずですから」
「藤木さんなら、何とかなるか。とにかく進展があったらまた連絡をくれますか」
洪の渋い顔は、いくぶん和らいだ。

 藤木達が邸宅の車寄せの所に出てくると、目の前にレンタカーが置いてあった。
「ここまで来たら、帰りはタイムズスクエアの宝くじ売り場で宝くじを買って行きましょう」
ミラーは後部座席のドアの前で言っていた。
「タイムズスクエアの宝くじ売り場って西銀座売り場みたいなものなのか」
藤木はポカンとしていた。
「東京のことはよくわからないけど、メガ当たりが多いのはタイムズスクエアってことになってるから」
「ニューヨークに行くとなると、車の数が多くなるだろ。運転はミラーさん頼むよ」
藤木は運転席のドアの前から後ろに行こうとした。
「ここまで来るのに問題なかったのに」
「右側通行に慣れてないから、混み出したりすると上手くできそうにないんだ」
「わかったわ」
ミラーは運転席の方に回った。
「前向きな藤木にしちゃ、珍しいな」
「外国で事故ると面倒だからな」
藤木は後部座席に乗った。

 藤木たちは、ハンドソン川の橋を渡り、マンハッタンに入った。日が暮れてテールライトやヘッドライトが通りを流れていた。車があふれかえっている上に、歩行者用の信号を無視して渡ろうとする歩行者が多かった。
「こんなところを運転しなくて良かったよ」
藤木は後部座席の窓から外を眺めていた。
「ミラーさん、次々の信号を左折して少し行くとレンタカー屋があるはずです」
助手席の田中はタブレットの地図を見ていた。ミラーの胸ポケットのスマホが田中の日本語を英語にしていた。
「車はレンタカー屋の支店に返さないと、高い駐車代を払わなきゃならないから」
前の車が急ブレーキを踏んでいたが、ミラーはやすやす隣の車線に車を滑り込ませていた。
「ミラーさんはここからの帰りは」
藤木が後ろから声を掛ける。
「郊外電車の方が早し便利よ」
「どこでも都市部は電車か」
藤木は込み合う通りを見ていた。

 タイムズスクエアは、相変わらず人でごった返していた。街頭ビジョンには、インドの家電メーカーのCMが流れていた。
「こっちよ。スターバックスの奥に宝くじ売り場があるから」
ミラーは、すたすたと歩いていた。藤木と田中は、人ごみの間をすり抜けていた。
「あの店のアイスが上手そうだな」
田中がアイスを売っているチェーン店を発見していた。 
「ミラーさん、我々は、あそこでアイスを食べて待ってるよ」
藤木もアイスが食べたい気分であった。先を歩いていたミラーはわかったと首を縦に振っていた。
「このアプリの音声認識には指向性があるんだな。こんなに周りに人がいるのに、俺の言葉がミラーさんに届いている」
藤木は、スマホを胸のポケットから取り出して、しげしげと見ていた。

 藤木と田中は、店先に立ってアイスを食べていた。藤木は街頭ビジョンの音声にスマホのマイクを向けていた。
「さすがにこれは訳せないんじゃないか」
田中は懐疑的な顔をしていた。
「うまく同調できないのかな」
藤木はぺろりとアイスを舐めていた。
『今週のナンバーワンは最高にクールなこの曲。"4U FAKE WORLD"です。「社会派気取りの世論調査の数字はFAKE♪、真実ゆがめるニュースはFAKE♪~」』
スマホが自動翻訳していた。
「おいこのMV、ゾンビが…、藤木、お前がいるぞ」
「田中、お前もいるじゃないか。あの時、撮ったMVか」
「そうだよ。全米トップ1だってさ」
『シーンが変わると、藤木があげたスマホを持っているSPOウィリアムスが、裏路地でスペイン語を喋るゾンビと遭遇し、睨み合い襲われそうになる。ところがスマホがアップになり、スマホをかざして英語で喋ると同時に流暢なスペイン語になった。ゾンビは驚き、急に仲良くなって一緒に踊り出しラップをハモる』
「スマホの側面に『SICI』のロゴを入れておいて良かったよ。宣伝になるぞ」
藤木は手にしていたアイスが溶けて手を濡らしているのを気にしていなかった。
『MVのバックコーラスでは「フジキさーん、クールパワー、アリガット」と流れ続けている』
「こっちがありがとうじゃないか」
藤木はミラーがこっちに向かって歩いて来るのに気付いていなかった。
「タダでスマホをあげて見るもんだな」
田中は感心していた。
「俺は、これを狙っていた、なんてな」
「あら、藤木さん、随分とご機嫌ね」
「これ聞えてる。SPOの新曲」
「赤丸急上昇の…"4U FAKE WORLD"でしょう。あ、これに出てたのね」
「最高にクールだよ」
藤木が言うとミラーも嬉しそうにしていた。
「イェーェ」
田中はミラーにハイタッチしていた。
 藤木たちは、街頭ビジョンでMVが終わるまで聞いていた。
「それで、宝くじ買えました」
藤木は、手のアイスクリームを拭いていた。
「買ったわ、これで200億円は手にしたも同然よ」
「それは結構なことだ。ニューヨークで豪勢に夜景が見えるホテルでも泊まりますか」
藤木は勢いで言っていた。
「その必要はないわ。ニューブランズウィックの親戚の家に泊まれるから」
「それって、どこ」
田中が唐突に言った。
「ニューヨークから見るとプリンストンのちょっと手前になるかしら」
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