第1話資金2万円

文字数 1,738文字

●1.資金2万円
固定受話器を手にして周囲を見回す藤木。
「北畠先生ですか、あいにく議員会館の方に出向いておりまして…」
藤木は受話器を置いた。
「今時、固定電話に電話してくるとはね」
女性秘書の野島は、事務所唯一の固定電話を見ていた。
「この支援者は高齢だから、仕方ないよ」
藤木が言った直後、奥の部屋の扉が開き、北畠が手招きしていた。
「あれ、先生いたのか」
藤木は小声で言ってから立ち上がった。
「直々にお呼びとは、珍しいわね」
野島は北畠に笑顔を振りまきながら、小声で言っていた。藤木は北畠の執務室に入って行った。

 北畠は立ち上がり、事務所の窓から外を眺めてから、視線を藤木に戻した。
「それで君は東大も出ていないし、一般大学の出身だから仕方ないと諦めてくれ」
「クビは決定事項ですか」
「与党を貶めることに主眼を置く望国民主党の議員としては、公職選挙法違反に引っかかるわけにはいかんのだ」
「それが党是でしたっけ」
「選挙区内の有権者買収につながると知りつつ、支援者の結婚式にカネを出したのはまずかった」
「その責任をとって欲しいのだ。君が勝手にやったことにしてくれ」
「となりますと、ガッポリと退職金がもらえるわけですか」
藤木は、表情を緩めた。
「それが、責任をとってのクビだからな。ボーナスとして、まぁ色をつけてやるぐらいになるかな」
「そうですか」
「我が党が与党になったら、君を何らかの職につけてやるから、それまで辛抱してくれ」
「与党にですか…、ちょっと無理そうですな」
「何っ、」
「いやいや、こちらの話しでして」
「今日までの給料は払うから、もう帰っても良いぞ」
「と言われましても、一応は18時まで居ますよ」
「勝手にしてくれ」

 藤木は一礼をして顔を上げて見たら、北畠が窓の外を見ているので舌を出してから退室した。 
ドアを開けると、執務室のドアに耳をつけていた野島が藤木の顔を見る。
「可哀想な人を見る目をするなよ」
「これからどうするの」
野島はスマホを手にしていた。今ここにいない秘書やスタッフたちに情報を拡散するつもりであった。
「そんなに失敗してないくせに、興味本位で聞くのか」
「いゃ、心配しているわよ。机の荷物はどうするの」
「何か欲しいものはあるか。やるよ」
「いゃ、ないわよ」
「もともと俺は議員の秘書に向いてないからな」
「18時までいれば、みんな戻ってくるから送別会でも…」
「あっそう。それじゃ帰るよ。そんじゃまあ、さいなら」
藤木は、机の上のタブレットPCをさり気なく手にして事務所を出て行こうとした。
「ちょっと、藤木さん、それ事務所のだけど」
「そうか。さっき先生は、退職金変わりとか言ってたけど」
「そうなの」
野島は藤木の後姿を見送っていた。

 藤木は、新橋のガード下でビールを飲んでいた。店の時計は午後4時50分を指していた。
「おい藤木、ラインを見て驚いたぞ。お前も俺と同じ無職ってわけか」
「さすがに田中はすぐにつかまるな」
「藤木を慰めに来たんだから、おごりだよな」
「俺が出世したらおごるから、今回は割り勘だ」
「ええっ」
「まぁ、文句を言うなよ。それで、まずカミさんに何と言うかだな」
「女はカネの切れ目が縁の切れ目だからな。俺みたいに離婚ということになるだろう」
「田中の離婚はスムーズにいったのか」
「慰謝料は払ったが養育費は少し払ってその後、踏み倒しているけどな」
「そうかい、それは心強い。俺は子供がいないから慰謝料だけか。それを踏み倒すか」
「上手くやってくれ。それよりも、これからどうする」
「何にもな」
「藤木、そのタブレットPCは買ったのか」
「いや、退職金代わりに売り払うつもりだが」
「退職金はもらえないのか」
「責任を取ってのクビだからな」
「酷い話だな」
「政治家なんて、そんなもんだよ」
「おい、そのタブレットに北畠をゆする材料はないのか」
「さっき確認したが、北畠の奴、PCの管理は抜け目がない」
「そうか。となると2万円ぐらいで引き取ってもらうのが限界だろう」
「2万円か。まぁこれを元手にビッグマネーをつかもうぜ」
藤木と田中はビールジョッキで乾杯していた。
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