第23話 両面対応

文字数 10,069文字

●23.両面対応
 月往還船は、月の周回軌道に入っていた。月往還船にはアイロ2が残り、ホワイト、鈴木、陸が乗り込んだ月着陸船は、月面に向かって切り離された。前回の藤木達の着陸コースを忠実に辿って行くので、全くブレなどなくスムーズに航行していた。
 月着陸船はビショップベーター・クレーターにあるミラー家が所有するルナ・ロジスティックス社の無人基地に着陸した。前回の着陸で残していった自走掘削機などは、この基地のシェルター内に置いてあった。
 着陸船のタラップからホワイト、鈴木、陸が出てきて、6分の1の重力の月に降り立った。その様子は、設置された固定カメラで月往還船に転送され、そこから地球にも転送されていた。

 地球の訓練センターの第二体育館に急遽作られた『マイニング・ハンター』の案内ガイドブースには、5台のモニターが設置されていた。そのうち3台のモニターにはホワイト、鈴木、陸の札が付けられていた。アメリアがホワイトを、池田が鈴木を、藤木が陸を担当する形になっていた。
 「皆さん、それではまず、着陸船の脚部の周りに立ってください。記念撮影をいたします」
固定カメラのモニターを見ている藤木の声は、ホワイト、鈴木、陸の宇宙服のスピーカーから聞えていた。藤木は月面から送られ映像を見て形式的にシャッターを切ると、シャッター音も各人の宇宙服に聞えていた。
「はい皆さん、これから6時間も各自、月の石拾いや、掘削などをご堪能ください」
藤木は言い終えると、そばに置いてあったアイロ2のゴーグルをつけて、月往還船内の状況をチェックしていた。

 案内ガイドブースの陸のモニターの前に座る藤木。陸のヘルメットのカメラから送られてくる映像を注意深く見ていた。陸は、自走式掘削機を操作して、前回藤木が試掘した穴をさらに掘り進めていた。
「陸さん、その穴は後6メートル程は掘らないとレアアースに届きません。届いたとしても取り出す手間があります。残り時間を考えると、月面表層の月の石を拾った方が良いと思います」
藤木はヘッドセットを付けていた。
「そうですか。藤木さんが見つけた新種の鉱石は、どこの岩場にありましたっけ」
「えぇーと、今、陸さんのヘッドディスプレーに地図を映します。それを頼りに行ってみてください」
藤木は手早く手元のキーボードを叩いていた。藤木の両隣では、アメリアと池田がそれぞれ指示を出していた。

 『マイニング・ハンター』一行、月面滞在時間を終えて月往還船に戻っていた。
「皆さん、いかがでしたか。今回は3名で150キロ程の月のお宝をゲットしています」
アイロ2から藤木の声がしていた。
「あぁ、もう少し時間が欲しかった」
ホワイトは月往還船の丸窓から月を見ていた。
「無重力の後の月の重力は意外に強く感じました」
鈴木はただただ感動しているようだった。
「今回だけでは時間が足りない。もう少しカネを積むから長くしてもらいたい」
陸は不満げを装っているが、目はニコやかであった。

 「今日のディナー、宇宙食用に作られたスキ焼きをご用意しています」
訓練センターの案内ガイドブースにいる藤木の肩を、アメリアが叩いていた。
「…少々お待ちください」
藤木はゴーグルを外してアメリアの方を見た。
「どうした。今ガイドしている最中だぞ」
「インド大使館の田中さんからアイロ1.5を介して連絡が入ったわ」
「田中のやつ組立てられたか。アイロ1.5のゴーグルは、どれだっけ」
「これよ」
アメリアは持って来ていた。
「あ、それと池田君、ちょっと。ディナーガイドとしてアイロ2の操作を頼む」
藤木は池田に声を掛けていた。池田はアイロ2のゴーグルを手渡されていた。
「これより私に代わって、素晴らしい料理人が皆さんのスキ焼をお作りします。ごゆっくりご堪能ください」
藤木は、そう言うと、すぐにヘッドセットをアイロ1.5のものに付け替えていた。

 ゴーグルのスイッチをオンにしても、全く反応がなく、ノイズだけが流れていた。
「アメリア、ダメだな。操縦の電波回線が妨害されているのかな」
藤木はゴーグルをつけたまま言っていた。
「SNSなどは監視しているけど、妨害はしていないはずよ」
「藤木、電波回線はバッチリだぜ。今、目のカメラの配線が外れてただけだ。それとまだ下半身が組立てられていない状態だ」
田中の声が聞こえて数秒後にゴーグルの画面上に田中と王の顔が映っていた。
「王さんも無事か」
「藤木、こんなロボットを送ってきても、俺らは外に出られないぜ」
「それは俺の身代わりだ。そのロボットで中国政府と交渉してやるよ。ドーン任せてくれ」
「これでか。しかしな…、あぁそれと月面のルナ社の旗は抜いてしまったのか」
「そのままだ。時間がなかった事にでもするよ」

 月往還船内。鈴木はヘッドホンして空中ダンスをしていた。陸はストイックにエアロバイクをこいでいた。ホワイトは、ライブラリーにある1950年代の西部劇映画を見ていた。
 宙に浮いていたアイロ2の目が光り出した。
「皆さん、現在の状況報告をいたします。宇宙港の航行オペレーターの情報によりますと、約1日後には八丈島に帰還いたします。今回は太陽フレアもなく順調に帰路についています。引き続き、この貴重な無重力空間をお楽しみください」
アイロ2から藤木の声がしていた。
「藤木さん、日本で昔流行った『インベーダー』のゲームソフトはないんでしたっけ」
ホワイトがアイロ2に話しかけていた。
「『インベーダー』ですか。かなり日本通ですね。そこまで通の方がご搭乗されるとは、想定していなかったもので残念ながらないです」
「そうですか。日本の宇宙船なのであるかと思いました。でもゲームをしに来ているわけではないですから、問題ないです」
ホワイトはそれほど気にしていない様子であった。

 インド大使館内。アイロ1.5は大使館員や田中と王の手によって完全に組み立てられた。
「しかし、前のモデルよりデカいよな。190センチ以上はあるだろう」
田中は、アイロ1.5のボディを舐めまわすように見ていた。
「いろいろな機能を詰め込んだからな」
アイロ1.5の口から藤木の声が聞こえていた。
「藤木さん、中南海にある馬副首相の家はここです。見えますか」
王が地図をアイロ1.5の前に広げていた。
「ここですか。意外に近い。外から北京市内に飛行物体が侵入することには警戒しているが、市内から市内なら警戒は緩いだろう」
「でも要人の住まいなどがある中南海です。空が無防備なわけはありません。注意してください」
「王さん、ご心配には及びません。私はこの通り頑丈な金属のボデイですから」
アイロ1.5は胸の辺りを軽く叩いていた。

 アイロ1.5は、インド大使館の屋上にあった中国製のエアビークルに乗った。エアビークルの傍らに立っている田中と王。
「藤木、馬の家にたどり着く前に落とされるなよ」
「腕の動きは俊敏に反応してくれるから、無傷たどりつけるかもな」
アイロ1.5の口から藤木の声がしていた。
「藤木さん、これが失敗した場合は、次の手も考えているのですか」
「王さん、失敗しませんから。でも…次の秘策は考えています」
藤木の明るい声がアイロ1.5の無表情の顔から聞こえていた。

 アイロ1.5は、エアビークルを操作してインド大使館の屋上から飛び上がった。北京市上空には、他のエアビークルも結構飛び回っていた。しかし、インド大使館周辺で監視していた公安当局の私服警官たちは、慌てて空を見上げていた。
 アイロ1.5の乗るエアビークルは、一旦は北東の方向に向かっていた。アイロ1.5が南方向の中南海を望むと、その上空には監視ドローンが何機か旋回飛行していた。アイロ1.5が乗るエアビークルが進路を中南海に向けた途端に監視ドローンは一斉に進路を塞ぐフォーメーションになった。しかしまだ距離はあった。
 アイロ1.5は、真っ直ぐ前を見て操縦していた。下から急上昇してきたエアビークル横並びになる。それに乗っていた警官は操縦席のアイロ1.5を見て、ちょっと驚いていたが、すぐ拳銃を抜いて撃ってきた。アイロ1.5は車体を傾けて避けていた。しかし続けざまに撃ってきた一発がアイロ1.5のボデイに命中して、弾き飛んでいた。
 アイロ1.5のエアビークルは加速し進路を直進する。行く手を阻む監視ドローンは、エアビークルのボディに激突して弾き飛んでいた。エアビークルはその衝撃に揺れるものの、進路はそのまま維持されていた。アイロ1.5の視界内に中南海の湖面が見えてきた。中海、南海がハッキリと見分けられ、その周囲に古風な住宅が何軒か建ち並んでいた。アイロ1.5の視界の端から飛行物体が急速に接近してくる。藤木はそれに気が付き、アイロ1.5の腕を操作し、回避しかけたが、エアビークルの後部に命中して爆発した。エアビークルのそのまま、斜めに滑空するように墜落していった。藤木がアイロ1.5の腕や足を動かそうとしても、反応がほとんどなかった。数秒後、南海の畔にある石塀をぶち壊して黒焦げのエアビークルは着地して止まった。

 訓練センターの第二体育館にいる藤木は、ノイズしか映らないゴーグルを外し、手元にあったキーボードを目まぐるしく叩いていた。
「ヒトシ、アイロ1.5は動かせそう」
一部始終をモニター画面で見ていたアメリアは、心配そうな声になっていた。
「補助の予備回路にバイパスさせて、復活できるか今やっている所だ」

「藤木さん、月往還船にスペースデブリ(宇宙ゴミ)が激突して、軌道シャトル船のハッチに不具合が生じてしまいました」
池田は案内ガイドブースから駆け寄ってきていた。
「何、ハッチがか。こんな時に…」
藤木はアイロ1.5の復活を待っている最中であった。
「ヒトシ、あたしがアイロ2を操作して、ハッチを直すわ」
「頼む。しかし無理に帰還せさせるな。無理だと思ったら、地球への帰還は1日か2日後にしても良いからな」
藤木が見つめているモニター画面はノイズのままであった。藤木はアメリアを追うようにして案内ガイドブースに向かった。
 アメリアはアイロ2のバーチャル・スーツを装着していた。
「アメリア、ハッチは何とかなりそうだな」
モニター画面を介してアイロ2が見ている映像を見ていた藤木はヘッドセットに割り込めるマイクを手にしていた。
「そうね。ちょっと叩いてみたら直ったみたいよ」
「一応、念のために軌道シャトル船の耐熱タイルも見てくれ」
「耐熱タイル、となると船外活動ということね」
「ハッチだけにスペースデブリが当たっていれば良いが、耐熱タイルにも当たっていたら大変なことになるからな」
藤木が言っていると、スタッフの一人が駆け寄ってきた。
「アイロ1.5が復活しました」

藤木は、急いでアイロ1.5のゴーグルやバーチャルスーツを装着した。右腕は軽く動くのだが、アイロ1.5の右腕は全く連動していなかった。脚部は左足が連動していなかった。左腕と右足で立ち上がろうとしたが、ふらついて安定していなかった。

 黒焦げのアイロ1.5がよろよろと立ち上がると、中南海の警備にあたっている警官たちが、びっくりとした顔で小銃を構えた。アイロ1.5が左足を引きずりながら一歩踏み出すと、小銃の弾が3発飛んできた。アイロ1.5の金属ボティにあたる音がしていた。
「よせ。攻撃する一途はない。私はルナ・ロジスティックス社の藤木だ。このロボットを介して馬副首相と話がしたい」
アイロ1.5の口から藤木の言葉が翻訳された人工音声がかすれて聞えてきた。
警官たちは、アイロ1.5の周りに集まり、小突いたりして様子を見ていた。
「ご覧の通り武器は持っていない」
「何の話がしたい、インド大使館のテロリストの片割れのことか」
警官隊の上官らしき人物が言っていた。
「それもあるが、月面の領有権について話がしたい」
「それは無理だな。あいにく今日は視察に出ている」
「そんなことはないはずだ。今日は自宅にいる予定になっていたぞ」
アイロ1.5が言うと、その男は部下に何か言っていた。
「そんなハッタリはやめろ」
上官は堅い表情を崩さないでいた。しばらく静まり返った。
「どうした。壊れたか」
「いや、周りを見ているだけだ」
アイロ1.5の首が回らないので、体ごと回ろうとしていた。
「こいつはスクラップだな。まず喋れないように口をぶち壊すか」
上官はアイロ1.5を小銃で小突いていた。
「いや、待て。とにかく馬副首相を呼べばわかる」
アイロ1.5の口調は切羽詰まった感じになっていた。
 すると警官隊の外を取り巻いている野次馬の中から、40才前後の男が歩み寄ってきた。すぐに警官隊がその周りを囲んで警護した。
「私に用があるのか。黒焦げのロボットさん」
「あっ、あなたが。ネットに出ている写真よりも若々しいけど、馬副首相ですか。よくぞ、いらしてくれました」
無表情なアイロ1.5が言っていた。
「近所でエアビークルの墜落騒ぎがあれば、出てくるしかないだろう」
「月面の領有権のことで」
アイロ1.5はよろよろ近寄ってから小声で言っていた。
「今さらなんだ、月面については国連の見解に従うつもりですが」
「今の所は、ですよね」
アイロ1.5はより小さな声で言っていた。
「将来のことはわからない」
馬も小声で言っていた。
「将来に向けてのきっかけが、つかめるかもしれませんよ」
アイロ1.5の目はしっかりと馬を見据えていた。
「このロボットには、私の見解を丁寧に説明する必要がある。取りあえず、私の家のガレージまで運んでくれ」
馬副首相は、警官隊の上官に命じていた。

 馬の自宅のガレージの外には、警官たちが取り囲んでいた。ガレージには馬のエアモビリティ5が置かれていた。黒焦げのアイロ1.5は、ガレージの壁面に寄りかかるように立っていた。馬はドアを開けたままのエアモビリティ5の運転席に横座りしていた。
「現在、国連が推し進めている宇宙資源活用条約では、月面の所有権や領有権は放棄するか、認められないことになりますが、中国サイドとしては、どうなんですか」
「南極条約では譲歩して領有権は凍結しているが、月面も同様にはしたくないのが、主席のお考えだ」
「だとすると、宇宙資源活用条約には改正案が必要な気がしますが、どうです」
「一理あるが、私の一存では、どうにもならない」
「そうなんですか。でもあなたは次期主席候補の一人なんですよね。他の候補に抜きん出た業績があれば、お得なことになりませんか」
「調子の良いことを」
「かつて40才そこそこで主席になった人は、いないんでしょう」
「党のしがらみがあるからな」
「主席はともかくとして、改正案の件は賛同いただけませんかね」
「主席はともかくだと」
「いやいや主席も大事ですけど、ここは一つ若き中国の指導者たる、馬副首相のお力で何とかお願いします」
「それだけを言いに来るために、こんなド派手な登場をしたのですか」
馬は態度を変え、少し落ち着いて話をするようになってきた。
「まだあります。インド大使館にいる田中と王さんを日本に連れて帰りたいのです」
「それはダメだ。自由中国の活動家だ」
「少なくとも田中は日本人ですし、そもそもあの二人が中国に来た理由は、殺害された例の高官かあなたに接触するためだったんです。テロリストでもなんでもないんです」
「にわかに信じ難いな」
「いや、本当なんです。だって月に立てた我々の旗を引っこ抜けというものだから、頭に来ましてね」
「旗か」
「国連に従うつもりはないですが、このままだと我々の立場が危うくなります」
「例の電重力物質が埋まっているという土地を独占するためでしょう」
「馬さん、ここだけの話し電重力物質は、他の場所にも眠っているんです」
「ええっ、藤木さんでしたっけ、何でそんな重要な事をペラペラと話すのだ」
「それは友人を救いたいからです。あの二人が救えるなら、電重力物質のありかなんて安いものです」
「本当なのか。本当かどうか確認する必要がある」
「それじゃ、確認するまでは、あの二人は」
「大使館に閉じこもるか、我々が拘束するかだ。いずれにしても時間が必要だ」
「そこをなんとか、今決めてもらえませんか」
「そう言われても…主席に内々に話してみてから連絡する」
「わかりました。それで、次の連絡はどのようにしますか」
「このロボットで良いでしょう。私のガレージに置きっぱなしにするから」
「それじゃ、充電をよろしくお願いします」
「まず、この黒焦げのバッテリーパックから取り換えよう」
馬は野望を秘めた目でアイロ1.5を見ていた。

 訓練センターの第二体育館にいる藤木。ゴーグルなどを取り外していた。いつの間にかアメリアは藤木のそばに来ていた。
「あの電重力物質が他にどこにあるの。まずくないかしら」
モニターされている音声のみを聞いていたアメリア。
「そうでも言わないと、と思ったんだが、たぶん月面ならあっちこっちにあるんじゃないか」
「でも確認するのでしょう」
「まぁ、なんとかするから、ドーンと任せてくれ。それよりも耐熱タイルの方はどうだった」
「一枚傷ついていたわ」
アメリアは急に深刻な顔つきになっていた。
「何っ、それはまずい、取り換えないと再突入の際に過熱して爆発する可能性があるぞ」
「この作業は、旧型も含めてアイロに慣れているヒトシがアイロ2を操作しないと無理よ」
「わかった。なんか俺は、中国に行ったり月往還船に行ったりと、忙しいな」
藤木は、小走りに案内ガイドブースに向かった。

 アイロ2は、月往還船の前方部にドッキングしている軌道シャトル船に向かって宇宙遊泳していた。軌道シャトル船の底部にたどり着くと、耐熱タイルを丹念に見ていた。ほぼ真ん中辺りの耐熱タイルがスペースデブリの激突で潰れていた。アイロ2はその部分のタイルを引きはがそうとするが、留め金とタイルの残骸が激突時の高熱で溶着していた。

 案内ガイドブースにいる藤木がアイロ2のゴーグルを外し始めた。
「藤木さん、どうしました」
そばで見ていた池田が声を掛けてきた。
「タイルが溶着しているから、まず削り落とさないとな」
藤木は考え込んでいた。

 「馬がバッテリーを新しいものにして連絡してきたわ」
駆け寄ってきたアメリアは、アイロ1.5のゴーグルとヘッドセットを手にしていた。
「意外に早かったな。それでゴーグルを持ってきてくれたのは、ありがたいが…、」
「藤木さん、タイルの方は私がやりましょうか」
池田は藤木の様子を見ていた。
「いや、どちらも俺を求めているよ。この状況で両面対応するなら、アイロ1.5のヘッドセットをして、アイロ2のバーチャルスーツなどを装着するしかないか」
藤木はアイロ1.5のヘッドセットを付けていた。
 「馬さん、こちらの機器の調子が悪いので、音声のみの連絡になります」
藤木は、アイロ1.5のゴーグルは、床に置いたままにしていた。
「それはどうでも良いが、宇宙資源活用条約改正案の方は主席に話した結果、それなりの手応えがあった」
馬の翻訳された音声が聞えていた。
「それで田中達はの方はどうですか」
「そちらは無理だ。諦めてもらう」
「馬さん、田中達の件も主席に働きかけてくれたら、それなりのことは特別にします」
「藤木さん、賄賂は通じませんよ」
「そんなことは、するつもりはありません。…ところで、ここのガレージに停まっているエアモビリティ5はカスタマイズしてますか」
「ん、わかるのか」
「私もそれなりにカネが貯まっているので、エアモビリティのカスタマイズにカネをかけているんです」
「最新仕様にも詳しいのか」
「はい。…あぁ、ちょっと回線が不安定になって聞きとれません。少々お待ちください」
藤木は勝手にヘッドセットをオフにしていた。すぐに藤木は傍らにいるアメリアと池田の方を見た。
「耐熱タイルの残骸を引きはがす良い方法は浮かんだか」
藤木が突然言い出したので、あっ気に取られていたアメリアと池田。
「ヒトシ、何で馬さんとの会話を中断したの」
「ちょっとジラそうと思ってな。タイルの方で良い案がなければ…、時間はかかるがグラインダーで削り落とすか。今から始めれば地表帰還のタイミングに間に合うだろう」
藤木はそう言うとアイロ2のゴーグルを池田に渡そうとしていた。
「気が変わった。グラインダーで削るという大切な作業だからこそ、池田君に頼もう。時間がかかるが、君ならより丁寧にできるはずだ」
藤木は池田の肩を叩いていた。
「わかりました」
池田はすぐにアイロ2のヘッドセットをして、バーチャルスーツを装着した。
 池田はすぐに耐熱タイルの残骸を削る作業に没頭し始めていた。
「ヒトシ、彼に任せて大丈夫なの」
「簡単な作業だから、やってくれとは言わず、大事な作業だから君に任せるとしたからな、大丈夫だ」
「それじゃ、アイロ1.5の方に専念できるわけね」
「馬の奴、待ちくたびれたかな。あ、それとエアモビリティ5.5の特別仕様モデルのカタログを用意しておいてくれ」
藤木はアイロ1.5のヘッドセットを付けていた。
「5.5の特別仕様モデルって、1億円以上するタイプでしょう。どうして」
「場合によっては購入するかも知れないから頼む」
「買うつもりなの」
アメリアは怪訝そうな顔をしていた。

 「馬さん、失礼しました。無線回線の調子が悪かったのですが、やっと復旧しました。それでどこまで話しましたっけ」
「エアモビリティの最新仕様の話だ」
「あ、そうでした。馬さんはエアモビリティー好きと見ましたが、間違いありませんか」
「それで最新仕様はどこまで知っている」
「馬さんもご存知の通り最高速は600キロで、今の所世界最速です。それで本格的なスポーティ・ラグジュアリー・タイプで…」
藤木はアメリアが持ってきたカタログを見ていた。
「そうそうイタリアのデザイナー、ロベルト・コルツァーニが総合プロデュースしています」
「その辺の所は私も把握している」
「でも乗り心地はどうです。最速に到達するまでの加速感は、ロケットに匹敵するフィーリングがあります」
「乗り心地ということは、藤木さんは試乗でもしたのか」
「先日、購入して手元にあるものですから」
「何っ、手元に…。あなたもエアモビリティー・マニアってわけか」
「偶然ですな。趣味が同じじゃないですか」
「…乗せてくれないか」
「そう言われても、あれは1億2000万円の大枚をはたいて購入したものなので…」
「あの特別仕様モデルは、なかなか手に入らないのだ。藤木さんは、H-REFINE社とのつながりで手にしたのか」
「そんなところです」
「ますますもって、羨まし過ぎる」
「待ってください。先ほどの月面の電重力物質の確認ができるまで、田中達を閉じ込めておくことの、引き換えなら、考えても良いですけど」
「なんだと、引き換え…」
「田中達を日本に帰らせてくれれば、エアモビリティ5.5の特別仕様モデルをお貸ししましょう。ただし、月面の他の地域で電重力物質が見つかったら返してもらうというのは、どうです。もし見つからなかったら…考えたくはありませんが、あなたのものに…」
「…エアモビリティ5.5がか」
「若き指導者である馬さんの実力をもってすれば、主席や政府に容易く働きかけられることと思いますが」
藤木が言うが、しばらく馬は沈黙してしまった。することがない藤木は、ヘッドセットをかけ直していた。
「ん、わかった。改正案の件と田中達の件だな。なんとかしよう」
「さすがに馬さんだ。話がわかっていらっしゃる」
藤木の明るい声が、訓練センターの第二体育館内に響いていた。
「いつ、こちらに持ってきてくれる」
「それは、田中達が日本に向かう日です」
「わかった。詳細はまた連絡する」
「よろしくお願いします。なんか、上手くまとまって良かったです」
藤木は、そう言うと満足そうにヘッドセットを外していた。

 アメリアは、傍らで一部始終を聞いていた。
「アメリア、さっそく洪さんに連絡してエアモビリティ5.5の特別仕様モデルを購入してくれ」
「わかったけど、支払いはどうするの」
「ローンでも組むか」
「ルナ・ロジスティックス社の経費で落とすという手もあるけど」
「それは沢尻に悪いだろう」
藤木とアメリアは、カネのことなど、あまり気にしていない感じであった。
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