第5話旅路

文字数 4,705文字

●5.旅路
 翌日、彼らは石家荘の市内に入った。道すがら、何人か当たり屋が立っていたが、カネになりそうもないバイクには避けていた。
 昼近くに朝食と昼飯を兼ねて、古びた店に立ち寄った。
「ここの麺は絶品だぞ」
洪は注文を済ますと嬉しそうに言っていた。
「何回か来たことあるのですか」
藤木は、昨晩コンビニで充電したスマホのアプリを起動させていた。
「ある。とにかく食べて見てくれ」
 数分後、麺がどっさりと入っている、どんぶりがテーブルの上に置かれた。洪に言われるままに食べる藤木達。
「これは、初めての食感だ」
田中が思わず口走った。
「何でできいるんですか」
藤木は、スマホの感度を良くするためテーブルの上に置いた。
「ジャガイモで作った麺だよ。こんなもの日本にはないだろう」
「確かに」
藤木は、あっという間に完食した。

 再びバイクに引かれたリヤカーの旅が始まった。途中、道路の舗装工事をしている箇所に出くわした。う回路に行くように指示する係員がいるが、具体的なことは言わずに、ただあっちに行けと言う感じであった。
 洪は少しう回路方向にバイクを進めた。洪はバイクを走らせたまま、後ろを振り向いて言って何か中国で言っていた。藤木は、慌てて翻訳アプリを起動させた。
「洪さん、もう一度言ってくれますか」
「藤木さん、地図が青い収納ケースの中にあるから、取り出してくれ」
洪はまた後ろを振り向いて言う。
 藤木は地図を手にして手渡そうとしたがリヤカーとバイクがちょっと離れているため渡せなかった。藤木が地図の裏表紙をふと見ると2002年発行とあった。
「古すぎないか」
田中が覗き込んでいた。
「一度停車して考えましょう」
藤木が言うと急ブレーキをかけて止まった。
「あのじいさんの運転、大丈夫かな」
田中がまたぼやく。
「このバイクにはカーナビがないから地図が頼りだ。見せてくれ」
洪は、藤木から古そうな地図を手渡されると広げた。
「カーナビならスマホにもありますから」
藤木は中国のカーナビサイトにアクセスしたが、当該地域は更新中と表示され、何も映らなかった。
「このあたりは解放軍の施設があるから、あまり詳しくは表示しないだろう」
洪は、当たり前といった顔をしていた。洪は再び地図を見た。
 「どうです。かなり道が変わっていると思いますが」
藤木は、胸のポケットにスマホを入れていた。
「なぁーに基本的には変わらないだろう。ここから二つ目の交差点を曲がれば、良いだけだ」
「洪さん、その手前にコンビニが見えて…そこも曲がれますけど」
「この地図にコンビニなどない。後から作った道だろう」
洪は気にしていない様子だった。藤木が道路の先を見通すと、実質三つ目の交差点の所に標識があり、薄っすらと『武漢』と簡体字で書かれていた。
「標識に従えば、何とかなりそうですよ」
藤木は、洪が曲がろうとしている交差点に問題はないと感じていた。
「標識よりわしの勘が正しいが、標識もそうなっているか」
洪は若干満足げであった。

 バイクは集合住宅や戸建てが立ち並ぶ道をしばらく走った。リヤカーに乗っている藤木と田中は、洪の背中を見ていた。
「あの、じいさんに道を任せて大丈夫か」
田中は藤木の胸ポケットのスマホのアプリ起動状態を確認しながら言っていた。
「俺らよりかは、土地勘があるだろう」
「しかしな」
バイクは急ブレーキがかけられ止まった。藤木はアプリを起動させた。
「洪さん、どうしました」
「どうやら、道に迷ったらしい。武漢の標識が見当たらなくなった」
「そんなこと言われても…だいたいここはどこなんですか」
「石家荘と武漢の間だろう」
「それはそうでしょうが、大まか過ぎます。私が地元の人に聞いてみます」
藤木は、リヤカーから飛び降りた。

 藤木は近くにいた、路肩でマージャンをやっている主婦たちに聞いた。主婦の一人が詳しく説明してくれたが、あまりに細かすぎて、良く分からなかった。
 次に犬を散歩させている中年男性にたずねた。すると南に向かっているのではなく、西に向かっていることがわかった。急ぎ戻った藤木は、洪に伝えて、修正する道を走らせた。しかし、泣き面に蜂のように、リヤカーがパンクしてしまい、修理に時間を費やしてしまった。その日は、あまり進めずに、街外れの公園で野宿した。
 翌朝は、朝から小雨が降り出し、洪はカッパを着て、藤木たちは家財道具にかけられたビニールシートの下に潜り込んでいた。天候は悪かったものの、順調に進むことができた。それでも武漢はまだ遠かった。

 この日、藤木たちは山中の道をひた走り、ようやくガソリンスタンドを見つけた。しかし安心したのもつかの間、スタンドは営業していなかった。看板は出ているものの、建物は廃墟同然であった。
 「藤木さん、ガソリンが空で、エンジンが掛からない」
洪は少し困り顔になっていた。周囲は山ばかりで、わずかに集落が見えるが、ガソリンは売っていそうになかった。ちょうどその時、対向車が来た。
「よし、ガソリンを分けてもらおう」
藤木が道路に立ち、その車を止めた。
 「どうしました」
車の窓から男が顔を出した。
「ガソリンがなくなってしまいまして。分けてもらえませんか」
藤木は翻訳アプリを介しているが、その男はまだ気が付いていなかった。
「あんた北京の人かい」
「いえ、日本人です」
「いや、だって北京語が流暢だろう」
男が言うので、藤木はスマホを見せた。
「こいつが訳してます」
「そうかい、それで、俺の声も…なるほど面白いな」
「それで、ガソリンなんですが」
「悪るいが、この車は電気自動車なんで、ガソリンは積んでない」
「そうですか」
藤木はその車を見回すとマフラーはどこにも見当たらなかった。
 電気自動車は、するすると走り出し、去って行った。洪と田中も一部始終は見ていた。
「どうする」
田中が口を開いた。
「気楽に考えようぜ。あそこまで上ったら、次は下り坂じゃないか」
「そうかな。藤木のポジティブさが功を奏するかだな」
「わしも、藤木さんに賭けよう。さぁ坂の上まで押してくれ」
洪は、バイクに跨ったままであった。
「あのぉ、洪さんもバイクから降りて一緒に押してくれませんか」
藤木が言うと洪はぶつぶつ言い出した。
「年寄りを働かすのか」
「洪さんは、年寄りと呼ぶには無理がある。若そうじゃないですか」
「そうか。そうでもないが」
「いやいや、ご謙遜を、若い娘にモテモテでしょう」
藤木が調子よくおだてると洪もまんざらでも顔をしていた。
 藤木たちは坂の上までバイクとリヤカーを押して行った。しかし、その先はちょっと下るだけで、また上り坂になっていた。
 「藤木、坂を上ったけど、これじゃな」
田中は残念そうな感をしてため息をついていた。
「いやー、お二方、ここで待っていてください。俺がひとっ走りして、この坂の先を見てきます」
藤木は、軽い足取りで走り出したが、途中でゆっくりになっていた。

 取り残された田中と洪。翻訳アプリがないので、黙って藤木の背中を追っているしかなかった。坂の頂きに藤木が立つと、頭の上に大きな丸を作っていた。
「あいつ…、これが最後の上り坂か」
田中は日本語で言ったが、洪は中国語で何か言い、田中に握手していた。

 リヤカーを連結したバイクは、山中の下り坂を惰性で降りていく。
「洪さん、ブレーキのかけ過ぎには注意してください」
藤木は、洪のブレーキのかけ方が荒いので、ブレーキが利かなくなるのを危惧していた。
 しばらく坂を降りるとガソリンも販売している雑貨屋があった。藤木はバイクにガソリンを入れている時に、バイクのブレーキパッドを触ってみると、物凄い熱を持っていた。洪は、少し離れた所で素知らぬ顔で、買ったジンジャエールを飲んでいた。
「どうした」
田中も地元メーカーのジンジャエールの瓶を2つ持っていた。田中はその一つを藤木に渡す。
「冷や冷やものだったな。ここでガソリンを入れなかったら、ブレーキは利かなくなっていただろう」
「珍しいな、極楽男の藤木が心配するなんて」
「これはマジヤバかったぞ」
「それでこの先、大丈夫そうか」
「パッドはかなり減っているが、冷やせばなんとかなるだろう。それでも大きな町についたら、修理した方が良さそうだ」

 山道を抜けると洛陽に着いた。洛陽では、真っ先にバイクを修理したが、洪はカネを出したがらないので、藤木が出してやった。洛陽は古都なので白馬寺や白居易ゆかりの香山寺などの観光地があったが、その前を通過して、武漢に向かった。
 翌日の夜、藤木たちは武漢に入り、金色にライトアップされた黄鶴楼を見てから、長江大橋を渡った。武漢では、名もない小さな公園で野宿することになった。
 コンビニで買ってきた弁当を食べ終わると、洪は、公園の塀の方へ行った。
「じいさん、小便か」
田中が洪の姿を目で追っていた。
洪は、片方の鼻の穴を指で塞いで、鼻から勢いよく鼻汁を吹き飛ばし、公園の塀に付けていた。
「おい、なんだよ。あんな鼻のかみ方あるか。あのじいさん根っから貧乏人だろう」
田中は呆れように言っていた。
「そうかもしれない。中国人の習慣は知らないけど…。でもな手のツヤが良いんだよ。それに掌が厚い、小鼻も張っている、手相や顔相からすると金持ちの相なんだ」
「藤木、いつから鑑定士になった」
「それぐらいのことは知ってないと、人は見極められないぞ。なんてな。必ず当たるとは限らんがな」
「どうする。見捨てて行くか」
「それはできない、何らかの縁があるんだ。深センまで行こうぜ。それに深センには、王若渓のドローンメー
カーがあるんだろう」
「んー、そうだな」

 藤木たちは、洪の行動に疑念を抱きつつも、深センに向かう旅を続けていた。この日、夕刻には長沙市に着き、いかにも中国的な建物の天心閣の前を走り抜けた。
「今日、野宿するのにちょうど良い公園はないかな」
藤木は一緒にリヤカーに乗っている田中に言っていた。
「野宿もだいぶ慣れたよな。ホテルというものがあるのを忘れるくらいだ」
「しかし、あのじいさんのリヤカーに乗ることで、かなり安く深センに行けるぞ」
「長沙から深センまであとどのくらいある」
「えぇ、待ってくれスマホで調べてみる…あぁまだ780キロもある」
「やれやれだな」
「そう、文句を垂れるな。この街は美人が多いじゃないか」
藤木は、リヤカーから歩道を歩いている女性に手を振っていた。
「バイクにリヤカーの俺らが珍しいから見てんだろう」
「確かに、ここも車ばかりだからな」

 洪がバイクを停車し、振り向きざまに何か中国語で言っていた。藤木は、アプリを起動させる。
「今日は橘子洲公園で野宿しよう」
洪は湘江の中州の方を指さしていた。
「藤木、あれ、なんだよ妙な男の巨大な顔がある」
「本当だ。中国の俳優か何か。洪さん、あの像はなんですか」
「若い頃の毛沢東だよ。生誕の地だからな」
「俺らが知っている顔と全然違うな」
藤木は、若い毛沢東をしげしげ見ていた。
 藤木たちは毛沢東が木々に隠れて見えない辺りで野宿した。地方都市にしては夜景が意外にきれいであった。翌朝、公園の水道で体を洗っていると、警察官が来て、立ち去るように促してきた。浮浪者と勘違いされたらしい。バイクとリヤカーも持っていかれそうになるが、急いで飛び乗り、長沙市を後にした。
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