第13話 落とし穴

文字数 5,339文字

●13.落とし穴
 沢尻コミュ研に新しくできた会議室には、大型のスクリーンや小型モニターがあり、ネット会議ができるようになっていた。
「投資額の3兆円が全部揃ってから計画を進めるのではなく、各社100億円程度出資して計画の母体となる会社をまず設立したいと思うんだが、どうだ」
藤木はカメラに向かって言っていた。大型スクリーンにはミラーが映っていた。
「それは良いと思うけど、どうして急に」
「実は、インドのヴィジャイさんを説得する際に、月の資源のみならず、月と地球の物流会社を作るということも言ってしまったもので」
「余計なことを言ってしまったの」
「ノリで言った面もあるが、我々が月の資源を採掘しに行く宇宙船は、何回も使って人やモノを運べばカネになるだろう」
「それもそうね。私は採掘した後のことを考えていなかったわ」
「藤木先輩の手腕には驚きました。沢尻コミュ研も会社設立に同意しています」
同席している沢尻も口添えしていた。
「洪総帥には私から言っておくわ」
「もちろん、俺の方からも洪さんには直接説明するつもりだけど」
「ヴィジャイさんは会社設立にはどうなの」
「具体的に話を進めていることは、結構なことだと言っていたよ」
「ちょっと待って、あぁ、総帥、渋滞は抜けられましたか」
スクリーンの向こうでは洪の姿が見えていた。
「あ、悪い悪い。道路が混んでいてな。エアビークルの会社の人間が地上車の渋滞に巻き込まれるとはな」
「時間をズラしても良かったのですが」
「君たちの都合もあるだろう。それで、今、ミラーから聞いたが、会社設立の件は承諾した。取りあえず進めてみようじゃないか」
「ありがとうございます。よーし、これから忙しくなるぞ」
藤木は、喋る機会がなく同席していた田中の肩を軽く叩いていた。

 翌日の会議室。
 「新しい会社の名前は『ルナ・ロジスティックス』だ。ヴィジャイさんがインドの姓名判断で縁起が良いと言っていたから間違いないだろう」
藤木は、真新しい社名プレートを見せていた。
「これの社長は藤木先輩ですか」
「言い出しっぺなんだから、お前しかいないだろう」
田中は藤木の方を見ていた。
「そうか。沢尻コミュ研に船頭が二人いたら山を登ってしまうからな。俺は出ていくよ」
「藤木、今度こそ本当にCEOが名乗れるんじゃないか」
「社長じゃなくてCEOにしよう。田中も付いてきてくれ、お前はCBOとかCなんとかにするか」
「CBOなんてあるのか」
「田中さん、CBOは、Chief Branding Officerの略でブランド責任者です」
沢尻が真面目に答えていた。
「あるのか。でもなんか変な気がするが」
田中は驚いていた。
「田中、堅いこと言うな」
藤木は高笑いしていた。

 藤木たちは渋谷・宮益坂の中程にあるビルに入った。エレベーターで8Fで降りる。目の前に廊下があり、その向こう側のガラスドアには『アストロランナー社』の文字があった。
「藤木、意外と小さいな。民間のロケット会社って、こんなものなのかな」
「でもワンフロア全部みたいだぞ」
藤木が言っていると、廊下の突き当りのトイレから女性が出てきた。
「腰のくびれが凄くセクシーじゃないか」
田中は、見とれていた。
「おっ、そそるものがあるが…、いかん、今日は仕事だからな」
藤木もつられそうになるが、かろうじて、しゃっきとした。
 30才前後の女性は、藤木たちの方に近づいてきた。
「当社に御用の方ですか」
女性は、ニッコリと微笑みながら言う。
「本日、午後2時に御社の社長と会う約束をしていたルナ・ロジスティックスの藤木ですが、お取次ぎをお願いします」
藤木が目にしている受付コーナーの時計は2時10分前を指していた。
「藤木様ですね。受付コーナーから見て一番奥の応接ブースでお待ちください」
女性が藤木に言っている後ろで田中はぼーっとしていた。

 応接ブースは広く、特別の訪問者用のようだった。先ほどと別の40代後半の女性が、お茶をテーブルに置いていた。数分後、応接ブースに現われたのは、30才前後のセクシーな女性であった。
「あの、社長はお忙しいようですね」
田中は、軽く声をかけていた。
「ハァハァ、私が社長の岩田薫です」
女性が言うと、藤木たちはソファを座り直して目を丸くしていた。
「女性だとは思ってましたが、こんなにお若いのに社長ですか。これは驚きました」
藤木は名刺を出そうとしていた。
「これでも、ロケット工学を学んでいる大学院生の息子がいるですけど」
「ええっ、」
藤木は名刺を滑り落としてしまった。藤木は別の新しい名刺を岩田社長に渡し名刺交換をしていた。田中も一応名刺交換をしていた。
「先ほどお茶をお出ししたのが私の妹です」
「へぇー、岩田社長はいわゆる美魔女というところですか」
藤木は屈託のない笑顔を見せていた。
「そう、おっしゃる方もいます」
「いきなり度肝を抜かれましたよ。それで、うちは月と地球の物流を考えている企業でして、単刀直入に言いますと、どうしてもお宅のロケット技術が欲しいのです」
藤木は本題を切り出した。
「連絡をいただいた時、私どもはこのお話しに度肝を抜かれました」
「そうですか。我々はまだ曖昧な月の資源を所有したり、月との輸送を一手に引き受けて、莫大な稼ぎを出そうと考えています。資金が潤沢なのであなた方の望むロケット開発ができるはずです」
「私どもは有人宇宙船を飛ばすのが最終目的だったのですが、いかんせん資金がなくて、」
「なるほど。我々もいろいろとパートナーになれそうな企業を探したのですが、やはり御社がピッタリです」
「ありがとうございます。私どものロケット技術は今の所規模こそ小さいものの、信頼性は確かなものです」
「一応、買収という形を取らさせていただきますが、ロケット技術に関しては口出しはしません。ただ無事に月と往復できる乗り物が欲しいのだけですから」
「なんか運命的な出会いのようですね。アストロランナーとルナ・ロジスティックスは」
岩田は、ドッキっとする言い回しをしていた。
「あ、それと私どもは八丈島に打ち上げ施設があります。ホームページはまだ更新していなかったのですが」
「八丈島ですか。いろいろと便利な気がします。あぁホームページを更新する際は社長の顔写真や全身写真を載せた方が良いんじゃないですか」
「あら、嬉しいことをおっしゃるのね。考えておきます」

 ルナ・ロジスティックス社は、沢尻コミュ研の2階下のフロアを借りていた。上から階段を駆け降りてくる音がしてルナ・ロジスティックス社のドアが開いた。
 がらーんとしているフロアには、藤木、田中、中年女性パート二人がいた。
「藤木先輩、英会話学校ユニオンとかいう奴らが、うちを独占禁止法の疑いで提訴すると言ってきました」
「何っ、英会話学校の労働組合がか。自動翻訳アプリのおかげで、商売あがったりということか」
「我々は、全うな商売をしていますし、ただ消費者から絶大な支持を受けニーズが多大なだけです」
「ひがみと妬みで、おこぼれを頂戴しようという魂胆だな」
「中国語会話学校やスペイン語会話学校には、そのような動きはないのですが」
「面倒くさい奴らには、カネをくれてやって、穏便に済ませられないか」
田中が横から口をはさむ。
「それはダメだ。ちょっとでもカネを払ったら、いろいろと難癖つけてくるぞ」
「裁判をするのか」
田中は渋い顔をしていた。
「たぶん、裁判をすれば勝てると思うが、弁護士次第の面もある」
藤木は、離婚の時のことを思い起こしていた。
「かなり敏腕の弁護士を立ててくるようなので、敗訴でカネを払わされることもあります」
沢尻は、心配そうな顔をしていた。
「よっしゃ、俺にドーンと任せておけ、奴らをギャフンと言うわせてやる」
藤木は席から立ち上がって言っていた。

 「スマホの容量が小さい方、通信速度が遅い方、スマホをお持ちでない方にピッタリなのが、こちらのポケット自動翻訳機アルファです」
通販コンテンツ司会の担当者が自動翻訳機を手にして言っていた。
「でもお高いんでしょう」
アシスタントの女性が言う。
「いえいえ、こちらは特別に開発された音声キャンセラーやワンセグなどが内蔵され、電子辞書も付いて49800円とお安くなっています。さらに今回、本日中にご購入のお客様に限り、39800円の特別価格です」
「ええっ、アプリだけでも29800円なのに…お得ですね」
アシスタントはわざとらしく驚いていた。
「お申し込みは、今すぐ、お電話かこちらにアクセス」
アシスタントが言うと、通販ショップのテーマ音楽が流れた。
「はい。OKです」
コンテンツの監督が言うとスタジオの照明が消えた。

 藤木たちはスタジオの隅に控えていた。
「藤木、沢尻コミュ研に通販スタジオがあって良かったな」
「あぁ、ここを使わしてもらえれば、どこかにスタジオを借りなくても思い通りの動画が撮れる」
藤木はスタジオのセットが、謝罪会見場に入れ替わるのを見ていた。

 藤木は台本を見ずに会見動画を撮影していたが、途中で言葉を噛んたり、口調が軽過ぎるということで、テイク3を向えていた。
「…この度、英会話学校ユニオン様から独占的で売れ過ぎとのお叱りをいただいたので、深く反省し沢尻コミュ研の自動翻訳アプリ並びにポケット自動翻訳機の日本国内での販売を全面的に中止いたします。お客様には、大変ご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。英会話学校ユニオン様が、不当な提訴だとお認めになり、取り下げていただければ、今後の道筋が見出せるかもしれません。尚、海外ではこのようなご指摘は一切ないので、引き続き販売を続けたいと思います。お詫び方々ご報告申し上げる次第です」
藤木は真剣な面持ちで言い、最後にうつむいてカメラフレームから外れる。次にカメラフレームに戻ると目頭を押さえていた。
「はい。OKです」
コンテンツの監督が言うとスタジオの照明が落とされた。目薬を隠し持っていた藤木はステージから降りた。
 「これをさっそく動画サイトにアップしてくれ」
「わかりました。藤木先輩、これで英会話学校ユニオンに書き込みが殺到するでしょう」
「だいたい、妬んでカネを取るなんて、太ぇ野郎だ」
藤木は珍しく怒っていた。
「沢尻コミュ研のアプリ購入希望者は大勢いるから、ユニオンの奴らは悪者になるぞ」
田中はニヤニヤしていた。

 動画がアップされた日の夕方から、英会話学校ユニオンを誹謗中傷する書き込みが殺到し、ユニオンのサイトは炎上していた。中には放火するとか代表を殺すなどの過激なものまであった。望国民主党寄りのメディアは、否定的な見方をしていたが、それ以外は独占禁止法にあたらないとか、不当な提訴と言った論調が主流になっていった。3週間後、英会話学校ユニオンは、しぶしぶ提訴を取り下げた。
 「沢尻、俺に任せて正解だろう」
「先輩のおかげで、販売再開にこぎつけられました」
「あの動画の俺の肩書はなんだったっけ」
「先輩は会長兼最高顧問ということでしたが」
「君が最高経営責任者だから今日からそんな役職はなくそう。でも何かあったら最高顧問としてを呼んでくれ」
「わかりました」
「じゃ失礼するよ。ルナの方が忙しくなっているからな」
藤木は、沢尻コミュ研から足早に出て行った。

 藤木は月に向かう宇宙船の設計図を見ていた。
「おーい、弁当買ってきたぞ、明日は藤木の番だからな」
田中は弁当を藤木のデスクに置いた。
「わかってるよ」
「あ、それと藤木の別れたカミさんってこんな顔だっけ」
田中はスマホの映像を藤木に見せていた。
「おぉ、そうだよ。しかしこれどこで撮った」
「そこのコンビニにいたぞ」
「ええっ、そこにあいつが。俺がここにいると嗅ぎ付けてきたのか」
「動画の映像とかワイドショーで藤木のことが出ていたからな」
「由美のやつ、しぶとく慰謝料を請求するつもりだろう」
「そう言えば、踏み倒して中国に渡ったよな」
「うっかり外にも出られないな」
「でも今なら、払うカネぐらいありそうなものだが」
「額の問題じゃない。気持ち的に絶対に払いたくないんだ」
「その気持ちわかるけど…」
「大事の前に厄介だな」
「だふん昼時と夕方を狙っているんじゃないかな」
「当分の間、裏口から裏路地を抜けて行くか」
藤木が言っていると、いつの間にか沢尻が降りてきていた。
「先ほど先輩を訪ねてきた女性がいまして、なんかわけありげでした。またユニオンの連中ですかね」
「沢尻、こんな顔の女じゃなかったか」
藤木は、田中のスマホの画面を見せた。
「はい。そうです」
「俺の別れた妻だよ。慰謝料を取りに来ているんだ」
「一応、外出中と言っておきました」
「ルナの方はまだ知らないようだな。でも今度来たら、そうだな、アメリカに視察に行っていると言ってくれ」
「わかりました」
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