第12話 帰国

文字数 4,920文字

 藤木と田中は屋根裏部屋に泊まらされ、ミラーは従妹の一緒の寝室で寝ていた。ミラーの親戚の家の住人は朝が早く、藤木たちが起き出した頃には、ミラーの叔母しかいなかった。
 ダイニングルームに行くと、ミラーの叔母さんが作ってくれた朝食がテーブルに並んでいた。目玉焼きにソーセージ、アボガド入りのシ―ザ―サラダ、パンケーキが人数分皿に盛られていた。
「いやー、すみませんね。朝食まで用意していただき、それじゃ遠慮なくいただきます」
藤木は、嬉しそうに朝食を食べ始めた。田中はまだぼーっとしながら食べ始めていた。
「そういう、同時通訳の機械は、日本で流行っているのですか」
ミラーの叔母が聞いてきた。
「流行ってます。アメリカでもまもなく流行りますよ」
「便利ね。いろいろな国に行きたくなります」
「ところで、ミラーあなたもミラーさんでしたよね。アメリアさんはどうしました」
「ネットを見ているみたいですけど」
叔母は、上品な口調で話していた。
「そうですか、ちょっと失礼します」
藤木のスマホに沢尻からSNSで連絡が入ったので、読み始めた。
「なんだか急にアメリカでアプリが売れ出したと、沢尻の奴、驚いているぞ」
「藤木、SPOのこと、まだ伝えてなかったのか」
「様子を見てからと思ってさ」
藤木は、最後のアボガドを口に入れていた。
 藤木たちが朝食を食べ終わる頃、頭の毛が跳ねているミラーがやってきた。
「Goddamn,Ah…あぁ、大外れ、何一つ当たってなかったわ。200億円はパーね」
ミラーは言葉の途中からスマホのアプリを起動させていた。藤木のスマホの訳語とミラーのスマホの訳語が一瞬ハモったが、すぐに喋っている側のスマホの音声が優先された。
「田中、沢尻のやつ、凄い機能を付けたな」
「バージョンアップしたって、このことか」
田中はミラーの胸のポケットを見ていた。
「何見てんのよ」
「あぁそういうわけではなく…」
田中は大まじめに否定していた。藤木と叔母は笑っていた。

 ニューブランズウィック駅前の通りで車を降りた藤木たち。親戚の家の車で送ってきたミラーは、運転席に座ったままであった。
「アプリは、SPOウィリアムスが宣伝してくれたから、この先爆発的に売れるでしょう。我々は日本に帰ります」
窓を覗き込むようにして言う藤木。
「JFK空港から帰るから」
田中はふざけて投げキスをしていた。
「月の件だが、もう1社を見つけたら連絡します。どーんと任せてください」
藤木は高笑いしていた。
「私も当たれる所があれば、いろいろと当たってみます」
ミラーは座席に忘れ物がないか見ていた。
「お互いに頑張りましょう。それじゃまた」
藤木たちは駅に向かって歩き出した。

 帰国した藤木たちは、落合の沢尻コミュ研にいた。
「藤木先輩、人を増やさないと休みが取れないので、下の階の社員寮も事務所にするつもりです」
「そうか。それじゃ、俺らも出なきゃな」
「新江古田駅の近くに借りたビルの一室に社員寮は移ります」
「手際が良いな」
「それで、求人を出したいのですが、ネットサイトの求人は私がやりますが、ハローワークの方は先輩にお願いします」
「あぁ、わかった。いい人材が見つけられるように言ってくる。田中、一緒に来てくれ」
藤木は、給湯コーナーでお茶を飲んでいる田中に呼びかけた。
「俺も必要なのか」
「そこに居ても、他の社員の邪魔になるだろう」
「俺が有能だから連れて行くと言ったらどうだ」
田中はぶつぶつ言っていたが、タブレットPCをソフトケースに入れていた。

 藤木たちは、新宿のハローワークに行き、求人申し込みをし終えた。
「これで、手続きは全て済んだな」
藤木は満足そうにしていた。
「ちょうど昼だぜ」
「この時間、新宿駅の方は混んでいるだろう。反対の新大久保の方に行こう」
「それも良いな」
田中はすぐに歩き出した。

 藤木たちは、インド、ベトナム、韓国、タイと国際色豊かな街になっている新大久保界隈を歩き、本場インドカレーと銘打っている店に入った。
 店内は比較的込んでいるが席は空いていた。藤木たちが食べている斜め向かいのテーブルではインド人風の男が気難しそうな顔で食べていた。店長を呼びつけているようだった。
「藤木、あれを見ろよ。インド人がクレームつけているぜ」
「本場なのに本場じゃないとか言ってんだろう。でも俺らにはスパイスが強し本場な気がするがな」
藤木はそう言いながら、インド人が英語を喋っているので、スマホのアプリを起動させた。
「本場のインドカレーというものはない。今、日本で食べられているカレーは、どちらかというとイギリス料理だ。このカレーは日本料理としても成立している。だから本場の文言は取り下げるべきだ。でないと妙な誤解を生むぞ」
インド人風の男は滔々と述べていた。
「このカレーは日本料理という認識なのか。本場のインド人は言うことが違うな」
藤木がぼそりと言うと翻訳アプリが拾って英語に訳していた。
 インド風の男がじろりと藤木を見た。
「いえいえ。異論はありません」
藤木はとんでもないと言った顔をしていた。
「あんた、英語が喋れるのか」
「あ、このスマホが同時通訳しているだけです」
「ほほぉ、これは面白い。普通に会話ができるじゃないか」
インド人風の男は、藤木たちのテーブルに来た。
「お客様、看板の文言の件は…」
近寄ってきた店長が言っていた。
「好きなようにしてくれ。もう文句は言わん」
男が言うと、店長は安心したように厨房の奥に戻って行った。
「ところで、これはどこで売っている。アプリをダウンロードするのか」
「私が作った自動翻訳アプリでして、アメリカで大評判で、売り切れ続出中のメガヒット商品です」
「君にそんな才能があるのか。ぜひうちに来て働いてみないか」
「と言われましても、私はこれを売っている沢尻コミュ研のCEOなもので」
藤木が言うと田中はまたかと言う顔をしていた。
「CEOか」
「私も実はインド版のフェイスブックとアマゾン、それにグーグルのような検索エンジンを一つにまとめた『indiboxy』を作った者だ」
男はさり気なく言っていた。田中はすぐにタブレットで検索していた。
「なるほど、お互いにCEOというわけですか」
「私の場合、ちょっと違うが…」
「藤木、この人はイライジャ・ヴィジャイじゃないか。この写真を見ろよ。IT長者だぞ」
「あ、そうです」
男は田中のタブレット画面をちらりと見ていた。
「イライジャ・ヴィジャイさん、私もそうじゃないかなと思ってました、その風貌から感じられるカリスマ性に
は引き付けるものがありますから」
藤木が言うとヴィジャイはニンまりとしていた。
「それでなんでまた日本に。見るからにお忍びのようですが」
「我が社を世界の巨人企業にしたいと思って世界中を旅している途中なのだよ」
「…そうですか」
「日本のカレーを日本料理として全世界に広めるのは、結構面白くないかな」
「いゃ、規模が小さ過ぎます。もっとドーンとドデカいことをしないと」
藤木の言葉に一瞬ヴィジャイは気分を慨した表情をしていた。
「君には何か考えでもあるのか」
「私は、月に行ってレアアースなどの月の資源を採掘して、さらに…」
藤木はその先を考えずに言っていたので、詰まってしまった。
「月の資源は国際開発だし、コストが見合うとは思えないが」
「…そこがド素人なんです。いやこれは失礼。所有権はまだ曖昧だし、月を往復する物流会社を作って、ゴールドラッシュのブームのようなものを演出したらどうです」
藤木は咄嗟に壮大なホラを見出していた。
「なかなか面白発想だ」
「資源が入るし、運賃や輸送費でガッポガッポですよ」
藤木は高笑いしていた。
「君は、それに向けて何らかの策を講じているのか」
ヴィジャイは前のめりになっていた。
「既に中国系企業から1兆円、我が社が1兆円の出資を決めています。しかし5年で3兆円が必要なので、もう一社がまだです」
藤木の言葉に田中は、そんなこと決っていたかと言う顔をしていた。ヴィジャイはしばらく黙ってしまった。
 「藤木、そんなこと、たった今会ったばかりの人に言われて信じると思うか」
田中は小声で言っていた。
「君のその心意気が気に入った。『indiboxy』から1兆円出そう。ただし君の会社とその中国系企業の会社の実態や業績を調べてからだが。とにかく直につながる連絡先を教えてくれ」
「わかりました」
藤木は、カレーを半分残していたが満腹感があった。

 1年半後。エアビークルの売り上げが伸びたH-REFINE社は、銀座に支店を出した。日本における旗艦店と位置付けられているため、総帥の洪成が来日していた。
 銀座支店のショールームでは、富裕層向けのエアモビリティ5が載せられたステージがゆっくりと回転していた。車体下側の前後左右にファンが付いており、左右のファンははね上げて畳めるようになっていた。エアモビリティ5のドア脇には黄色のワンピースを着たコンパニオンが立ち、笑顔を振りまいていた。田中はコンパニオンの写真をスマホで撮っていた。
 「こんなに早く、これが日本で見られるとは、思っても見ませんでした」
藤木は、洪に話しかけていた。周囲の人は洪が総帥とは知らずに支店長ぐらいに見ているようだった。
「この調子だと、例の件も、まんざら夢物語ではなくなった感があるな」
洪もスマホをシャツの胸ポケットに入れていた。
「洪さんのお取り計らいで、アプリも中国本土から注文が殺到していますから、米中でバカ売れってところです」
「ところで、試乗するかね」
「…ドローンバイクの時のようなことはないですよね」
「ここは日本だけど、どうだね。素晴らしい景色が見られるぞ」
「洪さんが、そこまでおっしゃるなら、乗りますか」
「それじゃ、屋上に来てくれ」
洪は、エレベーターの方に向かっていた。

 ビルの屋上には、中間層向けのエアモビリティ4が置かれていた。左右のファンが展開していて、運転席には女性が座っていた。
「運転は私よりもミラーさんの方が上手いから」
洪はそう言うと、運転席の女性に手を挙げていた。
エアモビリティ4のドアが開き、ミラーが出てきた。
「藤木さん、久しぶりね。H-REFINE社に転職したから」
「それは最高にクールじゃないっすか」
藤木はゲンコツを突き出してミラーと合わせていた。

 外見上は上級機種とほぼ同じのエアモビリティ4は、ファンの回転数を上げるとふわりと浮き上がった。そのまま上昇すると、銀座中央通りの上に出た。下を見ると歩道を歩いていた人たちが、驚いて見上げていた。エアモビリティ4は一旦新橋方面に向かい博品館の辺りで旋回して太陽を背にした。高度はビルの屋上よりも10メートル程高い程度であった。和光本館の時計台や三越の屋上を見ながら北に向かう。明治屋や丸善を下に見てしばらく進む。日本橋の首都高速の上を通過し、日本銀行の辺りで旋回していた。
 「日本橋ってどこにあるの。東京じゃ有名な所よね」
ミラーは下を見てホバリングさせていた。
「あの高速道路の下にあるんだ」
「なんだ。変な所にあるのね」
「いずれ高速は地下に入るらしいけど当分は無理なようだ。その頃には車が空を飛んでいるから、無駄な投資になるな」
「時代の流れね」
ミラーは中央通りの上に戻してコレド日本橋の上空を通過させていた。

 10分ぐらいの飛行で旗艦店の屋上に戻ってきた。藤木は銀座を上から見たことがなかったので、興奮気味であった。
「これが普及すると、通勤圏や住宅地の範囲が広がるな」
藤木は降り際に言っていた。
「新たな儲けビジネスが浮かびそう」
「いゃー、月のプロジェクトに比べれば、儲けの額が違い過ぎる。この次は宇宙船の中で会いたいものだよ」
「着々と現実味が帯びて来たわね」
ミラーは珍しくメガネを外して嬉しそうにしていた。
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