第2話資金ゼロ

文字数 5,409文字

●2.資金ゼロ 
 「あなた、それはパワハラじゃないの。訴えるべきよ」
藤木の妻・由美はムッとしていた。
「政治家を相手に訴えるのか。北畠には敏腕の弁護士が付いているぞ」
赤ら顔の藤木は、頭をふらつかせていた。
「だらしないわね。このまま泣き寝入りなんてダメよ。権利があるんだから」
「でもな。誰か対抗できる弁護士がいるか」
「あなたがやらないなら、あたしがやるわ。この裁判が終わるまでは離婚はできないわね」
「妻でなくなると他人だから、訴えられないか」
「もともとあなたと暮らすのには無理があったのよ。いずれはこうなるでしょうね」
「パワハラ裁判の後は、離婚裁判か」
「そういう順序になるわね。覚悟していて」
「しかし俺からそんなに搾り取れないぞ」
「なんとかするわ。子供がいないし互いに再出発する良い機会じゃない」
「まぁ、なんとかやってれ」
藤木はふらつく足取りで寝室に向かった。

 藤木は翌日から自宅にいずらくなったが、妻の由美が衣料チェーン店のパートに出かけるまでの我慢であった。由美がいない自宅をうろつく藤木。本棚の下の扉が半開きになっていた。気になった藤木は、扉を開けると、由美の同窓会名簿が滑り落ちてきた。パラパラとめくると、何人かの男性の名前の所に印が付いていた。高校の時の元彼の名前だった気がした。藤木は由美が変わり身の早い奴だと感じていた。
 藤木は何か急に自宅にいるのに嫌気がしてきたが、行く当てもなかった。そこで思いついたのが、仮想通貨の口座を開設することだった。自宅のパソコンからアクセスし登録した。仕事先は北畠の政治家事務所のままで、問題なかった。健康保険証もそのままだが、さすがにこれはまずいので、免許証で本人確認をしておいた。
 数日後、藤木は売り払ったタブレットPCの2万円を時価総額ランクで100位前後の仮想通貨に投資した。藤木はまだこのことを由美には言っていなかった。

 パートから帰って来た由美は、雑然としているリビングを見回していた。
「あなた、昼間の間、何をやっているの。することがないのなら掃除とかやってよ」
「ハローワークをサイトを見て、議員秘書の口を探している」
「今さら無理よ。東大も出てないし、弁護士の資格もないんだから秘書なんか無理無理」
「それじゃ、ハーバード大でも留学するか」
「夢みたいなこと言ってるんじゃないの。職の階層化が進んでいるご時世では、下の者や失敗した者は這い上がれないようになっているの。理解してる」
「そうかな。もっとパーッと気楽な人生があってもいいんじゃないか」
「あたしも目が曇っていたわ。こんな極楽男と結婚したんだから」
「やり直せるチャンスがあるんじゃなかったっけ」
「そうね」
由美は語尾を下げて、蔑んだ目で藤木を見ていた。
「あぁ、それからパワハラの件の弁護士が見つかりそうよ。それも敏腕のね」
「どうやって、そんな弁護士を見つけた」
「高校の時のツテよ」
「そうですか」
わざとらしく言う藤木。

 駅前のパチンコ屋の壁際の列に並んでいる藤木と田中。 
「その後、どうだい。カミさんとは」
「訴える手筈が着々と進んでいるよ。それよりもパチスロでカネが増やせるのか」
「今日入る新台の『蒼竜ノ剣Ⅵ』は間違いない。俺の経験から見ると爆発的に出る。その上、この店は新装開店と来ているからな」
「そうかそれなら、ここはお前に任そう。俺は競馬で増やしてみる」
藤木は長札入れから2万円を出し田中に手渡す。
「これだけか」
「投資していた仮想通貨が急騰し3万円になったうちの2万円だぞ」
「これを帰る頃には10万円にしてやる。あぁ、8万にしてくれ手数料として2万円差し引くから」
「しっかりしてるな。それでも4倍か、楽しみにしているぜ。それと8万円以上はいくらでも手数料にしていいぞ。太っ腹だろ。終わったら連絡してくれ」
藤木が言うと店の扉が開き、列が進み出した。

 藤木は自宅に戻り、競馬新聞を隈なく読みネットで馬券を購入した。田中から連絡があるまでの間、藤木は、次に投資する仮想通貨の銘柄を検討していた。俗に草コインと呼ばれるものを選ぼうとしていた。しかし、なかなかこれぞと思うものがなく、取りあえず時価総額20位以内の仮想通貨に目星をつけていた。 

 夕方、田中が訪ねてきた。
「藤木、ワリィ、すっからかんだ。思った以上に出が悪くてな。もう少し元手があったら、取り返せたのだが」
「なんだぁ、その気で待っていたのにな。俺の方はミノワギャロップを絡ませて連単で買ったから、1万円が2
万円になったぞ」
「凄げぇな」
「やっぱり、ギャンブルはパチンコやパチスロではなく、競馬の方が回収率が高い」
「また、お前のギャンブル論議か」
「競馬で家を建てた奴はいるが、パチスロじゃいないだろう」
「大場のことか。あいつは、たまたまだろう」
「それにパチンコは北朝鮮の資金源になっているぞ」
「そこを突かれるとな…、でも全部がそうじゃないだろう」
「まぁ、仕方ない。取りあえず振り出しの2万円に戻っただけだからな」
「また仮想通貨で増やしてくれ」
「そろそろ、カミさんが帰って来る」
「わかった。そんじゃな」
 
 いつもの帰宅時間になっても由美は帰ってこなかった。藤木のスマホにラインが入る。
『弁護士の先生と打ち合わせがあるので遅くなる』とだけあった。
 藤木は裁判の手続きは進んでいるのか。疑問を感じていた。裁判沙汰になれば、北畠側から何らかの連絡があるはずだが一切なかった。
 由美は翌朝帰ってきて、その日のパートは半休を取っていた。昼近くになって由美が起きてきた。仮想通貨のサイトを見ていた藤木のもとにやってきた。
「やっぱり、北畠をパワハラで訴えるのは、無理があるわ。だから、これからはあなたとの離婚についての話し合いもしくは裁判になるかしらね」
「いよいよだな」
「それと今度の週末に、あたしの荷物は引き払うから、広く使えるんじゃない」
「別居ということか」
「角を突き合わせていても、なんだかね。仕事は見つかった」
「いや」
「見つからなくても、もらうものはもらうからね」
「それじゃ、仮想通貨で増やすか」

由美が出て行ってから、藤木の自宅は広々としたが、家賃の支払いを考えると、無駄な感じがしてきていた。今までの僅かばかりの蓄えがあるから、支払いができるが、慰謝料などを払うことになるとかなり厳しい状況になることは明らかであった。
 そんなある日、追い打ちをかけるニュースが飛び込んだ。
『仮想通貨と呼ばれている暗号資産業界に激震が走りました。昨夜、東京に拠点を置く大手仮想通貨取引所ネオカレンシーがハッキングされ、18億円相当の仮想通貨が一夜に消えてしまいました。仮想通貨銘柄は次の4銘柄です』
女性ニュースキャスターの声に藤木は朝食のコーヒーをむせてしまった。慌てて田中にラインをしておいた。

 「それで藤木はいくら損したのだ」
パチンコ屋の帰りに立ち寄った田中。 
「あの2万円が10万円になっていたんだぜ」
「意外に増やせたな。しかしゼロになるとはツイてないな。どうする」
「明日、仮想通貨取引所のオーナーが被害者向けの説明会やるというから、行ってみるよ」
「人が殺到するだろう」
「ネットで入場整理券をゲットしておいたから、その点は大丈夫だ」
「しかしなぁ…」
「文句だけでも言っておくか。何かカネ目のものでもあれば失敬してくるよ」
「会見場のトイレットペーパーぐらいだろうな」
「ここは一つ、バーッと明るく考えようぜ」

 藤木が被害者説明会の会場に入ると、既に席はほぼ満席であった。じっくりと周りを見渡してみると、オタクっぽい男の隣の席が空いていた。藤木がそこに座ると、すぐに仮想通貨取引所のオーナーが出てきて説明が始まった。頭を下げて謝るものの、具体的な補償については曖昧であった。
 「皆様もリスクがあることをご御承知で暗号資産に投資されていると思いますから…、」
オーナーが言いかけていた。
「取引所がハッキングされてカネがなくなるリスクも含まれるのですか」
被害者の一人が声を上げた。
「私共も万全の体制を敷いておりましたが、日々進化するハッキング技術には追い付かない面がありまして」
「進化する技術じゃなくて、コールドウォレットになっていなかったと言われていますが」
別の被害者が言い出す。
「保管時はネット環境とは切り離していますが、入出金の際は接続するので…」
「そこをしっかりと管理するのが、あなた方ではないですか」
藤木の隣に座っていたオタク風の男が言っていた。
「監督官庁のセキュリティー指導は無視してませんか」
藤木もつられて声を上げた。
「指導には従っています」
オーナーはきっぱりと言っていた。
「あぁ、そうですか。これまた失礼いたしました」
藤木はそう言いながら、何気なく隣の男の顔を見た。見覚えのある顔であった。
「お、東京情報工科大学の沢尻じゃないか」
藤木の言葉に横を見るオタク風の男。
「あっ、藤木先輩、ですか」
「そうだよ、RPG研究同好会にいた藤木だよ。沢尻も無事に卒業できたのか」
「もちろんっすよ」
二人の会話にオーナーは咳ばらいをしていた。

 会場近くのファストフード店に立ち寄る藤木と沢尻。
「先輩は議員秘書なんかしていたんですか。それじゃ将来は国会議員でも」
「いや、辞めさせられたからな。まぁ俺の事はこれぐらいにして沢尻の方はどうだ」
「自分はゲーム会社に就職して、その後、フリーでアプリなんかを手掛けてます」
「羽振りがいいんだろう。それなのに仮想通貨に手を出したのか」
「自分が作った自動翻訳アプリの実用化に必要な費用を集めようと思いまして。つい」
「費用か。ゼロになっちまったな。費用ならクラウドファンドかなんかで集めりゃ良かったのに」
「一度、やってみたんですが、カネが集まらなくて」
「そうだったのか。投資に対する見返りが魅力的でなかったのではないか」
「先輩は詳しそうですね」
「あぁ、まぁな。よし、俺がクラウドファンドでカネを集めてやろうか」
「そんなことできるんですか」
「どーんと任せておけ、但し商品化したら5%ぐらい利益を分けてくれ」
「先輩、これは世界的にヒットする商品です。2%でどうです」
「よーしわかった3%で手を打とう」
「先輩、実用化させてくださいよ」
「わかった問題ない。それでどんなアプリか詳しく教えてくれ」
藤木は沢尻の説明を聞いていたが、理解できない専門用語もちらほらあった。

 自宅に田中を呼び寄せた藤木。 
「田中、ネット関係には詳しいんだろう」
「藤木よりは詳しいけど、クラウドファンディングはやったことがない」
「とにかく沢尻の自動翻訳アプリは凄いんだ。これを世に出せば、大儲けできる」
「スマホの翻訳アプリなんて、ゴロゴロあるぞ」
「沢尻のは、喋っている本人の言葉を弱めにして…音声キャンセラー機能とかいうやつだ。それで翻訳の声は大きめになるので、まるで本人がその言葉で話しているようになるんだ」
「スマホを口の前にかざして喋ると英語や中国語になるのか」
「まあ、そんな所だ」
「反応速度が速いから、同時通訳的に会話ができる」
「となると、相手の言葉も弱めてから翻訳アプリの日本語が強まって聞こえるのか」
「その通り。もう英会話の勉強なんかする必要がなくなるわけだ」
「そんなものは、なかったな」
「だろう。だからクラウドファンディングで何とかしてくれ」
「わかった。面白そうだ。やってみよう」

 藤木はクラウドファンディングが順調にカネを集めているので気を良くしていた。そんな折、離婚が成立した元妻・由美から慰謝料の請求書が届いた。
 「どう、仕事は見つかった。見つからなくても、慰謝料はちゃんと払ってよね」
藤木は由美の声が大きいので、スマホを耳から離して聞いていた。
「仕事は見つからないんだが、アプリ開発でカネが入るから大丈夫だ」
「アプリ開発なんかできるの」
「信じなくても結構ね月末には…いや来月末には、払える」
「あなたの稼ぎ次第では、額を上げようと思っていたけど無理そうね」
「それは助かる。それじゃな」
藤木は電話を切った。その場で田中に電話する藤木。
 「来月の半ば頃までに中国へ飛ぼうと思うが、どうだ」
「どうした。今月末にクラウドファンディングの募集が締め切られても、自動翻訳アプリの商品化はそれからだぜ」
「来月末に慰謝料を払うことになってな。こっちがもらいたいくらいだから、海外にトンズラしようと思って」
「よく言った。その方がお前らしいや」
「アプリ商品化の方は俺が居なくても、沢尻に任せりゃなんとかなるだろう」
「それはいいが、先立つカネはあるのか。それにどこに行く」
「ファンドで集めたカネの一部を前借りしようと思うが」
「そんなことしてまずくないか」
「沢尻の奴、俺に感謝し放しだからな。試作アプリの実証実験のためにLCCで中国に行くと言えば何とかなる」
「そうか。それで商品化されれば、本当に大金が入るんだろうな」
「実証実験すれば、わかるはずだ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み