第17話 策士

文字数 6,821文字

●17.策士
 藤木たちは、都内府中市にある宇宙開発機構のオフィスを訪ねていた。
「必ずや日本の有人探査にルナ・ロジスティックス社がお役に立てると思うのですが」
藤木はプレゼンツールを駆使して熱弁をふるっていた。
「あのー、失礼ですが、CEOを辞められた今でも藤木さんはルナ・ロジスティックス社に関わっているのですか」
宇宙開発機構・副代表の村田がさり気なく言う。
「あれから、平社員として一からやり直しまして、ようやっと交渉役を任されるまでになりました」
「しかし、このような案件は、責任ある立場でないと無理じゃないですか」
「交渉の権限は与えられてますけど、経営には携わっていません」
「後藤田さんの疑惑の時も打ち上げ塔の再建のために政府の助けを求めてますけど、今回は銀行倒産で、我々の助けを求めているのですか」
「まあ、それもありますけど…、純粋にお役に立てると思いまして。世界各国の宇宙開発を見ても、有人探査は必要なことだと思いますが」
「確かに有人探査は魅力的です。今まで失敗のリスクを考慮しロボットなどでやってきましたから」
「ルナ社を利用していただければ、アメリカ、中国に次いで日本が3番目の月面有人探査成功の快挙になります。宇宙開発機構の予算拡大にもつながるわけでして、どうですか」
「月と地球の物資輸送に人間も含まれるのですか」
「有人の月往還船は軌道上で組み立てられています。それにルナ社としては不足した資金の穴埋めにもなりますし、お互いにウィンウィンの関係になります」
「ただ利用できるならともかく…」
「いゃー、ただはちょっと困りますが、お安くしておきますけど」
「どうも、あなたは調子が良過ぎるし、裏がありそうだ」
「裏なんてありません。後藤田さんのことで懲りてますから」
「とは言っても、万が一、後藤田さんのようなことになると、我々組織の存続にも関わります」
「それは絶対にありません」
「とにかく、今日の所は交渉不成立という形でよろしいですか。用事が立て込んでいるので、こちらで失礼します」
村田は、応接室から足早に出て行った。
 藤木たちはプレゼン資料を片付けていた。
「藤木、全然今日は空回りだな」
「後藤田の一件が響いているな。宇宙開発機構は交渉を続けても無駄だな。それよりもみすみ銀行で、預金がいくら取り戻せるか交渉した方がマシだろう」  
藤木たちは宇宙開発機構の応接室から立ち去った。

 ルナ・ロジスティックス社の会議室。藤木たちは席がないので、ここで昼食を食べていた。
「やっぱりタブレットよりも、この方が新聞って感じだな」
食事が済んだ田中は紙媒体の新聞を広げていた。
「昔は全部これだったんだからな」
藤木もようやく食事を終えていた。
「…製薬会社もグローバル化で合併が流行りだな。しかし名前をどうにかして欲しいよ。共立バイエルン・ファマナイザーだってさ、長くないか」
田中は舌を噛みそうにしていた。藤木も紙面に目がいっていた。
「おい、『新経営陣は無重力下の製薬に前向き』って書いてあるじゃないか。これだ、行ってみよう」
藤木の目が輝き出した。

 藤木たちは虎の門ヒルズが窓から見える豪華な応接室にいた。
「共立バイエルン・ファマナイザーさんは、儲かっていなさるんでしょうね。こんな都心の一等地に自社ビルを構えているのですから」
藤木は、窓の外や壁の絵画などを見回していた。
「いやいや、自社ビルと言ってもほとんどがテナント貸しですから」
共立バイエルン・ファマナイザーCEOのフランク坂井はニコやかにしていた。
「それにこの絵もお高いんでしょう。ピカソですか。目ん玉がどこ見てるんだかわからない、あれですね」
藤木が言っていると、隣で田中が小突いていた。
「レプリカですけど」
「あぁ、坂井さん、あの虎の門ヒルズの隣のビルは何ビルです」
藤木は、坂井の目をそらさせていた。
「田中、ピカソについて検索しろ」
藤木は小声でいった。隣に座る田中はテーブルの下に自分のスマホを持っていき、坂井から見えにくい位置で調べ始めた。
 「えっ、どのビルですか」
坂井が藤木の方に振り向いた。
「そこのガラス張りのビルです」
「あっあれは、キャッシュレス決済でひと財産築いた中国系企業のビルです。アリテイでしたか」
「そうですか。しかしキュビスムは凄い」
「藤木さんは絵画に造詣が深いのですか」
「キュビスムは、遠近法無視してますし、固定した一つの始点が描くのではなく、…いろいろな視点を一つの集約しています。まさに革命的じゃないですか。泣く女はゲルニカから生まれた作品なので、その時代背景が如実に物語られていると言えます」
藤木は、テーブルの下をチラ見しながら言っていた。
「これは奇遇ですな。私もキュビスムには、感銘を受けています。キュビズムではなく、キャビスムという言い方をなさるとは、あなたもわかっていらっしゃる」
「趣味が同じなので私も坂井さんには、親しみを感じますし、包み隠すことなく話ができそうです」
「もっと美術の話をしたいものですが、それはこの次の機会として、先ほどの件ですな」
坂井はメガネを軽くかけ直していた。
「はい。ルナ社の無重力区画を使えば御社の薬はバンバン作ることができます」
「軌道上に何らかの施設をお持ちなのですが」
「2つの区画を既に打ち上げていますので、それを利用すれば可能です」
「そうは言ってもタダとは行かないでしょうな」
「1回目の使用料は、お試しとしてタダでも良いと思っています。しかし御社の薬の原材料などを打ち上げるのにお金がかかります。当初はそれを出していただくことになります」
「それは仕方ありませんな」
「後は、当社のロボットもしくはスタッフが調合します」
「その打ち上げ費用と言うのは、だいたいいくらぐらいになりますか」
「ざっと見積もって140億円程度でしょうが、詳しくは後程ご連絡いしたます」
「140億円ですか。打ち上げ費だけにしてちょっと高いようですが」
「何せ、薬を扱うので、衛生面を考慮しなければなりません。気象衛星などを打ち上げるわけには行かないもので」
「本当に1回目は無重力区画の使用料はタダなのですな」
「ルナ社の事業が動き出して今後、ご贔屓にしていただき、何十回何百回とご利用いただけるのでしたら安いものです」
「何百回とは大袈裟ですな」
「キュピスムのような製薬革命を宇宙で起こしましょう」
「キュビスム…面白そうですな」

 藤木、田中、沢尻は沢尻コミュ研の会議室に集まっていた。
「今すぐに何百億円の支援は受けられないが、共立バイエルン・ファマナイザー社の原材料の打ち上げと相乗りなら、打ち上げ費用だけでもルナ社の出費は抑えられるだろう」
「さすがに藤木先輩たち、窮余の策にはなりました」
「いずれ、上得意になってくれれば、もっと儲けられるはずだ」
「みすみ銀行の方は、預金を踏み倒す気かな」
田中が心配そうに言っていた。
「銀行の倒産がうすうす叫ばれていた時代に、多額の預金している方が悪いのかもな」
藤木は達観したような感じであった。
「しかし、こんなに早く倒産するとはな」
田中は納得が行っていないようだった。
「今回のことを受けて、うちの資産はスイスの銀行やタックスヘイブンに分散して保管しています」
「沢尻、マネージメントは君の方が、しっかりしているな。しかし困りごとがあったら駆けつけるぜ」
「それで藤木先輩たちの日本での居場所は、しばらく宇宙飛行士訓練センターになりそうです」
「盆栽と訓練に励むか」

 藤木は宇宙飛行士訓練センターのランニングマシーンで走っていた。マスクを装着して走っているので、息苦しそうな顔になっていた。マシーンの脇では、インストラクターのラッセルが計測モニターをチェックしていた。
「午前のカリキュラムは、これで終わりです」
ラッセルは英語で言っていたが、胸ポケットからは日本語になっていた。
「こりゃ、昼飯が上手くなるな。へとへとだよ」
藤木は窓から通りを見ながら言っていた。週末になると市民団体と称するデモ隊が通りを行ったり来たりしていた。プラカードには『月を私物化する男を月に行かせるな』などと書かれていた。

 藤木はセンター内の食堂で昼食を取っていると、別メニューのカリキュラムを終えたアメリアが目の前の席に座った。アメリアは常に翻訳をオンにしていた。
「どう、そっちは順調」
アメリアは覚えたての片言の日本語で言った後、翻訳アプリをオンにした。
「…宇宙に行く前に、ぶっ倒れそうだよ」
「大変だけど、これでいよいよ月行く日が近づいたわね」
アメリアも昼食を食べ始めた。

 藤木の午後のカリキュラムはプールでの模擬無重力下で宇宙服作業訓練であった。宇宙服を着てプールに入る藤木は、手にスバナーを持っていた。訓練用支柱の穴ににボルトを差し込み、ボルト締めを始めた。1本目は無事に締められた。次に2本目のボルトをコンテナーから取り出そうとして、滑り落としてしまった。
「本番では、無重力だから落ちないよな」
藤木は宇宙服の無線で言っていた。
「藤木さん、これが月面だったら、ゆっくりでも落ちます。注意してください」
ラッセルの翻訳の声が聞えてきた。
「堅いこと言うなよ」
藤木は、ボルトを拾ってから、訓練用支柱の穴にボルトを差し込んでいた。

 藤木は夕方までにこの日の訓練カリキュラムを全て終了した。しかしほっとしたのもつかの間、センターの会議室で落合の沢尻と緊急のリモート会議をすることになった。
「菱新重工から技術流失の指摘があったのか」
藤木は足の筋肉をほぐしながら言っていた。
「はい。先ほど電話がありまして、」
沢尻は画面上で神妙な表情になっていた。
「菱新重工は、ロケットエンジンの製作を委託しているし、他の部分では共同開発している重要なパートナーだぞ。まずいな」
「このままでは、提携関係を打ち切ることにもなりかねないと危惧していました」
「また誰か、社内で裏切者が出たかな」
「セキュリティー体制には問題はないはずですし、設計など機密事項に関われる人間は限られています」
「その人間の中に裏切者がいるのか…」
「ただ不思議なことに全部が盗まれているのではなく、部分的なのです」
「部分的なのか。忍び込んで持ち去るのだったら、全部持っていくよな」
「はい。それに社内の重要部署に忍び込まれた形跡が全くないのです」
「だとするとネットのセキュリティーはどうなっている。ハッキングしやすい所から持っていかれてないか」
「その可能性はあるかもしれません」
「よし、とにかく菱新重工と共同で調査対策チームを立ち上げよう」
「わかりました。早速手配します」

次の週末、訓練カリキュラムを終えた藤木は、駅前のコンビニで新作のスイーツを買って、センターに戻ってきた。相変わらずセンター前の通りをデモ隊が行ったり来たりしていると思っていたが、この日はいつもよりも早めに解散したようだった。
 訓練センターの見学者受付の所で警備員が若い男性と女性を押しとどめていた。
「松沢さん、どうしました」
藤木は警備員に声を掛けた。若い男女は藤木の顔を見て驚いていた。
「この人達が、トイレを貸してくれというものですから」
「だって、夜間見学コース用に中に入れるじゃないですか」
若い男性が言っていた。
「うちの前でデモをやっていた人間を入れるわけには、行かないでしょう」
藤木が言うと松沢も大きくうなづいていた。
「トイレと言いつつも、迷ったふりして、機密事項を盗む魂胆だろう」
「なんとかしてくれませんか」
若い女性が言っていた。
「だいたいデモの対象にしていた所に来て、おめおめとトイレを借りるなんて恥ずかしいと思わないか。信念も何もなしにデモに参加しているのか」
藤木は半分呆れていた。騒ぎを聞きつけた田中も受付の所まで降りてきていた。
「あたしたち、時給1100円のバイトでデモに参加しているので、信念とか言われてもね」
「ええっ、あんたら、バイトなのか」
「今日は正社員の人がいないから、早めにデモは終わらせたんです」
若い男性は平然と言っていた。
「何、市民団体のデモの内情っこんなものなのか。それじゃ時給1300円払ったら、反市民団体のデモをやってくれるか」
「え、1300円ですか。喜んでやりますよ」
若い男性はニンマリとしていた。
「そうかい、それじゃ、トイレを貸そうじゃないか。あのドアの内側に立っているおじさんがトイレに案内してくれる」
藤木は、田中に聞こえるように大きな声で言っていた。
 田中は、しぶしぶだが、若い男女をトイレに案内し、出てくるまでトイレ前で藤木と共に待っていた。若い男女はほっとした顔でトイレから出てきた。
「君たち、来週からは『不当なデモを許さない会』のデモ隊として、センターの前をうろついてくれ」
藤木は受付のメモ帳に走り書きした文字を見せていた。
「来週からですね。わかりました」
若い男女は口をそろえていた。
「君たち、急に鞍替えして文句は言われないのか」
「職業選択の自由がありますから、」
「そうか。それじゃ他の仲間も鞍替えさせてくれたら、君ら二人の時給は1500円にしよう」
「わかりました」
「勝手に決めて大丈夫か」
田中は眉をひそめていた。
「問題なし。なかなか見どころがある若者じゃないか」
藤木は高笑いしていた。
 
 技術流失の共同調査対策チームの本部は、都心部の社屋から離れている訓練センター内に置かれていた。藤木たちは訓練が終わると、ちょこちょこ本部に顔を出していた。
 「その後、どうですか」
藤木はタオルを首にかけていた。
「社内LANのセキュリティーを破って侵入された形跡があります」
ハッカー上がりの本部長の島村は、PC画面から目を離さずに応えていた。
「だとすると、人が侵入したり、裏切りの線は消えたわけか」
いつの間にか、田中も立ち寄っていた。
「それで、どこの誰がハッキングしてきているんだ」
藤木も島村の覗いている画面を見ていた。しかし英数字の羅列ばかりで、さっぱりだった。
「ロシアのハッカー集団の仕業が濃厚です。たぶん技術データを売る目的だと思います」
「ロシアか。既に盗まれたものは仕方ないとして、今後は設計データが保管されているサーバーなどをオフ回線のコールド・ウォレットのようにすれば、守れるんじゃないか」
「藤木さん、そう簡単に言いますが、どうしてもLAN回線でつながります。その際に侵入される可能性があります」
「それじゃ、どこに何があるかわからなくすればどうだ」
「それでも突き止められるでしょう」
「一層のこと、デタラメなそれらしいデータをあっちこっちに収納したり、こちらからわざと流したらどうだ」
「…面白い発想ですね。デタラメですか」
「その仕様書で作ったエンジンは爆発するようにしたり、想わぬ不具合が潜んでいるプログラムなんていうのはどうだ」
「いかに本物らしくするのがミソですね。モチベーション上がるぅ」
「罠を仕掛ける積極的セキュリティーなんて、最高にクールじゃないかな」
「藤木さん、もしかしてSPOウィリアムスの曲、聞きますか」
「あ、SPOならまぶダチだから」
「本当ですか。そりゃすげぇ。エクスク、エクストリーム・クールじゃないっすか」
「ハッキングする奴らを困らせてやれ」
「了解。積極的セキュリティー、やりましょう」

 3ヶ月後、共同調査対策チームは、ハッキング集団の特定ができたが、既に解散したか世界各国に散らばって潜伏していと推定された。それでもセキュリティー体制が強固になり、これ以上の技術流失が食い止められ、かなりの成果が上げられていた。そこでルナ・ロジスティックス社のネットセキュリティー部となり、存続することになった。
 「打ち上げ時の大爆発事故、誤動作で衛星が通信不能になるなど、相次ぐロシア宇宙ベンチャー企業の失敗に品質管理体制の不備が指摘されています」
訓練センターの食堂にあるテレビから流れるニュースキャスターの声。
 藤木と島村は、たまたま同じテーブルで昼食を食べていた。
「積極的セキュリティーで、ハッカー集団の信用はガタ落ちだな」
藤木は、ニヤニヤしていた。
「ルナから盗んだデータを使わなくなるまで、しばらく続きますかね」
島村はカレーを口にしていた。
「しかし、さすがに奴らも騙せる腕前は凄いよ」
「デタラメなデータの内容は、菱新重工の技術者とのコラボですから」
島村はそうはいうものの、若干誇らしげであった。
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