第22話 国際ルール

文字数 5,215文字

●22.国際ルール
 エアモビリティ4が、さいたま市の訓練センターの屋上に着陸した。国際郵便を手にした沢尻は、屋上から階段を駆け下りて、宇宙科学館の事務所に飛び込んできた。
 「藤木先輩、これなんです。国連から届いた警告書は」
沢尻は息を荒げて、英文で書かれた封筒から書類を取り出していた。
「そんなに慌てて飛んでこなくても、ネット会議でも良かったのに」
「実物をお見せした方が良いかと思いまして」
「まぁ、座ってくれ」
藤木は空いている事務所の席に沢尻を座らせていた。

 藤木は国連の警告書を読み込んでいた。藤木が読み終えると、田中とアメリアも目を通していた。
「竜川教授の論文が発表されたら、急に俺らに目を向けて来たな」
藤木は封筒を見つめていた。
「市民団体の働きかけもあったみたいよ」
「藤木、どうする。今度は市民団体ではなく、国連だぜ」
「まず月面の旗を外せと言っているが、俺は外すつもりはない。あの鉱石の重要性に気付き、独り占めさせないという現れだな」
「この書面だとタツカワ・フジキナイトは、電重力物質と呼ばれる鉱石になっているわね」
「それは言いにくいからだと思います。それで先輩、これに従いますか」
「ここに出ている宇宙資源活用条約というのは、いつ決まったのだろう」
「それは1ヶ月ほど前のようです」
沢尻は警告書の5枚目にある書類を確認していた。
「論文発表の翌月じゃないか」
「なるほど、それだけ重要な鉱石だったんだ」
田中は今さらながら驚いていた。
「この条約を読むと、宇宙に存在する資源は人類共通の宝として共同利用が原則として決められているが、何らかの形で所有してしまった所有者は段階を追って所有権を手放す義務があるとある」
「何らかの形で所有って、あたしたちのことね」
「でも罰則規定はないし、段階を追って所有権を手放すとある。警告書で脅してきているが、中身が曖昧な条約だな。どうも日本の個人や企業を対象にしているようだが、国家やそれ以外については触れていないし、南極条約に準じるという文言もある」
「バカ正直に従うと損する可能性があるかしら」
「南極条約に準じているなら領有権は一時的に凍結されているだけで、放棄ではないはずだ。何らかのタイミングで解凍される可能性がある」
藤木は目が鋭くなっていた。
「抜け道があるわけね」
「条約を作った側に都合が良いように勝手に作られたルールに従う必要はないだろう」
「藤木は、黙って従っていても、せっかくの有利な立場を捨てるだけと言いたいのだな」
「今まで世界のルールは外国人が勝手に作ったものに、ただ従うのが日本人だったが、そうはさせたくない。スポーツ界を見ればわかるが、柔道着の色を変えさせられたり、2020年のオリンピックのマラソンのように理不尽な決定は常になされてきた。これから決めるものは外国人任せではなく、日本人が決めたって良いいんじゃないか」
「藤木、国際政治に乗り出す気か」
「そんなつもりはないが、自分たちに都合の良いルールは作ってみたいよな。まず、いずれ月面の領有権を主張する中国に働きかけてみるか。あちらさんは南極条約も快く思っていないからな」

 その日ラッセルは、近々打ち上げる月面投資プロジェクト『マイニング・ハンター』の搭乗員たちの訓練を終えて、リラクゼーション室で、スポーツドリンクを飲んでいた。たまたま通りかかった藤木は足を止めた。
「ラッセル、頑張って訓練指導しているようじゃないか」
「藤木さん、彼らの体力的な資質を考慮して選んでましたか」
「最初の段階で宇宙に行くことを前提としているから、ある程度は選別しているが」
「鈴木さんは、平衡感覚が過敏なので宇宙酔いしやすいでしょう」
「そうなのか彼は、1万人の100万円出資者から選ばれている幸運な男だ。それで他の連中はどうだ」
「アメリカ人の方は、体力的に問題はないのですが、物覚えが悪いです」
「仕方ないだろう。ホワイト氏は、500人2千万円出資者のコースから選ばれているが、3口6千万円の出資をしていたから、他の人よりも選ばれる確率は若干高かったな」
「中国人の方は、気力体力共に優れていますが、翻訳アプリを使いたがらず、訛りの強い英語を話すのが難点になります」
「陸氏は100億円をポンと一人で出しているから、一番の金持ちじゃないか。好きにさせてやれ」
「わかりました」
「いずれも大事なうちのお客さんだからな、丁寧に扱ってくれよ」

 「ここ八丈島宇宙港では、国連の警告を受けてから初のルナ・ロジスティックス社の打ち上げが行われようとしています」
訓練センターの食堂のテレビからキャスターの声がしていた。打ち上げ塔で燃料注入を終えたロケットの映像が流れていた。
 藤木は急いで蕎麦を食べていた。
「藤木、八丈島の控室と回線がつながっているぞ。会議室に急ごうぜ」
田中は藤木の傍らで立っていた。
「わかった」
藤木は出汁を飲み干すと立ち上がった。

 会議室の大型モニターには、ホワイト、鈴木、陸が映っていた。
「これから『マイニング・ハンター』の旅が始まります。皆さんのご健闘を期待申し上げます」
藤木は、一人一人に目を合わせるようにして言っていた。
「あのぉ、ガイド役の藤木さんは、いつ合流するのですか」
鈴木が怪訝そうな顔をしていた。
「私は、皆さんが乗る新型の軌道シャトル船の収納庫にあるロボットを介してガイドします」
「ロボットですか」
ホワイトが口を開いた。
「スタッフが説明していませんでしたっけ」
「ガイド役として同行するということは、こういうことなんですか」
陸の英語は、翻訳に若干遅れが生じているようだった。
「それと陸さん、英語のアプリの調子が良くないようなので、中国語で会話してもらった方が、スムーズになると思います」
「あっ、そうですか」
陸は中国語で言っていたが、吹き替えのように日本語になっていた。
 月面投資プロジェクト『マイニング・ハンター』の搭乗員を乗せた軌道シャトル船は打ち上げられた。搭乗員たちは、月往還船に無事に乗り移ることができ、月に向けて出発した。

 訓練センターの会議室に藤木、田中、アメリアがいた。
「俺の方は、警告書を無効にする宇宙資源活用条約改正案の働きかけを、インドでも推し進めてもらうために、ヴィジャイに頼み込んでおいた」
藤木が報告していた。会議室の座席の一つには、リアル3D画像としてルナ・ロジスティックス本社にいる沢尻の姿も映っていた。
「私は、今回の打ち上げで、旗を引き抜くように指示していると、取りあえず国連に連絡しておきました」
沢尻の映像は、たまにブレる程度で実際に座っているように見えた。
「中国の高官の件は、洪さんの斡旋でなんとかなりそうだよ」
田中は任務を果たした結果をちょっと得意気にしていた。
「あたしの方は、アメリカ政府と日本政府で宇宙資源活用条約改正案に興味を示してくれそうな人物を探しているけど、今の所、皆国連に従うと言っているわ」
「アメリア、日本政府にもアプローチしているのか」
「翻訳アプリがあるから、結構できるものよ」
「それじゃ、先輩たち、引き続きよろしく頼みます」
「あぁ沢尻、俺は『マイニング・ハンター』のガイド役もあるから、もし中国の高官に会える手筈が整っても行けないと思う。田中に事前交渉などを頼みたいけど良いかな」
「…たぶん王さんが同行しますから、田中さんと二人で交渉まで行けそうですが」
「沢尻がそこまで田中のことを買っているなら、全部任せてみるか。なぁ田中」
藤木が言うが、田中は少し不安そうな顔をしていた。

 月往還船内にはホワイト、鈴木、陸、アイロ2が宙に漂っていた。
「この船内では、エアロバイクなどで、筋力を維持しないと地球に戻った際に歩けなくなりますから、ちゃんとやってください」
アイロ2の口内にあるスピーカーから藤木の声がしていた。エアロバイクの足を止めていた鈴木は再びこぎ始めた。陸はダンベルを上げ下げしていた。
「藤木さん、なんかずーっと気分が悪くて、頭に血が上り過ぎてる気がするんですが」
筋トレを終えたホワイトは英語で言っていたが、ホワイトの声とそっくりの日本語の声に変換されていた。
「あぁ、それは宇宙酔いです。重力がないので、この環境に慣れてもらうしかありません」
「酔い止めの薬とかはないのですか」
ホワイトはアイロ2に向かって言っていた。
「あるには、あるのですが、気休め程度です。その奥の壁面パネルを開けた救急箱に入ってます」
アイロ2は壁面パネルの方へ漂っていった。

 訓練センターの第二体育館でゴーグルやバーチャルスーツを装着して、月往還船のガイドをしている藤木。第二体育館に正社員に採用された池田が入ってきた。
「藤木さん、ちょっといいですか」
池田は、藤木のヘッドセットに割り込めるマイクを通して話しかけていた。
「…なんだ。その声は池田君かな、今回は製薬や調合はしないはずだが」
藤木は、慌ててゴーグルを外していた。
「中国に行った田中さんと王さんと連絡が取れなくなったとのことです」
「何っ。連絡が…。ああぁ、ガイドの方は君に任せるアイロの扱いは慣れているよな。アイロ2はもっと扱いやすくなっている」
「ガイドを私がやるのですか」
「マニュアルは、そこにある。月を周回するまでは、愚痴を聞いたり、励ますだけで良いから」
「わかりました」

 藤木とアメリアは訓練センターの会議室にいた。大型モニターには洪が映っていた。
「私が斡旋した中国の高官は、自由中国組織の潜入者だと、わかって殺されたようなのだ」
洪はすまなそうにしていた。
「それじゃ、その高官に会いに行った田中や王さんは、どうなるのですか」
「私の方でも探っているのだが、未だに消息がつかめていない」
「その高官は田中さんたちが会う前に殺されたんですよね」
アメリアは声が震えていた。
「そのタイミングも良くわからんのだ」
「それじゃ、私が中国に行って、全てを解決させますて見せますよ。ドーンと任せてください」
「いや藤木さん、今回ばかりはそんなに甘くない。この上、君まで失うわけには行かない」
「洪さん、大丈夫ですって」
「ヒトシ、あなたは、今でも中国では保釈逃亡犯になっているはずよ」
「そうかな、時効だろう。月のガイドが忙しくなかったら、行くつもりだったが」
「行くのは止めて。あたしもあなたは失いたくないのよ」
「もう、洪さんもアメリアも、俺が中国に行くと殺されるような口ぶりじゃないですか」
「私が信頼していた高官が殺されるのだから、中国当局は躍起になっているはずだ」
「危険度は増しているかもしれないが、田中や王さんの安否が…」
「どうしても、行くと言うなら、私が君を拘束するぞ」
「洪さん、まずあたしが訓練センター出られないようにします」
アメリアは真剣な眼差しで藤木を見ていた。
「わかりました。私は行きませんが、なんとかします」
藤木は何か閃いていた。

 藤木とアメリアは訓練センターの食堂にいた。
「俺の身代わりにアイロ1.5を行かせようと思っているが、どうだ」
藤木は、箸で切り分けたハンバーグを口にしていた。
「アイロ1.5ってアイロ2のプロトタイプよね。使えるのかしら」
アメリアは、かつ丼を器用に箸を使って食べていた。
「アイロ1.5は、金属部がむき出しだが問題はないと思う」
「でも、どう使うのよ。それに田中さんたちはどこにいるのかもわからないのよ」
「そこなんだよ。それをまず何とかしないとな」
「あれから洪さんの方も、何の手がかりもないみたいね」
「まず、中国に潜入している自由中国組織の拠点を当たってみて…」
藤木のスマホの着メロが鳴った。ヴィジャイからの電話だった。
 藤木は当初深刻な顔をしていたが、少し明るい顔になった。電話を切る藤木。
「ヒトシ、どうしたの」
「田中と王さんは北京のインド大使館に逃げ込んだとのことだよ」
「無事なのね、良かったじゃない」
「それが、大使館は厳重に出入りが監視されていて、一歩も外に出られないそうだ。電話もSNSも監視されているらしい」
「無事だけど、中国から出られないわけね」
「よーし、インド大使館にアイロ1.5を分解して宅配便で送ってみよう」
「宅配便も中身はチェックされるでしょう」
「箱を開けるようなことはせず、外部からスキャンするだけだと思う。部品レベルに分解すれば、エアコンの部品とかの名目で送れると思うが、田中達が組み立てられるかが問題なんだ」
「王さんがいるから、なんとかなるんじゃないの」
「それもそうだな、ポジティブに考えて送ってみるか」
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