第16話 宇宙飛行士訓練センター

文字数 5,399文字

●16.宇宙飛行士訓練センター
 藤木たちはバンクーバーに着くと、中山公園近くにあるチャイナタウンの一角にある王の親戚がやっている中華料理店に行った。盛大にもてなされ、腹いっぱいになると予約が入れてあった大聖堂広場近くのホテルに向かった。翌日はバンクーバーの名所を案内してもらい観光をして、夕食はまた中華料理でもてなされた。
 バンクーバーに着いて3日目の朝、藤木たちはホテルの向かい側にあるカフェで朝食を食べていた。
「あの店が、王さんたちの活動拠点なのかな」
藤木は飲み過ぎたという顔をしていた。
「そんなことはないだろう。もっと他にあると思うが」
田中は、意外とスッキリとした顔をしていた。
「田中、でもこちらに来たから、今後、王さんと会いやすくなったんじゃないか」
「それは良いんだが、いつまでここに居られるかな」
「カナダで働くか」
藤木が言っているとスマホに着信があった。
「沢尻新CEOか」
田中が言うと、スマホの画面を見ている藤木はうなづいていた。
 「日本にも宇宙飛行士の訓練施設を作るから、インストラクターをスカウトしてくれってさ」
「宇宙訓練施設か。いよいよ宇宙に飛び出すことが現実味を帯びて来たな」
田中はマフィンを口にしていた。
「それで今度新しくできるルナのロス支社を拠点にして探してくれと言ってきている」
「ロス支社ができるのか。バンクーバーから遠くなるな」
「田中、とは言ってもアメリカ大陸の西海岸にいるんだから、日本にいるよりも近いじゃないか」
藤木は田中の肩を軽く叩いていた。
「ロス支社はいつできるのだ」
「もう、事務所はアメリアさんが見つけたらしいぞ」
「アメリアさんか、沢尻新CEOはすぐに手を打つな」
「ロスに行こうぜ」
藤木は、コーヒーをグイッと飲み込んでいた。

 ルナ・ロジスティックス社のロス支社はロサンゼルス北部のヴァンナイズにあった。地元のハンバーガー店近くの2階建ての建物を借りていた。
 藤木達が到着すると、アメリアは事務所の窓を掃除していた。藤木たちの姿を見ると翻訳アプリをオンにした。
「バンクーバーから意外に早かったわね」
アメリアは、藤木と田中に挨拶のハグをしていた。
「空港からここまで思ったよりも渋滞してなかったから、バスは順調だったよ」
藤木は目の前の通りを見ていた。
「ミラーさん、空き事務所すぐ見つかったようですね」
「田中さんもアメリアでいいわよ。あぁ、ここは事務所と言うより空き店舗ね」
「アメリア、ずいぶんと張り切っているじゃないか」
藤木も手伝おうと雑巾を探していた。
「ここは携帯電話ショップだった頃の張り紙の後がなかなか取れないのよ。雑巾はあそこにあるわ」
「わかった」
藤木が雑巾を手にすると田中も雑巾を手にしていた。
「それとインストラクターの件、ある程度リストアップしておいたけど、アメリカの宇宙ベンチャーが大方の優秀な人材をスカウトしているようだから、苦戦するかも」
アメリアは、雑巾を置いて、デスクのパソコンの電源を入れていた。
「だろうな。だから沢尻の奴、俺に頼み込んだんだと思う。とにかく何とかし見せるよ」
藤木は雑巾をきつく絞っていた。

 藤木たちはロサンゼルス近郊のサンタバーバラまで、ロス支社がシェアリング契約しているエアモビリティ4でやって来ていた。ゆるい傾斜の坂道を登る途中には何軒も広々とした家があった。
「藤木、あそこの植込みがいっぱいある所だろう」
田中はエアモビリティ4の助手席に座って下を見下ろしていた。
「なんか日本庭園っぽいな」
藤木は、ゆっくりとその家の門の前に着陸させた。
 藤木たちはエアモビリティ4から降りると、いかにも東洋趣味といった鐘のような呼び鈴を鳴らした。しばらくすると呼び鈴の隣にあった監視カメラが動いた。
「本日、主人のサム・ラッセルは出掛けております」
監視カメラの下にあるスピーカーから声がし、藤木のスマホが翻訳していた。
「奥さん、藤木と申しますが、ご主人はいつ頃お戻りですか」
「わかりません。メールか電話で予約をしてみてはどうですか」
ブチッと声が途切れた。
 「なんだよ。今日だってアポを取ったのにな」
田中は不機嫌そうにしていた。
「そういう人間なんだろう。でも諦めんぞ」
藤木は名刺を郵便受けに入れていた。

 数日後、藤木たちはテキサス州ヒューストンに来ていた。空港からバスで市内に入っていた。
「ここまで飛行機代をかけて来たんだから、今日は何らかの成果がないとな」
藤木は周囲を見ながら歩道を歩いていた。
「この住所だと、どうしてもあの病院になるが、間違いかな」
田中はタブレットの画面を見ていた。
 藤木たちは病院の前まで来た。
「精神科って、精神病院か」
藤木はスマホのカメラで看板を読み取っていた。
「引越したんだろう。中に入って聞いてみようぜ」
田中は、病院に向かって行った。
 「ジョン・アンダーソンさんなら療養中ですが、面会はできますよ」
受付の黒人女性は愛想よく言っていた。
「療養って入院しているのですか」
藤木は半分がっかりしていた。

 アンダーソンは、病院の中庭のベンチに座っていた。
「君たちは、僕の才能に惚れ込んで、宇宙訓練士にするつもり」
アンダーソンは、少し目がイッて入る感じだった。
「あなたの経歴だと、相応しいかも…。というかいつまで入院しているのですか」
「医者が、まともだと言うまでだけど、もうとっくにまともだけど」
アンダーソンはそういうと、舌を出していた。藤木と田中は顔を見合わせていた。
「そのスマホ、面白いね。地獄へ落ちろベイビー、って言っても訳しているのかい」
「アンダーソンさん、あんたはイカレてるぜって言っても訳しますよ」
藤木は面白半分になっていた。
「僕のこと頭がおかしいって言う人がいるけど、宇宙に出たら、それはもう、よりクレイジーでクールだぜ。四角形の丸み!日本って中国の横にあるんでしょう。行ってみたいな。腹切り、芸者が見られるし」
「あの、アンダーソンさん、アンダースタンドさんにならないと、ピロピロってなっちゃいますよ」
藤木は、舌をペロぺロ出すとアンダーソンは大喜びしていた。
「藤木、図に乗るのはよせよ。帰ろうぜ」
「アンダースタンドさんになる頃に、また会いましょう」
藤木は舌をペロぺロ出して、その場を立ち去って行った。

 この日、藤木は一人だ再度サンタバーバラのラッセル邸を訪ねていた。
「奥さん、今日はちゃんと予約を取ってきたので、ご在宅でしょう」
「私はメイドです。よくわりません」
「でも、その声は、」
「あなたの翻訳機が壊れているのです」
「とにかくお引き取りください」
「本当にいないのですか」
「あのー警察を呼びますけど」
「私は何もやましい所はありませんけど」
藤木が言っていると、巡回中の警察のドローンが頭上でホバリングしていた。
「また、来ます」
藤木は名刺を郵便受けに入れていた。

 ロス支社の会議室。丸テーブルと大型モニターが置かれていた。
「もう、出向いていくの無駄だな。今の世の中、ネットを活用しよう」
藤木は、ネット面接の準備をしていた。
「藤木、つながったぞ。面接を開始してくれ」

 大型モニターには、黒人の大男が映っていた。
「私はジョンソン宇宙センターとパサデナで宇宙飛行士訓練センターのチーフ・インストラクターや統括マネージャーをやっていました。出身はマサチューセッツ工科大学です」
「待ってました。あなたのような方をスカウトして、日本で訓練センターを開設したいのですが」
「契約金200万ドル、年収20万ドルでお引き受けできると思います」
「200万ドルで20万ドルですか。これは参りましたな。その4分の1が予算なんですよ」
「それでは100万ドルで10万ドルでどうですか」
「そうですか。私はぺぇべぇの平社員面接官なんで、上と相談してからまた連絡します。それじゃ」
藤木は、そそくさとネット回線をオフにした。
 「藤木、得意の交渉で、契約金は下げられそうだったじゃないか」
「いや、あれはダメだ。イニシアチブを取ろうと言うのがありありだ。雇い入れると、後々厄介なことになる」
「でもアメリカじゃ、報酬は交渉するのが当たり前だろう」
「そうかもしれないが、もっと若くて、こちらの言うことを聞いてくれる人間でないとな」

 藤木たちはサンタバーバラのラッセル邸の上空でエアモビリティ4をホバリングさせていた。
「今日という今日は、強硬突破して、話しをしよう」
「藤木、なんでお前はこのラッセルをそんなに口説き落としたいんだ」
「ラッセルは、一度信頼関係を築いたら、絶対に違えないというような面構えなんだ」
「そうなのか。写真の写り方によるんじゃないかな」
「それに今日は3回目だ。三顧の礼ということもある」
「ここはアメリカだぞ、三国志でもあるまいし」
田中が言っていると、庭で手を振っている男がいた。着陸しろとゼスチャーをしていた。

 エアモビリティ4は日本庭園のような庭の池の脇に着陸していた。棚に載せられた盆栽も大きいものから小さいものまで、いろいろとあった。
 「今までは失礼した。三顧の礼と言うこともあり、今日はこうしてお話をしようかと思います」
ラッセルは、物静かに言っていた。
「ラッセルさん、三顧の礼をご存知でしたか。私もね、そんな気がしていたんですよ」
藤木は高らかに笑っていた。
「私は日本や中国の精神性に人生の目標を見出しています」
「それは大したものです。尊敬します。それで…詳細は名刺やメールに書いた通りでして、日本で訓練センターのチーフ・インストラクターとして迎え入れたいのです」
「私はお金では動きません」
「と言いますと」
「ジョンソン宇宙センターや宇宙ベンチャーの訓練士を辞めたのも、盆栽のためなのです」
「盆栽ですか」
「高そうなものが、結構ありますね」
田中が口を挟むとラッセルはつまらなそうな顔をしていた。
「値段じゃありません。その造作造形に価値があるのです」
ラッセルは、ひと際大きい盆栽を眺めていた。
「田中、訓練センターはどこに作る予定だった」
藤木はスマホが声を拾わないように小声で言っていた。
「確か、つくば市とか言っていたが。まだ決まってはいないらしい」
「そうか」
藤木はニンマリとし、ラッセルに向き直った。
「ラッセルさん、訓練センターはどこに作ると思います」
「日本だと鹿児島県あたりでしょうか」
「いやいや、盆栽の聖地、さいたま市の大宮ですよ」
「何と、大宮ですか」
「それに宇宙港が都内の島に出来ているんです」
「そうなんですか。大宮と聞かされると心が動きます」
ラッセルの顔は途端に明るくなっていた。
「よろしければ、訓練センター近くに住まいを用意しましょうか」
「ここにある盆栽を持って行けるのですか」
「もちろんと言いたいところですが、この広さの庭は無理です。しかし半分以上は持っていけると思います」
「住まいまで用意してくれるなら、タダでも行きます」
「タダというわけには行きませんから、余裕を持って生活できる給料はお支払いします」

 一年後、さいたま市の大宮盆栽美術館から歩いて7~8分の所に地上4階地下3階建ての宇宙飛行士訓練センターが完成した。 
 サム・ラッセルの家も訓練センターの近くに用意されていた。
「ラッセルさん、この盆栽はどこに置きますか」
藤木は引越しを手伝っていた。
「あぁ、これは日当たりはそれ程よくない方が良いから、あの松の木の影にある棚に置いてください」
ラッセルはねじり鉢巻きをしていた。
「ラッセルさん、この鉢はどこに置きます」
田中も額に汗して手伝っていた。
「そうですね。それは右の棚、いや左の方が良いでしょう」
「ラッセルさん、少し休みましょう」
藤木がラッセルの元に近寄り行った。
「藤木さんたちは、休んでください。私はもう少しやります」
「それじゃ、遠慮なく休ませてもらいます」
藤木は、田中にも休むように手招きしていた。

 藤木たちは、ロスから送られてきた庭石の上に座っていた。
「契約金や年俸は抑えたかもしれないが、家にカネがかかっていないか」
田中は、ペットボトルのお茶を飲んでいた。
「それでも、ラッセルの経歴や実績を見れば、安く雇い入れられた思う」
藤木が応えていると、スマホの着メロが鳴り電話に出た。
 藤木は真剣な顔をしてスマホを耳に当てていた。
「そうか、大手のみすみ銀行が潰れたか」
藤木は残念そうに口を開いた。
「藤木先輩、どうしますか。資金調達に支障が出ます。それに預金をどこまで保証してくれるのか見えてきません」
沢尻の声は珍しく震えていた。
「沢尻コミュ研もルナも、他の銀行とも取引しているから、なんとかなるだろうが、この先、厳しいかもな」
「月に行く計画もかなり遅れそうです。何とか切り抜ける良い知恵はないでしょうか」
「沢尻、心配するな。俺にどーんと任せておけ。あの、みすみ銀行が潰れる世の中だ。時代の変わり目だからな、俺の奇策が活きるぞ」
藤木は笑っていた。
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