第13話 烏森の日々

文字数 7,172文字

 晴雄が初めて烏森でマサに会った時、マサはお吟と言う名の烏森(からすもり)雛妓(おしゃく)だった。マサと晴雄は夫婦となり、その烏森で吾妻屋という旅館を始めた。その頃は日清戦争による戦争景気前だったが、既に新橋と烏森は潤っていた。そしてあたりは年々賑わいを増して行き、待合や料亭の数も増えていった。花月、胡月などの有名な料亭をはじめとして、規模の小さな待合も、どれもみな大繁盛していた。内幸町に帝国議会が開設された(筆者注:今の千代田区霞が関一丁目のあたりに臨時の国会議事堂が開設された。)ため、烏森は政官界に近い花街であったことが栄えた理由だ。烏森は、そうした座敷に縁のない者たちですら、何やら浮いた気分になる、そんな街だった。

 吾妻屋は政治家たちにもよく利用された。マサが旅館の管理をある程度晴雄に任せて、芸妓だった頃の顔を生かしてかつての贔屓の者たちに吾妻屋を勧めて回っていたからだ。地方から出てきていた政治家などには、当時の国会のあった霞が関にも近く、新橋、烏森で遊ぶ場合にも便利であることを売り込んで行った。自由党はしばらく吾妻屋を本部としていたほどだ。
 そして、転んでもただ起きないとはこの事で、マサは秘露の事件で関わった者達にも積極的に旅館を売り込んだ。何しろ、日秘鉱業会社の発起人には、高橋長秋、小野金六、高田慎蔵、藤村柴朗などの当時の財界のお歴々が居た。株主まで広げれば、三浦梧楼、前田正名、米田虎雄なども居たのだ。これらの者達に声を掛けない手はないと考え、マサはそれぞれに会いに行き、事件についての皮肉もなんのその、意に介せずに吾妻屋を売り込んだのだ。
「誰かと思えばお吟か。しばらくだの。旅館を始めたとは聞いていたが...」
「ええ、烏森の一等地で旅館を構えております。新橋の駅からも国会や官庁街も近いので、東京にお出の際は是非とも吾妻屋をご利用くださいませ。」
 新橋の美人芸者として鳴らしたマサの事は皆、覚えていたし、そんな美人芸者に誘われるままがまま、吾妻屋に泊ってみたいと思うようだった。ただ、たまに事件の事に拘る者もいた。
「お主は、あの田島と一緒になったんだってな。なんでまた?まあ良いが、わしが行くとお互い不愉快な思いをするだけじゃないだろうか。」
「その心配には及びません。うちの人は、優秀な支配人で宿主ですから、表の事はあたしの方で仕切ってますの。」
「お主はベタ惚れなんだのお。まあ、頑張ってくれ。東京に来ることがあれば今度泊まらせてもらうよ。」
 だいたい、こんな感じで適当にあしらわれていたこともあって、三浦梧楼のところに行くことには余計に躊躇があった。なにしろ裁判で晴雄を訴えた相手だ。それでも、マサはこの国の中核に繋がる人脈は、商売上とてつもなく重要であることがわかっていた。つまらない事で躊躇している場合ではない、と腹を括り、三浦のところを訪ねた。
「おお、良く来たの。何、烏森で...ほお、旅館をなあ。で、田島君は元気なのかい?」
 三浦が伸び始めた無精ひげにしきりに手を当てながら、久しぶりに会う、美人芸者に目を細めた。三浦がそんな風にマサに接したので、マサは自信を持った。もう、三浦が過去の事をこだわっていないのではないか。ここは単刀直入に攻めてみるところだと確信した。
「おかげさまで、うちの人は元気です。賠償金は、少しづつ返していく所存ですので、それはそれとして、烏森にいらっしゃることがあれば、吾妻屋にお泊り下さい。」
「はっはっは、お主は、本当に胆の据わった芸者だのお。いやあ、機転の利く、才覚のある娘だ、と言うべきかのう。実は是清ともそんな事を話したことがある。裁判で夫の敵にも、旅館を売り込むなぞ、もう立派な女主人じゃな。気に入ったよ。吾妻屋の名前は聞いたことがある。肥後や筑前の連中にもここを使うよう宣伝しておくぞ。賠償金の事はまあよか。俺ももう事件の事は忘れた。奴にもそう伝えておいてくれ。」
 実際、三浦に旅館を認知してもらったのは大きかった。三浦が宣伝してくれたことも有り、九州の政治家は好んで吾妻屋を利用するのようになった。また、三浦自身も吾妻屋によく泊るようになった。もっとも、マサは、三浦に宿を売り込んだことを後で少しだけ後悔することになるのだが。

 ともかくそんな感じだから、吾妻屋の出だしは好調だった。そのため晴雄は、烏森の地に来てから、旅館はマサに任せ、暫くの間、街行く人を眺めていた。烏森を行きかう人々は、商人、丁稚などの身分のそれほど高くない者達や、そこに官吏や軍人など身なりのきちんとして矍鑠とした姿勢の者達が加わっても、服装の色彩と言う点では晴雄が過ごした秋田の銀山やペルーの山奥の庶民と変わるところは無かったが、その身綺麗だが何の味気も無い服装の中に、夜に成れば島田を結った、縮緬地の裾の芸妓たちが人力車に乗って、あるいは小股走りで街を行きかうようになり、薄明りの中でも目立つ、まさに花街というべき花の色を携えるのだった。
 特に、襟替えと呼ばれる花街でも最も華やかな儀式の一つに晴雄も何度も出くわした。襟替えの儀式では、新たに一本立ちする芸妓と共に、多くの姉芸妓達が着飾ってそぞろ歩きするのだが、その様は華やかというのを越えて豪華絢爛で壮観なものだった。山の中過ごすことの多かった晴雄にとって、その彩、特に紅は、これまでにほとんど見たことの無いものだった。
 また人気の歌舞伎役者などもよく烏森にやって来たが、書生芝居の役者であり、また一座の座長でもあったオッペケペー節で既に有名な川上音二郎も、しょっちゅう烏森にやって来た。夫婦のようにしていた日本橋芳町の芸者、貞奴と一緒に、さらに芳町やら日本橋の芸者達を一ダースくらい引き連れて来て、派手に遊んでいた。晴雄も一行が烏森の街に繰り出して来たところを何度か見かけた。音二郎の連れている芸妓のうち何人かは晴雄も知ってる顔の者も居たが、大半は他の街の芸妓らしく、全く知らない顔だった。普通、花街同士のいがみ合いも有ったりで、他の街の芸妓はあまり歓迎されないものだが、音二郎は烏森の芸妓達にも人気で、誰も他の街の芸妓を気に掛けたりはしなかった。音二郎の一行は、後のフランス万博で公演を行い、欧州で大喝采を浴びたが、その時には、烏森芸者を引き連れて行って、日本の小唄などをまぜた芝居を展開した。その川上音二郎は、自由民権の壮士芝居で有名になったが、大アジア主義を唱える右翼勢力として有名な玄洋社の頭山満と烏森の浜の家あたりで宴会を上げていた。浜の家の近くで川上と貞奴、そして頭山が一緒にいるところを晴雄も何度か目撃した。

 烏森(からすもり)にはいろんな人間がやって来ていたが、大官紳商のうちの伊藤博文や井上(かおる)のような政権中枢の人間や財界の大物などは新橋北地と呼ばれる、木挽町(こびきちょう)にある長谷川という待合を根城にしていた。新橋南地と呼ばれる烏森(からすもり)にもそのような政官界の大物が遊びに来ることはあったので、晴雄も何度かそうした大物を目にした。料亭、待合はサロンであり、芸妓たちとの出会いの場でもある。新橋界隈はすっかり高級な花街のイメージが定着していたが、花街である以上、そこでの物語は政治や商売だけで済むはずもない。みんな烏森にそれぞれのルビー・シルバーを求めてやってきていたのだ。それ故、色恋沙汰、醜聞には事欠かなかった。
 伊藤博文公は、芸者遊びを陛下に窘められるほど、毎日のように新橋北地か烏森の待合に顔を出していた。ある日、いつものように長谷川あたりに繰り出そうという前に、吾妻屋に泊まっていた政治家のところを訪ねて来た。吾妻屋の大広間で、静かな宴が開かれていたところ、玄関の方から、「伊藤公はおるかあ?」という、威勢は良いが、ややがらっぱちで女性としては品の欠ける声がした。その座にいた一同は何事かと声をする方を注視していると、広間の戸が開けられ、一人の芸妓が飛び込んできた。
 女中連が迷惑だからと必死に引き留めているのを引きずるようにして、その芸妓は伊藤の居る広間に飛び込んできた。
「御前...」
 そう言うと、芸妓は伊藤に殴りかからんばかりの勢いで近付いた。マサと吾妻屋の女中は必死に制止した。
「梅勇姐さん、旅館は三業じゃないから、芸妓は宴に出れませんよ。」マサがそう言っても、梅勇という芸妓は構わず捲し立てた。
「あらお吟姐さん、構いやしませんよ。あたしは芸をしに来たんじゃなくて、この伊藤公に一言文句を言いに来たんですから、三業の事なんか関係ありゃしません。」江戸っ子弁が威勢がよく決まったせいか、周りは囃し立てた。
「いいぞ、梅勇、やれやら、伊藤公をとっちめろ。」
 伊藤は苦笑いをしながらも、芸妓をなだめようと、話しかけたが、周りの者達にとっては、恰好の見ものだった。
「梅勇や、えらい剣幕だが、だいぶ酔っているようだのお。何があったと言うのだい?」
 伊藤の言葉に、梅勇はさらに語気を強めた。
「ええ、酔ってますよ。酔っちゃいけませんか。何があったですと?お惚けになっちゃいけませんよ。御前はあたしを好いてると言って、お手をお付けになったんでごっざいますか。それとも、それとも単なる箸まめから、おからかいになったんでございますか?」
 この言葉を聞いて、宴に参加していた者たち全員が笑い転げて囃し立てた。
「こらこら、梅勇や、今日は用があってこの宿に立ち寄ったのだ。この後、待合に顔を出すし、また話なら、別の機会にゆっくり聞こうじゃ無いか。」
 伊藤がそう言って場を修めようとしたが、周りは煽るばかりで、梅勇の方を持つような事を言うばかりだった。最初、梅勇を部外者として排除しようとしていたマサもやり取りを見物のように楽しんでいた。
「伊藤公の女癖の悪さは昔から有名よ。伊東公の奥方は芸者上がりですもの。理解がありすぎるので、伊藤公のお遊びを止める人がいないんですよ。」
 心配して部屋に入って来た晴雄に、マサはこっそり耳打ちした。

 また、後に日英同盟の締結で活躍したり、日露戦争の後始末のポーツマス条約で活躍する小村寿太郎も新橋の乗客だった。小村の場合、伊藤とは反対に女房に頭の上がらない性質だった。その癖、芸者遊びが大好きと来ては、新橋界隈での騒動の常連となるのも致し方が無い。小村の女房が新橋まで繰り出し、焼きもちを焼いてひと騒動起こすのは、すっかり新橋の風物になっていて、当然、周りの多くは小村を心配するどころか、見物を楽しみにするようになっていたが、さすがにある冬の日は違った。
 いつものように、小村が烏森の枡田屋で芸妓達と大騒ぎをしていると、そこへ小村の女房町子がが現れたのだ。小村は一気に酔いが醒め、顔色が急に悪くなった。小村は、町子を諫めることもせず、コートを引っ掴むと、一目散に逃げ出そうとしたが、女房に首根っこを押さえられた。いつもは見物を囃し立てる周りの連中も、この日は何か違うと思ったのだろう、必死に町子を後ろから羽交い絞めにして、小村を逃がそうとしたが、それを振り切った町子は、既に廊下に逃げ出た小村を追いかける前に、火鉢を持ち出した。正に加火事場の馬鹿力よろしく、小ぶりではあったがそれなりの重さの有った火鉢を小村に投げつけた。幸い、火鉢は小村には当たら無かったが、廊下一杯に灰神楽が立った。芸妓達の悲鳴の中、空気の乾燥している冬故、火事に成ったら大変とばかりに、女中連、芸妓達も総出で水を運び、必死に火を出さないようにした。
 枡田屋から逃げた小村は、吾妻屋に飛び込んで来た。
「あらあら、寿太郎さん、今日は御一人なんですか?いつも、うちのような宿屋ですら連れ込み同然にお使いになるのに」
 マサは、軽口で応対したが、外の騒動が聞こえて、今は状態にならない状況であることを悟った。小村は身を低くしながら、答えた。
「そう言ってくれるな、女将。あれが、いったん怒り出すと、それはもう手が付けられぬ。」
 そういって、マサに案内された部屋に自分で、運ぶ荷物もないから当然だが、歩いていった。外では、町子がまだ騒ぎを続けていて、周りが必死に宥めていた。晴雄も玄関先に飛び出したが、とりあえず町子も落ち着き出したので、晴雄はマサに目で大丈夫じゃ無いか、という意味の合図を送った。マサも理解して、小村に伝えに行った。

 時としてこんな騒動があるのが、烏森という花街だったが、昼間は唄や踊りの練習に励む色取り取りの華やかな芸妓達と三味線の心地よい響きに囲まれた、落ち着いた街だった。ともかくこの街で二人の生活は始まったのだ。いつまでもマサに任せっぱなしにするわけには行かない。晴雄は、はじめ何をすれば分からなかったが、マサに言われるまま、まるで部下のように仕事を手伝っていった。
「あたしだって、芸妓している時には帳簿なんて見たことなかったですよ。でも、帳簿をしっかりつけて行かないと、旅館を切り回して行くことはできないでしょうから、晴雄さん、勉強してくださらない?」
経営管理面を担当しろということだ。良いも悪いもない。この時代の男として、晴雄も女房に仕事の指示をされるということに違和感が無かったわけでは無い。しかし、旅館業に関しては、接客業の経験豊富な元芸妓の感覚が正しく、またそれに従うことが却って心地よいのだということをすぐに悟った。何よりマサは、晴雄を立てることを決して忘れてなかった。花街に居た女性として、男の立て方は完璧だったし、なにより常に笑顔を絶やさず、何か晴雄に指示を出すときでも、明るく、どこか甘えた感じで、晴雄の誇りを傷つけないようにしていたのだ。
誇り...そう、晴雄は群れ(プライド)を追われて誇りを傷つけられた獅子であり、孤独だったのだ。マサはそれが十分すぎるほどわかっていたので、晴雄には常に優しくしていたのだ。
また晴雄は、経理を勉強しながら旅館業を学んでいったが、そのすぐ外側の世界については晴雄の知らないことばかりだったので新鮮だった。烏森の花街の内外で起きている事象については、常にマサに聞いた。花街で旅館を営んでいる以上、花街の流儀についても知っているべきだったのだ。

 昼間の旅館には、よく髪結いで出てきた芸妓達がマサのところに立ち寄って世間話をしたりしたので、晴雄は何の気無しに聞いてみたりしたが、花街の事はやはり良く分からない。
 ある日、マサを慕っていた玉菊という芸妓が吾妻屋に立ち寄った。髪は島田に結ってはあるものの、まだお座敷には時間もあったので、おはしょりのままで、玄関先からマサに勧められるまま、居間まで上がった。玉菊はその頃、稜雲閣の百美人で一位になり大人気となっていた。
「お菊さん、凄い人気で、芸者屋に頼んでもちっとも呼んでくれないからって、私の所にまで、何とか玉菊との間を取り持ってくれないかって頼みに来るのが居るのよ。あたしなんかのところに来たってどうにもならないのにね。」
 マサはそう言いながら笑い転げそうだった。玉菊は、新橋や烏森に来る男達の間で争奪戦となっていたのだ。
「あらマサ姐さん、私に直接言ってくれればお姉さんの顔を立てて、お母さんには言っておくわよ。」
「本当に良いのよ。もう癖になるから...」
 そう話すマサの顔から、晴雄はマサが本当に困惑しているのではなく、男達を列に並ばせておくのが楽しくでしょうがないというようなちょっと悪戯な笑顔になっているのに気付いた。玉菊が帰った後に聞いてみた。
「君は顔が広いと思われているんだね。でも玉菊は実際、凄い人気だよね。」
「そうね。でもお菊さんには旦那が付きそうって噂よ。」
 烏森の花街の事情にはまだまだ疎い晴雄にはついて行けない話であった。マサの言う通り、それから程なく、新橋、烏森(からすもり)を噂が駆け巡った。どこかの高級官吏が千五百円という途方もない額を出して、玉菊を落籍したらしい。実際、新橋界隈で玉菊を見ることは無くなった。
その代わりに、今度は、やはり百美人で上位に選出されていた桃太郎が大人気になった。玉菊に代わって桃太郎がマサの話し相手になった。
「玉菊姐さんがいなくなって、それを全部相手にしろって、そりゃあ無理な話よ。」桃太郎はそうこぼしていたが、もちろん満更でも無い顔をしていた。
 晴雄はマサに珍しく軽口を叩いてみた。
「玉菊がいなくなったと思ったら、今度は桃太郎に熱狂か。その次は、君のところにも愛好者が押し寄せてくるんじゃないか?」
「もう冗談はよしてください。」
 晴雄にしてみれば、この烏森(からすもり)にまだ「お吟」を慕う者がいたって不思議はないと思うのだが、マサは取り合わなかった。そうは言っても、マサは今も芸妓達の間で顔も広く慕われていた。芸妓としては引退して花街と距離を置いているはずだが、マサ自身、やはり芸妓達と噂話をしたり、待合の経営者たちともうまく連携して、吾妻屋の商売につなげたりしていて、この花街が好きなのだろうなと晴雄は思った。
「そりゃあ芸妓ってのは酔客の相手をするわけですから、楽な事ばかりじゃ無いですけど、それでも粋なお客さんの前で唄や踊りを披露して、お客さんも一緒になって唄ったり踊ったりしてくれると、それは楽しいものですよ。そういう殿方は遊び方も小慣れていて、変な無理強いはしないし、芸妓達を優しく扱うし、だから、そんなに悪い商売ではないですよ。」
 ある時、晴雄がマサに花街の事を聞いてみるとそんな返事が返って来たことがあった。そんな感じで、晴雄とマサが日々を烏森で過ごしているうちに、花を求めて新橋や烏森(からすもり)に来る男達の間では、芸者は益々ステータスを示すものとなって行った。そのため、芸妓を落籍させる金額もどんどん吊り上がって行った。


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