第7話 秘露へ

文字数 5,633文字

 明治二十二年(1889年)十一月十六日、晴雄と是清、そしてスペイン語に堪能である通訳として連れてこられた医師の屋須弘平(やすこうへい)は、秘露(ペルー)に向けて出発することとなった。
 出発に先立って是清は、晴雄らにも内緒で、秘かにへーレンに電報を打っていた。日本側で株式会社を設立したが、株主を納得させるためにも契約内容の大幅な改定が必要だという旨の連絡だった。
 へーレンからは、元より有限責任日本興業会社の契約は手付のためのようなものであるから、契約の改定は理解できるとしつつ、日本側から、鉱業、農業という事業に精通した有能な、ビジネスに長けた人材を投入して欲しい旨の返事が来ていた。このようなやり取りについて晴雄には全く知らされていなかった。
 
 朝靄の残るような時間帯であるにもかかわらず、是清の乗り出した一大事業を壮行するために、千人規模で新橋の停車場に人が集まり騒々しかった。そんな中、お吟は本当に晴雄の見送りに来た。晴雄は、出発が朝早くの汽車であったから、もしやとは思っていたが、お吟が来たことを素直にうれしく思った。
「本当は横浜まで行きたかったんだけどね。お座敷の支度は早い時は、お昼すぎくらいから始めるから。」
「来ると言ってたから、来るんだろうとは思ってたんだけど...」
 晴雄はややぶっきらぼうに言うと、何やら荷物を調べ出して小物を取り出した。
「ええっ!」
 お吟ははしたなくも大声を上げてしまった。晴雄が桜色の(かんざし)をお吟に差し出したからだった。
「北地に吉の家さんって小物の店があるだろ。他の芸妓たちに聞いたら、そこでの買い物なら喜ばれるんじゃないか、って言われたから。」
「あたしがもらって良いものかしら。」お吟は(かんざし)を握りしめて、叫ばんばかりに礼を言った。
「他にあげる人はいないよ。」
 晴雄は珍しく笑顔を見せた。
「ありがとう。雛妓(おしゃく)になって、こんなにうれしいことは今まで無かった。二度と会えないってわけじゃないけど寂しいわ。ねえ、手紙をおくれよ、絶対よ。あたしも頑張って英語で書くから。」
 お吟は笑い転びだしそうなくらいに笑って見せた。本当は目に涙が滲んできそうだったが、堪えてみせた。
「お兄さんが秘露(ペルー)から帰ってくる頃には、お兄さんは大金持ちだね。そしたら、あたしを身請けして妾にする気?言っておきますが、あたしはそんなのはごめんですよ。」
 ()ねた様に頬を膨らませたお吟のことがたまらなく愛おしく感じられた。
「ただ、また会いたいわ。」
 是清の一行は熱狂的な声に包まれながら列車に乗り込んでいくのが見えた。晴雄もそろそろプラットフォームの方へ向かおうと荷物を持ち上げた。お吟も手伝おうとしたが晴雄に(さえぎ)られた。その瞬間、お吟は急に素直な気持ちになって...泣きそうな顔になってしまった。
「絶対にまた会いたい。帰ってくるころにはさあ、あたしももっと綺麗になってるよ。約束する。」
 晴雄が汽車に乗り込んだので、お吟は晴雄が席に着くまで客車の側を追いかけた。晴雄の席はホーム側では無かった。お吟は賢明に手を振った。晴雄は静かにお吟を見ていた。
「ねえ。手紙頂戴ねえ。」
 他の席の乗客がみなお吟の方に振り返るほど、お吟は大きな声を出していた。
「あたし、もっと綺麗になって待っているから。お兄さんに気に入られるようにね。」
 さらに多くの乗客がお吟の、やや湿った大声に驚いたが、お吟の姿が花街(かがい)の人間であることが一目瞭然だったために、みな納得したような顔になり、晴雄の方を見て、お安くないという顔でにやついた。
 汽車が動き出した時、お吟は追うことはしなかった。代わりに最後の大声を出した。
「来年、帰ってきたら、すぐに会ってね。」
 しかし、お吟が実際に晴雄に再会したのは、この後三年以上も過ぎた後となったのだった。  

 横浜へ向かう汽車の中で、晴雄は色々なことを考えた。お吟のことももちろん考えた。しかし、晴雄はお吟のことについて気持ちの整理がついていなかった。気持ちは揺さぶられたが、直情的に行動するには色恋に関して慎重過ぎる性格であることを自分自身で自覚していた。(かんざし)を贈ったのが精一杯で、これだってこの頃の男子一般からすれば型破りである。十分に恥ずかしいことだったのだ。
 お吟のことはあれこれ考えても答えが出ないのを自分でも知っていたので、考えることを止めた。晴雄は気持ちを切り替えて、秘露(ペルー)の事に色々、思いを巡らしたところ、出発前に受けた新聞などの取材のことを思い出した。世の中はちょっとした騒ぎになっていた。
 開国してから、まだそんなに年数が経ったわけではないのだ。その日本で、これほど大きな海外の事業に投資するための会社を興したのであるから無理も無い。
「なぜ日本の資金が必要なのですか?有望な鉱山であれば、欧米からいくらでも資金を呼び込めるでしょう。なぜ、欧米はその鉱山に手を付けないのでしょうか。」
「現地はアンデス山脈の中にあって、非常に険しいところで、つい最近まで鉄道も無かったような所です。現地を見れば、なぜこれまで手付かずだったのかお分かりになるでしょう。事実、今となっては欧米も多大な関心を寄せています。ですから、先を越されぬようにしなくてはなりません。」
 晴雄は記者の質問に答えた内容を思い出しながらも、若干の不安を感じないでは無かった。何しろ、現地を見たと言っても巨大な鉱脈なのであり、測量自体が一大事業なのだ。一人技師が行ってどうなるものでもない。この事は日本の組合の連中がどれだけわかっているのであろうか。
 三人の渡秘のひと月ほど前、すなわち十月四日に、前田正名(せいな)を発起人とし、高橋是清が代表取締役となり、これに晴雄を含む二十四名の株主によって資本金五十万円で日秘鉱業会社は設立された。
 
『日本の資本、初めて国外に投じられんとす、南米開拓=日秘鉱業会社設立、其成否如何は後來日本の海外雄飛に影響』
  晴雄たちの出発の前、このような見出しが新聞各紙に踊っていて、世間は湧きだっていたのだ。

  是清と晴雄を乗せたゲーリック号は、サンフランシスコに向けて横浜港を出帆した。もう一人、背の低い、口髭を蓄えた、細顔の男、屋須弘平が乗船していた。
 旅程では、サンフランシスコから船を乗り換え、アカプルコやパナマなど細かく経由することになっていて、最終的には秘露(ペルー)はリマの外港であるカジャオを目指していた。
 十一月も終わりの頃で、横浜の湾の中は明鏡止水のように静かだった。港の岸壁の方には枯れ葉が多く浮かんでおり、船が岸壁から離れると、それらの葉が船の作る波にまとわりついてきた。
 晴雄は右舷(スターボード)後方で、船の作り出す渦に巻き込まれて沈んでは再び浮かび上がる枯れ葉を確認しながら、行く末に思いを巡らせていた。晴雄は一旦船室に入ったが、気持ちが落ち着かず、再びデッキに出た。船が出帆して数時間経ち、秋深い日の早い暮れは空が茜色に染まり、感傷に浸るには十分過ぎるほどの景色だった。
 夜になり、晴雄は船室に戻ってその感傷を続けていた。船窓からは下弦の月が見えたが、夜の海を照らすには十分だった。風もなかったが、晴雄は黒い海の静けさを凝視しながら、気持ちを落ち着かせようとしていた。思えば、秘露(ペルー)行きが決まってからというもの、晴雄は是清から急かされ続けていた。
「何度も繰り返しになりますが、確かなことは試掘をしてみないことにはわかりません。私は鉱床が露出しているところを見ましたが、鉱床がどのくらいの規模なのかは、ドイツの鉱山雑誌を頼りに推測したに過ぎません。」
 烏森(からすもり)の桝田屋で、晴雄と是清の二人だけで議論になったこともあった。
「鉱山の事業とはそういうものではないか。当たるも外れるも運次第なのだ。しかし、株主を募って資金を集めなければ、そもそもこの話は先に進まないのである。だから、株主を集めるためにも鉱山が有望であるという報告書が必要なのだ。」
「株主がみなそういう事情を理解されているのであれば良いのですが。」
 晴雄は是清にそうした報告書を纏めるよう促された。そうしたことを思い出していると、晴雄には、幾千、幾万もの船や船乗りを飲み込んできた海が、その幾多もの死体による腐臭を放ったまま、三人を飲み込もうとしているかのようにさえ見えたのだ。
  太陽が大海原を照らしていた何日目かの朝、晴雄は屋須にデッキで聞いてみた。
「スペイン語に堪能だということですが、どういう経緯でこの秘露(ペルー)行きに参加することになったのですか?」
 スペイン語の通訳としてこの秘露(ペルー)行きに参加したが、元来真面目な医師でもある屋須は、厳しい顔をしながら海を眺めていた。
「どうもこうも、無理やり高橋さんに引きずり込まれたのです。」
 屋須は、年老いた母と姪の三人で築地で静かに暮らしていた。長い事母親を放っておいた負い目もあって、今は母の面倒を見るために側にいるべき時だと思っていた。そこに是清から連絡があり、是清の大塚窪町の家に呼び出された。秘露(ペルー)で事業をするから、スペイン語ができる者が必要だ、一緒に秘露(ペルー)に行ってくれないかと。
「母を置いては行けないからと固辞したんです。それでも、この事業はこの国の将来のために必要だからと。さらに、強引に母を説得するために、とある偉い人から母に根回しまで済ませてあって、とうとう私はその母から秘露(ペルー)行きを説得される始末です。」屋須は、苦笑することもなく、厳しい顔つきのまま淡々と語った。

  十二月一日、船はサンフランシスコに着いた。サンフランシスコの領事館員が出迎えに来てくれて、一行をホテルまで案内してくれた。是清はその領事館員に、明日領事館に出向く旨を伝えて、その晩はもうひたすら眠ることとした。
 翌日、是清が領事館に出向き、初めて領事である河北俊弼(としすけ)大佐と面会して握手を交わした。河北は是清に会った早々、懸念事項を伝えた。
「それほどの有望な鉱山であれば、なぜ欧米各国から資金調達しないのでしょう?莫大の資金が必要としても、有望であれば資金調達はそれほど難しくないはず。なぜわざわざアジアの端にある遠くの国に資金を求めるのでしょうか」是清が答えようとする間もなく、河北は続けた。「秘露(ペルー)政府は、国内の鉄道建設のために英国系のグレイス商会から借入れを起こしたようですが、そのために関税収入や鉱山を抵当に入れたと聞いています。貴君らが資本を投下し事業を始めたところで、グレイス商会が抵当の権利を行使してしまえば元も子もなくなるのではないですか。極めて危険な取引のように思えるのですが。」
 是清は十分調査した上でのことなので大丈夫だと自信満々に答え、逆に尋ねた。
「河北さんは、一体、英国の抵当に入った鉱山はいくつくらいだとお考えですか?」
「詳しくは知りませんが、多分、五百くらいではないでしょうか。」
 その答えに是清はますます自信を深めた。
「それならば秘露(ペルー)の鉱山の数百分の一に過ぎないですから、我々の鉱山が抵当に入っている可能性は万に一つもないことでしょう。」さらに是清の、物事の良い方しか見ない性分が顔を出した。「英国から借入れをして鉄道を敷くということであれば、我々にとっても事業がやりやすいことこの上ないのです。」
 是清にはこういう楽観的なところがあった。とにかくこの銀山投資はチャンスなのだ。チャンスは逃してはならない。そして是清には成功しか見えていないのだ。

  十二月三日、一行はサンフランシスコをアカプルコ号で出発した。船はアカプルコやグアテマラのサン・ホセに寄港したが、そのサン・ホセで屋須は、かつてここで暮らしていた時の友人などと挨拶を交わすことが出来て、船の上では見せなかった笑顔を振りまいていた。
  船はいよいよ秘露(ペルー)に近づいていった。船上でクリスマスを迎えると、キリスト教徒の、それもカトリックの多い乗客は、真剣に祈りを捧げるとともに、大いに祝った。是清はアメリカ滞在の時に見たクリスマスが船上で再現されていることに懐かしさを感じていた。
 そしてそのまま三人は、船上で元旦を迎えた。その元旦初日、是清は海風を楽しむために船のデッキに出た。いよいよ秘露(ペルー)が近くなったのだ。
「高橋さん、潮風は体に障る。船室に戻りましょう」
 屋須はそう促したが、是清は意に介さなかった。
「今度の旅は、この国の命運がかかっていると言っても大袈裟ではない。富める国となり、貿易で三等国と見くびられないために、また、外国との大きな商談の経験を積んでいくためにも、諸君らはどのように感じているかわからぬが、わしは国を背負っている心持である。」そして、船室から持ってきたシャンパングラスにシャンパン注いで屋須と晴雄に渡した。「秘露(ペルー)に!」そう言って、乾杯を上げた。
  秘露(ペルー)のカジャオ港につく前日、サラベリー港を発った後の晩、ひどい濃霧に襲われた。船は無事に進んではいたが、一夜にして船の白ペンキの色がまるで鉄が錆びたように剥がれ落ちていた。
「何があったのか?」
 是清と屋須が心配したが、晴雄は理学士らしく船体を調べて回った。
「硫黄のような匂いが残っています。船体の錆は硫化ガスに対する化学反応のように見えます。ガスが発生したのではないでしょうか。海の上で硫化ガスが発生することがあるのかどうか知りませんが、近くに海底火山でもあるのかも知れないです。だが、船の運航に支障があるような損傷は無く、問題無いようです。」
 船員に聞くと、この現象はカジャオ・ペイントと呼ばれている硫化ガスの発生によるものということで、この辺りの海ではしばしばあるということだった。是清や尾須はとりあえず胸を撫でおろしたが、肝を冷やされた現象だった。何とはなしに悪い予兆のような気もしたのは事実である。
「地獄に足を踏み入れたかのようだな。」
 是清は笑ったが、晴雄は笑えなかった。晴雄には元々、やや神経質なところがあったが、顔は強張(こわば)り青白さが一気に増したようだった。

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