第8話 交渉

文字数 9,786文字

 年が変わって、明治二十三年(1890年)一月七日、一行の船はカジャオの港内に入った。すると、一人の浅黒い、現地の者と思われる男が船に乗り込んできて、スペイン語で話しかけてきた。屋須に通訳させると、へーレンの使いだという。
「へーレン氏の言いつけによりお迎えに上がりました。へーレン氏は今、休暇で別荘に行っておりますが、今、こちらに向かっております。」
 へーレンの名前が出てきたのだから、怪しい者ではなさそうだ。そう言われて、一行は、荷物をこの男に預け、船を降りようとした。その時、小さな蒸気船が近づいてきたのに気付いた。その船から、端正な顔をして、濃いグレーのスリーピースをしっかりと着こなした白人の男が一行の船に乗り移って来て、晴雄の姿を見つけると、手を上げて微笑んだ。そして、是清に近づき、尋ねた。
「Mr.Takahashi?(高橋様ですか?)」
「Yes, I am.(いかにも)」
「Very grad to see you.(お会いできて嬉しいです。)」
 へーレンだった。
「ここからリマ市内まではすぐですが汽車になります。私の家もリマ市の中心から近いところにあります。是非、お寄りいただき、今日は泊って行っていただきたい。歓迎会の用意もしてます。」
 一行は言われるままに汽車に乗り、そしてリマに着いたが、是清は歓迎会については固辞した。
「そんなことを仰らないでください。家が気に入らなければ、すぐに市内のホテルを手配致します。まずは長旅の疲れを取っていただきたいです。皆さまは私の大事なビジネスパートナーとなるのですから、そのくらいの持成しをさせてください。」
 是清はすぐさま反応した。
「ビジネスパートナーとなるとしても、まずは契約改定の交渉をしようという段階ですから、その相手方から便宜を受けるわけにはいかんです。我々には後ろに株主が居ますから。」
「そう仰らずに...すでに食事も用意してしまっています。来ていただかないと私も困ります。」
 是清はまだ考えていたが、最後には折れた。
「そこまでおっしゃるなら...」
 一行らが案内されたへーレンの別邸は、キンタ・へーレンと称する大邸宅であった。建物はヨーロッパ風の石作りで、オーストリア=ハンガリー調だということであったが、建物の前には椰子の木が規則正しい間隔を開けて植えられていて、写真で見た南アジアの英国の植民地にある建物のように感じられた。その建物は新館であり、是清等一行が秘露(ペルー)に来るということで、建築を急いで完成させたということであった。また、その建物の裏庭が庭師松本が整備した日本庭園になっていた。日本風の山水の庭であり、その築山の上には四阿(あずまや)というには大きすぎる二階建ての小屋があったが、展望台だということだった。そこに登ると、広大な敷地の全貌が判った。池からは噴水が勢いよく出ており、池の向こうには日本家屋も見えた。松本らしき者と秘露(ペルー)人の見習い庭師が揃いの法被を着ていたが、背中には月桂樹で飾った大文字Hが書かれていた。へーレンの商標らしかった。
 一行は展望台を降りて、寺にあるような飛び石の道を歩いてその建物に近づいた。中をよく見ると、なんと縁側まで(こしら)えているではないか。
「ほお、立派なもんじゃのお。」是清は、へーレンの日本趣味に半ばあきれたように呟いた。
 一行は建物の中の食堂に案内された。その部屋には、様々な絵画や日本の墨絵らしきものが飾られていたが、その中に若き日の、日本時代のへーレンの写真があった。へーレンは洋装ではあるが、日本人の人夫の弾く人力車に乗って満悦な様子だった。
 是清たちは、感心しながら眺めていたが、やがて準備が出来たので席に着くよう促された。かなり立派な晩餐会が準備されていて、欧州から取り寄せたワインが振る舞われ、またピスコと呼ばれる酒も振る舞われた。葡萄から作られる蒸留酒と説明されたが、色は透明だった。
「これは...」
 葡萄の香りも微かに残るが、ワインのような渋みはなく、蒸留酒特有の、舌にピリッとする感じの口当たりの酒だった。葡萄の酒と聞いてブランデーのような味を想像していたものの、むしろ、ウォッカや焼酎に近い感じがした。
 料理は魚主体であり、また味付けもあっさりしたものであったため、日本人の口にも合った。一行はワインやピスコを勧められるままに飲み干し、すっかりと出来上がってしまった。食事が終わって、心地よい雰囲気の中、是清が切り出した。
「ミスター・へーレン、かねてからお願いしていたように、我々が落ち着いたら契約の再交渉を願いたい。ここ二,三日は、日本に電信を打ったり、荷をほどいたりと何かと忙しいので、十日からくらいでどうですか。」
「ミスター・タカハシ、どのような条件になるかは存じませんが、まずは何でも仰ってください。また、契約の話をする前に、まだまだ私の歓待を受けてください。別邸にも案内します。そこで家内にも会っていただきたい。これから、大きな事業を一緒にやって行こうというのです。契約は契約として、もう貴方と私は家族同然ともなりましょう。それにしても、ミスター・タカハシはアメリカにおられたことがあるということで英語が御上手だとは聞いていましたが、これほどまでとは思いませんでした。ミスター・マエダからも誠実なお方であるということは手紙で報告を受けていましたが、頑固な面もあるということまでは聞いていませんでした。」
 これには一同大笑いした。
「既に私の性格をお知りになったということで、ビジネスをする上では良かったことでしょう。一方、契約の交渉相手としては、こちらの手の内を知られたようで、むしろ私どもの方がこれから貴君を手強いと感じることでしょう。」
 是清も大笑いしながら、これからの契約交渉相手に社交辞令を使い、牽制をした。
 是清は、二十四名の株主の人となりについても説明した。そして、この事業は今後の日本の海外事業などの先駆となるもので、この成否は単なる事業の失敗に止まらない、そういう覚悟で事業を経営していく所存である旨を伝えた。話は大いに盛り上がり、二人は結局、その日は夜中近くまで、酒を飲みながら話しこんだ。
  約束通り、十二日にはへーレンの別邸を訪ねた。別邸はキンタへーレンほど大きくはなかったが、裏庭からはサン・クリストバルの丘が見えた。アンデス山脈が町の近くまで迫っているはずのリマでも町の中からは意外と山の景色が見えないのだが、ここから見える景色は気持ちの良いものだった。
 カルメンと言う名のへーレン夫人にも面会したが、カルメンは上品な顔立ちのラテン美人だった。ただ夫人は是清には一応の愛想笑いを見せてはくれたが、どこか不満げな表情も見せていた。ヘーレンがこれから是清と取り掛かろうとする鉱山事業が気に入らないようであった。鉱山事業は、農場経営に比べれば極めてリスクの高い事業だ、無理も無かろう、是清はそう納得していた。
 その翌日、午前十一時くらいから、契約交渉はキンタ・へーレンで始まった。先日、宴会をやった部屋の隣の、マントルピースのあるやや小さめの部屋で、二人は向かい合った。晴雄も同席した。
「Now, let’s get down to business!(早速、本題に入りましょう)」
「Fine!(結構です)」
 是清は持ってきた紙を取り出した。英語で様々な条件が書かれていた。
「有限責任日本興業会社をリストラクチャリングしたい。」
 是清のしょっぱなからの先制攻撃にへーレンは明らかに動揺していた。是清は構わず、提案の趣旨を説明した。
 『一 定款上の会社目的を「鉱業」と定めること
一 会社の資本金を十五万英ポンドとして、秘露(ペルー)の法律に従い、有限責任とすること
一 会社の資本金は、五十%を日本組合の負担とし、残りの五十%をへーレン氏の負担とすること
一 株式を原則譲渡禁止とすること、但し、一回でも利益配当を行った後は、譲渡が認められること
一 株式の譲渡は会社が承認し、登記したものでなければ効力を発しないこと
一 鉱山の坑夫は日本人とし、その他の事務員、技師等の使用人は、会社利益の最大化の妨げにならない限り、日本人を任用すること
一 会社設立時の計算は以下の通りとすること
起業費計 十五万英ポンド
鉱山、石灰山および地所購入費八万一千英ポンド
器械および建築費 四万三千英ポンド
労役者渡航費 七千四百六英ポンド
役員渡航費 三千六十五英ポンド
渡航者前貸金 三千七百四十九英ポンド
準備金 一万四千四百八十英ポンド』
  是清から提案を聞くや、へーレンは声を荒げた。
「会社目的が鉱業とはどういう意味です?農場経営はどうするのですか。」
 是清は事も無げに、当然のように答えた。
「農場は会社事業から外したい。鉱山開発に専念したい。」
 へーレンの顔はすぐさま紅潮し、まるで今にも机をひっくり返さんばかりに声を荒げた。
「You must be joking! (冗談でしょう) Absolutely ridiculous!(全くばかげている)」へーレンはすぐに冷静になるべきであることを悟り、軽く呼吸を整えると静かに話した。「そもそも、私は農場経営をするために日本へ井上を遣ったのです。私は鉱山の事は素人です。秘露(ペルー)という国の事を知ってもらうために井上にあの石を持たせましたが、私の意に反して、貴殿たちが鉱山事業をしたいというので、ビジネス上の付き合いとして手伝っているに過ぎません。ここは再考を願いたい。」
「この国の土地、気候が農業にとって良い環境であることはわかった。しかし、日本において農地が不足しているわけでもなく、また、この地で農作物を育てても、日本に輸入するには距離と時間の関係で難しいであろう。そうすると、農場経営に関して日本の株主にとっては中々興味の湧かないところなのは仕方があるまい。このことは理解されたし。」
「何も日本に輸出するだけではないです。また、野菜のままではそれは腐り果ててしまうでしょうが、まさに皆様に振る舞った蒸留酒など、日本で商売になるものが生産できるでしょう。」
「残念ながら、ワインなどの酒はまだ日本には根付いておらず、またワインは欧州から来るものと相場が決まっている。秘露(ペルー)のワインや葡萄の蒸留酒など、物好きしか買い求める者はおらんだろう。」
 へーレンは最後に懇願するように訴えた。
「鉱山の運営上にもプラスとなるはずです。山の上では、農作物はほとんど取れませんが、この農場で作ったものを鉱山に届けることができます。また、疲れた坑夫がこの農場まで降りてきて、体を休めることもできるでしょう。農場はこの事業における、まさにリマの拠点となり、様々なものを提供することができるのです。」
 へーレンから、そう聞いて、是清も考え込んだが、その日は結論が出なかった。
 翌日、翌々日も、ずっと水掛け論が続いた。時に激高し、また時に相手を懐柔させようと双方が交渉に策を巡らせたが、進展は無かった。

 その翌日、その日も話が全く進まずに、昼食の時間となった。是清と晴雄はキンタへーレンの庭が見渡せる食事の部屋に案内された。晩餐ほどではないが、かなりのボリュームのある食事だった。
 出されたワインで食べ物を胃に流し込みながら、是清は庭を眺めていた。日本庭園が見える側では無かったが、アンデスにもつながある丘が庭の向こうに見える位置が気に入った。その風景を眺めながら、あることを思いついた。午後からの折衝で是清は考えを改めたのだ。
「よろしい、貴殿がそこまで熱心に言うのであれば、農業を会社事業に含めることに同意致しましょう。」
「ご理解いただけましたか。有難い。」
 へーレンが握手を求めてきたが、是清は冷静にこれを拒み、話を続けた。
「農場の価格と様々な費用についてお互いに計算が必要でしょうから、価格については明日にしましょう。」
 その日の交渉を終了させることで二人は同意し、是清は投宿先であるリマ市内に向かった。

 市内を歩いている時、是清は晴雄に話しかけた。
「契約の交渉というものは、時間がかかればかかるほど、お互いが錯覚に陥るものだ。交渉に時間がかかるのはお互いに譲れぬところがあるからだが、時間がかかるうちにここで契約交渉打ち切りとなって話がご破算になれば全ての苦労が水の泡になるという思いが(もた)げるのだ。お互い、そこまでいがみ合って、角突き合わせて、交渉決裂の一歩手間までに行くと逆に、契約の一字一句にこだわりがあったのが嘘のように、何としても協力して契約を纏め上げなくてはならないという気持ちに陥るものだ。そうなるともういかん。後で契約を見て、なんでこんな条件を受け入れたのか後悔することとなるが後の祭りだ。」
 是清は、この事を自分にも言い聞かせていたのだが、晴雄は知る由も無かった。

 リマの市街は、活気に満ちていた。ホテルのあるセントロ地区は、欧州、特にスペイン風の建物が並んでいて、是清達と同じように、欧州や北米から一攫千金を求めて、慌ただしく活動していた。
 英国人が多いのに是清は気付いたが、1887年に英国と結んだ条約のために、鉱山事業だけでなく、農業などの多くの分野で英国の進出が進んでいるのだと聞いていた。
 また河北氏が言っていたように、この国の経済は今やスペインに変わって英国が牛耳っているかのようだった。この頃は、特に砂糖の事業が有望ということで、英国人が商売に励んでいるということだった。
 
 ホテルの部屋で、是清と晴雄は農場の機器類、日本人農夫への給与、その他費用を計算し、翌日の交渉の準備をした。
 翌日、一月十五日、お互いに持ち寄った費用計算を確認した。へーレンと是清達でそれほど開きはなく、昼前に、農場を一万三千英ポンドとし、費用を六千四百十二英ポンドと計算した上で、日本組合が六千英ポンドを負担、へーレンが一万三千四百十二英ポンドを負担することで同意した。へーレンは大いに喜び、是清と晴雄と何度も握手をした。しかし、本当の交渉はここからだった。鉱山だ。
  次の会合から、鉱山事業についての折衝を始めた。へーレンは晴雄の進言通り、サン・フランシスコ・デ・カラワクラ、リマック、リマの三鉱区を押さえていた。
「この三鉱区について、進言通り購入しているので、これを会社に引き渡すこととしたいです。進言に基づき購入したものですから、これはその時の購入価格で買い取ってくれれば結構です。」
 そこには全く意見の異なるところは無かった。
「問題は、私が押さえたカラワクラ銀山の隣接の六鉱区ですが、こちらは、少々、苦労して手に入れたもので、会社が購入するかどうかわからない中、リスクを負って購入したものですから、一万三千英ポンドで農場を差し出す代わりに購入していただきたい。」
 へーレンの申し出について、是清は晴雄に日本語で尋ねた。
「どうなんだ?鉱山事業に必要な土地なのか?」
「必要な鉱区です。しかし、一万三千英ポンドは高すぎます。」
「ふむ。」是清はへーレンの方に振り返り、強い口調で言った。「そもそも貴殿は農場を共同事業としたいということで、先日来この契約を交渉してきたはずであるのに、今の段階になって、会社に対して農場ではなく鉱区を売りつけようと言うのはまるで筋が通らないではないか。その鉱区だって、我々日本組合との契約の前に貴殿が購入したものであるならば、多少高い値を吹きかけてくるのも理解はできる。しかしながら、貴殿は既に日本組合と契約を結んだ後でそれらの鉱区を購入してこれを会社に売りつけようというのであるから、利益が相反している話である。全く、誠実な取引とは言えないではないか。」
 へーレンは顔が少しばかり青ざめていた。
「しかし...この鉱区について、多くの商談が来ているのは本当です。その点も考慮に入れていただきたいです。」
 この事がネックとなり、この日は物別れに終わった。

  翌日、へーレンは一つの電信を持ってきた。
「これをご覧いただきたい。かように英国の会社からこの鉱区の購入の打診が来ています。条件も良いですし、私としてはこちらに売っても良いのですが、折角、こうして日本と事業をしようと言うのですから、是非、有限責任日本興業会社で購入していただきたいのです。」
 是清が晴雄の方に振り返ると、晴雄は無言で首を横に振っていた。
「少し、二人で話をしたい。」
 是清はへーレンにそう言って席をはずそうとしたが、へーレンの方が(うなづ)いて席を外した。
「完全に足元を見られています。」
「あの英国からの引き合いというのも本物かどうかわからんな。典型的な山師のやり方じゃないか。しかし、六鉱区が必要なのは間違いないんだよな。」
「そこは...必要であることは間違いありません。」
 是清は少し上を向いて考えていたが、すぐに腹は決まった。
「よし。いい考えがある。」
 晴雄は外で待機していたへーレン邸の下僕に、へーレンに部屋に戻るよう伝えてくれと頼んだ。へーレンは部屋に戻るからには話は決まったのだろうと、にこやかな顔をして部屋に戻ってきた。
「農場の代わりに六鉱区を会社が購入する件、お受けしよう。」
「それは良かった。」
 へーレンが喜んだのも束の間、是清は条件を提示した。
「このキンタへーレンを会社資産に組み入れることが条件だ。つまり、キンタへーレンを会社に現物出資するということだ。」
 この提案によってもへーレンの出資額が七万五千英ポンドということに変わりはなく、払い込む現金が少なくなるだけだ。
 リマの中心地に近く、不動産としての価値の高いこのキンタへーレンを会社の財産として現物出資させることで、銀行などからの融資を受ける際の抵当としての会社財産を増やすことができるし、ここを会社本部とすることもできる。
 へーレンにとってもそれほど不利益になるものではないが、是清としては何よりへーレンを事業から逃さないようにするために、最善の策に思えたのだ。
「少し考えさせてくれ。」
 ヘーレンがそう言うとその日の折衝は御開きとなった。 

 翌日、へーレンは条件を承諾した。
「妻とも話したがキンタへーレンを会社財産に組み入れることに同意しよう。」
 元々、鉱山事業に反対だったへーレンの妻にしても、農場を差し出すよりもずっと良い条件だと思えたのだろう。
 ここに契約は成立した。へーレンと是清は握手した。秘露(ペルー)有限責任日本鉱業会社が誕生したのだ。
「契約書の調印は、一月二十日としましょう。これで晴れて事業はスタートなる。大変、喜ばしい。高橋氏におかれては日本から早速、坑夫を呼んで、一日も早く開山することとしましょう。」
「ああ、その事なら心配には及びません。坑夫は既にこちらに向かっており、もうじき到着します。すぐに開山し、拠点となる事業所と精錬所を建設します。できるだけ早くに採掘を始め、三年以内には精錬を始める所存です。」
 へーレンは是清の手際の良さに唸るばかりだった。
 「秘露(ペルー)で商売をするのであれば、英国人商人達とも交流を持っておいた方が良いでしょう。」
 へーレンの提案でアンコンというリゾート地にある英国人商人のガルランド氏の家を訪ねた。そこでの歓待が秘露(ペルー)有限責任日本鉱業会社の設立記念パーティを兼ねたかのようなもので、一行に取ってはとても楽しい催しであった。
 ガルランドは長い口髭をはやした、ずんぐりむっくりした体形の男で、何となく親しみの持てる男だった。是清は街で英国人を見かけた時に思ったことをガルランドにぶつけてみた。
「貴殿の国イギリスや、フランス、ドイツといった欧州の一流国では、極東の小さな国である日本から来た商人などバカにされて相手にされていない。そこで私は、かねてから日本人商人は欧州の一流国とは異なる、この秘露(ペルー)のような南米の国との交易を広げていくべきではないかと思っておったところです。しかるに、かように秘露(ペルー)に英国人が多いのは何故です?英国は南米をも手中に収めようとお考えなのか?」
 ガルランドは大いに笑った。
「確かに外国に軍隊を送り付け、力で権益を広げるというのも英国の伝統でしょう。そのような考えの者がまだ多くいることは事実です。しかし、時代が変わりつつあります。貿易です。今世紀初頭くらいから、人々の考えも貿易重視に傾いてきています。日本からだっていろんなものを輸入するはずです。日本の商人がうまく行かなかったのは商品の見せ方が上手くなかったか、語学力の問題でしょう。貴殿のような方が商人になれば成功間違いなしでしょうな。」
 是清は考え込んだ。そして少し話を変えてみた。
秘露(ペルー)にもこうして英国が進出しているのには驚きましたが、鉱山にも触手を伸ばしているのですか。投資熱が起きていると聞いていますが?」
「確かに秘露(ペルー)の鉱物資源は魅力です。興味を持っている者が多いのは事実です。私もちょうどみなさんが開発しようとしているカラワクラの近くにも鉱山を持っています。何なら、お寄りになって見学して行ってください。でも、銀山投資は今後、慎重に考えないとならないでしょう。というのも貿易における銀本位制とも言うべき状況が崩れつつあります。今、銀の相場は軟調です。投資に見合う採算を得るのが難しくなりつつあります。また、鉱山事業は難しいです。リスクが高いし、詐欺まがいの連中も大勢います。騙されないようにするには相当の情報収集が必要です。みなさんは大丈夫ですか?」
「その点は、そこの田島君が去年、実地で鉱山を見ているので大丈夫でしょう。」
 晴雄は何か責任を押し付けられているような気がして不快であったが、口を挟むことはしなかった。
「そうですか。何しろ詐欺師もそうですが、山の麓の住人が曲者でして、とにかく金を落とさせようとそれはもうやたらと歓待してくるのです。要するに、鉱山をきちんと調査させない魂胆なのでしょう。彼らにとっては地元に作業場の一つも作らせればそれだけで当分の間は潤いますからな。」
 晴雄は黙って聞いていたが、昨年の調査の時に山の麓の町で歓待攻めにあったことを思い出して、さっきの是清の責任転嫁と合わせてかなり不快になった。それは自分にも思い当たるところだったからだ。
 ガルランド邸での歓迎会では、美しい令嬢によるピアノの演奏などもあって、非常に楽しい時を過ごせた。それなのに是清の胸にも晴雄の胸にも一抹の不安が芽生えたのだった。

  翌日、案内されてアンコンにあるインカ帝国以前の遺跡をみんなで尋ねた。広大の墓地の遺跡ということだが、ところどころ建築物の遺構もある。
 みんなが陶器などの埋葬品を掘り出すのに熱中している間、是清は眺めながら晴雄に話しかけた。
「立派なもんじゃのお。ここに眠っている者達は何を考えていたのかのお...」
 晴雄は真面目に答えようとしたが、是清が笑いながら遮った。
「何も考古学的な見解を聞こうというのじゃない。わしの勝手な解釈ではこうだ。ここの者達はみんな自由を求めて、自由を熱望しながら、それを手にすることなく死んでいったのだ。」
「自由ですか...」
「そうだ。この者達が奴隷だったというのではない。身体的な拘束だけではなく、人は飢えから逃れたい、病から逃れたい、そう思って生きていたのではないか。」
 晴雄はなるほどという顔で是清に応えた。
「そして、それは人間の宿命でもあるが、しかし豊かに成れば、薬が買える、食べ物を買える。つまり豊かになることことこそが自由への道なのだ。無論、金だけあれば幸せになれるというものではない。それは当然だが、しかし金が無ければ病に倒れ、飢えに苦しむのだ。だから、それらの苦労から自由になりたいと思えば、豊かになることだ。俺はそういう思いでこの事業をやっておる。日本はまだまだ貧しい。わしもかつては日本は保護貿易によって金貨の外国への流出を防ぐべきだと考えておった。しかし、この銀山の事業を成功させ、国に富みをもたらせば、外国との貿易へ打って出ることができる。少しでも自由に近づくんだ。そうは思わんか?」
 晴雄は特に口にはしなかったが、大きく頷き、賛意を示したのだった。


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