第16話 祝祭

文字数 4,712文字

「ねえ、お姐さん、誰が言いだしたのか知れやしないんだけど...」
 是清による外資導入に対する国粋主義者達の不満も収まりつつあった明治三十年(1897年)、烏森の蝉の声が弱々しくなった頃、マサの事を芸妓の頃から慕っていた照近江の小冬という芸妓が翌年の四月に行われる奠都(てんと)三十年事の催しの事で、マサにところに相談に来た。
「大名行列ですって。なんでも奥向の行列までするそうじゃない。」
 マサは、奠都三十年事の催しで、いろいろな花街から芸妓が集められるらしいということは光山から聞いていた。新橋、烏森の花街も全面的に協力するらしい。もっとも、大名行列は東京中央での話で、烏森と新橋北地は天の岩戸を飾った山車を曳き出し、京橋区から芝区を練り歩くという事だ。芸妓は烏森と新橋煉瓦地から百三十名ほど参加する予定となっていた。マサも光山から催しに加わる芸妓の人選についての密かな相談も受けていた。組合の方とだけ話しをしていても、それぞれの置屋の強弱が影響してしまい、本当に参加させたい芸妓が参加できないかも知れないのだ。小冬はあるいはその事に気付いていて、マサに取り持って欲しいと思って来たのかも知れない。照近江は何しろ、お鯉を筆頭に強力な芸妓を何人も抱えているのだから、ぼうっとしてたら置いて行かれると思ったのだろう。
「大名行列はわからないけど、新橋の山車の行列なら数も多いらしいので参加できるかも知れないから、あたしから光山さんに聞いてみるわよ。」
 マサがそう言うと、小冬は小躍りするように喜び、「さすがはマサさんだわ。話をしに来て良かった。」とだけ言って、まだ座敷の時間には間がある烏森の花街の中へ消えていった。
「新橋ではね、銀座の一丁目まで、両側に紅白の幔幕を張って、市松障子の屋根を付けた行燈や球燈を飾り、尾張町のところには大国旗を交叉させるつもりなんだ。どうかね?想像するだけでも綺麗じゃ無いか?」
 光山は催事はお手の物と言った感じで、自分の考えを披露した。光山は肝心の大名行列にも関わってはいるようだったが、柳橋やら他の花街も加わっての大行列となると、手駒を動かすようには行かないようだった。
「まあでもね、この大名行列もできるだけこの新橋から行列に参加する芸妓を出したいよね。なぜなら、今や新橋の花街が一番だし、新橋の芸妓が一番華やかだからね。行列に一番花を添えられるのが新橋の芸妓達だからね。そして、できるだけ華麗な行列とすることで、この国の雅と力をあらためて披露するんです。これは海外からも注目されますよ。日本という国の力をアッピールしましょう。」
 光山はマサにこういうと、昔の芸妓仲間にも声を掛けておいてくれと頼んでいた。光山は、新橋からも数多くの芸妓、役者に行列に参加してもらい、完璧な大名行列と奥女中の行列を東京の街に再現させるつもりだったが、実は奥女中行列の先頭を誰にするか悩んでいた。
「芸妓はみんな綺麗だが、お妻ほどの艶やかさを持った芸妓はなかなかいないね。お妻が新橋から消えた今、あれだけの芸妓達を随えてなおかつ艶やかさで目立つ芸妓はなかなかいないね。どうだい、マサさんが先頭に立っては?」そういう光山の提案について、露ほども考える余地は無いとでも言いたげに、マサは別の提案をした。
「お鯉さんがいるじゃない。それだけの大役を勉められるのはお鯉さんしかいないんじゃないかしら?」
「お鯉かあ。確かにあれだけの美人芸者はそうそういないね。そうするかね。」
 光山はさっきまでお妻が一番と言わんばかりだったのを忘れたかのように、マサの提案に乗ってお鯉に声を掛ける気になったらしい。
 マサはというと、その手の事は光山に任せて、できるだけ関わらないようにしたかったのだ。光山の意気込みは理解できたが、光山の声を掛けている中に、杉村とそれに連なる、何やら人相の良くない連中が混ざっていることに、かなりの違和感と不快なものをマサは感じていたからだ。
「派手にやるのに、なぜあのような方たちが必要なのかしら?」そのような方たちとは、頭山の所にしばしば巣食っている任侠のようなガラの悪い連中の事だ。マサはそれとなく聞いてみたが、光山の答えはただのはぐらかしだった。
「連中は手なずければよく働いてくれますよ。大名行列ですから、優雅さと力強さが必要なんです。あの人たちは恰好の人足役となりますよ。」
 実際、この奠都三十年の催しには東京の花街全体が熱心に取り組んだ。東京が都であると定められて三十年の間、確かに国の力は伸びた。その力を見せびらかすには、確かに都合の良い催しだったのだ。
 翌年四月、奠都三十年の大名行列は、東京の府内を宮城を目指して練り歩いた。俳優、芸妓、旦那衆、画家、芸人、噺家などが、それぞれ色々な役に扮し、行列を作ったその姿は壮観ではあったが、派手に過ぎる感もあった。芸妓達は、総縫の振袖や、袿を着た、腰元や奥女中に、見物人達は歓声を上げた。
 その行列の中の美しい御殿女中に、照近江のお鯉も交っていた。高島田、総縫の振袖、鼈甲の花笄、緋縮緬の襦袢、選りすぐりの大勢の芸妓が奥女中行列に参加する中、惚々とするほど、際立っていた。
 一方の新橋の行列が烏森界隈を過ぎるとき、晴雄はそれを眺めているすぐ近くに光山と頭山が並んで立っているのを見つけた。満足そうな頭山の顔が印象的であったが、その時に、後ろから茶色い目の外国人に声を掛けられた。
「素晴らしいです。Extraordinary!」
 その声でマサが振り返って、その声の主の方を見た。なるほど、日本の伝統文化で日本人が美しいと思っているものは、西洋人にも通じるところがあるのだ、と確信した。
 マサに近くに芸妓組合の会長の姿が見えたので、話しかけてみた。
「会長さん...」マサは、思いついた事を忘れないうちに会長に披露しようと思っていた。
「今回みたいに、新橋と烏森の芸妓の子達を集めて、踊りの会のような催物はできないかしらねえ。折角、これだけの艶やかさなんだもの。待合にだけ閉じ込めておくのは勿体ないんじゃないかしら。」
「なるほどねえ。そりゃあ面白いねえ。でもどこでやるんですか?まさか吾妻屋でやるんじゃないですよね?さすがに芸妓達が旅館の宴会場で踊りを披露するとなると、三業の規制の問題があるので、なかなか難しいんじゃないですか?」
「そうねえ...でも京では都をどりというのをやってるそうよ。芝居小屋か劇場でやるのであれば問題無いのじゃないかしら。」
「いやあ、これは是非検討しましょう。マサさん、言い出しっぺなんだから、ある程度、芸妓の娘達を纏めておいてくださいよ。」

 数日後、奠都の催しの打ち上げというようなみたいな形で、光山が枡田屋に席を設けた。数人の芸妓に小唄を歌ってもらったが、マサはしげしげと眺めていた。それと、奠都の時の事を思い出していた。数多くの商店が幟を出し、山車に店の主人が乗り込んだりと、活躍していた。それらの主人たちは特に店の宣伝という事だけを意識していたのではなく、純粋に祭りを楽しんでいた面もあったが、晴雄をもっと売り出せば良かったと思っていた。
 以前、そんなような事も晴雄と話したことも有ったが、晴雄は「小売をしている店と違って、うちはそんなに前に出なくても良いんじゃないかな。」と消極的な答えを返すばかりだった。
 そうではなく、つまり店の宣伝という意味では無く、マサは晴雄の存在感を高めたいと思っていたのだ。吾妻屋は順調だ。店自体の評価も高い。だからその押しも押されぬ高級旅館を経営している田島晴雄という男に相応しい、正当な評価を得るべきだと考えていた。そうした世間の評価を得ることができれば、晴雄が全てを克服してくれる、忌まわしき秘露の悪夢から完全に開放されるのではないか、そう考えていたのだ。
「光山さん、この間仰っていた事ですけど...」
「この前って、どの話かな?」
 光山は背広のポケットを盛んに弄っていた。珍しく煙草を切らしたらしい。
「吾妻屋の写真を撮っていただく話ですよ。」
「ああ、やりましょう。」
「是非とも、吾妻屋とうちの人を格調高く撮ってくださいな。」
 マサが少し浮かれ気味に光山に頼むと、光山もさすがに宣伝屋なので、吾妻屋を色々な宣伝用の写真に使うことの許可を求めて来た。
「その代わり、色々宣伝の写真などに使わせて下さいよ。いやあ、それをさせてくれればこちらは本当に大助かりだ。安っぽい宿じゃ、全然、絵に成りませんからね。」
 光山と話が纏まりほっとしたところ、光山は逆に、畳み掛けて来た。
「ところで、マサさん、聞きましたよ。」
 光山が珍しく、ニヤリともしないで話を始めたので、マサにはこれは何かの企画の事だとピンときた。
「何かしら?」
「そんなにお惚けにならなくても良いじゃ無いですか。何かしらの催しをするなら、広告屋では僕が一番ですよ。」
 まあ、決して大げさではなく、光山がやり手の広告屋であることは間違いなかった。
「何でもマサさんの発案だそうで?」
「あら、東をどりの話かしら。」
「そうそう、組合の会長から、マサさんがをどりの会を企画しているって言うから、そりゃあ、僕を差し置くっていう話はないでしょうってことなんだけど...」
 光山は怒っている様子では無いものの、目は笑って無く、ある程度本気で、自分のところに話を通さずに進めるな、と言っている事がわかった。
「いえ、そんなことはないわ。あたしはもう花柳界の人間では無いですもの。確かに会長さんにそう言う話はしましたけど、あたしが口出すのも筋違いじゃないかしら、って思っていましたのよ。話が進むらな、お手伝い差し上げるのはやぶさかじゃ無いんですけど...」
 光山は自分がマサの機嫌を損ねかねないという事にやっと気づいた。
「やぶさかなんて、そりゃあ水臭いっていうもんですよ。ええ、まだ案が出ただけの段階ですが、良いでですとも。そんな良い話をしてくれるなんて、さすがはマサさんだ。すぐにタニマチを付けてごらんに入れますよ。そうすりゃあこの手の話は、とんとん拍子で話が進みますよ。」
「あら、まだお金の面はそれほど心配していないのですけどね。いずれ、どこかの劇場でも借りたならば、その時はそれなりに持ち出しがあるかも知れませんが、今は、一年に一回かそこら、うちの大広間を使って踊りの会を催すくらいなら、お金もそんなにかからないのじゃないかしら。まあ、そうしたら光山さんの商売としては面白みが無いでしょうけど。むしろ、あたしが頼むとしたら、その催し自体ではなくて、そうした芸妓達の姿をいろんな雑誌などで紹介してもらいたいという事なのよ。新橋、烏森の文化を日本中、いえ世界中に知らせられたら、芸妓達もより一層稽古に身が入って、花街としての新橋はいつまでも栄えるんじゃないかしら。」
「いやあ、ほんと感心するなあ。僕なんかよりもずっと高いところから花街の事を見てらっしゃる。僕よりも余程広告屋に向いているや知れない。良いでしょう。わかりました。でも、僕の見立てではすぐに話題になって、すぐにどこかの劇場で公演をできるくらいになるんじゃないかな。まあ、そうすれば広告屋としてもさらに大きな商売になるので、嬉しい限りですがね。」
光山のお世辞はともかく、確かに広告屋としての力量は間違いのないものであり、今回の奠都の催しでも、かなりの谷町のような後援者を連れてきたし、とにかく顔が広いのだった。マサは光山のお調子者的なところを好いてはいなかったが、とにかく吾妻屋にとっては必要な人間なのだと理解していた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み