セトル・ゴッド・ノウズ 4

文字数 5,105文字

「オルニエス!」

 地面へ身体を打ちつけるトップライダーを見て、ドルドは立ち上がった。

「ドルドちゃん、きっと大丈夫よ。高いところで墜ちたのでもないし、すぐに救急隊が駆けつけるわ」

 マリーが気遣う言葉をかける。それを受けて幾らか冷静さを取り戻し、ドルドは脱力してソファーへ沈んだ。

「ワシの、罪だ。ワシが、あいつに、汚い手で勝ち取った酒でも美味なのだと教えた。頂点に君臨する味を覚えさせた。こうなる前に、どうにかせねば、ならなかったのだ」

 ドルドは呟く。脳裏には彼と初めて会ったときの光景が蘇っている。

 バルカイトは長身ゆえ減量に苦しんでいた。体重が増えるからと極限まで食事を摂らなかったせいで、いつも顔色が悪く、筋肉も削げ落ちていて貧相だった。それでも、どうにかライダーとしてデビューするには至ったが、身体的なハンデを抱えた彼を乗せる関係者はおらず、レースへ出場できない日々が続いた。しかし、彼には目の輝きがあった。純粋に竜を愛し、ドラゴンレースを愛し、厳しい状況にも負けず努力していた。ライダーとしての技量は一級品だった。環境を与えれば、竜を与えれば彼は勝てる。ドルドには、その確信があった。金をかけて体重管理のエキスパートを用意し、思いのままに練習できるようトレーニングルームも与えた。予想は当たり、ドルドの支援を受けてバルカイトは順調に勝ち始めた。

 そして、彼が初めてグレード・ワンへ挑もうというとき。ドルドは悪魔の果実を渡してしまったのだ。

「ドルドちゃん。バルカイトちゃんの苦しむ姿に、かつての自分を重ねてしまったのね。アナタはライダーになりたくても身体が大きすぎて、なれなかったものね」

 マリーが慈愛の籠もった表情を向ける。それは罪の告白を促す聖母のようで。ドルドは無言で頷いた。

 かつて、一人の少年がいた。親を知らず情を知らず、路地裏で生活し、生きていくためと言い訳して盗みまでやっていた少年だった。その少年は一人のドラゴンライダーと出会い、憧れ、同じ世界を目指した。家族の温もりを教えてくれた彼らに報いたくて、真っ当に生きようと思って。だが、少年の身体は望み通りにはならなかった。身長は一九〇センチメートルにまで迫り、ライダーとなる制限を超え大きく成長してしまった。結局、少年は夢を諦めた。

「ドルドちゃん、もう終わりにしましょう。バルカイトちゃんが、ああなってしまったもの。これ以上、犠牲を出す前に」

 マリーは立ち上がり、ドルドへ寄り添う。優しい声音で説得する。しかし、巨体は首を横へ振った。立ち上がりマリーから離れ、瞳に闇を映す。

「オルニエスが墜ちたのは、ワシの罪だ。

。オルニエスが地位に固執したのは、若くして襲ってきた苦しみのせいだ。馬鹿なオーナーどもが、調教師が、いや協会がライダーを守らんからだ。今のドラゴンレースはライダーを食い物にする。ライダーを犠牲にする。そんなもの、あってはならない」

 グレーの瞳を血走らせて、ドルドは怒りのままに言った。減量に苦しむバルカイトを見て、自身と重ねてしまったのは事実だ。けれど、そのバルカイトを利用して権力を手に入れたのも事実だった。引き返せないのだ。

 ドルドが、ライダーになれなかったのは仕方なかった。それだけならば、よかった。だが、ドラゴンレースは、協会は、



「ドルドちゃん……まだ、ダンキストのことを……」

 マリーは悲しそうにして見つめる。

 彼女が、なぜ、そのような目をするのか。ドルドには分からなかった。



**********************



 アウル・ラゴーが天才の意味を初めて知ったのは、ライダースクールへ入学したばかりの頃だった。

 上空で竜が体を捻る。横回転しながら軌道は螺旋を描いて。速く、鋭く、突き抜けた。隣で、コクが感嘆の声を上げる。皆が拍手を送っている。アウルだけが無表情で空を見上げていた。

 アウルは国でも有数の名家に三男として生まれた。家を継ぐでもない、事業を引き受けるでもない三男という立場は、アウルに息苦しさばかりを教えた。吹っ切って遊び呆けてもよかったと思うが、生来の気質ゆえか家を捨てることもできなかった。そんなとき、父親がオーナーを務める竜が神竜賞(しんりゅうしょう)へ出場することが決まった。気乗りせずついていったが、レース場の光景を見て人生の全てが変わった。

 空で繰り広げられる白熱のレース。熱狂する人々。歓声、絶叫、悲鳴。騒がしい中に含まれた熱気は、幼いアウルを夢中にさせた。帰るなり父親に頼み込んで、ライダーとなるべく訓練を始めた。財力にものを言わせて始めた訓練は、アウルの才能を大きく伸ばした。努力することが気質に合っていたし、センスも良いと褒められていた。いつしか周りから天才と称され、アウル自身、それを疑わずに成長した。そうしてライダースクール入学試験を史上最高の成績で合格したアウルは。

 バレルロールを一回、見ただけで易々とやってのける本物の天才と出会ったのだ。

 周りが騒ぐ中、アウルだけが静かに空を見上げていた。人によっては絶望しているように見えたかもしれない。怒りを抱えているように感じたかもしれない。だが、そのときアウルの胸中に芽生えたのは絶望でも怒りでもない。越えるべき目標を見つけた歓喜だった。

 ずっと、何かが足りないような気がしていた。努力を続けながらも中身に熱がなかった。その頃のアウルに好敵手と呼べる存在はいなくて、同世代でライダーを目指す子どもを見つけても、アウルの竜乗りを見れば彼らは簡単に夢を諦めた。アウルのように上手いヤツがいるのだから敵わない、そう言い残して。

 しかし、世界は広かった。アウルが思っているより、もっと、もっと広かった。アウルにとって、グレンやコクと訓練を重ねる日々が大切だった。いつか、彼らとドラゴンレースで競いたい。それが神竜賞であったなら。夢を抱くのは必然といえよう。

 その神竜賞で、グレンは墜ちた。アウルと戦う前に彼は姿を消した。やるせなかった。悔しかった。親友として助けてやれなかったことも、ライダーとして競えなくなったことも。

 昔を思い返していたアウルは、ふと現実へ舞い戻り後ろを窺った。ヴォーダンが飛び抜けた洞窟からは、まだ何者も出てきてはいない。アウルは溜め息を吐く。

 ようやく戦えると思った。互いが竜の魔術使い(ウィザード)に乗るという奇跡の元、存分に競い合えると思っていた。ハティアはジュピターの得意とするレース場だ。ここでならヴォーダンとの差は、そうない。この神竜賞でこそ、ライダーとしての技量を比べられる場だったのだ。そうして勝てば、神竜賞で乗る度に蘇る親友が墜ちる光景にも決別できるだろう、と。忌々しい事故によって、機会は粉々に砕けてしまったが。

 ヴォーダンは十五キロメートル地点を通過した。ラップタイムは乱れることなく刻まれ、魔力量は充分だ。何者も追いつけない。純白の竜は誰にも止められない。唯一、息の根を止められるとすれば。

 急にヴォーダンが首を曲げ、後ろを見た。感情を滅多に出すことのない表情が喜色で満ちていく。白く美しい口元が楽しそうに曲がる。純白の竜が、これほどまでに意識する相手は一頭しかいない。身の毛が総立ちする興奮を抑えながら、アウルは振り返った。

 洞窟を抜け出してきた黒い影。筋骨隆々の翼で宙を打ち、前だけを見据えて猛然と追い上げてくる漆黒の竜。その背に乗るライダーは綺麗な姿勢を保ち、冷静沈着に竜を導いている。あれこそ、ヴォーダンの息の根を止める唯一の存在。喉元を食いちぎってやろうと迫る漆黒の牙。

「ヴォーダン、前を見ろ」

 呟いた声が震えていた。純白の竜は前を向く。

 アウルの身体中を歓喜が走り回った。嬉しさで身が震える。勝手に笑みが零れて仕方ない。やっと、だ。やっと、彼と戦える。互いの過去に潔い決別を、身の全てを懸ける闘争を、焦がれた決着を。

「勝つのは僕たちだ!」

 アウルは渾身の力で叫んだ。純白の竜が甲高い咆吼を響かせる。ヴォーダンの瞳に紅い輝きが灯り、魔力の奔流が勢いを増す。

 レースは十六キロメートル地点を過ぎ、残り、八キロメートル。紅い流星を身に宿した純白の竜は王者として、青い流星を灯すだろう漆黒の竜を迎え撃つ。



**********************



 先ほどから、指先の感覚がない。骨は軋み、限界を訴えている。継続的に襲ってくる痛みが思考を鈍らせる。呼吸が乱れ、苦しい。

 グレンは霞む視界のまま、洞窟を抜け出した。陽光が眩しくて目を閉じてしまいそうになる。今、瞼を下ろせば永遠に開きそうにない気がして、前方を睨みつけて堪えた。黄金色の竜と越えられなかった洞窟を、漆黒の竜と共に越えた。それだけで満足感がやってくる。

 けれど、本当に乗り越えたいものが、この先で待っているから。

「行くぞ! ジュピター!」

 グレンは呼吸もままならない肺から空気を押し出し、気合いを混ぜ込んで喉を絞る。ジュピターの瞳に青い輝きが灯った。流星がごとく煌めかせ、漆黒の竜は魔力を溢れさせる。

 ヴォーダンを視界に捉えているということは、それなりに追い上げているという証拠だ。レースは中盤を過ぎ、終盤へ突入しようとしているが逆転可能だろう。ここは、漆黒の雷が最初に走った場所。ドラゴンレースへ雷鳴のような挑戦状を叩きつけた、復活の土地。抉る雷で風神を撃ち落としてみせる。

 大平原を二筋の光が飛んでいく。紅い流星が先行し、青い流星が猛追する。レースは残り、六キロメートル。二頭の竜の魔術使い(ウィザード)は速度の限界を超えようと、魔力を生み出すエンジンを轟々と回す。

 先に魔力が途切れたのは、ジュピターの方だった。竜の魔術使い(ウィザード)として過ごした年月の違いが魔力の使い方に現れ、常より速く大量に回し続けたエンジンが止まってしまったのだ。ジュピターの瞳から青い光が消えていく。もう少しでヴォーダンへ手が届きそうなところで失速する。純白の竜は潤沢な魔力で先を行っていた。その瞳は紅いままで、エンジンが回り続けているのを見て取れる。

「ジュピター! まだ、だ! 行くぞ!」

 グレンは叫んで、手綱を下へ引っ張った。漆黒の雷を疾走させるべく。

 ところが、ジュピターは従わない。引いた手綱を逆に引っ張って、下降することなく空で留まっている。彼は漆黒の翼を懸命に動かすが、ヴォーダンとの差は縮まらない。それどころか広がり始めている。グレンはもう一度、手綱を引く。痛みが走っても尚、引く。漆黒の竜は従わない。

「ジュピター! おい、ジュピ……」

 呼びかけるグレンの目に、竜の顔が映り込んだ。相棒は顔をしかめ口元を引き結び、眉間にシワを寄せて。今にも泣き出してしまいそうな表情をしていた。

 彼の想いを悟る。漆黒の竜は理解しているのだ。指示に従い地を走ったとき、グレンの身に何が起きるのか。痛みで叫ぶかもしれない。骨が砕けるかもしれない。最悪、背から放り投げられ死んでしまうかもしれない。ああ、彼は、こんなときに。相棒の身を案じて守ろうとしていた。

 グレンは息を吸い込む。腹の奥に力を入れる。軋む骨は放っておく。

「前を見ろ! なにが見える! ヴォーダンだろ! おまえが倒したかったヤツだろ! いいのか、おまえは負けようとしてるんだぞ!」

 相棒へ怒声を投げつけた。漆黒の竜の口元が、悔しさで曲がる。

「俺は勝ちたい! 他の誰でもない、おまえと勝ちたい! おまえは、どうなんだ! おまえは俺の相棒だろうが!」

 グレンは漆黒の首筋を押す。ジュピターが迷いを見せながらも降下していく。

「ここは、どこだ! ハティアだ! おまえは、ここでなら誰にも負けないんだよ!」

 ぐい、と、力を増してグレンは押す。身体の奥が、みしり、みしりと音を立てている。そんなものは構わない。勝てるなら、なんだっていい。

 ジュピターが前を、ヴォーダンを睨みつけた。竜はハミ部分を強く噛む。相棒は覚悟を決めた顔をする。

 漆黒の雷が降り注ぎ、地面を抉った。その瞬間、グレンは身体がバラバラに砕けてしまったのだと思った。
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