ナイトメア・ダウト 2

文字数 3,682文字

 ハティアへ帰ったグレンたちの前に、敏腕記者が現れたのは突然だった。ウォーディ竜舎(りゅうしゃ)事務所で、とりあえず腰を落ち着けていたグレンとジュナは驚きながらも迎え入れる。

「お久しぶりです。ルーキーイヤーステークスは残念でしたね」

 カラ・ポピーは柔らかい雰囲気で、けれど、記者らしい視線の鋭さは変化なく挨拶した。会うのは夏のとき以来だが、元気でやっているようだ。

「完敗だ。相手が竜の魔術使い(ウィザード)じゃあ、しょうがないのかもしれないが」

 グレンは応え、カラを椅子へと案内する。夏の日と同じくグレンとジュナが隣同士で並び、カラは二人の正面へ座った。

 横目で、ちらりとジュナの様子を窺う。彼女は憧れの人を前にした興奮ゆえか、頬を紅く色付かせている。夏に明かされた事実を苦痛として引きずっていないか心配だったが、いつも通りの彼女だ。ということは、ジュナは感激で使い物にならない。状況を把握したグレンは、自分が会話を引き受けなくてはと決めた。

「ヴォーダンについて情報をくれると、ありがたいんだけどな」

「ご冗談を。敵陣営に情報を漏らすなんて記者失格ですよ。良い情報を引き出すには、信用第一ですから」

 グレンの言葉を、カラは鋼鉄のような意志を織り交ぜた笑顔で避ける。さすが、敏腕と周知される一流記者。グレンの話術では百年経っても情報を引き出せそうにない。

「そうよ、なに言ってんのよ。もう!」

 ジュナの平手がグレンの腕へ直撃する。強めの一発に彼女が心底、苛立ったのを察する。痛い。慣れないことは、するものじゃない。グレンは『孤軍奮闘』という言葉を思い出しながら、涙を堪えた。

「格好良く言ってみましたが実は、私たち記者もヴォーダンについて詳しくありません。オーナーが全ての取材を拒否しているようで、未だ竜の魔術使い(ウィザード)については謎だらけです」

 カラは冗談めかして肩を竦めた。ヴォーダンのオーナーといえば、マジュロー・マインスだ。グレンは会えなかったが、ジュナとマリーによれば冷たい印象のある男だったらしい。

 ルーキーイヤーステークス優勝後のインタビュー映像なら、グレンの記憶にある。冷静に淡々と受け答えする彼はマリーとは違う意味で、これまでのオーナーとは違った。ドルドのような威厳でなくマリーのような優しさもなく、でも佇まいは端整で。氷の彫像が在るような壮麗さと冷たさが目立つような男だった。

「マジュロー・マインスか。オーナーも謎だな」

「そうですか? 彼、誤解されやすいところもありますが、竜が好きなのは昔から変わらないですよ」

 カラは穏やかな微笑みで言う。まるで旧知の間柄のような口振りに、グレンとジュナは首を傾げた。

「マジュローは大学の同期なんです。今でも大切な飲み仲間ですよ」

 グレンたちの疑問を察してか、カラは穏やかな顔のまま補足する。カラの同期で飲み仲間。柔らかく優しげな雰囲気のカラと、氷の彫像がごとく冷淡なマジュローが並ぶ様は、なんと不均衡なことか。美女と野獣、姫と鬼、兎と竜などと同義ではないだろうか。

「そういう知り合いなら、紹介してくれと周りから言われるんじゃないか? いいのか、ここにいて?」

「ご心配なく。仕事とプライベートは関係ありませんし、私はウォーディ竜舎担当の記者ですから。私は、私の仕事をするだけです」

 驚くグレンに、カラは優雅に笑ってみせる。

「なので、ジュピターについて、お話を伺ってもよろしいですか?」

 そして、流れるように取材交渉へ。彼女の手元には、いつの間にかボイスレコーダーやメモ帳などが用意されている。グレンは笑うしかなかった。やはり、彼女は本物の記者なのだ。

 ジュナの嬉々とした視線が向く。ぜひ応えたいと青い瞳が訴えている。信頼できる記者ならば突き放す理由なく、グレンは同意を示して頷いた。やった、と小さく呟いたジュナを眺めて、グレンの口元は緩みっぱなしになってしまったが。

「ウォーディ先生。ジュピターの次戦ですが、クラウンレースを見据えた選択になるのでしょうか?」

「ええ、もちろんです。私たちはクラウンレースに、そしてヴォーダンに挑みます」

 ジュナは真剣な面持ちで答える。どれだけ表情が腑抜けようが、竜の話になると途端に顔つきが変わる。彼女も本物の調教師なのだ。

「相手が竜の魔術使い(ウィザード)では勝ち目がない、と諦める陣営が多い中、挑戦されるのですね。これは楽しみです」

 カラは慣れた手つきで、メモ帳にペンを走らせる。その表情には嬉しそうで楽しげな感情が見えた。彼女の言葉は記者としてより、純粋に応援しているというように聞こえた。素直な考えかもしれないし、巧みな話術ゆえかもしれない。それはグレンにとって励ましで、気分を良くさせるものだ。ジュナも嬉しかったようで、真剣さを保っているものの表情を崩すまいと必死に堪えているのが分かる。

「クラウンレースへの出場を目指すとなると、次戦は予選レースでしょうか」

「はい。今のジュピターでは、予選レースへ出ないで協会から推薦されないでしょうから」

「なるほど」

 カラは頷きながらメモを取る。

 クラウンレースは、グレード・ワンの中でも格式高いレースだ。出場するには獲得賞金の多さだけでなく、ドラゴンレース協会の推薦を得ることが条件になる。

 推薦を得るのに、道は二種類ある。一つは、クラウンレースへ出場できる能力であると認められること。これは戦績に関係なく、協会内の会議だけで決まるものだ。もう一つは、予選と定められたレースで優勝すること。これは単純で、予選レースの勝敗だけで推薦の有無が決まり、協会内の会議で決定されるようなことはない。

 ルーキーイヤーステークスで敗戦したことにより、ジュピターの印象は十二キロメートルまでの短距離でしか活躍できないスプリンターのままだ。クラウンレースへの出場は、ドラゴンレース協会も世間も認めないだろう。グレンたちに残された道は、予選レースで優勝すること。ただ、それだけなのだ。

海竜賞(かいりゅうしょう)の予選レースは、年が明けた二月の夢見月賞(ゆめみつきしょう)か、三月のスプリングチャレンジステークスですね。どちらかは決めているのでしょうか?」

「二月の夢見月賞を目標にしています。海竜賞と同じ距離とコースで試しにもなりますし、レース後、四月の海竜賞本番まで日程的に余裕があるのは大きいかと」

「そうですか」

 不意に、カラの表情が曇った。彼女はペンを指で挟んだままメモ帳を捲り、何事かを確認する。

「夢見月賞には、エテルネルグランツが出場を表明しています。神竜を見抜く男が惚れ込み、十一度目の神竜賞(しんりゅうしょう)制覇を狙う逸材です。調教を見ましたが、あの竜は強いですよ」

 言いながら、カラの表情が険しくなっていく。

 神竜を見抜く男と称されるのは、ドルド・ルイジ・ピシティアーノ、ただ一人。その彼が満を持して送り込むのが、エテルネルグランツという竜なのだろう。今まで数々の名竜と出会ってきた敏腕記者の目は確かだ。彼女が警鐘を鳴らすのだから余程、強いのだ。

「エテルネルグランツは短距離のルーキーイヤーステークスを回避して、クラウンレースだけを目指したレース選びをしています。それほど素質を見込んでいるのでしょう。名手バルカイト・オルニエスが調教でも乗り、ゆっくり、じっくり成長させているようですね。強敵となるのは間違いないと思います」

 カラの声色が沈む。ジュナも、表情に不安を滲ませた。

 クラウンレース出場への道のりは易くない。ヴォーダンの他にも倒すべき相手がいる現実に、打ちのめされそうになる。ああ、そんなことは、分かりきっている。道理だ。それでも、と自分たちは戦うことを選択したのだ。

「相手がなんでも、クラウンレースへ出場するのは俺たちだ」

 グレンは口調に強固な志を含ませた。暗い表情でいるジュナの背を、ぱんと軽く叩く。ジュナは、はっと気づいた顔をした。彼女は両手で自身の頬を一叩きし、きりと表情を引き締める。

「エテルネルグランツは関係ありません。私たちの目標はクラウンレースであり、夢見月賞は通過点でしかないので」

 ジュナは強気に、口の片端をつり上げてみせた。調教師の彼女らしい、堂々とした顔つきだった。グレンは頼もしさに安堵して、口元を緩める。

「通過点でしかない、と。ありがとうございます。良い記事が書けそうです」

 敏腕記者は、すらすらとペンを走らせる。その所作に微塵も揺れなく、声音は鋭い。張りぼての強がりに映っただろうか。勝算のない蛮勇と捉えただろうか。何を思ったのかグレンに知る由もないが。

 カラの瞳は優しげに細められていた。何を思うとしても、彼女はグレンたちの味方で在り続けてくれるような気がした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み