ナイトメア・ダウト 3

文字数 3,237文字

 それから幾つかの質疑応答をして、カラは取材道具を片付けた。彼女は深く呼吸する。

「例の件ですが」

 カラの落ち着いた声音が、ゆたりと波打って室内で広がる。空気が張る雰囲気を察し、グレンたちにも緊張が走った。二人して居住まいを正し、言葉を待つ。

「あれから事故について批判する記事を洗い出し、それぞれの関係者を調べてみました。その何人かは五年前に突然、羽振りが良くなっているようです。金の流れがあるのは間違いないでしょう」

 グレンとジュナは黙ったまま、カラを見つめていた。彼女の話を初めて聞いたときから、メディアに不穏な動きがあったことは事実かもしれないと覚悟していた。カラは信用できる記者だ。その彼女が、わざわざ訪ねてきたのだから、記事が買われていたのは信ぴょう性のある話だと。疑惑で済むことなく、それは確かな現実となってしまった。裏付けられてしまった。

 脳の奥で、血管が暴れている感覚がある。心の奥で悲鳴をあげている自覚がある。耳の奥で、やめておけと諭す声が聞こえた。グレンは、細く長い息を吐いた。かすかな音をたてることすら遠慮する張り詰めた緊張感が漂っていたが、胸に溜まる(よど)みを押し出したくて仕方がなかった。グレンには確認すべきことがあったのだ。

「あんたは夏に、ドラゴンウォッチャーの金で動かされた記事は、俺を批判するものだと言っていたな。もしかして、金で動いた他の記事も俺を批判するものだったんじゃないか?」

 グレンの指摘を聞いたカラは、驚いた様子で目を瞬かせる。

「はい、その通りです。疑惑の記事は、どれもクリンガーさんを批判するものでした」

「そうか」

 グレンは俯いて、今度は大きく息を吐き出した。心臓の脈動が心許なかった。意識を精一杯、保とうとしていた。

「グレン、どうして、わかったの?」

 ジュナの戸惑う声に顔を上げる。青い瞳が動揺で揺れていた。グレンは眉根を寄せる。話さなければ。例え、彼女に罵られたとしても。

「何者かの意図が働いているとして、理由を考えてみたんだ。いくら考えても、家族経営の小さなウォーディ竜牧場を潰す理由が見当たらない。ゴルトの母竜が目当てなら事故の直後に買われていただろうし、土地が目当てなら竜牧場が立て直される前に奪われていたはず。恨みはない、と思う。ジュナを見ていれば、ご両親が立派だろうことは想像できるからな」

「じゃあ……」

「ウォーディ竜牧場は、本来の目的になかった。俺の巻き添えだったんだ」

 ジュナの表情が凍りつくのが分かった。グレンは目を逸らす。

 全くの無名だったウォーディ竜牧場に目的はない。ならば、あとは消去法だ。ウォーディ竜牧場に理由がないなら、標的はグレンでしかない。グレンは世間の関心を集めるライダーだった。知名度は、それなりにあった。心当たりはないが、何かの恨みや妬みを買う可能性は否定できない。

「クリンガーさんの指摘に、私も同意します。クリンガーさんの記事は大手メディアで扱っていましたが、ウォーディ竜牧場についての記事は、いわゆるゴシップ誌のみが載せていました。調べてみましたが、金銭のやり取りはなかったようです。売り上げを伸ばすために、他と違うネタが欲しかったのでしょう」

 重い空気が垂れ込む室内に、カラの静かな声音だけが響いた。

 グレンは五年前から、ずっと、ウォーディ竜牧場への批判は自分のせいだと思ってきた。ゴルトのような素晴らしい竜を生産した竜牧場が批判されるのは、捏造でしかありえないと考えていたからだ。今、メディア側の不穏な動きが発覚したとて、その事実は変わらなかった。むしろ、推測でしかなかったものが確定されてしまった。

 ジュナの苦しみの全ては、グレンが原因だ。グレンへ振り下ろされた刃のせいで、彼女の家族は離散という悲劇を迎えてしまったのだ。

「やっぱり、俺のせいなんだな」

 グレンは自嘲気味に呟いた。思考で己への責め苦ばかりが回る。膝の上で握り締めた拳が震えている。彼女を大切に想う資格がない。傍にいることさえ、おこがましい。笑顔を見たいと望むことも、健やかであれと願うことも、幸せでいてほしいと祈ることだって……。

 ふと、柔らかいものがグレンの拳を覆った。

「あなたのせいじゃ、ない」

 グレンの拳より震え、弱々しく、だが優しさの込められた言葉が差し出される。視線を向ければ、泣きそうな顔をしたジュナがいた。彼女は青い瞳に涙を浮かべ、唇を引き結んで悲しみを堪えながら、ただ真っ直ぐにグレンを見つめている。

「批判する記事を書くよう指示した人が、全部、悪いじゃない。あなただって、被害者じゃない。なのに、こんなに苦しんで、そんなの、おかしいよ」

 言いながら、彼女の柔らかい掌がグレンの拳を包み込んでいた。強張っていた身体から力が抜ける。責め苦が通り抜けていく。

 しかし、と、グレンは首を横へ振った。

「事故は俺のせいだ。神竜賞(しんりゅうしょう)で俺がちゃんと乗っていれば、批判する記事なんて、そもそも出なかったんだ」

 何度でも結局は、そこへ帰結してしまう。他の竜と接触し暴れたゴルトを制御できなかった。洞窟の壁へ激突し、墜落して、ゴルトはグレンを守って死んだ。多くの夢を背負っていた黄金色の竜を、唯一無二の相棒を己の失敗によって失った。その事実が根底にある限り、グレンの罪は存在し続ける。

「クリンガーさん。もう一つ、私は伝えなければなりません」

 カラの強い声音が、二人の耳を打った。グレンとジュナは同時に振り向く。

「記事に関する金の流れを追ううち、記者以外にも金銭の授受があったことを掴みました。ボルテシア竜舎(りゅうしゃ)スタッフと、レース場運営係員の何人か……彼らも、金を受け取っていた疑いがあります」

 カラの言葉を受け、グレンは把握しかねて表情を歪める。こめかみが、ズキズキと痛い。宙で浮いているような、飛ばされて自身が掻き消えてしまうような不安感を押し退けて口を開く。

「それは、つまり……」

「竜舎スタッフと、レース場運営係員。彼らの協力があればレースで何かしらの細工は可能だった、ということです」

 グレンは目を見開いた。後頭部を鈍器で強打されたみたいに、思考が真っ白になった。心優しい黄金色の竜。それに夢を乗せた調教師。離散の末路を辿った家族。空を奪われたライダー。失ったもの、犠牲になったもの全てが脳裏を埋め尽くした。

「あの、神竜賞は……事故、は……」

 何者かに仕組まれたものだった。グレンが背負ってきた罪の全てが、策略によるものだった。

 なんて、悪夢だろう。

「そんな」

 ジュナが何かを言おうとして、声を詰まらせる。彼女の指が脱力したグレンの手を強く掴んだ。

「五年前の神竜賞について、詳しく調べたいと思います。当時のレース映像も残っているはずですから、手がかりはあるでしょう」

 カラは席を立つと、言葉を失う二人へ一礼した。

「あなたたちに落ち度はなかった。それを証明してみせます」

 ヴァイオレットの瞳が強く煌めく。敏腕記者はローヒールの靴を打ち鳴らし、確かな足取りで事務所を去っていった。

 いつの間にか陽が沈みかけていて、室内を橙色に染めていた。物音一つせず静寂が統べるそこに、グレンとジュナは行動の気配なく椅子に腰かけたまま存在していた。真実は、どこにあるのか。自分たちは何をすべきか。暗闇の中を当てもなく手探りで彷徨っている感覚だ。

「五年前の神竜賞は、まだ終わってないんだ」

 ひっそりとグレンは呟いた。生気のない眼で、目の前に横たわる現実を眺めているだけだった。

 グレンの手に、また一つ、柔らかいものが重ねられる。その温もりが、消え入りそうなグレンの存在を繋ぎ止めてくれていた。
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