イマーキュレイト・ホワイトネス 4

文字数 4,433文字

 吸収される衝撃を計算して、足の力を強めにして蹴る。呑み込まれないうちに素早く引き抜き、前へ踏み出す。それを繰り返して砂浜を駆けていく。力の要る動作だが、慣れてしまえば難しいことはなかった。元よりライダーとして鍛錬し続けているグレンは、コツさえ掴めば砂上を走るなど容易いのである。日々の鍛錬に取り入れたら面白いかもしれない。

 振り返ればグレンを追って来た幾人かは、転んで顔から砂へ突っ込んだり、苦しそうに表情を歪ませ足を止めたりと四苦八苦しているのが見える。現役ライダーと一般人との差が顕著(けんちょ)に表れていた。

 波音と足音が混ざり合うのを聞きながら、グレンは砂浜を横断する。腕の中にある温もりへ視線を落とせば、彼女は惑いながらも一生懸命にグレンのダウンジャケットを握り締めていた。なんと愛らしい小動物だろうか。落とさないよう、しっかりと抱え直す。

 目的のドラゴンタクシー乗り場まで走りきった。受付カウンターがある簡素な小屋と竜が待機する屋舎があり、地面には上空から視認できるよう発着所のマークが大きく描かれている。グレンはジュナを丁寧に下ろし、受付カウンターへ近づく。仕切りのガラス越しに係員を覗き込んだ。

「すぐ乗りたいんだが!」

 係員は突然にして現れたグレンの勢いに気圧され、身体を引いた。

「す、すみません。今、タクシーライダーが出払ってまして……」

 係員は消え入りそうな声音で告げ、頭を下げる。グレンが首を巡らせれば確かに、緑の竜が一頭ぽつんと残るだけで、乗る準備をしている人間がいない。

「いや、ライダーなら問題ない。俺に貸してくれ」

 グレンは再び、ガラスの奥を覗き込んだ。係員は驚きを通り越した呆れの表情を貼り付ける。

「あの、飛行にはライセンスが必要ですから、一般の方には……」

「これで、いいか?」

 グレンは口を動かしながらパスケースを取り出し、中からスマートカードを抜く。それを呈示(ていじ)すれば係員の顔色が瞬時に変わった。

竜飛行(りゅうひこう)S級ライセンス! あ、グレン・クリンガーさんですね! ドラゴンライダーの!」

 係員は早口で(まく)し立てると、小屋の中から急いで出てきた。

「ヘルメットなどは、こちらのを使ってください。竜の返却はケイシュレドの乗り場であれば、どこでも可能です」

 係員は説明しながら、必要な装具を渡してくれる。一人分をジュナへ手渡して、グレンは身に付けるついでにタクシー料金の支払いを済ませる。

 砂浜を走る人影が見えた。低速で、よろめきつつ足を進ませている。グレンへ追いつこうとする意地だけが、彼らを突き動かしているのかもしれない。グレンとジュナは準備を終え、待機していた緑の竜へ乗り込んだ。ジュナを前にして、グレンが後ろから抱える格好だ。

「あの、デートしてたって、誰にも言いませんから」

 係員が興奮した様子で、こそっと囁いた。グレンは笑いを零す。他人から、そう見えているのが嬉しかった。

「それは助かる。本気のデートなんだ」

 冗談めかして言えばジュナは振り返り、開けたシールドの奥にある顔を紅く染めた。にか、と、してやったりの笑みを浮かべ、彼女のフルフェイスヘルメットへ手をやりシールドを下げる。渋々、彼女が前を向くのにグレンは笑いながら、自身もシールドを下げた。

 グレンは竜へ、飛翔の合図を出した。緑の竜は手綱に従って飛び上がる。

「あーーとーーでーー! サーーイーーンーー! くださいねーー!」

 係員が手を大きく振りながら叫んだ。グレンはそれに手を挙げて応える。

 とりあえずの進路を海へと指示すると、緑の竜が翼を空へ打ちつけた。加速しながら風を切って進む。砂浜で、為す術なく上空を見上げる人影が疎らにいた。彼らに追いつかれる心配はない。このまま、二人のデートを再開するとしよう。

 砂浜を通り過ぎ、打ち寄せる波を越え、広大な海へと出た。ハティアで乗るより風が温かい。陽射しも充分で景色が遠くまで見え、絶好のドラゴンタクシー日和だ。タクシーライダーが出払っていると聞いたものだから上空で混雑するのを覚悟していたが、意外にも他に竜の姿はなかった。グレンはケイシュレドから離れすぎないよう、海岸線を確認しながら手綱を操る。豪華なリゾートホテルを眺め、遊覧船や、大型のフェリーボートや、ヨットが波間を縫って進むのを見下ろす。グレンたちを阻むものはない。誰も竜の飛行には追いつけない。

「この子、速いのね!」

 ジュナが声音を輝かせて叫んだ。竜に触れているからか、とても楽しそうだ。フルフェイスヘルメットの奥で笑顔なのが察せられる。

 観光地は、レースを引退した竜たちの再就職先だ。ゆえに現役の竜と比べると、どうしても飛行速度が物足りない。しかし、この緑の竜は手綱への反応も良いし飛行速度も申し分ない。まだ引退して間もない竜なのだろう。調教の成果が色濃く残っている。

 とすると、もしかして、あれができるのではないか。グレンは密かに笑んだ。

「しっかり掴まってろ」

 グレンはジュナの身体を強く引き寄せ、抱え込むようにして前傾姿勢を取った。彼女は困惑した雰囲気を漂わせながらも、素直に従って竜の鞍を掴む。グレンは手綱を強く引っ張った。飛行軌道が筒の外側をなぞるように螺旋を描き、竜は体を捻り、くねらせながら横回転する。グレンたちの身体も、前へ進みながら横へ一回転して元の体勢へ。それは一瞬の出来事だ。

「バレルロール!」

 ジュナが嬉々として叫んだ。

「私、初めて! すごい!」

 彼女が振り返る。ヘルメットの奥で、弾けんばかりの笑顔を浮かべているに違いない。狙い通りに決まり、グレンは得意顔で頷いた。竜に乗っている人間は一人の例外もなく、この技術に心ときめかせるのだ。

 グレンは手綱を引いて、竜の飛行速度を緩めた。緑の竜は引退して間もないとはいえ、あまり無理をさせられない。トップスピードで飛びすぎないよう調節してやらねば。

 冬にしては柔らかい風が吹いた。グレンはヘルメットのシールドを上げ、深く息を吸う。空の上は気持ちが良い。ここが好きなのだと、毎度、思う。ジュナもシールドを上げ、同様に深呼吸した。晴れ晴れとした表情は空と同じく澄み渡って、水平線を見つめる眼差しは穏やかな陽の光と似ている。そんな彼女を、いつまでも見つめていたいと望む。

「あなたがバレルロールできるなんて知らなかった」

 振り返った彼女から、尊敬の眼差しが送られてきた。グレンは鼻高々に笑う。

 ライダーの中でも、バレルロールができるのは少数だ。竜との呼吸を合わせるのが難しい上に、横へ一回転しても落ちないよう支える体幹も必要になるからだ。レースで披露する機会が少ないのも関係しているだろう。プログラムを決め反復練習できるアクロバット飛行ならともかく、競い合い、せめぎ合い、生き物のように状況が変化し臨機応変さを求められるレースで行うのは危険が伴う。

 けれど、その危険を顧みず、レースで容易くやってのけるライダーをグレンは知っていた。

「俺だって元々、できなかった。アウルが教えてくれたんだ」

 グレンは自身の声が、明るく愉快に満ちているのを自覚する。バレルロールは、アウル・ラゴーの代名詞だ。彼は、その技術で数々の栄光を手にしてきた。

 普通、前方の竜を避けるのに、大抵のライダーは接触を回避しようと左右へ大きく進路を取る。ライダースクールでも、そう教える。それが最も安全だからだ。しかし、それは安全と引き替えに、最短距離と飛行速度を殺してしまう。バレルロールは戦闘機において、進行方向を前へと向けたまま横回転を加え螺旋を描いて飛行することにより、ミサイルを避ける操縦技術だ。最短距離で障害物を回避する動作であり、飛行速度もある程度は保たれる。アウルは、それをドラゴンレースに応用したのだ。

「あいつのバレルロールは、こんなもんじゃないぞ。点を射貫くような、ドリルみたいに鋭い螺旋なんだ。良いよな、どうやったら、あんなのできるんだろうな」

 剣闘士が研ぎ澄ませた感覚で、ただ、一点を突くかのごとく。曲芸師にも勝る、洗練された華麗さで。アウルの竜乗りは、高い技術力と美しさが極上の配分で融合されていた。世間はグレンを天才というが、グレン自身はアウルの方が才能豊かなのだと見ている。彼は憧れを集めるのに相応しいライダーだ。

「楽しそうね」

 ジュナの優しげな視線と声が向けられる。グレンは笑い返して、正直に頷いた。

 守りたいものができた。変われることを知った。叶えたい願いがあった。でも、それ以上に、大舞台でアウルたちと戦いたかったのだ。

「ルーキーイヤーステークス、勝つぞ」

 自分たちはスタートラインに立っただけだ。一流のライバルたちとの本当の戦いは、これからだ。

「ええ、もちろん」

 ジュナが強気に笑む。青い瞳に信頼の色が宿るのを感じながら、グレンは手綱を握り締めた。応えたい。ライダーとしての矜持を懸けて。

 陽が傾き始めた。十二月らしい冷気が吹いてくる。砂浜から離れたドラゴンタクシー乗り場へ降りれば、今日のうちは、もう追われることもないだろう。二人だけの逃避行は終わりに近づいている。

「そろそろ、降りよう。身体を冷やしすぎない方がいい」

 グレンの提案に、ジュナは頷いて同意を示す。手綱を引こうとして、けれど、グレンの手は止まってしまった。次、彼女に触れられるのは、いつだろう。竜に乗るという口実でもない限り、そんな日、来やしないのに。

 シールドの奥にある美しい青がグレンを見つめる。まだ、デートを楽しんでいたいと欲が溢れそうになる。グレンは、それを胸の奥へ押し込んで、手綱を引き竜の首を下へ向けた。

「楽しかった、か?」

 自分が楽しかったように、彼女もそう感じてくれたらいい。グレンが問いかけると、宝石よりも綺麗な青が細められた。

「追われて逃げるなんて映画みたいだったね。少し、楽しかったかも」

 ジュナの呟きは満足そうで、どこか寂しげな響きを含ませていた。共に過ごす楽しさも、終わる寂しさも彼女と共有している。胸の奥が、きゅうと鳴る。

「また、二人で来たい」

 抑えきれなかった本音が零れた。漏らすつもりのなかった本心にグレンは戸惑い、焦り、時間を巻き戻したくなる。でも、それは瞬く間のことで。

「うん!」

 ジュナが幸福そうに大きく頷いてくれて。たまには、熟慮を捨てて言ってみるのも得かもしれないとグレンは学んだ。

 二人を乗せた緑の竜が下降していく。グレンは、できるだけ長くいられるように、ゆっくり、ゆっくりと手綱を操った。
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