イマーキュレイト・ホワイトネス 6

文字数 2,118文字

 ジュナは、信じられないものを見ているのだと思った。

 レース映像が映し出される巨大スクリーン。ジュピターが、よだれを垂らしながら歯を食いしばる。純白を追いかけようと藻掻(もが)くが、その差は縮まるどころか更に離れていった。グレンも激しく手を動かすが、純白の竜には追いつけない。それだけなら、ジュピターの力が足りなかっただけといえよう。純白の竜が秘めし実力、その事実に驚きこそすれ信じられないとまではならない。しかし、その光景は確かに映し出されていたのだ。

 ヴォーダンは大差をつけられ慌てる群れの中から抜け出たかと思えば、美しい姿勢を保ったまま、するするとジュピターとの距離を詰め、粉雪が舞うような可憐さでかわした。

。関係者の誰もが疑問を浮かべていた。なぜ飛んでいられるのか、どのように加速していったのか、全く分からなかったのである。

「何千頭、何万頭かに一頭、古代の竜を体現するかのように類い稀なる能力を持って生まれるものがいる。きみの竜が、そうであるように」

 背後から冷たい声音が迫ってきた。ジュナは振り返り、声の主を見る。グレーのスーツ姿で、眼鏡をかけた男が立っていた。歳は二十代にも、三十代にも見える若さだ。グレンより少し背が高いくらいで、シルバーの短髪は七三に分けられ、きっちり固められている。

 男は無表情だった。眼鏡の奥にあるスーツと同じ色の瞳が、冷酷さを映していた。

「きみは、ウィザードと呼ばれる竜を知っているかね?」

 男の言葉には、当然知っているだろう、と挑戦的な響きがあった。ジュナは眉をひそめる。

竜の魔術使い(ウィザード)ね。ええ、聞いたことくらいは。最後に確認されたのは、約五十年前のレース。強大な魔力を持って生まれ、風を生み出し、羽ばたかずとも飛行できる……」

 ジュナは言葉を詰まらせ、弾かれたように巨大スクリーンへ視線を戻した。純白の竜は涼しい顔のまま飛行している。羽ばたく様子は、相変わらずない。

 鳥のような構造でない竜が飛行できるのは、足りないところを魔力が補っているからだ。極論、魔力さえあれば竜は羽ばたかなくても飛べるのだが、魔力は万能でなく補佐としての使用であり、推進力の大半は翼を動かして得ている。竜の魔術使い(ウィザード)とは、その極論を可能にした竜を指す。圧倒的な魔力を生成し、貯蔵し、自由に使用できる。称号の通り、魔術使(まじゅつつか)いであるのだ。

「私の竜も、また、古代の力を持って生まれた。絶大なる魔力を、ね。だから、風を操る神の名を与えたのだ。神話のようにドラゴンレースを支配するよう期待を込めて」

 眼鏡の男は表情を変えないまま、熱もなく言葉を紡いだ。彼は音もたてず歩み、静かにジュナの隣へ並んでスクリーンを見上げる。ジュナは言葉を失い、反論する気力も奪われた。伝説が蘇り大切なものたちを切り刻んでいく、その様を黙って見つめるしかない心境だった。

「アナタが、マジュローちゃんね?」

 マリーが並ぶ二人へ歩み寄った。いつも柔和な表情であるのに、今、老女は険しさを貼り付けている。二人のオーナーが向き合った。

 マジュロー・マインス。この男が、ヴォーダンのオーナー。ジュナは緊張で唾を飲み込んだ。

「あなたに覚えてもらえるとは光栄ですね。ですが、あなたたち古参の出番は、もうないでしょう。これからは若いオーナーの時代ですよ」

 マジュローが眼鏡を指で押し上げる。その瞳に初めて感情の色が灯った。それは敵意というもので、好意的なものではなかった。彼がマリーへ良くない心象を抱いているだろうことが察せられた。

 海の方から歓声が聞こえてくる。ジュナがスクリーンを見上げれば、レースは終わりを迎えようとしていた。ヴォーダンが余裕の飛行で、ジュピターを相手にしないままゴールを飛び抜ける。圧勝だった。少し経ってジュピターがゴールインし、他の竜も次々とやって来る。何が世代のナンバーワンなのか、誰が見ても明らかな決着となった。

 関係者控え室が、にわかに騒がしくなる。約五十年ぶりに現れた伝説、竜の魔術使い(ウィザード)に畏怖し、感銘し、興奮して。

「私は、これで。グレード・ワン優勝の記念撮影がありますので」

 マジュローは軽く会釈し、現れたときのような静けさを纏い歩んでいく。彼を記者たちが取り囲んだ。一団は様々な声を混ぜながら、狂熱を引き連れて去っていった。

 スクリーンには、力なく肩を落としたグレンと疲労困憊(こんぱい)のジュピターが映し出されていた。勝利を信じて疑わなかった彼らが、突如として現れた伝説によって砕かれ、俯く姿は痛々しいものだった。

「グレン……ジュピター……」

 ジュナは、敗者となった一人と一頭を見つめる。レース場にいる誰もが、彼らの姿が目に映らないかのように気にせず、ヴォーダンへ歓声を送っていた。握り締めた拳が震える。本当は、悔しさに打ちひしがれる彼らにこそ応援が必要なのに。

 気づけば、ジュナは駆け出していた。早く、早く、彼らの元へ。
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