メイク・ワンズ・デビュー 1

文字数 3,310文字

 神竜賞(しんりゅうしょう)が終われば、年若い竜の登場に活気づく季節だ。後に頂点を獲る竜も、一生を勝てずに終わる竜も平等に出場するデビュー戦。それが新竜戦(しんりゅうせん)である。

 ジュピターは六月の新竜戦を目指していた。体格はどうあれ、年若い竜にしては体がしっかりして成熟している。他の竜がまだ成熟しないうち、早い時期のレースで勝ちやすいのでは、という考えだ。だが、あくまで勝つための確率を数パーセント上げる程度だ。体が重いため長く飛べないジュピターをどうやって勝たせるのか、その解決策は見つからないままだった。

 そして、もう一つ。グレンの前に立ちはだかる問題がある。

「おまえ、サボるな!」

 グレンはシャベル片手に叫んだ。借り受けた作業服で身を包み、頭には白いタオルを巻いて、見た目は土木関係の業者である。

 グレンが睨む先にはジュピターがいた。漆黒の体に太いロープをくくり付け、木製の荷車を引いている。が、彼は眠そうに欠伸をして佇んでいた。働く気配がない。

 グレンはシャベルを投げ捨て、ジュピターへ駆け寄った。

「一体、どいつのせいで地面埋めてんだろうなぁ?」

 凄ませる剣幕で詰め寄るも、漆黒の竜は涼しい顔でそっぽを向く。口笛でも吹きそうなほどの余裕だ。もしかしたら吹くのかもしれない。こいつは、それほど底意地の悪い性格だ。

 もう一つの問題。それは、グレンとジュピターの関係性にある。とにかく、ジュピターが言うことを聞かない。今のままでは信頼など育まれず、レース中の指示を無視するだろう。無視するだけならいい、制御不能となる最悪の事態も予想される。相棒なんておこがましい、それ以前の問題だ。

 ジュナによれば元々、人に懐かない気性らしい。あれは生まれついての性悪さなのだろうか。

「ジュピター、ちゃんとやるの!」

 グレンと同じく作業服を身につけ、土を運んでいたジュナが叱りつける。するとジュピターは背筋を伸ばし休んでいたのが嘘のように、きりきりと働き出した。ジュナの元へ行き、荷車に土を乗せ運ぶ。

「ジュナの言うことは聞くんだよな」

 グレンは不満を込めて呻った。ウォーディ竜牧場で生まれ育ったのだから、ジュピターにとってジュナは家族だろう。姉か親代わりか分からないが、共に過ごした時間の分、信頼が育まれている。途中から知り合っただけのグレンに、その信頼へ追いつけというのは酷である。

 それを引き合いにしてしまえば、調教やレースで乗るだけの接点しかないライダーは皆、竜と信頼で結ばれないことになってしまう。どんな竜でも手懐けてこそのドラゴンライダーだ。グレンもこれまで、気性の荒い竜で勝った経験がある。人より、竜と接する方が得意だという自負もある。どんな竜とだって付き合っていける。

 それでも、ジュピターは何かが違うのだ。気性が荒いだけでない、性格が悪いだけでもない、ずっと深いところに大切なものが隠れている気がしてならない。

「ジュピターに乗るの、難しそう?」

 歩み寄ってきたジュナが、心配そうに表情を曇らせた。グレンが難しい顔で漆黒の竜を見つめているのに気づいたのだろう。

「わからない。でも、もう少しで、わかるかもしれない」

 グレン自身が不安になる状況説明だった。もっと安心させてやれる材料が欲しかったが生憎、気を回す才能はない。歯がゆくなる。

 ジュナは唐突に、うん、と大きく頷いた。曇っていた表情は消え、さっぱりとして晴れやかな笑顔を浮かべる。

「大丈夫、まだ時間はあるから」

 彼女は寛容さが伝わってくるような口振りで、落ちていたシャベルを拾い手渡してくれる。グレンの胸中で爽やかさが吹き込む感覚があった。心が楽になる。本当は彼女にこそ楽になってもらいたいのに。

 ジュナ・ウォーディ。かつての相棒、ゴルトを生み出したウォーディ竜牧場の一人娘だ。ゴルトが優勝したレースの表彰式にて会ったことがある。

 五年前、神竜賞の事故から、グレンはウォーディ竜牧場の行く末を案じていた。経営していた一家が無理心中したという噂があったし、借金まみれで一家離散という話もあった。悪い噂ばかりで憂い実際に確かめようと思ったが、ゴルトを死なせてしまった自分に会う資格はないと諦めた。

 だから、目の前にジュナが存在していることは、グレンにとって何よりの救いだった。彼女のためなら、できる限りのことをしようと決意していた。相手が魔王のように暴れ狂う竜だろうが、彼女が乗れと頼むなら喜んで挑もう。

「ジュピター、あなたのこと気に入ってると思う。だって、あの子に乗れたライダーは、あなただけだもの」

「え、俺だけ?」

 驚くグレンが面白いのか、ジュナは笑う。再会してすぐの印象こそ勝ち気であったが、いや喧嘩の仲裁を見ていると勝ち気は間違いないのだが、彼女の表情はくるくると変わった。根が素直なのだろう、よく笑い、よく怒る。それが温かく、穏やかな気持ちにさせてくれる。

「乗ろうとしたライダーは何人かいたんだけど、ジュピターは嫌がって近づくことも許さなかった。それが、あなたには許してるというか、自分から構いに行ってるっていうか。あなたのこと認めてる証拠よ」

「馬鹿にしてる、の間違いじゃないといいが」

 意地悪く笑む竜の顔が思い浮かぶ。グレンは勢い良く頭を振って、想像を追い出した。

「よく、出場試験クリアできたな。暴れたら、レース出場資格もらえないだろ」

「ご心配なく。だって、私が乗ったんだもの」

 ジュナが自信たっぷりに胸を張る。乗ったと軽く言うが、竜は素人に扱える生き物ではない。それなりの知識と経験が必要になるし、竜乗りに関しては運動能力も必須だ。改めて彼女の能力を尊敬する。

 ジュナは去年、史上最年少の二十歳で竜調教師になった才女だ。情報に疎いグレンは知らなかったが有名であったらしく、調べるのは難しくなかった。今年の四月から調教師として開業し、まだ勝利はなし。管理している竜はジュピター一頭のみ。彼女の能力と将来性からして、もっと竜を預けられてもいいのだが、オーナーには頭の固い男性老年者が多く女性であることや若さが嫌われたのだろう。見たところ、媚を売るのが苦手そうな性格であるし。同じく媚を売れないグレンが言えたことではないが。

 胸を張るジュナを見ていると微笑ましい。年齢差もあってグレンには妹のように映る。兄貴としては、調教師開業祝いの一勝を早く贈りたいものである。

「早く、あいつの相棒になれるよう努力する」

 グレンはジュナの頭へ掌を置いて、ぽんと軽く撫でた。彼女は耳まで真っ赤になって、子ども扱いしないでよ、と口を尖らせる。可愛い反応で、自然と口元が緩んだ。

 ジュナと談笑していると、ぬっと現れた大きな影に体当たりされた。グレンの身体が曲がり、手にしていたシャベルを放って地面へ転がる。見上げれば、漆黒の竜が鼻息荒く睨んでいた。

 彼は、ぶふぅ、と鼻を大きく鳴らす。たぶん、休んでいないで働けと言っている。それでないとしたら、ジュナを取るな、という嫉妬だろうか。

「はいはい」

 グレンは立ち上がり、腰を伸ばした。急に身体が曲がったせいで痛みが残る。ジュピターは態度に不満を持ったのか背中へ頭突きを入れてきた。グレンの身体が、また不自然に曲がる。

「いてぇ! おまえだってサボってたろうが!」

 グレンは漆黒の首へ飛び付いた。ガウアァ、喧嘩腰で竜は吼える。一人と一頭は互いに引けない戦いを始めてしまった。

「また喧嘩しない! 終わらないでしょ!」

 ジュナの怒声が響き渡る。一人と一頭の動きがピタリと停止した。ぎこちない動きで同時に顔を向ければ、そこには鬼の形相。グレンとジュピターは互いに離れた。

「俺たち、仲良しだよな」

 今は協力しよう。漆黒の竜へ視線で提案する。

 ガウガウ。意図を酌み取ったジュピターは転がっていたシャベルを口でくわえ、そっと丁寧に渡してきた。
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