第2話 

文字数 1,470文字

「最近若い女性をメイド長に抜擢した、と妻から聞いてはいたが、君がアリスと変わらぬ年齢に見えるのは、私が年を取ったからかな」
 メイド長に昇格して、ご主人さまから最初にかけて頂いた言葉はこのようなものでした。

 サー・ジェラルド・ミュアヘッド・グールドは、イギリス王室より第一次世界大戦での戦功が認められてナイト爵(勲爵士)つまりサーの称号を授与されています。
 ご主人さまはこれまでイギリス海軍で輝かしい出世の道を順調に歩まれてきたのですが、数年前に心臓を患われ、それ以来航海に頻繁に出ることができなくなりました。

 そのためでしょうか。
 ご主人さまはイギリス海軍から地上勤務であるオーストラリアのシドニー湾防衛最高司令官に任命され、2年前の1940年、奥さまのエリザベス様とお嬢さまのアリス様と共にシドニーへ赴任して来られたのでした。
 ご夫妻には他にお二人のお子さまがいらっしゃいますが、25歳のご長男のジェームス様と23歳のご次男のデービット様は既にイギリス海軍に入隊されているため、今回はご一緒ではありません。

「女性に年齢を聞くのは失礼とは承知しているが、君はいくつだね」
「30歳でございます」
 私はそうお答えしました。
 
 本当は1915年生まれの27歳です。
 嘘をつくつもりはなかったのに、私は咄嗟に3歳も年長に言ってしまったのでした。
 ご主人様は果たして一瞬驚いた表情を浮かべたあと、くつくつと小さくお笑いになりました。
 それも仕方ないかもしれません。年齢が変わらないように見えると先ほどおっしゃったお嬢さまのアリス様はまだ19歳です。

「そうか。いや全く女性の年齢というのは分からないものだ」
 私はご主人様のその柔らかな笑みから眼がはなせなくなりました。
 ご主人様は1889年生まれですから、今年で53歳でいらっしゃいます。
 私の父も生きていれば同じ年です。
 まるで父が笑いかけてくれているような、私はそんな夢見るような気持ちになってしまったのでした。

「どうしたんだね」
 そう云われるまで、私は失礼にもご主人さまを見つめ続けていたようです。
「あ、大変失礼いたしました」
 私は慌てて目線を下げました。
 心臓がどきどきと音を立てています。

 いくらメイド長に昇格させて頂いたからといっても、使用人の分際で(あるじ)を正面から見据えるなど許されることではありません。
「今後よろしく頼むよ」
 今度こそ私は、ご主人さまと目線を合わぬように注意しながら頭を下げました。

 ご主人さまのその一言は、メイド長に就いてからずっと感じていた私の誇らしい気持ちを更に一層たかめたものです。
 この頃の女性の結婚平均年齢は20歳前後ですから、私はとうに婚期を逃してしまった年齢でした。私は一生の職業としてメイドの仕事を選んだつもりでしたが、一番の目標であったメイド長にまさか20代で就けるとは思ってもみませんでした。

 それにしても私はどうして嘘などついてしまったのでしょう。
 オーストラリアでは現代でも年齢はプライバシーとして扱われ、履歴書に年齢を書くことはありませんから、当時年齢で嘘を云っている人の数は決して少なくはなかったと思います。嘘そのものが問題になるとは思っていなかったにしても、自分で自分が分かりませんでした。

 もしかすると私は無意識のうちに小柄で童顔な自分を恥じていたのかもしれません。
 年上のふりをしたのは少しでも貫禄が出るように、と仕事に対する私なりの気負いの表れだったのかもしれません。
 そのくらい当時私はメイド長という仕事に張り切っていたのでした。

  
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