第12話 

文字数 2,089文字

 1942年6月9日、日本人兵の海軍葬がシドニー東部の葬儀場で行われました。
 葬儀にはご主人さまと日本国の代理人としてシドニー在住スイス総領事ミスター・ヘデインガーが参列しました。数名の新聞記者の立ち合いが許可されただけの、他に参列者もいない静かな式だったようです。

 私は新聞で葬儀の様子を知りました。
 真っ白な海軍の軍服に身を包んだご主人さまが、日本兵の遺体を収めた立派な四つの棺の前に立っておられる姿の写真が載っていました。お棺はすべて日本の国旗で覆われています。
 記事には、葬儀場の外に儀杖隊(ぎじょうたい)が整列し、弔銃隊(ちょうじゅうたい)がライフルで3発の空砲を発射したあとラッパ手が葬送ラッパを吹奏(すいそう)した、と書いてありました。敵兵とはいえ正式なしかも立派な海軍葬だったのです。

 でもそれはシドニーの人々を、いえオーストラリアの国民をさらに怒らせました。
 日本軍の攻撃のあと、人々は今後いつまた攻撃されるのか分からない恐怖にとりつかれてしまっています。
 敵兵の葬儀などしている場合ではない、海軍には他にすることがあるだろうと嫌みな新聞記事が毎日のように載りました。

 怒りの理由はそれだけではありません。
 3隻侵入した潜水艇のうち2隻は発見したものの、いまでも1隻は行方不明のままです。
 そのため日本兵についてさまざまな噂が流れていました。
 潜水艇はシドニー湾のどこかに未だに潜んで攻撃の機会をうかがっているとか、日本兵は潜水艇から降りてシドニーの街のどこかに隠れて1人でも多くのオーストラリア人を殺そうとしているとか。
 恐怖が恐怖を呼んで噂は尾ひれをつけて街を飛び回り、シドニーの街から人影が消えました。日常を失ったすべての原因はシドニー湾防衛司令官にある、と人々は思っているかのようにご主人さまを責めました。

 それでは私はどうだったでしょうか。敵兵の葬儀を決めたご主人さまの本当のお気持ちを私は理解していたといえるでしょうか。いえ、そうは思えません。
 でもご主人さまのお決めになったことは疑うまい、批判はしないと決めていました。主従関係というのはそういうものだと思うからです。
 私にできることといえば、使用人たちが厨房で口汚く罵るのをたしなめるくらいのことでした。

 ある日いつものように紅茶を書斎にお持ちいたしますと、ご主人さまはこう私にお聞きになりました。
「君も敵兵の海軍葬には反対だったかね?」
 私は咄嗟に肯定も否定もできませんでした。
 するとご主人さまは静かにこうおっしゃいました。
「私はね、日本兵の勇気に感動したのだ。あんな小さな潜水艇で敵地に乗り込むなどどれほどの勇気を必要としただろうか。私はそのことに敬意を表したかったのだ。そもそも海軍には戦闘が終われば戦死者には敵味方の区別なく尊厳を持って扱うべきだという考えがあるからね」

 敵の勇気、とご主人さまはおっしゃいました。
 それは不思議な言葉でした。我が身の危険に怯える人々の中で、一人でも敵の勇気について考えた者などいたでしょうか。シドニー市民を始め屋敷内の使用人に至るまで、もちろん私自身も、敵の勇気に感動するひまなどあるはずもありません。
 やはりご主人さまは私たちなどには想像できないような視点から物事をご覧になっておられたのでした。

「もっとも海軍葬が世間の反感をかってしまったことはよく承知している。葬儀に私と日本の代理人以外の参列者がなかったことで、海軍内で私が孤立している、とおもしろおかしく書いた新聞もあったのも知っているが事実はそうではない。海軍葬を行う事に関して軍内の反対の声はほとんどなかったのだ」
 ご主人さまはそこまでおっしゃると、突然何かに驚いたように私の顔をご覧になりました。
「私はなぜ君にこんな話をしているのだろう。どうかしている。悪かったね。もう行きたまえ」
 
 私は勇気を振り絞って言いました。
「いいえ、ご主人さま。差支えなければどうかもっとお聞かせください」
 ご主人さまは一瞬不思議そうな顔をなさいましたが、すぐに笑みを浮かべられました。
「なぜ」
「自分でもよく分かりません。でも先程ご主人さまのお話をお伺いするまで、敵も人間であるというそんな当たり前のことを私は今まで考えませんでした。敵なのだから殺されても当然なのだと思っていました。まして敵を尊重することなど想像もできません。どうしたらそのようにお考えになることができるのか、少しでも理解させていただくことはできませんか」
 
 ご主人さまは私に優しく微笑んで下さいました。
「それは嬉しいね。私もちょうど誰かに話をしてみたい気分だった。それではそこにお掛けなさい」
 ご主人さまは文机の前に置かれた赤いベルベットの椅子に座るように私に勧めて下さいましたが、主の目の前で腰かけるなどとんでもありません。
「いいえ、それはいくらなんでも」
 「ふむ、なかなか立派な心掛けだね。それは君の仕事に対する矜持なのだろう。軍人には軍人の矜持がある。それを少し話してあげよう。疲れたら遠慮なく言いなさい」
 ご主人さまはそうおっしゃり、紅茶をひと口お召し上がりになりました。

 
  
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