第4話 

文字数 1,249文字

 17歳の時、私はメイドの更にその下働きの仕事にありつきました。
 心底ほっとしたのをよく覚えています。
 
 毎日周囲のメイドたちに苛められながらジャガイモの皮を剝き続ける毎日でしたが、それでも決まった日にお給金を頂けるということが何よりもありがたかったのです。
 住込みだったため、酔った母を見なくて済むのも幸いでした。

 当時は2週間ごとの木曜日が給料日だったので、定期的に母に生活費を渡せるようになったことも嬉しいことでした。
 これで母の生活も楽になるだろう、と思ったのですが、残念ながらその期待は裏切られました。収入の安定とともに母の酒の量が増えたからです。

 とうとう母は、2週間ごとにお給金を持って帰る私の帰宅を待つことすら出来なくなり、私の勤め先のお屋敷まで酔った姿でふらふらと現れるようになりました。
 そんな時私は、落胆しつつも手持ちにあるだけのお金をいつも母に渡しました。

 哀れに聞こえると思いますが、その頃の私はそのことにそれほど疑問を持っていなかったように思います。少しでも早く目の前の母を追い払いたいという気持ちがもしかしたら本当はあったのかもしれませんが、あの頃の私は自分の環境を客観的に見ることはできず、母に逆らうことなど思いつきもしなかったのです。

 働くことが嫌いではなかったことは幸いでした。
 働くということは何かを生み出す作業だと思います。クリエイティブと言えば大袈裟なのでしょうが、なにか高尚なことをしているのだという誇らしい気持ちがありました。そのことが私を支えていたのでしょう。

 もっとも周囲の人々が私と同じ考えをもっていた訳ではありません。
 母親がお屋敷に汚らしい服装で現れるたび、人々は母の悪口を言いました。
 親切で言ってくれている人もいたのでしょうが、私は血のつながった母親の悪口を聞くのがただ辛く「お気遣いなく。私は平気ですから」と何度も繰り返さなくてはなりませんでした。
  中には母親に見つからない遠くの場所へ今すぐ逃げた方がいいなどと言う人もいました。 
 私はそのような時、むしろ私自身が馬鹿にされているように感じたものです。
 
 確かに当時の私は哀れに見えたことでしょう。
 でも母を見捨てないことは私自身の選択でした。
 こんな母親でも私にとっては唯一の身内なのです。意見する人々は自分の善意に酔い、その結果私の意志を否定しているのだということに気付かないのです。
 自分を善人と思い込んでいる人々の行為や考え方を改めることは難しいものです。
 次第に私は人の意見に対して何も言わずに微笑むだけになり、無口な人になっていきました。

 私は2年で下働きからメイドに昇格しました。
 無口な性格がメイド向きだと言われた時は何だかおかしく思ったものです。

 その後お屋敷の中で、私が美味しい紅茶の淹れ方や、ご主人さまたちのほんの少しの表情の変化で何を望まれているのかを気づく、などという特別な能力に磨きをかけている間に世の中はまるで音をたてるように変化し続けたのでした。



  
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