第18話 

文字数 1,181文字

「ローズ、銀器はもっと丁寧に梱包してちょうだい。それではドイツに着く頃には形が変わってしまうわ」
 エリザベス様は苛々とした口調でそうおっしゃいました。
 日本軍のシドニー湾攻撃から2年以上の日々が過ぎました。

 1944年9月シドニーのだらだらとした冬が終わる頃、ご主人さまたちは突然オーストラリアを去ることになりました。
 ドイツ北海に位置する古くから軍港として有名な街ヴィルヘルムスハーフェンに、ご主人さまはイギリス海軍将官として赴任されることが決まったのです。
 私はお荷物を梱包したり、引っ越しのお手伝いに多忙な日々を過ごしています。

「まったく一体いつになったらイギリスに帰ることが出来るのかしら。オーストラリアよりイギリスに近くなるのは嬉しいけれど」
 ご主人さまご一家がシドニーに赴任されたのは第二次世界大戦が勃発した翌年でしたから、ご一家はシドニーで合計4年間を過ごされたことになります。お嬢さまのアリス様は2年前イギリスへご帰国されました。いいご縁談があったので本国へお戻りになりご結婚なさったのです。

 第二次世界大戦は未だ終結していません。戦局はますます混沌としています。
 この大戦では、最終的に4万人以上のオーストラリア兵が犠牲になります。
 オーストラリア人にとってこの戦争は、自らの意思で始めた訳でもなく、ただイギリスが参戦したから参戦せざるを得なかった自主性のない戦いであったことは否めません。
 
 日本人から国を守るために武器持って立ち上がったオーストラリア人ですが、この頃戦地はオーストラリアの委任統治領であるニューギニア島へ移動していました。ニューギニア島から北東の方角にあるニューブリテン島のラバウルには日本軍にとって大事な基地があるそうで、ニューギニア付近では毎日のように激戦が続いていたのです。
 オーストラリア軍はニューギニア島ポートモレスビーで日本軍を見事に食い止めて、本土への侵略を阻止しているのだと誇らしげに噂する人々もいましたが、それがどこまで本当だったのか、日本軍は本当にオーストラリアを侵略しようとしていたのか、真実は分かりません。

 日本軍は二度とシドニーを攻撃しませんでした。
 もちろんそれは喜ばしいことです。でもそのためなのか、ご主人さまの評判はシドニー湾を3隻の日本軍潜水艇たった6名の日本兵からも守ることの出来なかった防衛最高司令官という不名誉なままになり、とうとうその後も回復することはなかったのです。
 行方不明の最後の日本軍潜水艇1隻が見つからないまま捜索を打ち切ったことも、人々の不信感に拍車をかけたようです。
 あれから2年経ったいま、もう誰も日本兵がシドニーの街のどこかに隠れているかもなど思いもしませんが、シドニー湾に敵の侵入を許しその行方を見失った最高司令官という悪評だけはそのままとなったのでした。
 
  
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