第15話 

文字数 1,710文字

 ご主人さまのおっしゃることから推測すると、潜水艇の乗員の日本兵たちは禁断の実を食べた者たち、すなわち彼らは他にはない知恵をもっていた者たち、ということになります。
 でもそれはなんだったのでしょう。

「人間は誰だって死にたくない。大事な家族がいればなおさらだ。だが彼ら日本兵たちは、家族が悲しむのを承知の上で、自らの死が国と多くの日本人の命を救うことになると信じて国のために死んでいったのだ。
 なぜならこの攻撃には他に目的があった。
 それは日本軍が自分たちの力を見せつけることだ。
 日本軍が手強いことを示すことができれば、日本政府はすぐにでも自分たちに有利な条件とともに連合軍へ戦争終結の提案ができると思っていたのではないだろうか。
 戦争が長びくことを望む者はいない。それは日本軍とて同じだったはずだ。つまりこの攻撃に参加した日本兵たちは物事の大局を理解している者たちだったのだ。それは知恵者だけが成し得ることだったと私は思う」

「禁断の実、でございますか」
 私は主人さまのおっしゃることをほんの少しだけ理解したような気がしました。
 日本兵たちは、多くの命を救うために自分を犠牲にするという精神と強さをもっていたということなのでしょう。それでも私はやはり、亡くなった日本兵たちが可哀そうでなりませんでした。

 「もっともカーテイン連邦政府首相の考え方の方が一般受けはするだろうが」
 ご主人さまは皮肉な笑みをお浮かべになりました。

 カーテイン・オーストラリア首相は、潜水艇2隻の残骸の使える部分を使って1隻の潜水艇を造り上げることを決めました。引き上げられた潜水艇はどちらも激しく損傷しています。海軍の爆雷攻撃を受けたり自爆したりしたのですから当然です。
 なんのために日本軍の潜水艇を復元しようとしているのかというと、首相は潜水艇と艇内から回収された日本兵たちの遺品を今後一般公開することを決めたからでした。

 昨日政府は、潜水艇などの展示品は今後オーストラリアの各都市を巡回する予定だ、と発表しました。
 首相は声明のなかで、我が国は日本軍の攻撃を見事撃退した、今後も日本軍を恐れる必要などはないと繰り返し、潜水艇や遺品は決して恐怖の対象ではなく戦利品なのだ、と述べました。
 ご主人さまとは対照的に、首相の考えや発表は市民に広く好意的に受け止められています。
 そのことにも私は何やら歯痒(はがゆ)い思いをいたしておりました。

「何とも安っぽい考えではないか。潜水艇から回収された軍刀や拳銃。潜水艇と共にそういった物が展示品となって今後一般市民の目に晒されるのだ。人々はさぞ驚き、日本人への憎しみを強くするだろう」
「何のためにそんなことをするのですか」
「兵と金を集めるためだ。この戦争は戦局が世界各地に広がりつつある。兵は一人でも多く欲しい。しかも戦争というのは金がかかる。オーストラリア政府は現在戦争国債発行の準備を進めている。今まで素知らぬ顔を決め込んでいた奴らも、あれを見れば喜んで金を出すだろう」 
「そんなに簡単にお金が集まるでしょうか」
「集まる。我が身の安全を守ってもらいたい連中が、それを愛国心という形にすり替えて我先(われさき)にと支払うだろう」
 ご主人さまは両手を広げ皮肉な笑みを浮かべました。
 サーカスティック・ジョーク(Sarcastic 皮肉を交えた冗談)はイギリス人の特徴として有名ですが、オーストラリア人の私はそれに対してどう反応すればいいのか判断がつかず、困ってしまいました。

「でもご主人さま、オーストラリア人たちが戦争のためにお金を出せば戦争は終わらないではありませんか。日本軍の思っていたのとは反対の方向に進んでいることにはなりませんか」
「そうだ。君の云う通りだ。彼らの狙いは、残念ながら大きく外れたのだよ」
 そうなのでしょうか。オーストラリア人は戦争を続けたいと思っているのでしょうか。でももしそうならば、それは本当に残念なことです。

 でもこの夜ご主人さまがおっしゃったことは本当でした。
 しばらくして、一般公開は間もなく始まりますと書かれた広告が修復された潜水艇の写真とともに掲載されると大きな話題になったのでした。
  
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