2.まい姉ちゃんのから揚げ
文字数 2,681文字
ある日の学校帰り、颯香は父のちゃんこ屋の暖簾 をくぐりカウンター席に座ると、頬杖をつき深くため息をついた。少し怖気 づいた心に、父の助言が欲しかったのだ。
「お父さん、先輩たちね、本気度半端ないの。バーベル担いでスクワットするんだよ! 私、無理。きついよ」
板場 で作業をしながら聞いていた父は、肩を落とす颯香に威勢よく声を掛ける。
「そりゃ高校でも続ける人たちは本物だろう。相撲だけじゃない。バスケ部だってテニス部だって、みんな本気さぁ」
「早くレギュラーになって、試合出たいのになぁ」
小学五、六年生の時には、地区予選を勝ち抜いて全国小学生女子相撲大会に参加し、二年連続で個人戦ベスト8に入った。中学校の部活には女子相撲部が無かったが、校外部活動が認められ、小学生時代から通っている相撲道場に所属した。中学生までは、颯香の大きな体格を生かした力強い取り組みが有利に働き、いつも上位に食い込む活躍を見せた。しかし、いよいよ女子相撲部のある高校に進学し入部すると、部員たちは本気度が高く、力と技を兼ね備えた精鋭たちであることを実感させられた。そしてそこには、同じ相撲道場で育った、ひとつ上の憧れの先輩、由希 さんも進学しており、三年生が引退した今、由希先輩たちはこの女子相撲部を誇りを持って牽引 している。
父は真っ直ぐ颯香に向き合い、力強く言った。
「颯香、おごることなく、自分たちの代になるまでは『縁の下の力持ち』になって、先輩たちを支えながらゆっくり技を磨け。相撲は個人戦ではあるが、学生相撲はワンチーム。土俵の中にいようがいまいが、レギュラーだろうが補欠だろうが、ワンチームって心意気だ」
「ワンチームかぁ。なるほどね。なんか『青春』っぽくていいね」
「あら颯香、おかえり。来てたのね」
父と一緒に店に出ていた母が、奥の厨房 から暖簾を上げて覗 く。店内には、カウンター席が五席と、四人掛けのテーブルが五つ配置されている。板場の後方に暖簾で隔 てて厨房があり、火を使う調理はそこで行っている。
「お母さん、ただいま」
「大丈夫? 疲れた顔して」
母はコップに麦茶を注ぐと、颯香に手渡した。
「ありがとう。足も肩も筋肉痛だよ。でも大丈夫。今、お父さんからいいヒントをもらったから、少し気持ちが楽になった」
父は長ネギを刻む手を止め、少し考えた。
「そうだなぁ。バーベル担ぐのもいいが、一度に無理すれば膝や腰を痛めてしまうからな。まずは関節周りだ。例えば膝や足首の筋肉を鍛えて、関節への負荷を軽くできるように準備できているか? 股関節の柔軟性も大事だ。少しずつ体も大きくして体幹も強くして・・・・」
「まだ大きくならなきゃだめなの? 細身で強い先輩もいるよ」
「そうさ! 大きくてずっしり重い方が有利だろ。だがな、脂肪で大きくなるんじゃない。力士のあの大きな体は、脂肪の塊 なんかじゃないんだ。ほぼ筋肉なんだぞ」
その時、一組、また一組と、客が店内に入って来た。
「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ!」
父と母の明るく元気な声が響く。
「忙しくなりそうだから帰るね。お父さん、また相談に乗って」
「おう! がんばれ!」
駅前の小さな商店街に父の店はある。そこから十分ほど歩くと、颯香たち家族の住む家だ。この辺は閑静な住宅街で、すぐ近くに小学校があり、街中 を流れる水路には小さな魚が泳いでいる。春には、水路沿いの桜並木が淡いピンク色の花を咲かせ、道行く人々を楽しませる。「東京にもこんなほっとする街並みがあるのだな」、と栄一と美紗子は当時、この地で子育てすることを決めたのだった。
「ただいまぁ。あぁ、いい匂い!」
「そよ姉 、おかえり」
中学3年生の妹、花香 は、リビングのソファーでテレビを見ながら寛 いでいた。帰宅後の颯香は、まずキッチンへと直行し夕食のメニューを確認する。今夜は、姉の舞香 が、鼻歌を歌いながらご機嫌でから揚げを揚げていた。舞香は大学二年生。管理栄養士を目指して勉強に励んでいる。忙しい両親の代わりに妹たちの夕飯を用意しているが、学校での学びが家庭の食事に役立ち、家での調理の実践は復習や研究に繋がる。料理好きの彼女にとっては、正に一石二鳥だった。
醤油と生姜の香ばしい香りが、たまらなく颯香の食欲を刺激する。
「やった~! から揚げだぁ!」
「そよちゃんおかえり。学校どうだった?」
「もうくたくた。どこもかしこも筋肉痛。ねぇ、から揚げ食べていい?」
姉が返事をする前に、颯香は揚げたてをひとつ、口の中に放り込んだ。
「あちっ!」
アツアツの肉汁が溢 れ、やけどしそうになる。
「熱いでしょ? 揚げたてだもん! すぐご飯だから、制服着替えてらっしゃい」
「ほ~い。あちちっ!」
口をほぐほぐと動かして空気と一緒に食べるようにすると、程よい温度になって、無事飲み込むことができた。颯香は、ガクガクする腿 の疲労を感じながら階段を上がり、素早く着替えて降りて来た。
「いただきます!」
変化の大きい思春期の若い体を、筋肉痛が襲う。それでも、姉妹で食べる温かい味噌汁と白い炊き立てご飯、そして、大好きなから揚げや色とりどりの副菜が、お腹を満たし体と心に染み渡り、今日一日の疲れを忘れさせてくれた。痩せたいけれど、強くなりたい。強くなるには、体を作らなくちゃ! 今夜も颯香は席を立ち、自分で三膳目の大盛りご飯をよそう。
「そよ姉、山盛りにし過ぎぃ!」
花香が叫ぶと、姉妹は大爆笑した。
「だって、私の元気の素 だもん。これでまた明日もがんばれるの!」
憧れの由希先輩と、志を同じくする仲間たちとの部活は、とても充実していたが、体力的にはかなりきつい。これまでやってきた基礎練習に加えて、美しいフォームで四股を踏む練習や、数多い相撲技の一つ一つを覚えて実践するための地道な稽古 を、とにかく何度も何度も繰り返す。トレーニングマシンでは、部位別のトレーニングにより肩や下半身を鍛える。バーベルを肩に担いでのスクワットも、少しずつ重さを増やしながら挑戦した。その一方で、一年生は、先輩たちのためにマネージャー的役割も果たし、女子相撲部を下支 えする。颯香は父の言葉通り、「縁の下の力持ち」を実践した。精神力もチームワークも身に付け、颯香のチームは成長していった。
そして、やがて上級生となり、引退試合となるインターハイでの団体戦、皆で力を合わせて準優勝を決めた。名だたる強豪校の中で、粘り強く戦ったのだった。颯香自身も、重量級個人戦第三位という素晴らしい成績を修めた。こうして颯香は、高校の部活動を満足して終えることができたのである。
「お父さん、先輩たちね、本気度半端ないの。バーベル担いでスクワットするんだよ! 私、無理。きついよ」
「そりゃ高校でも続ける人たちは本物だろう。相撲だけじゃない。バスケ部だってテニス部だって、みんな本気さぁ」
「早くレギュラーになって、試合出たいのになぁ」
小学五、六年生の時には、地区予選を勝ち抜いて全国小学生女子相撲大会に参加し、二年連続で個人戦ベスト8に入った。中学校の部活には女子相撲部が無かったが、校外部活動が認められ、小学生時代から通っている相撲道場に所属した。中学生までは、颯香の大きな体格を生かした力強い取り組みが有利に働き、いつも上位に食い込む活躍を見せた。しかし、いよいよ女子相撲部のある高校に進学し入部すると、部員たちは本気度が高く、力と技を兼ね備えた精鋭たちであることを実感させられた。そしてそこには、同じ相撲道場で育った、ひとつ上の憧れの先輩、
父は真っ直ぐ颯香に向き合い、力強く言った。
「颯香、おごることなく、自分たちの代になるまでは『縁の下の力持ち』になって、先輩たちを支えながらゆっくり技を磨け。相撲は個人戦ではあるが、学生相撲はワンチーム。土俵の中にいようがいまいが、レギュラーだろうが補欠だろうが、ワンチームって心意気だ」
「ワンチームかぁ。なるほどね。なんか『青春』っぽくていいね」
「あら颯香、おかえり。来てたのね」
父と一緒に店に出ていた母が、奥の
「お母さん、ただいま」
「大丈夫? 疲れた顔して」
母はコップに麦茶を注ぐと、颯香に手渡した。
「ありがとう。足も肩も筋肉痛だよ。でも大丈夫。今、お父さんからいいヒントをもらったから、少し気持ちが楽になった」
父は長ネギを刻む手を止め、少し考えた。
「そうだなぁ。バーベル担ぐのもいいが、一度に無理すれば膝や腰を痛めてしまうからな。まずは関節周りだ。例えば膝や足首の筋肉を鍛えて、関節への負荷を軽くできるように準備できているか? 股関節の柔軟性も大事だ。少しずつ体も大きくして体幹も強くして・・・・」
「まだ大きくならなきゃだめなの? 細身で強い先輩もいるよ」
「そうさ! 大きくてずっしり重い方が有利だろ。だがな、脂肪で大きくなるんじゃない。力士のあの大きな体は、脂肪の
その時、一組、また一組と、客が店内に入って来た。
「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ!」
父と母の明るく元気な声が響く。
「忙しくなりそうだから帰るね。お父さん、また相談に乗って」
「おう! がんばれ!」
駅前の小さな商店街に父の店はある。そこから十分ほど歩くと、颯香たち家族の住む家だ。この辺は閑静な住宅街で、すぐ近くに小学校があり、
「ただいまぁ。あぁ、いい匂い!」
「そよ
中学3年生の妹、
醤油と生姜の香ばしい香りが、たまらなく颯香の食欲を刺激する。
「やった~! から揚げだぁ!」
「そよちゃんおかえり。学校どうだった?」
「もうくたくた。どこもかしこも筋肉痛。ねぇ、から揚げ食べていい?」
姉が返事をする前に、颯香は揚げたてをひとつ、口の中に放り込んだ。
「あちっ!」
アツアツの肉汁が
「熱いでしょ? 揚げたてだもん! すぐご飯だから、制服着替えてらっしゃい」
「ほ~い。あちちっ!」
口をほぐほぐと動かして空気と一緒に食べるようにすると、程よい温度になって、無事飲み込むことができた。颯香は、ガクガクする
「いただきます!」
変化の大きい思春期の若い体を、筋肉痛が襲う。それでも、姉妹で食べる温かい味噌汁と白い炊き立てご飯、そして、大好きなから揚げや色とりどりの副菜が、お腹を満たし体と心に染み渡り、今日一日の疲れを忘れさせてくれた。痩せたいけれど、強くなりたい。強くなるには、体を作らなくちゃ! 今夜も颯香は席を立ち、自分で三膳目の大盛りご飯をよそう。
「そよ姉、山盛りにし過ぎぃ!」
花香が叫ぶと、姉妹は大爆笑した。
「だって、私の元気の
憧れの由希先輩と、志を同じくする仲間たちとの部活は、とても充実していたが、体力的にはかなりきつい。これまでやってきた基礎練習に加えて、美しいフォームで四股を踏む練習や、数多い相撲技の一つ一つを覚えて実践するための地道な
そして、やがて上級生となり、引退試合となるインターハイでの団体戦、皆で力を合わせて準優勝を決めた。名だたる強豪校の中で、粘り強く戦ったのだった。颯香自身も、重量級個人戦第三位という素晴らしい成績を修めた。こうして颯香は、高校の部活動を満足して終えることができたのである。