9.アンとダイアナの宝物

文字数 4,716文字

「さて、この雰囲気の中でなんだが、(あわ)せて話しておきたいことがあるんだ。もうひとつの本題だ」
「なになに? お父さん」
 すっかり場が(なご)み、颯香も花香も「次のサプライズは何だろう⁉」くらいの軽い気持ちで父を見つめる。
「うん・・・・」
 栄一は、神妙な面持ちで腕組みし、次の話を始めた。
「まあ、ある事実を伝えるだけだ。聞く前と聞いた後で、俺たち家族は、何も変わることはないからな」
 そう前置きした。ふたりは、更に先程の話を上回る、しかも今度は深刻そうな、どんな大きな話題があるのだろうか、と息を()む。

「実はな・・・・舞香には、もうひとりのお母さんがいるんだ・・・・」
「ん? どういうこと・・・・?」
 颯香と花香は、驚きと戸惑いを隠せず、顔を見合わせた。


 母、美紗子は、岩手県盛岡市の生まれで、普通のサラリーマン家庭に育った。二十歳の時に『いわて純情(じゅんじょう)あねっこ』というミス・コンテストに応募すると、見事選ばれ、その後一年間、岩手を代表する物産について全国に発信する活動をした。それが足掛かりとなり、いつしか東京でファッションモデルとして活躍する機会を得て、岩手と東京を行き来するようになる。ファッション誌の紙面を飾り、ランウェイを颯爽(さっそう)と歩く美紗子の姿は、多くのファンを魅了した。
 ある時、力士として活躍していた栄一と出会い、二人は恋に落ちる。華々しい人生を歩む二人の恋は、多少の障害はあったものの順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に思えた。だが、栄一が腰痛と(ひざ)の故障に苦しみ、相撲人生を断念することになると、美紗子は、輝かしいモデルとしてのキャリアよりも、彼のそばにいて彼を支えることを選ぶ。表舞台からは退き、ファッションライターとしての仕事は少しずつ請け負いながら、栄一のちゃんこ屋としての新しいスタートを助けた。
 そして、やがて栄一と美紗子は入籍する。だが、結婚式は挙げなかった。同時にふたりはその時、ある課題に直面したからだった。

 美紗子には大切な親友がいた。小学校からの幼馴染(おさななじみ)恵美(めぐみ)だ。とても気が合って、学校では一緒に遊ぶことが多かった。好きなものも趣味も似ていたし、お互い何でも話し相談し合える仲だった。中学・高校と同じ学校に進学し、青春時代を一緒に過ごした。天然パーマとは思えないほど自然なウエーブヘアの美紗子、ストレートで美しい黒髪の恵美、まるで『赤毛のアン』のアンとダイアナのように、お互いを『腹心(ふくしん)の友』と思っていた。しかし、恵美には、美紗子にさえ話せなかったことがある。高校卒業後の顛末(てんまつ)だ。恵美は就職し美紗子は大学に進学すると、それぞれ忙しくなり連絡が途絶えがちになった。恵美はその後結婚したが、夫の飲酒と暴力が原因で離婚した。だが、彼女には一人の娘がおり、なんとか仕事と子育てを両立させながら、日々の暮らしを立てていた。しかし、間もなく恵美は病気になってしまう。親友に余計な心配を掛けさせまいと、恵美は何も打ち明けずにひとり戦っていた。だが、余命幾(よめいいく)ばくもない恵美から、久々の連絡が入る。
「美紗子・・・・、私、お願いがあるの」
 彼女の置かれている状況を知らずにいたことを、美紗子はとても後悔した。恵美は、両親は早くに他界し兄弟もいなかったので、身寄りのない娘が養育施設で生活する間、たまに様子を気に掛けてくれたらありがたい、と願った。しかし、その話を聞いた夫婦は、恵美にもしもの事があったなら、娘を養子縁組(ようしえんぐみ)して育てさせてくれないかと懇願(こんがん)した。恵美自身は、決してそこまでを望んだ訳ではなかったが、他の誰でもない親友夫婦に娘を託せるのなら、安心して()ける。恵美は美紗子の手を取り、涙に声を震わせた。
「美紗子、栄一さん、本当にありがとう。感謝しても感謝しきれない」
 二歳の愛してやまない幼い娘を託し、安堵し、静かに恵美は旅立った。
 こうして、栄一と美紗子の元で大切に育てられた娘こそ、舞香だった。だが当時、美紗子の両親は、舞香を引き取る事に強く反対した。

「馬鹿な事言うな! 結婚したばっかりで。普通に自分達の子を持てばいいだろう。施設だってある。なんでそんなことまでする必要がある⁈」
 父は、何よりも世間体を気にした。
「他人の子供を、ずっと愛情を持って育てられるの? 自分の子供だって大変なのに。結婚式も挙げずに、後悔するんじゃないの?」
 母は、その子を不憫(ふびん)に思いながらも、やはり娘夫婦の方が心配だった。
 しかし、夫婦の決意は固かった。ただ、ふたりには、有名人である自分達の元に養子がいるとなれば、世間は騒ぐだろうことは予測できた。舞香のためにも、そこは知られたくない。出生の秘密を守り、本当の娘として周りに認知されたい、そう願った。
 親の反対を押し切り、勘当(かんどう)同然で、美紗子は栄一と共に現在の住まいに辿(たど)り着く。おっとりとしたおとなしい性格の舞香は、すぐに夫婦に懐いて、三人は新しい家族としての生活をひっそりと静かに穏やかに紡いでいった。

 やがて、颯香が生まれ、花香が生まれる。
 実家の母は、勘当したとはいえ娘たち家族を心配していた。時々、父親に内緒で岩手の米や野菜を送っていたのだった。だから、美紗子もまた、子供たちの写真を添えて、母宛てに手紙を送った。母には、孫の成長する姿が日々の励みとなっていた。
 子育てに追われながらも、幸せな時間が流れる。しかし、当然ながら娘たちが成長すると同時に、美紗子の両親もまた年を重ね老いていく。
 そんなある日、父親からの電話だった。
「美紗子か? 父さんだ。元気か?」
 母の携帯電話からだったが、声の主は父であり少し驚いた。久しぶりに聞くその声は、どこか力なく聞こえる。
「母さんが、昨日入院した。まぁ、今すぐどうってことではないが、最近すっかり弱ってなぁ」
「お父さんこそ元気? 連絡ありがとう。わかった。すぐ行くから」
 美紗子は、それをきっかけに家を留守にするようになったのだった。
「お母さん、颯香たちのことは私に任せて。安心して行って来てよ」
 颯香の大学生活も花香の大学受験も気がかりだった美紗子を、舞香が後押しした。
 親子の空白の時間を埋めるかのように、美紗子は実家に帰ると、掃除や洗濯、日々の買い物に食事の支度など、父の生活を手助けした。そして、母の病室に通っては話し相手になり、母は美紗子が一番の薬のように、娘に会うたび顔色が良くなり、元気を取り戻していった。美紗子にはひとりの兄がいるが、関西の商社で忙しく働いていたため、なかなか休みも取れず帰省できずにいた。しかし、母のことをきっかけに、兄も時折、盛岡を訪れるようになり、美紗子とも久々の再会を果たす。
「美紗子、元気だったか? 栄一くんも元気か?」
「うん。お兄ちゃんはまだ独身貴族かぁ。パートナーとかいないの?」
「うん・・・・なかなかね」
「子供たちも大きくなったし、私、時々こうして様子見に来れるから安心して。お母さんも段々落ち着くでしょ。お兄ちゃんも体に気を付けてよ」
「頼むな。俺もおやじと連絡取るようにするから」

 そして先日、美紗子は、親友の眠る墓を訪ねた。
「恵美、舞香が結婚するのよ。守ってくれてありがとうね」
 美紗子は墓の前に(ひざまず)き、静かに手を合わせた。


「そういうことだ。父さんからは以上だ。何か、質問はあるか?」
「今まで内緒にしていてごめんなさい」
 舞香は感極まり、妹たちに謝った。涙が止まらなかった。舞香自身、この真実が妹たちにどう受け止められるのか、話すまでとても不安でならなかった。栄一は続ける。
「舞香が成人してからお前たちに話そうって、父さんたちが決めたんだ。舞香が謝ることではないし、このままずっと黙っていても良かったんだよ。ただ、『壱さんが我が家に挨拶に来る前に、妹たちにちゃんと話したい』という舞香の思いもあってな。それで、今日ふたりに伝えることにした。壱くんには、舞香自身が話してある。このことを理解した上で、壱くんはプロポーズしてくれたんだ」
 だが、舞香は自分の存在によって両親の人生がいかに大きく変化したかを改めて実感し、自分を責め始めた。
「でも私のせいで、お父さんとお母さんにたくさん苦労させてしまったの。私がいることで、実家にも帰れず、結婚式も挙げられず、私のせいで・・・・」
 美紗子は、目を(うる)ませながら舞香に力説する。
「舞香、それは違う! これは、私たち自身の選択。お父さんもお母さんも、どんなにあなたに喜びをもらったかわからないわ。あなたがかわいくて仕方なかった。苦労なんて思ってないし、後悔もひとつもないのよ。私たちこそ、子育てに不慣れなままあなたと暮らし始めて、不自由させた。でも舞香は真っ直ぐに育ってくれたわ。私たちの元に来てくれて本当にありがとう。そして、これからも壱さんと幸せに暮らすのよ。それこそが、舞香の幸せが、私たちの幸せなんだから」
 母の言葉に、花香もしゃくりあげながら続ける。
「まい姉は、今も昔も私のお姉ちゃんだもん。お父さんとお母さんの娘だもん。気にすることじゃないよ。まい姉は何も悪くないんだから、謝らないで!」
 颯香も再び込み上げる涙をティッシュで拭いながら、
「うん。話を聞いても聞かなくても、何も変わらない。まい姉ちゃんがいてくれて私、それだけで幸せだよ。いつも頼ってばかりでごめん。お姉ちゃんのお陰でここまでがんばって来られたの」
「・・・・お母さんこそが、謝るべきだわね。颯香と花香には、母方のおじいちゃんとおばあちゃんはいないことにしていたからね。最近、家を度々留守にしていたのは、確かに取材の仕事もあったけれど、ほとんどが両親の世話のため。負担かけたよね。ごめんね」
 姉妹は首を横に振り、誰も誰をも責めなかった。
「おじいちゃん達、あの時は・・・・花香が二歳になった頃かな。店に一度だけ来てくれた。孫に会いたかったんだよ」
 栄一のその言葉に、颯香の記憶が(よみがえ)る。
「小さかったけど、ちゃんこ屋で知らないおじさんに抱っこされたの、(かす)かに覚えてるんだけど。あれ、おじいちゃんだったのかな?」
「そうだ。花香は人見知りしてなぁ。だが、颯香はうれしそうに抱っこされてた」
「いつかみんなで盛岡に会いに行きたい! でも、おばあちゃんの体調大丈夫なの?」
 花香が心配そうに母を見つめる。
「大丈夫よ。もうすぐ退院できそうだって。いつかみんなで、両親に会ってくれる?」
「もちろんだよ! もう一人のおじいちゃんとおばあちゃん、元気で生きていてくれたなんて感激! お相撲好きかなぁ」
 颯香が目を腫らしながら、それでも笑顔で遠く岩手に思いを()せた。
「父さんからの話は以上だ。今日は遅いし、休みなさい。明日もまた家族はちゃんとここにいるからな。安心して寝なさい」

 その晩、姉妹は、今日直面した家族の真実を反芻(はんすう)しながら理解しようとした。
 舞香は、この家でこの家族に迎え入れられ普通の日常を与えられた自分の幸運を、妹に全て打ち明けた今、改めて認識する。もしかすると、自分にはもっと辛く苦しい別の人生があったのかも知れなかった。そして、もしかすると、壱とも出会えていなかったのかも知れないのだ。
(人と人を繋いでいるものって、何だろう?)
 ぼんやりと舞香は思った。
 そしてまた、両親は、今夜娘たちに告げた家族の軌跡(きせき)を、今一度振り返る。
(美紗子に一番苦労かけたのは・・・・俺だよな・・・・)
 この時、栄一はしみじみ思った。埼玉の実家には盆と正月に帰省し、孫の顔も見せられていたし、美紗子にも両親を助けてもらっている。知らぬ間に月日ばかりが流れ、自分は、妻とその両親のために一体何ができたのだろうか。
 鈴虫の鳴く声。夜は、静かに更けていく。


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登場人物紹介

澤田颯香《さわだそよか》

澤田三姉妹の次女。小さい頃から、父の影響で女子相撲に打ち込んでいる。食べることと可愛いものが好き。



澤田舞香《さわだまいか》

澤田三姉妹の長女。忙しい両親やがんばる妹たちを支えながら、病院の管理栄養士として働いている。

澤田花香《さわだはなか》

澤田三姉妹の三女。大学で語学を学びながら、喫茶「ポラリス」で働いている。その美貌から、男性によく言い寄られる。

澤田栄一《さわだえいいち》

澤田三姉妹の父。埼玉県出身の元力士で、現在はちゃんこ鍋屋「豪傑ちゃんこ」を経営している。

澤田美紗子《さわだみさこ》

澤田三姉妹の母。岩手県出身の元ファッションモデル。現在は、夫のちゃんこ屋を手伝う傍ら、雑誌のコラムの執筆をしている。

木村臣《きむらじん》

清城学園大学女子相撲部のトレーニングコーチ。女子相撲部監督の甥。普段は、スポーツジムのインストラクターとして働いている。

川井壱《かわいいち》

舞香の大学の先輩。石川県金沢市の出身。大学時代は、軽音楽同好会でボーカルとして活動。舞香と同様、病院の管理栄養士として働く。

ユン・ジョンミン

韓国人留学生。花香の友人である絵理と同じ大学に通う。

森山裕太《もりやまゆうた》

花香の高校の先輩。高校時代はバレーボール部に所属。ジョンミンと同じ大学で、一つ上の先輩として世話をしている。

松田園《まつだその》

臣の元カノ。高校時代の実力を評価され、大学のテニス部にスカウトされる。やがてプロテニスプレイヤーとして活躍する。

吉田太一《よしだたいち》

栄一のちゃんこ屋のアルバイト店員。花香の幼馴染。

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