8.結婚会見と極秘作戦
文字数 5,413文字
まだまだ残暑は厳しいものの、真夏の星座は少しずつ西の空に傾き、秋の小さな星々が天に輝き始めた。
その夜は、珍しく両親が揃 い、娘たち三人をリビングに集合させた。久しぶりにダイニングテーブルを五人で囲む。美紗子が急須にお湯を入れたので、舞香が「私やるよ。お母さん座って」と母に代わりお茶を注いだ。お茶が茶碗に注がれる音を、皆で静かに聞いていた。
「今夜は、颯香と花香にちょっと大事な話があるんだが、いいかな?」
栄一が改まった面持ちでふたりに問いかける。ふたりが頷 くのを確認すると、両親は目を合わせ、それから舞香の方を見てにこりとほほ笑んだ。ふたりは、どこか緊張して沈黙している。
「実は、舞香が、結婚することになったんだ」
栄一の発した言葉は、颯香を動揺させた。すぐに察しが付いた。相手はコーチだ! 反射的に泣きたい気持ちが一気に込み上げて来る。とうとう決定的な事実を突きつけられてしまうのだ。心臓が激しく脈打つ。
だが、父の続く言葉は、颯香の意表を突くものだった。
「お相手は、病院で舞香と同じく栄養士として働いている、川井壱 くんだ。具体的な日程はこれからなんだが、近い内に両家の顔合わせなどあるだろうから、皆そのつもりでいてくれ。そう言う俺も・・・・緊張するもんだなぁ」
そう言って、頭を掻きながら笑顔を見せる。
「まい姉! おめでとう!」
花香は、手を叩いて喜んだ。
「お姉ちゃん、デートする暇も無いと思ってたんだもん。私、うれしい!」
花香の目に感激の涙が溢れる。ところが颯香は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、じっと父を見つめている。
「・・・・えっ、まい姉ちゃん、コーチと結婚するんじゃ、ないの? えっ? うそっ!」
思わず声を発し、何を喜んでいるのか何を安堵しているのか、泣いているのか笑っているのか、何が何だか分からなくなった。泣き笑いする颯香を見て、栄一は笑った。
「なんだ、颯香もそう思ったのか? 父さんもな、いい青年だからどうかなぁって、実はちょっとだけ思ったんだが、舞香はとっくに、いい人を見付けていたんだよ」
「・・・・まい姉ちゃん・・・・よかった。おめでとう」
颯香はしゃくりあげながら、やっとの思いで祝福の気持ちを言葉に表す。
「そよ姉の勘違いだったね。コーチじゃなかったね」
花香が、肘 で颯香を突っついて囁く。
「し~~っ! それ以上は内緒!」
慌てて自分の唇に人差し指を当て、花香の発言を阻止した。花香はニヤニヤしている。そんな妹たちの姿を見て、舞香はその時やっと、颯香のコーチへの恋心に気付いた。
(あぁ、そよちゃんったら、誤解してたの⁈)
「そよちゃん・・・・。お姉ちゃん、余計な心配させちゃったのね」
颯香は首を振るが、笑顔が戻ったものの涙が止まらない。美紗子は颯香にティッシュペーパーを差し出しながら、娘たちそれぞれの心境を推し量る。花香は、颯香の背中を優しく撫でる。
「それにしてもまい姉、たまにコンサートとか映画に行ってたの、実は壱さんと?」
「そう。壱さんとは、実は大学でも軽音楽サークルで一緒だったの。音楽の趣味が合って、少しずつ時間をかけてお互いを知り合って・・・・ご縁があったのね」
「そっかぁ。まい姉、全然言わないから、気付かなかった。でも、一緒に素敵な時間を共有できる人がいてさ、本当に良かった!」
そう言うと、花香はますます目を輝かせ、女子なら誰しも一度は思い描くであろう光景を興味津々に尋ねた。
「ねえねえ、何てプロポーズされたの? いつ? どこで?」
「ええと・・・・先々週ね、ちょっと海の見えるレストランで食事して・・・・。やだ、お父さんの前で言いにくいな。『僕たちずっと、一緒にいよう!』って。そしてね、お父さんにプロポーズされたことを報告したら、『別に挨拶はいいから、ちゃんこ食べに連れて来なさい』って言われて、この前お店で一緒にちゃんこ鍋食べたのよ。壱さん感激しちゃって、『美味しいし栄養満点だし、病院食に応用できないかなぁ』なんて言ってね」
「まい姉の彼氏、仕事熱心なんだね」
「真面目で一生懸命で優しくて、とても患者さん思いだよな」と栄一も太鼓判を押す。
「いい人なんだね。早く私も会ってみたい!」
「うん。ビシッとスーツで固めて来てなぁ、話していても、気さくで大人だった。父さんも、壱くんなら安心して舞香を任せられると思ったんだ。そうしたらな、太一がしょんぼりしてなぁ、『舞香さん、結婚するんすか⁈』って泣いてたぞ。うれし涙だって言ってたけど、あれは悔し涙だな」
栄一は自信あり気に言うが、花香は解 せない表情だ。
「やだ、太一のやつ、まい姉のこと好きだったんだ! 百年早いよ~! 私、中学校の時にさ、『どっちが背中か分かんねえ!』とか、『まな板』とか『洗濯板』とか、あいつに散々馬鹿にされたんだから!」
「本当か? 花香、あいつそんなこと言ってたのか⁈ それはガツンと喝入れとかなきゃなんねえなぁ。それは花香だけじゃない、お母さんをも侮辱する発言だぞ」
「栄一さん・・・・、それどういう意味? 聞き捨てならないわね!」、と美紗子。栄一は、皆を笑わせるだけのつもりが、妻の心を逆撫 でしてしまった。だが、颯香はその様子に思わず吹き出し、そのお陰でようやく落ち着きを取り戻した。
「ああぁ、お父さん、お母さんに口きいてもらえなくなっちゃった」
「そうよ、花香、もうお父さんと口きかない!」
「ごめんごめん、おい美紗子、冗談だよ」
「どうせ私はぺちゃパイですよ! 花香に申し訳ないわぁ」
「お母さん、しょうがないよ。これは私たちの個性よ!」
とうとう花香も開き直り、美紗子をなだめる。美紗子は「あら、花香、潔 いわね」と言って、栄一の肩に平手打ちを食らわした。
「いてて! でもな、そんな太一も、今ではやっと、仕込みも板についてきた。あいつの良さは素直さだな。定時制高校にも、ちゃんと通っているよ」
「へぇ~。太一、偉いじゃん! 不登校とゲーセン通いと喧嘩っ早いところ、克服できたんだ」
颯香もやっと声を発し、会話に加わることができた。舞香はほっとして、ようやくコーチとの極秘プロジェクトの正体を明かす。
「そよちゃん、誤解を招いて本当にごめんなさい。木村コーチとはね、お姉ちゃん、お付き合いなんてしてないのよ。実は、コーチがちゃんこ鍋食べに来た時から、あなたには内緒ってことで『颯香肉体改造作戦』を練っていたの。そして、目下遂行中 なのよ」
「えっ! 何それ~?」
「木村コーチ、食べる事が大好きな女子部員たちが、食事を楽しみながらストレスなく体重コントロールできるようにって、頭を悩ませてたの。出場階級を変更せずに、脂肪をそいで筋力をつけるには、食事制限だけではダメだって。『颯香さんは、うちの期待の新人なので』って言ってた。だから、私の知識が少しでも役に立てばと思って、栄養管理やレシピの情報提供をしていたの。だけど、私のレシピ、あんまり美味しくなかったかな? ちょっとあっさりし過ぎてたよね? だめね。お姉ちゃん、まだまだ修業が足りないわ」
相変わらずの姉の無邪気さの中に、疑いのない彼女の本心があった。ずっとこうして、自分の事を考えた食事を作ってくれていた。自分の恋愛のために妹を利用するなど、考えるはずもないのだ。
「すごく美味しかったよ。お弁当も全部美味しかったし、毎日、帰ると温かいご飯が待っていてくれて、うれしかった・・・・」
急に姉に対し申し訳ない気持ちに襲われ、いたたまれなくなった。美紗子は、誤解が解けた姉妹の様子を、一安心して微笑みながら見守っている。颯香の恋心にピンときていないのは、栄一だけだった。
「実は父さんも、コーチに相談されたんだ。なぜ力士は大きな体をしているのに筋肉質なのか。力士の体調維持と食事について教えて欲しいって言って、興味を持って話を聞いてくれた。そもそも、ちゃんこはそれほど高カロリーではなく、栄養バランスがいいんだ。米とちゃんこ鍋を中心に、一日二食、膨大な量を食べるが、稽古の後に食べるというタイミングと食後の昼寝というリズムで、大きな体が作られるわけだ。摂取したカロリーは、厳しい稽古でほぼ消費してしまうから、ファストフードや外食に偏 ることがなければ、たくさん食べても生活習慣病の原因になる心配はない。まあ、それが男性力士の体作りの基本だ」
「コーチ、お相撲とちゃんと向き合って、勉強してくれていたんだ・・・・」
「うん。颯香のこれから続く選手生活を考えて、足腰への負担を減らしたいとも言ってた。力士はたくさん食べて大きな体を作ることこそが一番だ、と思っていたが、病気や故障をしたら元も子もないからなぁ。父さんも逆に勉強になったよ。女性特有の体の機能とメンタル、相撲人生のその後にも目を向けて、コーチはいろいろ悩んでいたんだ」
「プロジェクト、見事に功を奏したようね。颯香、すごく引き締まってかっこいいわよ。きれいに筋肉が付いたじゃない? 素敵なアスリートだわ」
母に褒められると、あの日、姉に嫉妬し母に泣き付いたことが、少し恥ずかしくなった。コーチと家族の自分への思いやりが、うれしくもあり、ちょっぴりうざったくもあり、穴があったら入りたい。全くの勝手な思い違いだった。
「そよ姉、『美しすぎる女性力士』だね! あぁ、それとも、『恋する力士ちゃん』?」
「何それ! ちょっと、まい姉ちゃんの結婚会見の席なのに、いい加減私の話で盛り上がるのやめてよぉ!」
そして颯香は気付いた。
「あぁ、だから最近『南部せんべい』と『純米せんべい』と『鉄分ウエハース』しか置いてなかったんだ! 私、チョコパイが食べたかったのにぃ!」
恥ずかしさを紛 らわすつもりで嘆いてみたものの、更に追い打ちを掛けられる。
「だってそよちゃん、木村コーチから聞いたよぉ。お母さんと行った秘密のカフェの話」
「えぇっ? そよ姉、秘密のカフェって何?」
一流選手は、自分のポテンシャルを上げる食事を知っている。ここぞという場面で全力を発揮できる必要な栄養素を、適時に取り入れる。コーチと舞香の作戦の重点は、颯香たちがストレス無く美味しく食事を楽しみ、必要な栄養を取り入れ体重を適正に維持することにあった。そうすれば、精神的にも安定しながら持久力を保ち、トレーニングにも耐えられる。痩せすぎても太りすぎても、予定の出場階級を変更することになりかねない。それにより対戦相手の特徴が変わり戦略を変更する事になるのは、場合によってはリスクと成り得る。デリケートな体重管理が必要で、姉の管理栄養士としての知識や経験は、この作戦を遂行する上でとても頼もしいと、臣には思えたのだ。そして、姉が提案した食事のレシピは、他の部員の食生活や体調管理にも大いに役立った。
ところが、そんなある日、あのカフェでケーキを食べる颯香を、臣が目撃してしまう。
「颯香さんには、リフレッシュするための大切な時間のようなのです。だから、『行くな』とか『食べるな』とか制限するのではなく、何か方法はないものかと・・・・」
臣は舞香に相談した。
「では、お弁当と家での間食で工夫しましょうか。お菓子は、どうしても食べ過ぎてしまうので、固い物とか低カロリーの物を用意するよう心がけます。月に一度程度のお楽しみならば、大きな影響は無いと思いますし、カフェに出掛けることについては、私も何も言わないでおきますね」
ふたりが度々連絡を取り合い情報交換を重ねていたのは、紛れもなく颯香とそのチームのためだったのだ。結果的には、思いがけず芽生えた『恋心』により、颯香の食欲は減退し、精神的安定は脆 くも崩れてしまったのだが・・・・。
「ママとの秘密、ばれちゃったね~」、と母が茶目っ気たっぷりに颯香の顔を覗き込むと、颯香は「じゃあ、これからは堂々とカフェ行くもんね!」と言って開き直った。
「なんだなんだ、母さんとカフェでデートしたのか? 父さん、デートなんて、しばらく行ってないぞ」
栄一が、不服そうな表情を作って美紗子の機嫌を取ろうとするも、美紗子にあっさりと「はいはい、いつか行きましょうね」と受け流され、しょんぼりと頬杖をつく。
「じゃあ、お父さん、私が今度連れてってあげるから、私とデートしよう!」
颯香は栄一の肩をポンポンと叩いた。
そんな颯香にこの作戦の効果が表れているのが、はっきりと舞香の目にも見てわかり、恋に悩みながら練習や体作りに励んできた妹を思うと、とてもやるせない気持ちになった。こうして次のステージへの土台は準備できつつある。あとは颯香の気持ちと調子が上向いて行って欲しい、そう強く願うばかりだ。
「本当にそよちゃん、ますますきれいになった。そして、みんなに愛されているのよ。監督にもコーチにもチームメイトにも。壱さんも一緒に考えてくれてね、レシピをいっぱい提案してくれた。今度の試合は絶対応援に行きたいって楽しみにしているのよ。お姉ちゃん、これからもサポートするからね」
(コーチが相撲部に配ってくれた、あのレシピ集・・・・そのためにみんなで知恵を絞ってくれてたんだ・・・・)
それを知った今、これまでのことを振り返ってみると、自分は本当に幸せで恵まれていて愛されているとあらためて実感する。それがコーチの「師弟愛 」であったとしても、なんて尊いのだろうか。
その夜は、珍しく両親が
「今夜は、颯香と花香にちょっと大事な話があるんだが、いいかな?」
栄一が改まった面持ちでふたりに問いかける。ふたりが
「実は、舞香が、結婚することになったんだ」
栄一の発した言葉は、颯香を動揺させた。すぐに察しが付いた。相手はコーチだ! 反射的に泣きたい気持ちが一気に込み上げて来る。とうとう決定的な事実を突きつけられてしまうのだ。心臓が激しく脈打つ。
だが、父の続く言葉は、颯香の意表を突くものだった。
「お相手は、病院で舞香と同じく栄養士として働いている、
そう言って、頭を掻きながら笑顔を見せる。
「まい姉! おめでとう!」
花香は、手を叩いて喜んだ。
「お姉ちゃん、デートする暇も無いと思ってたんだもん。私、うれしい!」
花香の目に感激の涙が溢れる。ところが颯香は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、じっと父を見つめている。
「・・・・えっ、まい姉ちゃん、コーチと結婚するんじゃ、ないの? えっ? うそっ!」
思わず声を発し、何を喜んでいるのか何を安堵しているのか、泣いているのか笑っているのか、何が何だか分からなくなった。泣き笑いする颯香を見て、栄一は笑った。
「なんだ、颯香もそう思ったのか? 父さんもな、いい青年だからどうかなぁって、実はちょっとだけ思ったんだが、舞香はとっくに、いい人を見付けていたんだよ」
「・・・・まい姉ちゃん・・・・よかった。おめでとう」
颯香はしゃくりあげながら、やっとの思いで祝福の気持ちを言葉に表す。
「そよ姉の勘違いだったね。コーチじゃなかったね」
花香が、
「し~~っ! それ以上は内緒!」
慌てて自分の唇に人差し指を当て、花香の発言を阻止した。花香はニヤニヤしている。そんな妹たちの姿を見て、舞香はその時やっと、颯香のコーチへの恋心に気付いた。
(あぁ、そよちゃんったら、誤解してたの⁈)
「そよちゃん・・・・。お姉ちゃん、余計な心配させちゃったのね」
颯香は首を振るが、笑顔が戻ったものの涙が止まらない。美紗子は颯香にティッシュペーパーを差し出しながら、娘たちそれぞれの心境を推し量る。花香は、颯香の背中を優しく撫でる。
「それにしてもまい姉、たまにコンサートとか映画に行ってたの、実は壱さんと?」
「そう。壱さんとは、実は大学でも軽音楽サークルで一緒だったの。音楽の趣味が合って、少しずつ時間をかけてお互いを知り合って・・・・ご縁があったのね」
「そっかぁ。まい姉、全然言わないから、気付かなかった。でも、一緒に素敵な時間を共有できる人がいてさ、本当に良かった!」
そう言うと、花香はますます目を輝かせ、女子なら誰しも一度は思い描くであろう光景を興味津々に尋ねた。
「ねえねえ、何てプロポーズされたの? いつ? どこで?」
「ええと・・・・先々週ね、ちょっと海の見えるレストランで食事して・・・・。やだ、お父さんの前で言いにくいな。『僕たちずっと、一緒にいよう!』って。そしてね、お父さんにプロポーズされたことを報告したら、『別に挨拶はいいから、ちゃんこ食べに連れて来なさい』って言われて、この前お店で一緒にちゃんこ鍋食べたのよ。壱さん感激しちゃって、『美味しいし栄養満点だし、病院食に応用できないかなぁ』なんて言ってね」
「まい姉の彼氏、仕事熱心なんだね」
「真面目で一生懸命で優しくて、とても患者さん思いだよな」と栄一も太鼓判を押す。
「いい人なんだね。早く私も会ってみたい!」
「うん。ビシッとスーツで固めて来てなぁ、話していても、気さくで大人だった。父さんも、壱くんなら安心して舞香を任せられると思ったんだ。そうしたらな、太一がしょんぼりしてなぁ、『舞香さん、結婚するんすか⁈』って泣いてたぞ。うれし涙だって言ってたけど、あれは悔し涙だな」
栄一は自信あり気に言うが、花香は
「やだ、太一のやつ、まい姉のこと好きだったんだ! 百年早いよ~! 私、中学校の時にさ、『どっちが背中か分かんねえ!』とか、『まな板』とか『洗濯板』とか、あいつに散々馬鹿にされたんだから!」
「本当か? 花香、あいつそんなこと言ってたのか⁈ それはガツンと喝入れとかなきゃなんねえなぁ。それは花香だけじゃない、お母さんをも侮辱する発言だぞ」
「栄一さん・・・・、それどういう意味? 聞き捨てならないわね!」、と美紗子。栄一は、皆を笑わせるだけのつもりが、妻の心を
「ああぁ、お父さん、お母さんに口きいてもらえなくなっちゃった」
「そうよ、花香、もうお父さんと口きかない!」
「ごめんごめん、おい美紗子、冗談だよ」
「どうせ私はぺちゃパイですよ! 花香に申し訳ないわぁ」
「お母さん、しょうがないよ。これは私たちの個性よ!」
とうとう花香も開き直り、美紗子をなだめる。美紗子は「あら、花香、
「いてて! でもな、そんな太一も、今ではやっと、仕込みも板についてきた。あいつの良さは素直さだな。定時制高校にも、ちゃんと通っているよ」
「へぇ~。太一、偉いじゃん! 不登校とゲーセン通いと喧嘩っ早いところ、克服できたんだ」
颯香もやっと声を発し、会話に加わることができた。舞香はほっとして、ようやくコーチとの極秘プロジェクトの正体を明かす。
「そよちゃん、誤解を招いて本当にごめんなさい。木村コーチとはね、お姉ちゃん、お付き合いなんてしてないのよ。実は、コーチがちゃんこ鍋食べに来た時から、あなたには内緒ってことで『颯香肉体改造作戦』を練っていたの。そして、
「えっ! 何それ~?」
「木村コーチ、食べる事が大好きな女子部員たちが、食事を楽しみながらストレスなく体重コントロールできるようにって、頭を悩ませてたの。出場階級を変更せずに、脂肪をそいで筋力をつけるには、食事制限だけではダメだって。『颯香さんは、うちの期待の新人なので』って言ってた。だから、私の知識が少しでも役に立てばと思って、栄養管理やレシピの情報提供をしていたの。だけど、私のレシピ、あんまり美味しくなかったかな? ちょっとあっさりし過ぎてたよね? だめね。お姉ちゃん、まだまだ修業が足りないわ」
相変わらずの姉の無邪気さの中に、疑いのない彼女の本心があった。ずっとこうして、自分の事を考えた食事を作ってくれていた。自分の恋愛のために妹を利用するなど、考えるはずもないのだ。
「すごく美味しかったよ。お弁当も全部美味しかったし、毎日、帰ると温かいご飯が待っていてくれて、うれしかった・・・・」
急に姉に対し申し訳ない気持ちに襲われ、いたたまれなくなった。美紗子は、誤解が解けた姉妹の様子を、一安心して微笑みながら見守っている。颯香の恋心にピンときていないのは、栄一だけだった。
「実は父さんも、コーチに相談されたんだ。なぜ力士は大きな体をしているのに筋肉質なのか。力士の体調維持と食事について教えて欲しいって言って、興味を持って話を聞いてくれた。そもそも、ちゃんこはそれほど高カロリーではなく、栄養バランスがいいんだ。米とちゃんこ鍋を中心に、一日二食、膨大な量を食べるが、稽古の後に食べるというタイミングと食後の昼寝というリズムで、大きな体が作られるわけだ。摂取したカロリーは、厳しい稽古でほぼ消費してしまうから、ファストフードや外食に
「コーチ、お相撲とちゃんと向き合って、勉強してくれていたんだ・・・・」
「うん。颯香のこれから続く選手生活を考えて、足腰への負担を減らしたいとも言ってた。力士はたくさん食べて大きな体を作ることこそが一番だ、と思っていたが、病気や故障をしたら元も子もないからなぁ。父さんも逆に勉強になったよ。女性特有の体の機能とメンタル、相撲人生のその後にも目を向けて、コーチはいろいろ悩んでいたんだ」
「プロジェクト、見事に功を奏したようね。颯香、すごく引き締まってかっこいいわよ。きれいに筋肉が付いたじゃない? 素敵なアスリートだわ」
母に褒められると、あの日、姉に嫉妬し母に泣き付いたことが、少し恥ずかしくなった。コーチと家族の自分への思いやりが、うれしくもあり、ちょっぴりうざったくもあり、穴があったら入りたい。全くの勝手な思い違いだった。
「そよ姉、『美しすぎる女性力士』だね! あぁ、それとも、『恋する力士ちゃん』?」
「何それ! ちょっと、まい姉ちゃんの結婚会見の席なのに、いい加減私の話で盛り上がるのやめてよぉ!」
そして颯香は気付いた。
「あぁ、だから最近『南部せんべい』と『純米せんべい』と『鉄分ウエハース』しか置いてなかったんだ! 私、チョコパイが食べたかったのにぃ!」
恥ずかしさを
「だってそよちゃん、木村コーチから聞いたよぉ。お母さんと行った秘密のカフェの話」
「えぇっ? そよ姉、秘密のカフェって何?」
一流選手は、自分のポテンシャルを上げる食事を知っている。ここぞという場面で全力を発揮できる必要な栄養素を、適時に取り入れる。コーチと舞香の作戦の重点は、颯香たちがストレス無く美味しく食事を楽しみ、必要な栄養を取り入れ体重を適正に維持することにあった。そうすれば、精神的にも安定しながら持久力を保ち、トレーニングにも耐えられる。痩せすぎても太りすぎても、予定の出場階級を変更することになりかねない。それにより対戦相手の特徴が変わり戦略を変更する事になるのは、場合によってはリスクと成り得る。デリケートな体重管理が必要で、姉の管理栄養士としての知識や経験は、この作戦を遂行する上でとても頼もしいと、臣には思えたのだ。そして、姉が提案した食事のレシピは、他の部員の食生活や体調管理にも大いに役立った。
ところが、そんなある日、あのカフェでケーキを食べる颯香を、臣が目撃してしまう。
「颯香さんには、リフレッシュするための大切な時間のようなのです。だから、『行くな』とか『食べるな』とか制限するのではなく、何か方法はないものかと・・・・」
臣は舞香に相談した。
「では、お弁当と家での間食で工夫しましょうか。お菓子は、どうしても食べ過ぎてしまうので、固い物とか低カロリーの物を用意するよう心がけます。月に一度程度のお楽しみならば、大きな影響は無いと思いますし、カフェに出掛けることについては、私も何も言わないでおきますね」
ふたりが度々連絡を取り合い情報交換を重ねていたのは、紛れもなく颯香とそのチームのためだったのだ。結果的には、思いがけず芽生えた『恋心』により、颯香の食欲は減退し、精神的安定は
「ママとの秘密、ばれちゃったね~」、と母が茶目っ気たっぷりに颯香の顔を覗き込むと、颯香は「じゃあ、これからは堂々とカフェ行くもんね!」と言って開き直った。
「なんだなんだ、母さんとカフェでデートしたのか? 父さん、デートなんて、しばらく行ってないぞ」
栄一が、不服そうな表情を作って美紗子の機嫌を取ろうとするも、美紗子にあっさりと「はいはい、いつか行きましょうね」と受け流され、しょんぼりと頬杖をつく。
「じゃあ、お父さん、私が今度連れてってあげるから、私とデートしよう!」
颯香は栄一の肩をポンポンと叩いた。
そんな颯香にこの作戦の効果が表れているのが、はっきりと舞香の目にも見てわかり、恋に悩みながら練習や体作りに励んできた妹を思うと、とてもやるせない気持ちになった。こうして次のステージへの土台は準備できつつある。あとは颯香の気持ちと調子が上向いて行って欲しい、そう強く願うばかりだ。
「本当にそよちゃん、ますますきれいになった。そして、みんなに愛されているのよ。監督にもコーチにもチームメイトにも。壱さんも一緒に考えてくれてね、レシピをいっぱい提案してくれた。今度の試合は絶対応援に行きたいって楽しみにしているのよ。お姉ちゃん、これからもサポートするからね」
(コーチが相撲部に配ってくれた、あのレシピ集・・・・そのためにみんなで知恵を絞ってくれてたんだ・・・・)
それを知った今、これまでのことを振り返ってみると、自分は本当に幸せで恵まれていて愛されているとあらためて実感する。それがコーチの「